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□反逆と復讐篇 No pain No gain.
3.08.1 掃き溜めにて
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「…っ…ぅく……、ぅぅ…」
……まただ。
これは、誰の夢だ?
「ぃゃぁ…っ…とぉちゃん…!」
(…なぁ)
「やだ、やぁ!…ぅうぁっ、わぁぁぁぁっ」
(おい…なんなんだよ、おまえ…)
「ねぇぢゃっ、ね"ぇ"ちゃぁあんん!どごぉ…?ッ… ねぇちゃぁぁっ!」
やめろよ、くそ…わかんねぇ…
景色が変わる ころころ、変わる
知らない土地
大きな手
おうち
苦いけむり
背の高い麦畑
牛の群れ
きれいなお月さま
(…あれ?)
また変わった…
ここ…これは覚えてる。そうだ、
(「お前、名前は?いくつ?ママとパパは?」)
(「おいチビ!泣いてちゃわかんねぇだろ!」)
(「…ぅ……き、す…きース…っ?…」)
(「4つか!」)(「5才だろ?」)
懐かしい…俺の、二人の兄ちゃん。
ミナシゴ三人。大変だったけど、楽しかった…
(「にぃ、ちゃん。に……ねぇ、ちゃ…?」)
(…またかよ)
(「ねぇちゃんじゃねぇ!男だぞ、兄ちゃんだ、にーい!」)
(「今日からお前は弟だ、俺達が兄貴。いいな、キース!」)
なぁ待って、教えて…
俺、どこから来た?ここはいつから居た?俺は本当に、独りだった?
おれ、は……??……
「キース」
いつもの声が聞こえ、夢が終わりを迎える。
重い目蓋を開ければ温かみを感じ、目の前の暖炉の薪が音を立てて爆ぜた。
「っ"!!ぐ…ッ」
身動ぐ瞬間激痛が走り思わず息を止める。痛みの出処は左腕、ほんの少しでも動こうものならヤバい。でも何故……そうだみずいろ、
「こぉら。安静に」
「!?」
いつの間に(というかずっと?)居たのか、左側に座る人物が穏やかな声で告げ、額の汗を拭われる。ぼんやりと見えた頭は自身のような赤茶の髪で、ほんのり香る優しい匂いは覚えがあった。
「っ、キ……ぁ"…」
まさかキアかと思ったが、違う。
違うどころではない…おと、女?いや男。嘘だろこれ…は??夢…げんかく?
「熱が酷いわ。もう少し、眠って」
濃い化粧顔に微笑まれ、目眩が起こる。よく見たらただの茶いろ髪。寝ているのに天井がぐるぐるぼやぼや、ひだりがずきずき…こんなゆめ、はやく…さ……
「グレン、どう?」
「グレースッ、間違えんじゃないわよ!」
「あーはい。で、どう?」
「大分酷い、なんとか切開したけど傷風のが心配。場合によっては全部切らないと…軍兵が騒いでる件と関係あり、かしら?」
「図書館で殺しがあったって…もう少し調べてみる」
部屋の扉が開き顔を覗かせたカミーリャに、厚化粧顔の女グレースが答える。かれ、いえ失礼。彼女の冷静な言葉にカミーリャは眉を寄せ、また眠ってしまったキースを見遣った。
此処は何処か、それはまだわからず。
だが何時かというのは──図書館での事件から約一日のことだった。
「……ぅ"ぁ…あ"ぁあッ!」
次にキースが目覚めたのは早朝か夕方で、燃えるような痛みに襲われ寝ていられず、目を開けると薄らと明るい陽射しが飛び込んできて、息を乱し声を上げた。
見知らぬ部屋の中で踠き毛布を蹴っ飛ばす。床板の軋みと誰かの声が重なり、身体を押さえ付けられる。
「落ち着いて!大丈夫、キース!」
「あぐ、あ"ぁ!」
「暴れるな!」
「あらま、押さえて押さえて」
「早く薬ッ」
「は、なせ…ゔぅッ、ゔう!」
「ほらほらいい子ねぇ」
三人掛かりで押さえ無理矢理薬を飲ませる。キースは暫く呻き暴れていたが、段々と落ち着いていき、熱で火照った頭を動かし辺りを窺った。
まずわかったのは目で、視えはするものの左目は耳ごと包帯で巻かれている。寝かされている場所は狭くてボロい物置きみたいな部屋。ずっと燃えている暖炉と、窓が一つ。若い女と男が自身の身体を拭いたり包帯を替えたり。あとオカマ。目が合う度微笑みやがるので、これはまだ夢の中で、悪夢かと思った。
薬が効いて痛みも引き、顔を覗いてきた女を片目で睨みつける。曖昧だが覚えのある顔。逃げている途中自身を捕まえた女で、確かカミーリャと呼ばれていた。
「聞いてた通りの無愛想ねぇ」
「…テメェ誰だ?」
「あたしはカミーリャ。砦襲撃の時あんたを助けた…<花の代理人>って言って、通じる?」
「……」
「それ、信じてないって顔?」
「名前知ってんなら、わかってんだろ…これでも賞金首だ」
なんとか起き上がり距離を取ろうと身を引く。
警戒心マックスなキースに対しカミーリャはくすくすと笑うばかりで、彼女には天下の賞金首というより威嚇する野良猫か何かに見えていた。
「証明する物も無いからぁ…じゃ聞いてて!あんたのことは、はとこのローズがいっぱい教えてくれた。'義賊'のことも修理士のことも」
「!」
「ハヤブサとイザベラは友達、あ、スチュアートは召使いだから。ドウェインさんも知ってる。襲撃の作戦考えてる間、スタンに何度か口説かれたわ」
「え"、ぉぃ、」
「それからラッカム一味!リンとネロと、ゼスさんにヴァン君。金髪の刺青君助けたんだけど、彼いい男ね。あの後大丈夫だった?ビアンカとも友達になったの。一生懸命男装やっててちょっと可笑しくて、」
「ちょ、ま、待て待てっ」
女特有のペチャクチャお喋り。さらににじり寄られ逃げ場も無くつい顔を背けるが、笑い声が聞こえ、
「ビアンカ、一番心配してたわ…助けられて良かった。またこんな事になってるけど。どうしたわけ??」
首を傾げた顔は楽しげで、それでも心配してくれているのだと伝わってきて、段々と身体の力が抜けていく。そもそも賞金目当てなら手当てなんてしない。今頃は軍の牢の中で、とっくに死んでいたかも。
「どう?信じられる?」
「…ちっとは。悪ぃ、助かった…ありがとな」
「どーいたしまして♪」
可愛らしい顔がにっこりと笑い、キースもつられて苦笑いした。
「此処は…ファンダルか?」
「近いけど違うの。マティシュって言って、街じゃ、」
「いや、街だ…知ってる」
「そっか。ん…」
マティシュと聞いてキースの表情が変わる。正確には街でも村でもない、首都ルクスバルトの外れの深淵……掃き溜め。
テオディアとの戦争で行き場を無くした者達が集い出来た地、マティシュ。ヘリオットの隠れ家がある貧民窟よりも酷く、此処に居座る者達は全てを失い、あとは死を待つだけ。運良くヘリオットに拾われたキースにも多少縁がある悲しい地だ。
「!ッ"、」
「我慢して、すぐ終わる」
包帯を替えるべく左腕に触れられた途端、また痛み出し顔を顰めてしまう。赤黒く腫れた腕や肘には大きな縫い痕が出来ており、恐らく剥き出しだった骨も中に戻してくれた。拙いながらも高度な治療技術に感心する。
「…これ、誰が…」
「グレ…ス、グレース。名前間違えないで、ホントうるッさいのよ。彼女あー見えて医者なの、もぐりだけど」
「彼女、ね…」
乾いた笑いをもらすと部屋の扉がノックされ、噂の彼女が入って来た。
「お加減どう?お腹空いたでしょう、お粥作ったから召し上がれ」
「どーも。えっと……グレース、さん?」
「いやぁん♪呼び捨てでいいのよ」
「……ありがとごぜます」
さん付けにニヨニヨするグレンことグレース。目の当たりにしたキースは苦虫を噛んだような顔で、傍らのカミーリャは笑いを堪えた。
湯気立つ器を小さな座卓に置き、ふぅふぅと冷ましゆっくり食む。使えはするものの不慣れな右手で上手く掬えず、片目が塞がっていて距離感もおかしい。それでも久しく感じる飯はじんと身体に滲みた。
「左耳は豚さんの皮を足して上手く縫えたの。でも形がおかしくなっちゃって、ごめんなさい」
「ぶ…いや、大丈夫」
「これはお返しするわ。聴覚がどうなったかは、また診させてね」
「…ん…」
身体の話をされ図書館での闘いが蘇る。あれから何日経ったのか、友は大丈夫だったろうか。差し出されたイヤーカフはクラウディアに噛まれたせいで傷だらけで…これをくれた彼女のことも思い出し、胸が騒めく。
「腕は様子見よ…これ以上酷くなるなら、切るわ」
「…いいんだ、もう…なんでもいい」
キースは手の中のカフを見つめたままで、無気力な呟きにグレースは一瞬眉を寄せたが、
「ねぇ、キアと会った?」
「…!」
「一週間くらい前に帰って来てすぐまた出かけてった、あんたが来るから、って…ファンダルで会わなかった?」
「……」
丁度思い出していたキアのことを問われ、身体が強張る。カミーリャは顔色を変えたキースに構わず心配そうに続けた。キアは元々此処の住人であり、キースと出会ってからは様子がおかしかった、と。
「キアはあたしの姉貴分なの、色々面倒見てくれたんだ。砦の襲撃から何処に居るかわからなくて…病気、酷いのよ。薬ももう殆ど無かったのに…」
…返す言葉が見つからない。彼女は死んだ、病ではなく殺されたのだと、伝えねばと思うのに口は動かず、灼熱の地にいるように乾いていく。
「カミーリャ、いいか?」
「?もう、なに…」
また扉が開き、アッカーがカミーリャを呼ぶ。話の途中で苛立ちながらも彼女が出て行き、扉が閉まった途端グレースはキースに向き直り、
「何があったの?キアは、どうなったの…?」
「………っ」
囁きのような冷静な声音にキースは顔を歪め、逃げるように目を瞑ると涙がボロボロと溢れ落ちた。
悲願だった仇を討ち、<王族の時計>の鍵となる秘宝も見つけた。その代わりに…どうしていつも失ってしまうのか、わからなかった。
「何よ」
「あいつのことだ、いつまで匿うつもりだ?」
「いつまでってなに」
「この間と状況が違うだろ、あんな…最高額の賞金首だぞッ」
部屋の前で声を潜め、それでも焦りを顕にするアッカーにカミーリャの表情が変わる。
「あんたバカじゃないの!?彼は'義賊'であたし達が助けたの、これで二度!」
「'義賊'じゃなくて盗賊だ!」
「軍に突き出すとか言ったら殴るよ!」
「それが普通だッ、幾らだと思ってんだ?!生きてるからダイヤモンドみっ、」
「いい加減にしてッ!」
互いに段々と声が荒くなり、最後はカミーリャが壁を叩き静かになった。
「あんた裏切る気?お金だけ目当てで<花の代理人>敵に回して、タダで済むと思ってんの!」
「積極的に協力したせいで、金が無いんだろうが…!」
普段可愛いカミーリャに凄まれ、アッカーは臆しながらも言い返す。
「今だって、あんな高い薬を使いまくって!食糧だって危ういのに!あいつは良くても俺達は!?これからどうするんだ!?」
彼の言っていることは正論だった。マティシュを塒とするカミーリャ達はファンダルや近隣の街でなんとか働いているが、その日暮らしもいいとこで。砦の件で風流街まで行き資金繰りを手伝ったことで、彼女らの経済状況は火の車以上だった。
「彼の分も頑張って稼ぐッ、あんたはまた実家に無心すればいいでしょ!」
「……」
「こんなクソな話もう二度とするな!!いいねッ!」
啖呵を切り舌打ちまで足して、すっかりお怒りなカミーリャは外へ出て行ってしまった。
残されたアッカーは募った苛立ちを鼻息に変え…何やら頭を抱えた彼は、キースが居る部屋の扉を睨み見た。
同じ頃。
バルハラ西部の街道を走る馬車が一台、グリージアへ向かっていた。乗っているのはアルマスだ。
(手紙は届いただろうが、さて…上手くいくか)
馬車に揺られながら頭を巡らせ、考え通り上手くいくか悩む。
無条件で金を貸したことをきっかけに、彼は或る面倒事をハヤブサに頼んでいた。しかし確かな繋がりか確証は無く、もし会えたとしてもどうなるか。使節も貴族もどちらの立場も無関係、と言ったところで、これから起こるであろう事象は俗に言うヤバいことだ。
(…ダメだな、後ろ向きでは。彼女のように…前を見なくては)
募る不安と同様に勇気が湧き、心が温かくなる。
別れ際までいい笑顔を見せてくれたビアンカの為にも頑張らねばと、アルマスは自身を叱咤した。
同刻、ルクスバルトから西へ続く街道では。
「本当に行くんですか」
「大物からのお呼ばれだからねぇ」
「この忙しい時に!」
「息抜きになっていいじゃない」
「フィルさんうるさい」
「お前一緒になってんじゃねぇぞこのぉッ」
走る馬車の中で向かい合って座る将軍ライザーとお守り一号のフィル。と、今日は二号のヒューゴも一緒。仲の悪いお守り達(どちらかというとヒステリックなフィルの一方通行だ)の騒ぎにもライザーは慣れた様子で、無視を決め込み小窓の外を眺めた。風に吹かれ木々を揺らす森と、その奥に佇む城をぼんやり眺める。
不意に馬車が速度を落とし、察して後ろを見遣れば早駆け兵の馬が見え、外の荷台に乗る兵と二言三言話し何かを渡した。
「何だ?」
「'小鳥'からです!」
「ありがと、ちょっと待たせろ…」
背面の引き戸を開け確かめると、早駆けが持って来た手紙を渡され手早く開く。予期せぬタイミングの報せに何となく嫌な予感がしたが……的中してしまった。
『狐に動きあり』
「書くもの早く」
「「え?」」
「早く!!」
たった一言の内容で粗方察し、慌てて鞄を漁ったお守り達からペンを引っ手繰り返事を書く。
(…こんな時に、マズいな…)
返事を受け取った早駆け兵が方向転換し、馬に鞭を入れ来た道を戻って行く。というか、手紙より自身が引き返し立ち寄ったほうが早い。クソッタレめ…
先ほど眺めていた景色の片隅の、本部基地を通り過ぎてしまったことを、ライザーはほんの少し後悔した。
──某日某所。
「ジェラルドぉおッ!!」
これは…いや…
「なんのマネだ?んなことしても……おい…おい止せッ、なぁ!」
走馬灯…?今度こそ、死んだか。
「止めてくれ!…話すからッ、全部話す!!仲間なんだ殺さねぇでッ!頼む!!やめろッ、やめろぉ!!」
テオディアの時の…バカ野郎が、チビ。話しちまって…
でも…ありがとな。
俺は、いい…親友を……
「ジェラルド・デュレー」
「本当はピアース?」
「おーい、ジェラルド~!」
「ジェラルド…って、急にタメ口ってのは…」
「うっせぇ木偶の坊」
…みんな…
「デュレーさん」
「デュレー指揮官」
「どうしたの?ジェラルド」
「さっすかジェラルド君!サンキュー♪」
声、が、たくさん…
「すまん、悪かった。おやすみ…」
ハリソン…ごめん そっちへ、い く よ
「ジェラルド様」
「またお逢いできましたね」
(「これが最後です。さよなら」)
お れ は も う
「お手紙ありがとうございます。嬉しいです」
(「もう二度と、私に関わらないでください」)
「本当ですか?素敵、ふふ」
で も 嗚 呼
「次の春も、ここで。きっとよ…」
(「ダメなんだ…もう、いけない」)
も う あ え な い ────
(嫌だ)
そう思った途端目蓋の感覚が戻り、目が動かせ、耳が働き周囲の音が響いて聞こえ、肌から何かの感触が伝わってきた。
目は簡単に開けられたが全身が気怠く、何故か顔が張ってる。至る所重い痛み。重たいといえば特に脚。光が射す窓を見て記憶も働く。何度か覚えのある、この間も世話になった所。
(ここ…本部?俺は……生きて、)
「デュ"レ"ぇ"ざん"ぅゔ!」
脚の重みが動き胸や首を締め付けられる。
勢いよく泣き付いてきたブラウンに、ジェラルドは盛大に顔を歪め呻いた。
……まただ。
これは、誰の夢だ?
「ぃゃぁ…っ…とぉちゃん…!」
(…なぁ)
「やだ、やぁ!…ぅうぁっ、わぁぁぁぁっ」
(おい…なんなんだよ、おまえ…)
「ねぇぢゃっ、ね"ぇ"ちゃぁあんん!どごぉ…?ッ… ねぇちゃぁぁっ!」
やめろよ、くそ…わかんねぇ…
景色が変わる ころころ、変わる
知らない土地
大きな手
おうち
苦いけむり
背の高い麦畑
牛の群れ
きれいなお月さま
(…あれ?)
また変わった…
ここ…これは覚えてる。そうだ、
(「お前、名前は?いくつ?ママとパパは?」)
(「おいチビ!泣いてちゃわかんねぇだろ!」)
(「…ぅ……き、す…きース…っ?…」)
(「4つか!」)(「5才だろ?」)
懐かしい…俺の、二人の兄ちゃん。
ミナシゴ三人。大変だったけど、楽しかった…
(「にぃ、ちゃん。に……ねぇ、ちゃ…?」)
(…またかよ)
(「ねぇちゃんじゃねぇ!男だぞ、兄ちゃんだ、にーい!」)
(「今日からお前は弟だ、俺達が兄貴。いいな、キース!」)
なぁ待って、教えて…
俺、どこから来た?ここはいつから居た?俺は本当に、独りだった?
おれ、は……??……
「キース」
いつもの声が聞こえ、夢が終わりを迎える。
重い目蓋を開ければ温かみを感じ、目の前の暖炉の薪が音を立てて爆ぜた。
「っ"!!ぐ…ッ」
身動ぐ瞬間激痛が走り思わず息を止める。痛みの出処は左腕、ほんの少しでも動こうものならヤバい。でも何故……そうだみずいろ、
「こぉら。安静に」
「!?」
いつの間に(というかずっと?)居たのか、左側に座る人物が穏やかな声で告げ、額の汗を拭われる。ぼんやりと見えた頭は自身のような赤茶の髪で、ほんのり香る優しい匂いは覚えがあった。
「っ、キ……ぁ"…」
まさかキアかと思ったが、違う。
違うどころではない…おと、女?いや男。嘘だろこれ…は??夢…げんかく?
「熱が酷いわ。もう少し、眠って」
濃い化粧顔に微笑まれ、目眩が起こる。よく見たらただの茶いろ髪。寝ているのに天井がぐるぐるぼやぼや、ひだりがずきずき…こんなゆめ、はやく…さ……
「グレン、どう?」
「グレースッ、間違えんじゃないわよ!」
「あーはい。で、どう?」
「大分酷い、なんとか切開したけど傷風のが心配。場合によっては全部切らないと…軍兵が騒いでる件と関係あり、かしら?」
「図書館で殺しがあったって…もう少し調べてみる」
部屋の扉が開き顔を覗かせたカミーリャに、厚化粧顔の女グレースが答える。かれ、いえ失礼。彼女の冷静な言葉にカミーリャは眉を寄せ、また眠ってしまったキースを見遣った。
此処は何処か、それはまだわからず。
だが何時かというのは──図書館での事件から約一日のことだった。
「……ぅ"ぁ…あ"ぁあッ!」
次にキースが目覚めたのは早朝か夕方で、燃えるような痛みに襲われ寝ていられず、目を開けると薄らと明るい陽射しが飛び込んできて、息を乱し声を上げた。
見知らぬ部屋の中で踠き毛布を蹴っ飛ばす。床板の軋みと誰かの声が重なり、身体を押さえ付けられる。
「落ち着いて!大丈夫、キース!」
「あぐ、あ"ぁ!」
「暴れるな!」
「あらま、押さえて押さえて」
「早く薬ッ」
「は、なせ…ゔぅッ、ゔう!」
「ほらほらいい子ねぇ」
三人掛かりで押さえ無理矢理薬を飲ませる。キースは暫く呻き暴れていたが、段々と落ち着いていき、熱で火照った頭を動かし辺りを窺った。
まずわかったのは目で、視えはするものの左目は耳ごと包帯で巻かれている。寝かされている場所は狭くてボロい物置きみたいな部屋。ずっと燃えている暖炉と、窓が一つ。若い女と男が自身の身体を拭いたり包帯を替えたり。あとオカマ。目が合う度微笑みやがるので、これはまだ夢の中で、悪夢かと思った。
薬が効いて痛みも引き、顔を覗いてきた女を片目で睨みつける。曖昧だが覚えのある顔。逃げている途中自身を捕まえた女で、確かカミーリャと呼ばれていた。
「聞いてた通りの無愛想ねぇ」
「…テメェ誰だ?」
「あたしはカミーリャ。砦襲撃の時あんたを助けた…<花の代理人>って言って、通じる?」
「……」
「それ、信じてないって顔?」
「名前知ってんなら、わかってんだろ…これでも賞金首だ」
なんとか起き上がり距離を取ろうと身を引く。
警戒心マックスなキースに対しカミーリャはくすくすと笑うばかりで、彼女には天下の賞金首というより威嚇する野良猫か何かに見えていた。
「証明する物も無いからぁ…じゃ聞いてて!あんたのことは、はとこのローズがいっぱい教えてくれた。'義賊'のことも修理士のことも」
「!」
「ハヤブサとイザベラは友達、あ、スチュアートは召使いだから。ドウェインさんも知ってる。襲撃の作戦考えてる間、スタンに何度か口説かれたわ」
「え"、ぉぃ、」
「それからラッカム一味!リンとネロと、ゼスさんにヴァン君。金髪の刺青君助けたんだけど、彼いい男ね。あの後大丈夫だった?ビアンカとも友達になったの。一生懸命男装やっててちょっと可笑しくて、」
「ちょ、ま、待て待てっ」
女特有のペチャクチャお喋り。さらににじり寄られ逃げ場も無くつい顔を背けるが、笑い声が聞こえ、
「ビアンカ、一番心配してたわ…助けられて良かった。またこんな事になってるけど。どうしたわけ??」
首を傾げた顔は楽しげで、それでも心配してくれているのだと伝わってきて、段々と身体の力が抜けていく。そもそも賞金目当てなら手当てなんてしない。今頃は軍の牢の中で、とっくに死んでいたかも。
「どう?信じられる?」
「…ちっとは。悪ぃ、助かった…ありがとな」
「どーいたしまして♪」
可愛らしい顔がにっこりと笑い、キースもつられて苦笑いした。
「此処は…ファンダルか?」
「近いけど違うの。マティシュって言って、街じゃ、」
「いや、街だ…知ってる」
「そっか。ん…」
マティシュと聞いてキースの表情が変わる。正確には街でも村でもない、首都ルクスバルトの外れの深淵……掃き溜め。
テオディアとの戦争で行き場を無くした者達が集い出来た地、マティシュ。ヘリオットの隠れ家がある貧民窟よりも酷く、此処に居座る者達は全てを失い、あとは死を待つだけ。運良くヘリオットに拾われたキースにも多少縁がある悲しい地だ。
「!ッ"、」
「我慢して、すぐ終わる」
包帯を替えるべく左腕に触れられた途端、また痛み出し顔を顰めてしまう。赤黒く腫れた腕や肘には大きな縫い痕が出来ており、恐らく剥き出しだった骨も中に戻してくれた。拙いながらも高度な治療技術に感心する。
「…これ、誰が…」
「グレ…ス、グレース。名前間違えないで、ホントうるッさいのよ。彼女あー見えて医者なの、もぐりだけど」
「彼女、ね…」
乾いた笑いをもらすと部屋の扉がノックされ、噂の彼女が入って来た。
「お加減どう?お腹空いたでしょう、お粥作ったから召し上がれ」
「どーも。えっと……グレース、さん?」
「いやぁん♪呼び捨てでいいのよ」
「……ありがとごぜます」
さん付けにニヨニヨするグレンことグレース。目の当たりにしたキースは苦虫を噛んだような顔で、傍らのカミーリャは笑いを堪えた。
湯気立つ器を小さな座卓に置き、ふぅふぅと冷ましゆっくり食む。使えはするものの不慣れな右手で上手く掬えず、片目が塞がっていて距離感もおかしい。それでも久しく感じる飯はじんと身体に滲みた。
「左耳は豚さんの皮を足して上手く縫えたの。でも形がおかしくなっちゃって、ごめんなさい」
「ぶ…いや、大丈夫」
「これはお返しするわ。聴覚がどうなったかは、また診させてね」
「…ん…」
身体の話をされ図書館での闘いが蘇る。あれから何日経ったのか、友は大丈夫だったろうか。差し出されたイヤーカフはクラウディアに噛まれたせいで傷だらけで…これをくれた彼女のことも思い出し、胸が騒めく。
「腕は様子見よ…これ以上酷くなるなら、切るわ」
「…いいんだ、もう…なんでもいい」
キースは手の中のカフを見つめたままで、無気力な呟きにグレースは一瞬眉を寄せたが、
「ねぇ、キアと会った?」
「…!」
「一週間くらい前に帰って来てすぐまた出かけてった、あんたが来るから、って…ファンダルで会わなかった?」
「……」
丁度思い出していたキアのことを問われ、身体が強張る。カミーリャは顔色を変えたキースに構わず心配そうに続けた。キアは元々此処の住人であり、キースと出会ってからは様子がおかしかった、と。
「キアはあたしの姉貴分なの、色々面倒見てくれたんだ。砦の襲撃から何処に居るかわからなくて…病気、酷いのよ。薬ももう殆ど無かったのに…」
…返す言葉が見つからない。彼女は死んだ、病ではなく殺されたのだと、伝えねばと思うのに口は動かず、灼熱の地にいるように乾いていく。
「カミーリャ、いいか?」
「?もう、なに…」
また扉が開き、アッカーがカミーリャを呼ぶ。話の途中で苛立ちながらも彼女が出て行き、扉が閉まった途端グレースはキースに向き直り、
「何があったの?キアは、どうなったの…?」
「………っ」
囁きのような冷静な声音にキースは顔を歪め、逃げるように目を瞑ると涙がボロボロと溢れ落ちた。
悲願だった仇を討ち、<王族の時計>の鍵となる秘宝も見つけた。その代わりに…どうしていつも失ってしまうのか、わからなかった。
「何よ」
「あいつのことだ、いつまで匿うつもりだ?」
「いつまでってなに」
「この間と状況が違うだろ、あんな…最高額の賞金首だぞッ」
部屋の前で声を潜め、それでも焦りを顕にするアッカーにカミーリャの表情が変わる。
「あんたバカじゃないの!?彼は'義賊'であたし達が助けたの、これで二度!」
「'義賊'じゃなくて盗賊だ!」
「軍に突き出すとか言ったら殴るよ!」
「それが普通だッ、幾らだと思ってんだ?!生きてるからダイヤモンドみっ、」
「いい加減にしてッ!」
互いに段々と声が荒くなり、最後はカミーリャが壁を叩き静かになった。
「あんた裏切る気?お金だけ目当てで<花の代理人>敵に回して、タダで済むと思ってんの!」
「積極的に協力したせいで、金が無いんだろうが…!」
普段可愛いカミーリャに凄まれ、アッカーは臆しながらも言い返す。
「今だって、あんな高い薬を使いまくって!食糧だって危ういのに!あいつは良くても俺達は!?これからどうするんだ!?」
彼の言っていることは正論だった。マティシュを塒とするカミーリャ達はファンダルや近隣の街でなんとか働いているが、その日暮らしもいいとこで。砦の件で風流街まで行き資金繰りを手伝ったことで、彼女らの経済状況は火の車以上だった。
「彼の分も頑張って稼ぐッ、あんたはまた実家に無心すればいいでしょ!」
「……」
「こんなクソな話もう二度とするな!!いいねッ!」
啖呵を切り舌打ちまで足して、すっかりお怒りなカミーリャは外へ出て行ってしまった。
残されたアッカーは募った苛立ちを鼻息に変え…何やら頭を抱えた彼は、キースが居る部屋の扉を睨み見た。
同じ頃。
バルハラ西部の街道を走る馬車が一台、グリージアへ向かっていた。乗っているのはアルマスだ。
(手紙は届いただろうが、さて…上手くいくか)
馬車に揺られながら頭を巡らせ、考え通り上手くいくか悩む。
無条件で金を貸したことをきっかけに、彼は或る面倒事をハヤブサに頼んでいた。しかし確かな繋がりか確証は無く、もし会えたとしてもどうなるか。使節も貴族もどちらの立場も無関係、と言ったところで、これから起こるであろう事象は俗に言うヤバいことだ。
(…ダメだな、後ろ向きでは。彼女のように…前を見なくては)
募る不安と同様に勇気が湧き、心が温かくなる。
別れ際までいい笑顔を見せてくれたビアンカの為にも頑張らねばと、アルマスは自身を叱咤した。
同刻、ルクスバルトから西へ続く街道では。
「本当に行くんですか」
「大物からのお呼ばれだからねぇ」
「この忙しい時に!」
「息抜きになっていいじゃない」
「フィルさんうるさい」
「お前一緒になってんじゃねぇぞこのぉッ」
走る馬車の中で向かい合って座る将軍ライザーとお守り一号のフィル。と、今日は二号のヒューゴも一緒。仲の悪いお守り達(どちらかというとヒステリックなフィルの一方通行だ)の騒ぎにもライザーは慣れた様子で、無視を決め込み小窓の外を眺めた。風に吹かれ木々を揺らす森と、その奥に佇む城をぼんやり眺める。
不意に馬車が速度を落とし、察して後ろを見遣れば早駆け兵の馬が見え、外の荷台に乗る兵と二言三言話し何かを渡した。
「何だ?」
「'小鳥'からです!」
「ありがと、ちょっと待たせろ…」
背面の引き戸を開け確かめると、早駆けが持って来た手紙を渡され手早く開く。予期せぬタイミングの報せに何となく嫌な予感がしたが……的中してしまった。
『狐に動きあり』
「書くもの早く」
「「え?」」
「早く!!」
たった一言の内容で粗方察し、慌てて鞄を漁ったお守り達からペンを引っ手繰り返事を書く。
(…こんな時に、マズいな…)
返事を受け取った早駆け兵が方向転換し、馬に鞭を入れ来た道を戻って行く。というか、手紙より自身が引き返し立ち寄ったほうが早い。クソッタレめ…
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「止めてくれ!…話すからッ、全部話す!!仲間なんだ殺さねぇでッ!頼む!!やめろッ、やめろぉ!!」
テオディアの時の…バカ野郎が、チビ。話しちまって…
でも…ありがとな。
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「ジェラルド…って、急にタメ口ってのは…」
「うっせぇ木偶の坊」
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「デュレー指揮官」
「どうしたの?ジェラルド」
「さっすかジェラルド君!サンキュー♪」
声、が、たくさん…
「すまん、悪かった。おやすみ…」
ハリソン…ごめん そっちへ、い く よ
「ジェラルド様」
「またお逢いできましたね」
(「これが最後です。さよなら」)
お れ は も う
「お手紙ありがとうございます。嬉しいです」
(「もう二度と、私に関わらないでください」)
「本当ですか?素敵、ふふ」
で も 嗚 呼
「次の春も、ここで。きっとよ…」
(「ダメなんだ…もう、いけない」)
も う あ え な い ────
(嫌だ)
そう思った途端目蓋の感覚が戻り、目が動かせ、耳が働き周囲の音が響いて聞こえ、肌から何かの感触が伝わってきた。
目は簡単に開けられたが全身が気怠く、何故か顔が張ってる。至る所重い痛み。重たいといえば特に脚。光が射す窓を見て記憶も働く。何度か覚えのある、この間も世話になった所。
(ここ…本部?俺は……生きて、)
「デュ"レ"ぇ"ざん"ぅゔ!」
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