/// Tres

陽 yo-heave-ho

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□王族の時計篇 Life is Adventure.

4.04.2 ウィステリアにて(2)

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 夕刻の街道。
 日暮れも早くなり、暗くなった街道を行商の荷馬車が進んで行く。荷台には木箱いっぱいの野菜と花と、湖から乗せてもらった二人の姿があった。イザベラは目前に迫ったウィステリアの防壁を眺めながらあることを考えていた。
「…そういえば、花がどうの言ってたわね」
「ん…あ?」
虎ちゃんキースよ。もしかして、それが手がかりだったりして?」
「あぁ…だといいな」
「…?」
 横で縮こまるレイに話を振るが上の空といった調子で、彼のそれは湖から続いていた。イマイチきっかけがわからず、相手にせずこっそり様子を窺っても彼は俯いたままだった。
 寒いだけの湖に足を運んだというのに収穫は無し、連れの海賊も頼りに出来ずで溜息が込み上げる。風に運ばれてきた香りに目を向ければ、鞄に突っ込み入れた花が見え多少気持ちが落ち着く。湖で摘んだ花。行商と話している内、その花は冬によく咲くもので、ヘレボルスという名だそうだ。
 防壁沿いに大門を目指していると街の喧騒が聞こえてきた。賑やかで活気がある…にしてはなんだか様子がおかしく、怪訝顔になった行商と何かあったのかと話していると、
「こっちはダメだ!東側へ回れ!」
 大門にいた軍兵が大声を上げながら駆け寄って来る。馬は驚いて止まってしまい、兵は困惑する行商から手綱を引っ張り取ると馬を方向転換させようとした。
 どうやら大門は通行止めらしく、焦った様子の兵達や街人の姿が見えた。また街の音が聞こえる。叫び声に怒号、遠くで鳴る警鐘。ただごとではないと察知しレイが顔を上げ、イザベラが荷台から身を乗り出す。
「ちょっと、なに!?どうした、」
「図書館が襲撃された!!過激派が出た!!」
「「!!」」
 事のヤバさに絶句する二人。しかも図書館、エドが向かった場所だと。
「指名手配犯の仕業だ!もう何人も死傷者が出てるッ、今は聖堂に逃げ込んで…おい?!」
 荷台から飛び出した二人は兵達の制止を振り切り駆けた。
 ウィステリアの街は混乱に陥り、大通りの先の中心地、聖堂からは煙が上がっていた。


 ──数刻前。
「誰かッ…そいつを止めろぉ!」
 穏やかな昼のひと時、突如爆炎に包まれた図書館。近くに居合わせた者達は皆騒然とし、軍兵の叫び声とともにナイフを持ったセルジュが飛び出して来ると、その場はいよいよ恐慌状態となった。
「?!な、お前なにを、」
「邪魔するな!!どけえ"ぇ!!」
「!キャアッ」「うわ"ぁ!?」
 駆けつけた巡回の軍兵がセルジュに飛び掛かるが、セルジュはナイフを振り回し軍兵も街人も無差別に斬りつけた。
「応援呼べ!街の人逃して!」
「ハーレンスのセルジュ!手配中の過激派ッ、<花の代理人>の一員だ!」
 煤と火傷塗れの司書兵達も動き何とかしてセルジュを止めようとする。だがセルジュの勢いは止まらず、手投げ弾を放ると広がった煙に身を隠し、向かってくる兵達ではなく取り乱して逃げる街人達を追いかけはじめた。腰を抜かし動けなくなった老人も転んでしまった子供も、殴り飛ばしたり刃を振ったり、殺さぬ程度に傷つける…その度に兵達の怒号が飛び交い恐怖が連鎖していくと、過激派の彼は理解しているようだった。
 図書館はあっという間に火が回り、開け放たれた扉や割れた窓は煙突のように黒煙を上げていた。遠ざかっていく叫声を耳にしながらエドは必死に司書兵の腹を押さえていた。
「しっかり押さえて、大丈夫だ…なぁ!」
「っ…早く、に"げ、なさ…」
「…、…」
 斬られた腹は血が止まらず全身も火傷が酷い。司書兵は辛そうに息をしながら逃げろと言うと、意識を失いぐったりとしてしまった。
 なんとか司書兵達と外まで逃げ延びたが、予想外な事態に頭は混乱し手は震えっ放しだ。親切な道案内から始まったセルジュとの関係、些細な繋がりのはずがとんでもない惨事を引き起こし、恐怖が罪悪感へと変わっていく。
「水を!急げ!全部焼けちまう!!」
「怪我人運べッ、街医者にも声かけろ!」
「君は無事か?おい、大丈夫か!?」
 遅れて駆けつけた兵達が図書館の消火を始め、怪我人達の手当てをする。血塗れの襟巻きごと腕を掴まれ怒鳴られ、エドは思い出したように胸を上下させ呼吸を繰り返した。
「……だいじょ、ばない…こんな……ダメ」
 目の前の兵の迫力に負け顔を背けるが、泣き叫ぶ女とその腕に抱き寄せられた子供が目に入る。セルジュの凶刃に遭った子供は、傷は浅いはずだったが、痛みと恐怖の二重の衝撃で事切れてしまった。他にも怪我をした街人や兵や、何軒か先から上がる煙が見える。悲鳴と怒号、銃声、血生臭さと火薬の……
 海賊として生きてきたビアンカにはどれも慣れたもののはずだった。怒りも死も、今まで散々目の当たりにしてきた。
 でも今は見たくない。見たくないのに、嫌でも目に入り主張してくる。開いたままの子供の物言いたげな瞳。あたしにも、もう一人ベアトリスにも──止めて。と、また誰かの声が聞こえた。
(そうだ、止めなきゃ…こんなのダメだ、止めなきゃダメ!止めるんだッ!)
 気がつけば脚が動き、躓きながらも路地を駆けていた。大通りに飛び出した途端また銃声が聞こえ、走り逃げていく街人達とは逆方向へ向かった。

 美しい音色が街中に響く。
 ウィステリア聖堂の時告の鐘に混ざり、聖堂前の広場で警笛が鳴らされる。
 事態に気づかず背後から襲われた軍兵が崩れ伏し、間近で目の当たりにした商人が驚倒し、女達が悲鳴を上げ逃げ惑う。追いついた兵達が逃げろと叫んだことで広場の混乱は加速していった。
 セルジュは斬りつけ組み敷いた兵にさらにナイフを振り翳すが、背中と腕に銃弾が当たり、動きが止まった瞬間何人もの兵達に体当たりされ押さえ込まれてしまう。しかし、
「!?あっ、や"あ!?ア"アァ!!」
「ッ、退避!」「火を消せぇ!」
 腰から下げていた布袋を兵の一人に押し付けた途端、図書館のように猛火が起こり兵が火達磨になった。
 鞄や持ち物に引火物を詰め込み、いざとなれば敵諸共自爆する凶手…戦時中編み出されたこれは人間爆弾と呼ばれ、今では過激派組織の戦法となっていた。
「はっ、ふはは!も"っと!燃えろ"ぉ"お"!!死んでッ、一緒に!礎!!み"ん"な死ね"え"ぇッ!」
 堪らず身を引いた兵達に反撃に出るセルジュ。滅茶苦茶にナイフを振り残りの手投げ弾も放りつける。地面を転がっていた火達磨の兵が着火源となってしまい、大きな爆発が起こった。
 逃げ込んだ路地から見ていた街人達も応援で駆けつけた兵達も、平穏を壊した爆炎に戦慄していた。その中から飛び出した影、エドは煙の中へ突っ込むと、フラつき逃げ行くセルジュを見つけ後を追った。
「!!うゎ?!」「一緒に来い…!」
 深傷を負ったセルジュが向かった先は聖堂で、大扉の隙間から広場の様子を窺っていた年若い修道士が彼と出会してしまい、血塗れの手に捕まり引き摺られていく。息遣いは荒く撃たれた箇所から血が溢れる。それでもセルジュの脚は止まらず、何か目的があるのか、鐘楼に続く階段を上がり続けた。
「セルジュ!」
 セルジュが鐘楼に着いたのと同時、階下からエドの声が上がった。滴り落ちた血を目印に鐘楼まで駆け上がれば、満身創痍な過激派の男は泣き噦り失禁までした修道士を足蹴にし、虚な目を向けてきた。
「エド…?君も…っ、邪魔するの」
「こんなこともう止めろッ、その人を放せ!」
 怒鳴り返してもセルジュは無表情のままで、エドには無関心な様子で大窓用のカーテンを留めるロープを弄り出した。
 先ほどまで優しかったはずの彼の顔は、ジェラルドの冷たいものより酷く、本の世界の悪魔のように豹変してしまっていた。それが怖ろしく目を逸らしてしまいたくなるが、修道士がこちらに手を伸ばし震え声で助けてと言われ、逃げたくなる足を踏み締めゆっくり息を吐く。
「なぁ、セルジュ…アルムガルドのこといっぱい教えてくれて、ありがと…あなたがアルムガルドを好きなんだって、伝わってきた。故郷を想ってるんだって、解るよ…けどこんなことしちゃダメだ、人を傷つけたって取り戻せない」
「知った口を…うるさいな、余所者のくせに…」
 また目が合う。虚ろの中に潜む憎悪や狂気が大きくなっていくのがわかる。これ以上刺激すれば図書館の二の舞になるかもしれない。
 それでも止めなければならないと、エドの心は使命感に駆られていた。
「…アルムガルド返還の話、知ってるか?」
「あぁ、それ…語られるだけの…ただの夢」
「そう…でも違うんだ。本当に、もうすぐ実現しそうなんだ」
「…?」
 返還の話を切り出してみれば、セルジュは一瞬目を丸くし黙り込んだ。少しでも興味を引けたことで彼の雰囲気が変わり、焦る気持ちを抑え話し続ける。
「本当だ、知り合いが…詳しい人を知ってる。その人が実現させようって動いてくれて、バルハラも応えようとしてくれてる。ちゃんと元首さんがね、ホントなんだ…あたしも手伝いたいし実現したい。北部にもバルハラにもきっと、いや絶対、いいことだろ…!」
 信じてもらえるか不安が募っても、わかっていることを一生懸命語った。
 段々と感情が籠り女の声ビアンカが現れると修道士が驚いたようだったが、セルジュはじっとエドを見つめ耳を傾けていた。
「セルジュに何があったのか、過激派のことも、全然解ってないけど…故郷を取り戻したいって気持ちは正しいはずだ。だから、こんな間違ったやり方はダメだよ…行動したいなら正々堂々、別の方法にしよう…?」
「…………」
「セルジュもあたしも、一緒にだ……ね。信じて」
 ありのままビアンカの想いを言葉に乗せる…心に疼く何か誰かの声はほったらかしで。
 ゆっくり歩み寄り手を伸ばすとセルジュの表情が綻び、身体の力が抜けたことで足先から逃れた修道士が慌てて這い摺り逃げた。
「ひ、ヒぃい…!」
「大丈夫、落ち着いて…誰か呼んできてくれ」
 怯え震える身体を抱き留め階下へ逃してやる。鼠や兎のように逃げて行った修道士が軍兵を呼べるか不安だったが、きっと大丈夫だろう。あとはセルジュを、
「そうか…返還…ホント、に、進んで?ははっ…すごいねエド…」
 呟きが聞こえ振り返るとセルジュは俯きながら笑っていた。もう一度手を伸ばす。説得は上手くいく、大丈夫。セルジュも助けられると…ビアンカは思い込んでいた。

 ──失敗だわ…貴女じゃダメ。

「セルジュ…ねぇ?こっちに来て」
 名前を呼んでも、もう彼と目が合うことはなく、
「ありがと、エド…いいこと、聞けた…あは、ははは…父さん、母さん、」
「セルジュ?セルジュ、なにして…!?」
 セルジュはまたロープを弄り、自身の首に巻き付けようとしていた。解けたカーテンが広がり帆のように舞い踊る。
 過激派セルジュ。凶行に及んだ彼の心は満たされ歓喜していた。戦果は図書館一つ、殺せたバルハラ兵は少なく、だが己の行いは決して無駄ではなかったらしい。出会ったばかりの余所者の言葉なんて信じるのか、そんな考えも芽生えたが幕引きには充分。返還が真ならば、犬死ムダじゃないのだから…!
「ぁあ、嗚呼・嗚呼…同士戦友よ、遂に僕の"、番だ!」
「止めろ!ッ、セルジュ!!」
 察知し駆け寄ろうとするエド。しかし投げつけられたナイフとカーテンに邪魔され、その隙にセルジュは大窓の縁に乗り上がった。何度も失敗だと声が聞こえ、認めたくなくて必死になる。
祖国アルムガルドが!返っで、くる"ぞ!僕はッ、ボクが!!希望のイ"シヅ"エ"に、」
「セルジュ!!!」
 ロープとともにセルジュの身体が傾き、風に靡いた外套に指先が触れたが、僅かに届かず……

「イヤぁあッ!!」「!!やりやがった…」
「ごわ"いよぉ…!」「見るんじゃない!」
 火が消えても広場は煙たく、そこへ人が降ってきたことで再び叫喚が起こる。
 聖堂の四方に灯された松明。大きく伸びた光に照らされ、時計の振り子のように揺れる影──鐘楼から飛び降りたセルジュはロープが張り詰めたのと同時、首が嫌な音とともに曲がり、即死だった。
 集った誰もが首吊りの主は事件を巻き起こした過激派だと察知し、聖堂から飛び出して来た修道士の呼び声で兵達が中へ突入する。一刻足らずで街を恐怖に陥れ凄惨を極めた男の末路に泣き崩れる者まで出るのだが、
「……祖国アルムガルドの為にッ」
 何処からともなく声が上がる。さらに、
「我らが過激派戦士!バンザあぁイ!!」
 一人二人と老いた声が続き、拍手が起こった。
「誰だ!?止めるんだ!」
「コラ!手を叩くな…止めろ!」
 次第に若者や女の声まで混ざりはじめ、新たな響めきが生まれる。兵達が慌てて警笛を鳴らし遮って声の主を探すが、群衆に紛れた賛同者は見つからず。
 広場も聖堂も、ウィステリアの街全体が凡ゆる感情に包まれていく。恐怖と怒りと絶望と、高揚する愛国心。消したはずの火が、今度は人々の心に飛び火し燻る…
 これこそがセルジュの、過激派の真の目的であった。

 イザベラとレイが聖堂に着いた頃には広場は混沌としていた。鐘楼から吊られたセルジュの身体がゆっくりと引き上げられ、また拍手が湧き警笛と怒声が響く。
「…最悪…!」
「っ…ビアンカ、ビアンカは!?」
 焦り辺りを見回すレイの傍らでイザベラは青褪めていた。薄暗い中一瞬でも鐘楼に見えた姿は、エドことビアンカだった。


 ──ウィステリアの事件から数日後、アルフィリアでは。
「調べたんだが、やはりその本は無いな。表題も皆知らなくて。ウィステリアの図書館は、今…時間を貰えれば、確認出来るかもしれない」
「?手間かけてすんません。とりあえずいいさ、ありがと」
 この数日書庫に通っていたスタンはある本を探していた。しかし顔馴染みとなった司書兵の返事は芳しくなく、何故か目を逸らされてしまい、また空振りのまま書庫を後にした。
(本は無ぇかもなぁ…あー、キースの奴、また機嫌悪くなりそ。俺ちゃんと頑張ってんだけどなぁ)
 盛大な溜息をこぼしつつ真っ直ぐに宿へ向かう。ウィステリアの図書館はビアンカ達に任せておけばいいと、呑気な考えも浮かぶ…この時はまだ、スタンもキースも過激派の事件については知らなかった。未だ混乱するウィステリアでは軍も手いっぱいで、事件のことは他の街や村に逃れた者達の噂程度でしか知られていなかったのだ。
 ──さて、話を戻して。
 スタンが探しているのはジェラルドが読んでいたアルムガルドの本で、綺麗な装幀や色鮮やかな挿絵があったらしい。予想してたものの、いかにも高値そうな本は貴重なアルムガルド資料の中でもかなり希少。そんなものを何故ジェラルドが持っていたのかも気になったが、
「すすめ、河を…のぼれ、死を…♪」
 唯一わかったこと、それは'巡礼花'という古い唄。
 たった一冊の詩集に載っていた歌詞を適当に歌ってみる。こんなのが本当に手がかりなのか??街の老人達も口を揃えて知らんと言っていたのに。
 また込み上げた溜息を呑み、歩調に合わせて口笛を奏でる。蔦だらけの塀越しに馬の嘶きが聞こえ、誰かがブツブツと呟いていた。何となく気になったものの前に視線を戻せば、段々と別の声も聞こえてくる。どうやら男女が言い争っているようで、
「…っ…!」
 覚えがある声だと思った矢先、スタンの目に危うい光景が映った。

「♪~…」(うた…口笛??)
 蔦だらけの塀の先、すれ違う誰かの歌が聞こえた。低音で調子っぱずれ、なんだか聞いたことがある気もしたがどうでもよく、それどころか目を開けてるのもしんどい。
「集中しろ、バカ…やっとチャンス、来たってのに…くそぉ」
 塀越しにスタンがすれ違ったのは、スチュアートとライプニッツだった。どちらも不機嫌で苛立ち、ライプニッツは動こうとしないスチュアートの背中に何度も頭を擦り付けていた。
 新しい主人は徹夜続きで食事も碌に取らず、細い顔はさらに痩せこけ無精髭や汚れ塗れで、一見すると乞食のような有り様だった。
(なんか、騒いで…屋敷の奴?うるせぇ、口笛の奴も混ざった?どっから来て…この先は、確か書庫……本……)
 遠くから聞こえる怒鳴り合いにまた苛立つ。目の前のことに集中したいのに上手くいかず、勝手に働いた頭を傾け、通りの先を見遣る。
 蘇った記憶はジェラルドとの僅かな平穏だった…

「ねね、デュレーさん。聞きたいっす!」
「?何をだ」
「『海賊革命』っすよ、あの話結構好きなんで!」
「…聞くんじゃなくて読め。貸して、」
「あー、本読みとか面倒なんで、聞かしてくだせぇ。少ない駄賃でやってやってんすからぁ」
「……」
 数ヵ月前、パール基地の指揮官執務室。
 新しい部屋へのちょっとした引っ越し作業やわけのわからない鍵の調査なんかで扱き使われ、差し入れで貰った酒でほんの少しの休息、細やかなひと時。終始恐い顔でピリピリしていたジェラルドに冗談半分で言ってみれば、彼は案の定眉間の皺を深くしたが嫌とは言わず、私物の本を手に取り語ってくれた。
 数十年前の実話、船で反乱を起こした海賊達の物語。その首謀者と言われる'青色'の先駆けことミス・キャシー。姐御、じゃなくてイザベラが憧れているのも肯ける、自身にとってもこの女傑はカッコいい存在だった。
「略奪ばっかな船長に嫌気が差したのはわかるんすけど…どうして船下りちゃったんすかねぇ。海賊、続ければよかったのに」
「…彼女は、海賊という存在も嫌になった。それまでの生き方を後悔して、己のことも嫌いになった」
「??」
 やけに詳しく語るジェラルド。この時は彼の出自も知らず、ただ本から得た話の一つだと思っていた。
「'青色の海賊'、誇りと仁義と善のために生きる。だが…結局、海賊だ。海賊のままじゃ悪なんだ。キャサリン・ピアースは本当の正しさを見つけたかった」
「本当の…正しさ?」
 本を閉じたジェラルドはいつになく真剣で、真っ黒な瞳から目が離せなくなる。
 その後の彼の言葉は今でもハッキリ覚えている。数日前に語った内容とは矛盾していてもどかしく、しかし妙に胸に響いたのだ──

 正しいこと、正義を成したいのならば、存在から正義になれ。
 '青色'になろうとも行いだけでは成せない。
 生き方というか信条というべきか、万人から善とされる者になるべきだ…と。

「ブラウン、お前の生き方に説教する気はないが、<花の代理人お前達>も<虎の眼キース>も分けるなら悪だ…そんなの、報われないだろ…お前に芯とするものがあるなら、それを大切にしろ」

「………!ぅぁ」
 暫く思い出に浸っていると、舞い上がった風とともに何かが頭に止まった。伝書鳩だ。手紙を開けば案の定、
『B  no, Ethen!  何処にいる?戻って来い、馬鹿なことはするな!  …心配なんだ、Lと待ってる  H』
 細くて小さな紙いっぱいの荒々しい字。敢えて自身の名前まで出しているので、ハヤブサがカンカンなのは明白。リュシアンにも少なからず心配をかけているとわかる。わかるのだが、疲れ切った身体に湧き起こったのは罪悪感ではなく焦燥感だった。
「うるせぇな、でもタイミングいい…のこと伝えて、俺は、このまま……」
 独り言を妨げたのはまたもや記憶。忘れたくとも出来ぬジェラルドの教え。
(「お前に芯とするものがあるなら、それを大切にしろ」)
 思わず舌打ち目の前の生垣に苛立ちをぶつける。驚いたライプニッツが取り乱しかけ、手綱も乱暴に引っ張ってしまう。
(うるせ…うっせぇんすよ。どいつもこいつも黙ってろよ!ねぇ、デュレーさん!どうせ俺は悪だッ、報われねぇのなんか…あんたの、仇を…!)
 心が悲鳴を上げ、焦燥が葛藤に変わっていく。
 今行動すれば、さっきまで傍観してたではなく、もっとヤベぇこと。だが此処から動くということは、復讐想いから遠ざかるのだ。足手纏いになり死なせてしまった男をこれ以上裏切りたくない、なのに、小さくとも己の中に眠る何かが疼く。ジェラルドから学んだそれは、止めてくれと思う度膨れていった。

 どちらが正しく悪なのか、どちらも悪で自身は正義とはかけ離れているのではないか──
 苦悩するスチュアートだったが、実は彼は二つの……否、の重大な出来事に直面していた。
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