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第三夜 エメラルドの指輪
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ハティーシャにせかされ納屋の外へ出れば、砂漠の都とは思えぬ緑豊かな庭園が広がっている。あてがわれた納屋は庭園の片隅、王宮からは離れた場所にあるようだった。緑濃い木々の遥か向こうに白亜の屋根が見える。
庭園は四方を高い壁に囲まれ、真ん中には水路が配されている。水路の周りには溢れんばかりに草花が咲き誇っていた。それは天上の楽園にある四つの大河をそのまま模したとかいう近年流行りの庭園様式らしい。
(己の血を引く姫を徒に放置しておきながら、庭造りには惜しみなく金をつぎ込んだと見える。熱心なことよ……)
魔導師は皮肉げに鼻を鳴らした。
「さぁ、井戸で水を汲んで顔を洗って、朝ごはんにしましょう。これからのことは……お腹が満たされてから、きちんと考えなきゃ」
狼がフンッ、と鼻息を荒くする様子に、ハティーシャはくすくすと笑い声を零しながら言った。
お目当ての井戸は納屋のすぐ脇にあった。
家畜の水飲み用らしく、ハティーシャは備え付けてあった桶で水を汲んだ。
まずは汲んだばかりの水をたっぷりと木製の器に満たし、行儀よく腰を下ろしていた狼の前に置く。
「冷たくて気持ちいいわ。ダリル、どうぞ召し上がれ!」
ハティーシャは今度は自分の為にもう一度水を汲み、顔を洗う。冷たい水を掬って、ふわふわと波打つ金色の髪を梳きつける。朝の光に煌めく金の髪は眩いばかりに美しい。
そうして身支度を整え、ハティーシャが持ってきたという硬い黒パンを朝食に分け合っていた時だった。
思わぬ来客に、一人と一匹は驚いた。
「ご機嫌よう。太陽の男神のご機嫌麗しき良き朝に」
ヴェールで髪を覆った中年女は、厳めしい顔で告げた。
その言葉が、この王国の王侯貴族らがよく使う挨拶言葉の定型文だということはハティーシャも知っていた。スカートのパンくずを払い落し、井戸端から立ち上がると慌てて居住まいをただす。
「国王陛下の落とし子だと主張しているのは、あなたですね……?」
女はハティーシャを頭の天辺から爪先まで見下ろし、執念深い蛇のように検分しながら言った。
「わたくしは王宮の侍女頭を拝命しております。この度は国王陛下のご命令で参りました。陛下はあなたが本物の姫君であるのか、確かめよとの仰せです」
「……国王陛下のご厚情に感謝いたします!母は王宮の厩番をしておりましたロスタムの娘ハーテレフ。私はハティーシャと申します」
ハティーシャは興奮を隠しきれない高揚した面持ちで名乗る。
国王陛下の落とし子である、として拝謁を願い出たのは一昨日のこと。それから幾ら取次を頼んでも、なしのつぶてで放置されていたのだ。何より待ち望んでいた王宮よりの使者。つとめて恭しく貴婦人の礼をとり、首を垂れた。
だが、侍女頭を名乗る女の言葉を魔導師は怪しんだ。
(……わざわざ国王の使いが供もつれず一人で……こんな外れの納屋までやって来たのか?)
狼はじっとハティーシャのそばに侍りながら、侍女を見つめる。ヴェールの下の固い表情からは感情を読み取り辛い。女は続けた。
「あなたの母君のことは国王陛下より内々に伺っております。確かに、母君に似て眩いばかりの金の髪と金の瞳、そして褐色の肌……けれど、それだけならばこの王国に幾らでもおりましょう。陛下の御子であるという証拠にはなりません。何か、落とし子であるという証拠はあるのかしら?」
「勿論ですわ、侍女頭さま!亡き母が、お別れする時に国王陛下より賜った王家の紋章入りの指輪がございます」
ハティーシャがそう言って懐から大事そうに取り出したのは、金の指輪であった。
王家の紋章を象った金縁に、長方形のエメラルドがはまっている。そこらにあるものではない。大粒の緑柱石は光り輝かんばかりで、目利きでなくとも一目で高価と分かる代物だ。
「まぁ……なんと……それをこちらへ。確かに本物かどうか、よくお見せ」
ハティーシャは迷わず侍女に指輪を手渡した。
侍女は金の指輪を掌の上で頃がし、太陽の光に透かして緑の貴石を覗き込む。
そして。
指輪を、井戸に投げ入れた。
庭園は四方を高い壁に囲まれ、真ん中には水路が配されている。水路の周りには溢れんばかりに草花が咲き誇っていた。それは天上の楽園にある四つの大河をそのまま模したとかいう近年流行りの庭園様式らしい。
(己の血を引く姫を徒に放置しておきながら、庭造りには惜しみなく金をつぎ込んだと見える。熱心なことよ……)
魔導師は皮肉げに鼻を鳴らした。
「さぁ、井戸で水を汲んで顔を洗って、朝ごはんにしましょう。これからのことは……お腹が満たされてから、きちんと考えなきゃ」
狼がフンッ、と鼻息を荒くする様子に、ハティーシャはくすくすと笑い声を零しながら言った。
お目当ての井戸は納屋のすぐ脇にあった。
家畜の水飲み用らしく、ハティーシャは備え付けてあった桶で水を汲んだ。
まずは汲んだばかりの水をたっぷりと木製の器に満たし、行儀よく腰を下ろしていた狼の前に置く。
「冷たくて気持ちいいわ。ダリル、どうぞ召し上がれ!」
ハティーシャは今度は自分の為にもう一度水を汲み、顔を洗う。冷たい水を掬って、ふわふわと波打つ金色の髪を梳きつける。朝の光に煌めく金の髪は眩いばかりに美しい。
そうして身支度を整え、ハティーシャが持ってきたという硬い黒パンを朝食に分け合っていた時だった。
思わぬ来客に、一人と一匹は驚いた。
「ご機嫌よう。太陽の男神のご機嫌麗しき良き朝に」
ヴェールで髪を覆った中年女は、厳めしい顔で告げた。
その言葉が、この王国の王侯貴族らがよく使う挨拶言葉の定型文だということはハティーシャも知っていた。スカートのパンくずを払い落し、井戸端から立ち上がると慌てて居住まいをただす。
「国王陛下の落とし子だと主張しているのは、あなたですね……?」
女はハティーシャを頭の天辺から爪先まで見下ろし、執念深い蛇のように検分しながら言った。
「わたくしは王宮の侍女頭を拝命しております。この度は国王陛下のご命令で参りました。陛下はあなたが本物の姫君であるのか、確かめよとの仰せです」
「……国王陛下のご厚情に感謝いたします!母は王宮の厩番をしておりましたロスタムの娘ハーテレフ。私はハティーシャと申します」
ハティーシャは興奮を隠しきれない高揚した面持ちで名乗る。
国王陛下の落とし子である、として拝謁を願い出たのは一昨日のこと。それから幾ら取次を頼んでも、なしのつぶてで放置されていたのだ。何より待ち望んでいた王宮よりの使者。つとめて恭しく貴婦人の礼をとり、首を垂れた。
だが、侍女頭を名乗る女の言葉を魔導師は怪しんだ。
(……わざわざ国王の使いが供もつれず一人で……こんな外れの納屋までやって来たのか?)
狼はじっとハティーシャのそばに侍りながら、侍女を見つめる。ヴェールの下の固い表情からは感情を読み取り辛い。女は続けた。
「あなたの母君のことは国王陛下より内々に伺っております。確かに、母君に似て眩いばかりの金の髪と金の瞳、そして褐色の肌……けれど、それだけならばこの王国に幾らでもおりましょう。陛下の御子であるという証拠にはなりません。何か、落とし子であるという証拠はあるのかしら?」
「勿論ですわ、侍女頭さま!亡き母が、お別れする時に国王陛下より賜った王家の紋章入りの指輪がございます」
ハティーシャがそう言って懐から大事そうに取り出したのは、金の指輪であった。
王家の紋章を象った金縁に、長方形のエメラルドがはまっている。そこらにあるものではない。大粒の緑柱石は光り輝かんばかりで、目利きでなくとも一目で高価と分かる代物だ。
「まぁ……なんと……それをこちらへ。確かに本物かどうか、よくお見せ」
ハティーシャは迷わず侍女に指輪を手渡した。
侍女は金の指輪を掌の上で頃がし、太陽の光に透かして緑の貴石を覗き込む。
そして。
指輪を、井戸に投げ入れた。
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