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第二十五夜 王家のあかし

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 約束の日没がやって来た。
 日の落ちた白い回廊に、色鮮やかなランプに照らされ影が伸びる。
 
 衛士によって”魔神の尖塔”から引き出されたハティーシャは、王座の間へと連行された。
 
 
 初めて、父である国王と対面したあの王座の間。
 天上から吊るされた色硝子のモザイクランプの明かりが、大理石の床にも絨毯の上にも複雑な幾何学模様を描く。
 
 大広間にあったのと同じ、金の瞳のような文様の描かれた王座の前。ハティーシャは粛々と膝をつき、こうべを垂れた。
 
 王座には、一昼夜尖塔に閉じ込められていたハティーシャよりも一層面やつれした国王シャーハーンが沈み込むように腰掛けていた。国王の座る王座の隣には煌びやかに着飾った王妃が座っている。王妃は国王を見張るように側に寄り添い、何事か囁きかける。国王は小さく頷くと、何もかも諦めたような感情を感じさせぬ暗い目が、ハティーシャを見下ろした。
 国王は、王妃がハティーシャに課した試練に最初から同意していたのか。それとも、王妃の主張を無碍にすることが出来ず、抗い切れずに受け入れたのか。
 どちらにせよ、もしも罪に問われたとしても父が己を庇ってくれるかも知れないという僅かばかりの希望は、自惚れだった、とハティーシャは思い知った。

 他にも、この場に居並ぶのは王国の主だった廷臣達。皆が事の成り行きを息をひそめて見守っていた。
 中でも、一段高みの王座のすぐ下には、王女パリヤール。そして対面にはシャムザの第二王子ルスラン。王子は優男然とした顔に似合わぬ厳しい顔をしていた。深い緑の瞳が戸惑いと不安と怒りに揺れている。ハティーシャの試練のことも、きっと何も知らされていなかったのだろう。
 
 王座の間には勿論、闇に紛れて忍び込み、幔幕の後ろに隠れていた魔導師もいた。何かあればすぐに飛び出せるように、大狼の姿でハティーシャをじっと見つめていた。
 
「……ハティーシャよ………」
 
 国王が疲れ果て、掠れた声で告げる。
 
「期限の日没じゃ……王妃から聞いておろう。まこと、王家の血を引く王女であるなら、王家を守護する魔神の名を証しせよ、と。出来なければ、そなたを王女と認めることは出来ぬ」
「……はい、国王陛下」
 
 ハティーシャは父たる国王を見上げた。この国の王座にありながら、娘だと信じていると口にしながら、抗うことも出来ずに運命を受け入れる哀れなひと。ハティーシャは父に遠回しに見捨てられたことに、不思議と怒りはなかった。
 
「それで……どうじゃ、魔神の名は。皆の前で、言うてみよ」
 
 しん、と静まり返る広間に、ハティーシャはひとつ、息を整えるように深呼吸をした。見つめる金の瞳は真っ直ぐ王座に注がれている。その取り乱しも嘆きもしない落ち着いた態度が気に入らなかったのか、王妃が声を荒げた。
 
「この期に及んで勿体ぶるとは……分からぬなら分からぬと、はっきりお言い!」
 
 苛立たしげになじる王妃を、ハティーシャはじっと見つめ返す。
 
「はい。……魔神の名は…………アル・ザフラーァ──砂漠に咲く花、と」
 
 告げられた名に、ざわり、と広間の人々はどよめいた。
 魔神の名を知っている者は、一体その中にどれほどいたか。
 国王はその名に一瞬息を飲み、そうして落胆の縁から急に力を取り戻したように立ち上がった。
 
「そうじゃ……そうじゃ! その通りじゃ! これぞ、まさしく魔神の真名! ハティーシャは、……ハティーシャは……誠に、我が娘! 我が国の、王女に間違いない」
 
 国王の感極まった宣言に、ワァァ! と広間を歓喜と祝福とが満たす。けれど、驚愕と怒りに震える女の声が国王の言葉を遮った。
 
「そんな……何かの間違いです! 偽りを、……こんな小娘に分かる筈もない! 尖塔の魔神など現れるものか! ……そうだ、何か卑怯な手を使い、誰かから魔神の名を聞き出したのであろう!」
 
 往生際悪く喚きたてる王妃に、ハティーシャは尚も続けた。
 
「魔神が現れた証拠なら、もうひとつ……ございます」
「……なんだと……!?」
 
──ヮフッ!?

(……なに!?)
 
 王妃だけではない。国王も、居並ぶ人々も、当の魔導師でさえ。
 ハティーシャの言葉に驚いた。
 
 人々の注目を一心に浴びて、ハティーシャが取り出したのは。
 両手に収まる程度の小さな宝石箱だった。
 
 それは、小さな、けれど見事な細工の宝石箱だった。
 金と銀とで縁どられた表面には、太陽と月の透かし彫り。周りを囲む星には幾つもの輝石が嵌め込まれ、物語を編み上げた細やかな意匠はまさに超絶技巧の結晶。誰もが思わずこの手にとって覗き込みたいと願うであろう、人の心を擽る小箱。
 
 魔導師は、昨夜王女パリヤールが言ったことを思い出していた。
 
 尖塔の魔神は、魔導具に封じられてしまった。
 その封印は、”王家の血を引く者にしか、解けぬ”と言われている。
 
(まさか……!)
 
 ハティーシャの細い指がそっと宝石箱の錠に伸びる。
 その小さな手が、魔導具の封印を解く。
 
──グル、ォォン!!!
 
 魔導師は幔幕の影から広間へと飛び出した。
 
「ハティーシャ、待て……ッッ!」
 
────パキ、ン!!!
 
 静止したのは、一体誰の声だったか。ひび割れるような音と共に、錠が外れる。
 同時に、眩い光が辺りを包む。
 
 目の奥にズキリと痛みが走り、目が眩む。とても目を開けていられないほどの強烈な光に、その場にいた誰もかれもが目を覆った。
 躍り出た大狼の姿になど、誰も気にも留めなかった。
 それよりも。
 
 『……嗚呼、この日をどんなに待ち望んでいたことか!』
  
王座の間に響き渡るそれは、甘やかな女の声だった。
 
 眩い光は、ふわふわと波打つ豊かな黄金の髪となって収束する。
 恐れ戦く人々を尻目に、自ら発光する艶やかな褐色の肌を惜しげもなく晒し、女はふわ、ぁ、としどけなく伸びをする。
 
 ふわり、と体重を感じさせない軽やかさで広間の真ん中に降り立つ。
 
 それは、光り輝く美しい女魔神ジンニーヤだった。
 
──グ、ル、ゥゥゥゥ……!
 
(ぁ、あれは……あの、魔神は……!)
 
 魔導師はその姿に見覚えがあった。
 かつて己が呼び出した、光り輝く魔神。
 魔導師に知恵比べで敗れ、変幻自在の秘術を与えながらも、制約によって魔導師を縛る、かの魔神そのものであった。
 
 ジンニーヤはその燃え上がるような金の瞳でぐるりと周囲を見渡して、驚愕に動けずにいる者共を睥睨した。それから、小箱を手にしたハティーシャを見つけると、うっとりと微笑む。
 
『ハティーシャ、ハティーシャ……我が娘、我が愛し子よ』
 
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