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□反逆と復讐篇 No pain No gain.
3.07.3 水色の眼
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普段通りなファンダルの街、いつもの夕暮れ。なのにこの時ばかりは違い、夕陽の赤が嫌に強く感じられ、胸の騒めきが増していった。
(何処だ…!?わけわかんねぇ、クソ…!)
大通りから離れ裏路地を駆け抜ける。さらに四方に伸びた路地を見回すがジェラルドもキアも見当たらず、キースは眉を寄せまた走った。
一方、クラウディアを追うジェラルドは、
「……」
気配を殺し息を潜め、数軒先の路地へ入った影を見つけ奥歯を噛み締める。影が向かった先は確か袋小路で、フードを脱ぎ顕になった髪と横顔はやはり見間違いではなく。クソキチガイ女、今度こそ、テメェなんか怖くねぇ、ぜったい…殺しテヤル!!
無意識に力み殺意を剥き出し歩みを進める。
自身は冷静なつもりでも取り憑かれたように恐怖のことばかり考える彼は…過ってしまった。
「ッ!」
あと数歩の距離を駆け、剣を抜き袋小路に入る。しかしクラウディアの姿は無く、在るのは薄暗い影だけ──マズいと思ったのと同時、
「ひっカか・た」「!!?」
頭上から声が聞こえ身体に衝撃が走る。
キースの飛び道具のように、というか蜘蛛のように壁に貼り付いていたクラウディア。ジェラルドに飛びかかり組み敷こうとするが、乱暴に振るわれた腕で払われ刃が続く。
「この…クソ!」
「あひャ♪ヒはぁアははッ!」
ジェラルドは倒れた状態のまま剣を振るうが、彼らしくない大振りはどれも空振りに終わり、クラウディアは愉しげな声を上げ剣を抜いた。
優位な状況だろうと手は抜かず、旋風の如く速い剣がジェラルドを襲う。ダメだと直感した途端クラウディアの刃が一層速くなり、疼いていた恐怖が大きくなる。必死に避け逃れるが腕や脚が斬りつけられ、堪らず元来た道へと引き返す。
「イかセなぃ"い♡」「!!」
追って来たクラウディアが銃を抜き、背中を見せたジェラルド目掛け引き鉄を引く……が。
別の路地から現れた影がジェラルドを抱き寄せ、撃ち抜かれた身体に赤が広がった。
「…?…キア、さ…」
何が起きたのかわからず、肩越しに見えた光景に愕然とする。ジェラルドを庇ったキアはただ微笑み返し、そんな彼女の背中がさらに斬りつけられた。
「…キアさん!!!」
呻き声とともにキアの身体が崩れ、咄嗟に抱き留めクラウディアへ反撃する。邪魔が入ったことでクラウディアの笑顔が消え、さらに別の影が彼女を突き飛ばし、
「なに、してんだ…おいッ!なにしたテメェ!?!」
「…じャ、まぉをっ、退ケぇあァ!」
割って入ったカイルとクラウディアがぶつかり合う。
喋り方がおかしいクラウディアの声が耳に残り妙な違和感となったが、カイルは目の前のことでいっぱいで、踏み込んだ彼のナイフがクラウディアの肩を捉え斬り裂く。彼女は構うこと無く銃口を向けてきて、
「!ッ、く!」「…ぁアぁ?」
放たれる瞬間、いつかのビアンカのように銃を捕まえ寸でのところで銃弾を躱す。捕まえた銃ごと体術を掛けようとするが──見えたものに息を呑む…
掴んだ銃は、やはり六連回転式銃。
そして間近に迫った双眸。クラウディアの眼は、とても美しい、水色だった──
(「し・シ…死ィ、だ♡」)
(「許さね"ぇ"…クラウディァあッ!!」)
探し求めた色だと解った途端、また走馬灯が起こる。ヘリオットの叫びが木霊する。眼も顔も濁っていたはずの声も、同じ。違うのは髪色だけ、
「!ぁ"、」
「ヒひッ…ハァ!!あヒャはははははっ!」
動きを止めたカイルの身体が思い切り蹴り飛ばされる。クラウディアはまた狂った笑い声を上げ、逃げ去って行った。
「……キア!なんで、おい…キアぁッ!!」
カイルは…キースは追ったりせず、ジェラルドに抱かれぐったりとしたキアに駆け寄った。
銃声を聞きつけ街人達が路地を覗き、軍兵達が駆けつける。ジェラルドはクラウディアが逃げたほうを指差し、
「悪漢に…いや女だッ、長い黒髪と外套!昨日の事件の犯人ッ!」
彼の言葉を聞き警笛が鳴らされる。さらに兵達が現れクラウディアを追って行くが…追いつけるどころか捕まえるのも不可能なのではと、心に巣食った恐怖が囁き震えに変わった。
重傷のキアだけでなく怯えを見せるジェラルドにキースまで狼狽えてしまうが、
「隠れが…つれて、て…お願ぃ」
「ッ…」
「…行くぞ…!」
キアの声で頭が冷えていく。苦しそうに脂汗を滲ませながらも、彼女は変わらずの笑みを浮かべていて、ジェラルドも彼女と目が合うと落ち着きを取り戻し、血塗れの身体を抱きかかえた。
「待て、医者のとこへ…おい!」
「お前達所属は?!」
兵達の声を無視し路地を走る。街人達の目からも逃れるように影の道を行き、まるで敗走のように隠れ家を目指す。
「あいつ…あいつが…水色の…!」
走っている間、キースは同じ言葉を繰り返し呟いていた。ジェラルドも血が滲むほど唇を噛み、目蓋に込み上げたものを必死に堪えた。
…隠れ家にて。
キアを寝床に横たえ止血を試みるが、洗い立てのシーツや布が赤く染まるばかりで、やはり医者の所へ連れて行くべきだったと後悔した。
一番酷い背中の傷をジェラルドが洗い拭くと、キアは呻きながら彼の手を捕まえ首を振った。綺麗な顔が痛みに歪み、荒い呼吸が続く。開いているのもやっとな瞳から伝わってきたのは、諦めのような、全てを受け入れているような達観だった。
「しっかりしろよッ、キア!」
キースは彼女の想いを無視するように、邪魔する手を払い血を流し続ける銃創を押さえた。
「キー、す」
「大丈夫だ、絶対助ける!なぁ!」
「…いいの。ながく、なぃ…いいんだ」
「ダメだッなに言って、」
「これが、あたしの、み"ち、っ…あんた達に、あいつの…こ、…ッケホ!ぉ"、ゴホ!!はぁ"…!」
一生懸命何かを伝えようとするが咳き込んでしまい、シーツに新しい染みが出来ていく。今朝の夢のような酷い血溜まり。やはり夢ではなかったのか彼女の病は悪化していて、怪我よりも酷いようで…もう手遅れなのだと、頭の中の誰かが囁く。
「なんで、庇った?どうしてッ…俺が、俺のせいで…!」
ジェラルドが震え声で呟く。あの時背中を見せなければ、誘いに乗らなければ。己の浅はかさと弱さが忌まわしく、否応無しに咎が責め立ててくる…しかしキアは青白い顔で笑ってみせた。
「よく、聞きな…あんたは、まだ、怖れてる…思い、だして…勝って。じぶ、に…」
「…!」
「だい、じょぶ…弱くなんか、ない…強い、よ。だいじ、な、もの…持ってる……あんたの、道を…貫いて」
か細い声が真っ直ぐに届く。彼女が何を言っているのか、頭ではなく心が理解していく。何時か誰かが同じことを教えてくれた。それを思い出そうとしていると、
「なに言ってんだ!?道みちってッ、んな場合じゃねぇだろ!!んで、いっつも…そればっか…!!」
キースが怒鳴りキアの手を掴む。乱暴に握った手は声と同じく震えていて、表情は怒っていても瞳は涙で潤んでしまっていた。
……キアは、キースの綺麗な瞳を見つめていた。
また、泣き虫な子に戻ってしまう。違う、悲しませたいんじゃない…新しい枷にも、なりたくない──役目を果たす時が来たのだ。
「…手がかり。<羅針盤>、の…見つけた、ね…ッ…水色の、眼、も…は!ハぁ……よかった。やっとあんたの…、かなぅ」
「っ、やめろよ…!」
「あたしが、望んだ…これでいい。あんたの、役に、立ちたか…た……図書、か…二人じゃ、なきゃ、ダメ。二人で、ね。ジェラルドも…あんたも悪くっ、なぃ……解るね?自分を、責めな…で…も、もぅ、わるいゆめ…見ないで…」
全身を襲う激痛も凍えるような寒さも、段々と和らぐ。
触れた頬の温もりだけが感じ取れ、満たされていく。
「…ほら、ぃ、て…"前を、向いて"」
「やだ、やめ"ろ…!!」
溢れた涙が自身の頬も濡らす。
綺麗な翠。やっぱり、父さん似だ。歳のわりに可愛げがある…こわい顔ばっかしないで、もっと、笑ってほしい。
「キアさん…!」「きあッ…!」
本当は、やさしくて…お人好しで。友達も仲間も、たくさん、大切なもの、あって…
無愛想と、いらいらで、隠す…ちっちゃな、ころから…泣きむし坊や…
それが、わたしの……
「キース…今を、生きて…未来を、つかんで……」
「!」
同刻、と或る街の近海にて。
突如吹いた風に小舟が揺られ、乗っていたエルドレッドは何かを察知し振り返った。
「旦那?どうしました?」
漕ぎ手の一人であるレスターが首を傾げ声をかけても、彼は風が吹いた街のほうを睨み続けており、
「…急げ」
「え、」
「急げと言ってる…手を止めるな!」
声を荒げたキャプテンに、レスターも船員達も目を丸くし櫂を早めた。
エルドレッドは妙な胸騒ぎに駆られていた。これまで越えてきた死線よりも強い、嫌な予感。同時に浮かんだのは愛しい女の顔で──それがハズレであれと、胸の内で祈った。
──日付けが変わり、真夜中。
街は静まり返り、強めの風が隠れ家の窓を叩く。
二人は身支度をしていた。ジェラルドは自身の二本の剣と友のナイフを念入りに研ぎ、キースは只管に薬莢を作り。キアは血塗れになった服を着替え、顔も綺麗になり…安らかな表情で寝床に居た。
「…声、判った。全部思い出せた。あの女だ」
「そうか…だが何故…眼の色は濃い青だった」
キースの呟きにジェラルドの眉が少しだけ寄る。記憶を辿り、合点がいかない友へ視線を送る。
「目薬」
「?」
「ルミディウスの屋敷にあった。古ぃ鎮痛薬を溶かして、点眼にする。一時的な視力回復と引き換えの逆効果。最悪、見えなくなる…そんなものを使う理由は、あれが、眼の色を変えられっからだ」
「……なるほど」
鎮痛薬の使い方を聞きジェラルドも記憶を辿る。極めて視力が悪いクラウディア、パール基地で垣間見た彼女の眼。あの時には盲目を回避するため目薬を止めたのだろう。眼は本来の色を取り戻し始め、そして今、戻ったのだ。
冷静にゆっくりと、これまでのことを思い出していく。自身が見聞きしたことと、キースが遭遇した事象。これは予想だがあの女は6年間姿を変えていた。イーヴォス達騎士団も息を潜め、6年前にヘリオット共々殺したはずの隊員の生き残りに気がつき探していた…それは全て、彼女ら自身の為ではない。
グラスを呷り乱暴に叩き置く。ヒビが入ってしまった底から残りが溢れ、机を濡らし床に滴り落ちる。
「あの女が、一人で動けるはずない…これで繋がった。<王族の時計>もソロウも、何もかも全部…あいつだ」
あいつ。ヘリオットの手帖に残された存在、その正体。
ジェラルドの様子をじっと見ていたキースも回転式銃に弾込めし、弄ぶように弾倉を回した。
「…兎に角全員…殺りゃあいいだろ」
灰皿に置いたままだった煙草を深く吸い込み、机に出来た酒溜りへにじり捨てる。
翠の瞳も、漆黒の瞳も、どちらも酷く落ち着いていた。空虚とは違う静寂……二人共何かを見据えているようで、何も映していないようだった。
寝床の前に膝をつき、キアの頬をそっと撫でる。
「すぐ戻るから…待ってろよ」
肌は冷たくなってきたがまだ柔らかく、出来る限り綺麗にしてやったからか、ただ眠っているようだった。躊躇いながらもう一度撫で、手を握る。耳鳴りも頭痛も白昼夢も起こらなかったが、最後に見た泣き虫の幼子が蘇り…忘れるべく頭を振り、立ち上がる。
「手入れと弾込め済み。ほら」
「…お前が使うほうがいいんじゃないか?」
「お前のなんだから、お前が持ってろ」
しまったままだった三連銃を渡され、ジェラルドは少し躊躇ったが腰に差し、代わりとばかりに別の物を取り出す。
「使えそうか?」
「…へぇ、いいな」
「片してて見つけた。たぶん隊長の」
片手間に放られた物を掴み眺める。ヘリオットが使っていた挿弾子を得て、キースはニヤりと笑った。
「これなら楽だ」
「穴だらけにすんなよ」
顔を見合わせ苦笑いする。二人は今夜、二つの事を成そうとしていた。
「両方一遍って悪くねぇけどさ…二兎追う者一兎をも得ず、だっけか」
「難しい言葉知ってるな」
「そのくらい知ってるわ」
隠れ家を後にし愛馬達の元へ向かう。血の臭いを感じ取ったライプニッツが嫌そうに身動いだが、器用なサーシャが手綱を咥え押さえたことでジェラルドの顔が綻ぶ。
「一石二鳥とも言うだろ…大丈夫。きっと見つかるし、上手くやれる」
「やる、だろ」
「ああ…」
二頭に跨り街を出て行く二人。
ジェラルドも邪魔な駒もいつになく重装備で、そんな姿を遠目に観察していたクラウディアは口端をいっぱいまで持ち上げ、愉悦を顕にした。
「♪♪♪」
調子外れな鼻唄。ダンスのように地を蹴り二人を追いかける。
風に靡く彼女の髪が降り始めた雨粒を弾いた。
向かう先は図書館、'禁書室'。
狙いは<ジュアンの羅針盤>と……
(何処だ…!?わけわかんねぇ、クソ…!)
大通りから離れ裏路地を駆け抜ける。さらに四方に伸びた路地を見回すがジェラルドもキアも見当たらず、キースは眉を寄せまた走った。
一方、クラウディアを追うジェラルドは、
「……」
気配を殺し息を潜め、数軒先の路地へ入った影を見つけ奥歯を噛み締める。影が向かった先は確か袋小路で、フードを脱ぎ顕になった髪と横顔はやはり見間違いではなく。クソキチガイ女、今度こそ、テメェなんか怖くねぇ、ぜったい…殺しテヤル!!
無意識に力み殺意を剥き出し歩みを進める。
自身は冷静なつもりでも取り憑かれたように恐怖のことばかり考える彼は…過ってしまった。
「ッ!」
あと数歩の距離を駆け、剣を抜き袋小路に入る。しかしクラウディアの姿は無く、在るのは薄暗い影だけ──マズいと思ったのと同時、
「ひっカか・た」「!!?」
頭上から声が聞こえ身体に衝撃が走る。
キースの飛び道具のように、というか蜘蛛のように壁に貼り付いていたクラウディア。ジェラルドに飛びかかり組み敷こうとするが、乱暴に振るわれた腕で払われ刃が続く。
「この…クソ!」
「あひャ♪ヒはぁアははッ!」
ジェラルドは倒れた状態のまま剣を振るうが、彼らしくない大振りはどれも空振りに終わり、クラウディアは愉しげな声を上げ剣を抜いた。
優位な状況だろうと手は抜かず、旋風の如く速い剣がジェラルドを襲う。ダメだと直感した途端クラウディアの刃が一層速くなり、疼いていた恐怖が大きくなる。必死に避け逃れるが腕や脚が斬りつけられ、堪らず元来た道へと引き返す。
「イかセなぃ"い♡」「!!」
追って来たクラウディアが銃を抜き、背中を見せたジェラルド目掛け引き鉄を引く……が。
別の路地から現れた影がジェラルドを抱き寄せ、撃ち抜かれた身体に赤が広がった。
「…?…キア、さ…」
何が起きたのかわからず、肩越しに見えた光景に愕然とする。ジェラルドを庇ったキアはただ微笑み返し、そんな彼女の背中がさらに斬りつけられた。
「…キアさん!!!」
呻き声とともにキアの身体が崩れ、咄嗟に抱き留めクラウディアへ反撃する。邪魔が入ったことでクラウディアの笑顔が消え、さらに別の影が彼女を突き飛ばし、
「なに、してんだ…おいッ!なにしたテメェ!?!」
「…じャ、まぉをっ、退ケぇあァ!」
割って入ったカイルとクラウディアがぶつかり合う。
喋り方がおかしいクラウディアの声が耳に残り妙な違和感となったが、カイルは目の前のことでいっぱいで、踏み込んだ彼のナイフがクラウディアの肩を捉え斬り裂く。彼女は構うこと無く銃口を向けてきて、
「!ッ、く!」「…ぁアぁ?」
放たれる瞬間、いつかのビアンカのように銃を捕まえ寸でのところで銃弾を躱す。捕まえた銃ごと体術を掛けようとするが──見えたものに息を呑む…
掴んだ銃は、やはり六連回転式銃。
そして間近に迫った双眸。クラウディアの眼は、とても美しい、水色だった──
(「し・シ…死ィ、だ♡」)
(「許さね"ぇ"…クラウディァあッ!!」)
探し求めた色だと解った途端、また走馬灯が起こる。ヘリオットの叫びが木霊する。眼も顔も濁っていたはずの声も、同じ。違うのは髪色だけ、
「!ぁ"、」
「ヒひッ…ハァ!!あヒャはははははっ!」
動きを止めたカイルの身体が思い切り蹴り飛ばされる。クラウディアはまた狂った笑い声を上げ、逃げ去って行った。
「……キア!なんで、おい…キアぁッ!!」
カイルは…キースは追ったりせず、ジェラルドに抱かれぐったりとしたキアに駆け寄った。
銃声を聞きつけ街人達が路地を覗き、軍兵達が駆けつける。ジェラルドはクラウディアが逃げたほうを指差し、
「悪漢に…いや女だッ、長い黒髪と外套!昨日の事件の犯人ッ!」
彼の言葉を聞き警笛が鳴らされる。さらに兵達が現れクラウディアを追って行くが…追いつけるどころか捕まえるのも不可能なのではと、心に巣食った恐怖が囁き震えに変わった。
重傷のキアだけでなく怯えを見せるジェラルドにキースまで狼狽えてしまうが、
「隠れが…つれて、て…お願ぃ」
「ッ…」
「…行くぞ…!」
キアの声で頭が冷えていく。苦しそうに脂汗を滲ませながらも、彼女は変わらずの笑みを浮かべていて、ジェラルドも彼女と目が合うと落ち着きを取り戻し、血塗れの身体を抱きかかえた。
「待て、医者のとこへ…おい!」
「お前達所属は?!」
兵達の声を無視し路地を走る。街人達の目からも逃れるように影の道を行き、まるで敗走のように隠れ家を目指す。
「あいつ…あいつが…水色の…!」
走っている間、キースは同じ言葉を繰り返し呟いていた。ジェラルドも血が滲むほど唇を噛み、目蓋に込み上げたものを必死に堪えた。
…隠れ家にて。
キアを寝床に横たえ止血を試みるが、洗い立てのシーツや布が赤く染まるばかりで、やはり医者の所へ連れて行くべきだったと後悔した。
一番酷い背中の傷をジェラルドが洗い拭くと、キアは呻きながら彼の手を捕まえ首を振った。綺麗な顔が痛みに歪み、荒い呼吸が続く。開いているのもやっとな瞳から伝わってきたのは、諦めのような、全てを受け入れているような達観だった。
「しっかりしろよッ、キア!」
キースは彼女の想いを無視するように、邪魔する手を払い血を流し続ける銃創を押さえた。
「キー、す」
「大丈夫だ、絶対助ける!なぁ!」
「…いいの。ながく、なぃ…いいんだ」
「ダメだッなに言って、」
「これが、あたしの、み"ち、っ…あんた達に、あいつの…こ、…ッケホ!ぉ"、ゴホ!!はぁ"…!」
一生懸命何かを伝えようとするが咳き込んでしまい、シーツに新しい染みが出来ていく。今朝の夢のような酷い血溜まり。やはり夢ではなかったのか彼女の病は悪化していて、怪我よりも酷いようで…もう手遅れなのだと、頭の中の誰かが囁く。
「なんで、庇った?どうしてッ…俺が、俺のせいで…!」
ジェラルドが震え声で呟く。あの時背中を見せなければ、誘いに乗らなければ。己の浅はかさと弱さが忌まわしく、否応無しに咎が責め立ててくる…しかしキアは青白い顔で笑ってみせた。
「よく、聞きな…あんたは、まだ、怖れてる…思い、だして…勝って。じぶ、に…」
「…!」
「だい、じょぶ…弱くなんか、ない…強い、よ。だいじ、な、もの…持ってる……あんたの、道を…貫いて」
か細い声が真っ直ぐに届く。彼女が何を言っているのか、頭ではなく心が理解していく。何時か誰かが同じことを教えてくれた。それを思い出そうとしていると、
「なに言ってんだ!?道みちってッ、んな場合じゃねぇだろ!!んで、いっつも…そればっか…!!」
キースが怒鳴りキアの手を掴む。乱暴に握った手は声と同じく震えていて、表情は怒っていても瞳は涙で潤んでしまっていた。
……キアは、キースの綺麗な瞳を見つめていた。
また、泣き虫な子に戻ってしまう。違う、悲しませたいんじゃない…新しい枷にも、なりたくない──役目を果たす時が来たのだ。
「…手がかり。<羅針盤>、の…見つけた、ね…ッ…水色の、眼、も…は!ハぁ……よかった。やっとあんたの…、かなぅ」
「っ、やめろよ…!」
「あたしが、望んだ…これでいい。あんたの、役に、立ちたか…た……図書、か…二人じゃ、なきゃ、ダメ。二人で、ね。ジェラルドも…あんたも悪くっ、なぃ……解るね?自分を、責めな…で…も、もぅ、わるいゆめ…見ないで…」
全身を襲う激痛も凍えるような寒さも、段々と和らぐ。
触れた頬の温もりだけが感じ取れ、満たされていく。
「…ほら、ぃ、て…"前を、向いて"」
「やだ、やめ"ろ…!!」
溢れた涙が自身の頬も濡らす。
綺麗な翠。やっぱり、父さん似だ。歳のわりに可愛げがある…こわい顔ばっかしないで、もっと、笑ってほしい。
「キアさん…!」「きあッ…!」
本当は、やさしくて…お人好しで。友達も仲間も、たくさん、大切なもの、あって…
無愛想と、いらいらで、隠す…ちっちゃな、ころから…泣きむし坊や…
それが、わたしの……
「キース…今を、生きて…未来を、つかんで……」
「!」
同刻、と或る街の近海にて。
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「旦那?どうしました?」
漕ぎ手の一人であるレスターが首を傾げ声をかけても、彼は風が吹いた街のほうを睨み続けており、
「…急げ」
「え、」
「急げと言ってる…手を止めるな!」
声を荒げたキャプテンに、レスターも船員達も目を丸くし櫂を早めた。
エルドレッドは妙な胸騒ぎに駆られていた。これまで越えてきた死線よりも強い、嫌な予感。同時に浮かんだのは愛しい女の顔で──それがハズレであれと、胸の内で祈った。
──日付けが変わり、真夜中。
街は静まり返り、強めの風が隠れ家の窓を叩く。
二人は身支度をしていた。ジェラルドは自身の二本の剣と友のナイフを念入りに研ぎ、キースは只管に薬莢を作り。キアは血塗れになった服を着替え、顔も綺麗になり…安らかな表情で寝床に居た。
「…声、判った。全部思い出せた。あの女だ」
「そうか…だが何故…眼の色は濃い青だった」
キースの呟きにジェラルドの眉が少しだけ寄る。記憶を辿り、合点がいかない友へ視線を送る。
「目薬」
「?」
「ルミディウスの屋敷にあった。古ぃ鎮痛薬を溶かして、点眼にする。一時的な視力回復と引き換えの逆効果。最悪、見えなくなる…そんなものを使う理由は、あれが、眼の色を変えられっからだ」
「……なるほど」
鎮痛薬の使い方を聞きジェラルドも記憶を辿る。極めて視力が悪いクラウディア、パール基地で垣間見た彼女の眼。あの時には盲目を回避するため目薬を止めたのだろう。眼は本来の色を取り戻し始め、そして今、戻ったのだ。
冷静にゆっくりと、これまでのことを思い出していく。自身が見聞きしたことと、キースが遭遇した事象。これは予想だがあの女は6年間姿を変えていた。イーヴォス達騎士団も息を潜め、6年前にヘリオット共々殺したはずの隊員の生き残りに気がつき探していた…それは全て、彼女ら自身の為ではない。
グラスを呷り乱暴に叩き置く。ヒビが入ってしまった底から残りが溢れ、机を濡らし床に滴り落ちる。
「あの女が、一人で動けるはずない…これで繋がった。<王族の時計>もソロウも、何もかも全部…あいつだ」
あいつ。ヘリオットの手帖に残された存在、その正体。
ジェラルドの様子をじっと見ていたキースも回転式銃に弾込めし、弄ぶように弾倉を回した。
「…兎に角全員…殺りゃあいいだろ」
灰皿に置いたままだった煙草を深く吸い込み、机に出来た酒溜りへにじり捨てる。
翠の瞳も、漆黒の瞳も、どちらも酷く落ち着いていた。空虚とは違う静寂……二人共何かを見据えているようで、何も映していないようだった。
寝床の前に膝をつき、キアの頬をそっと撫でる。
「すぐ戻るから…待ってろよ」
肌は冷たくなってきたがまだ柔らかく、出来る限り綺麗にしてやったからか、ただ眠っているようだった。躊躇いながらもう一度撫で、手を握る。耳鳴りも頭痛も白昼夢も起こらなかったが、最後に見た泣き虫の幼子が蘇り…忘れるべく頭を振り、立ち上がる。
「手入れと弾込め済み。ほら」
「…お前が使うほうがいいんじゃないか?」
「お前のなんだから、お前が持ってろ」
しまったままだった三連銃を渡され、ジェラルドは少し躊躇ったが腰に差し、代わりとばかりに別の物を取り出す。
「使えそうか?」
「…へぇ、いいな」
「片してて見つけた。たぶん隊長の」
片手間に放られた物を掴み眺める。ヘリオットが使っていた挿弾子を得て、キースはニヤりと笑った。
「これなら楽だ」
「穴だらけにすんなよ」
顔を見合わせ苦笑いする。二人は今夜、二つの事を成そうとしていた。
「両方一遍って悪くねぇけどさ…二兎追う者一兎をも得ず、だっけか」
「難しい言葉知ってるな」
「そのくらい知ってるわ」
隠れ家を後にし愛馬達の元へ向かう。血の臭いを感じ取ったライプニッツが嫌そうに身動いだが、器用なサーシャが手綱を咥え押さえたことでジェラルドの顔が綻ぶ。
「一石二鳥とも言うだろ…大丈夫。きっと見つかるし、上手くやれる」
「やる、だろ」
「ああ…」
二頭に跨り街を出て行く二人。
ジェラルドも邪魔な駒もいつになく重装備で、そんな姿を遠目に観察していたクラウディアは口端をいっぱいまで持ち上げ、愉悦を顕にした。
「♪♪♪」
調子外れな鼻唄。ダンスのように地を蹴り二人を追いかける。
風に靡く彼女の髪が降り始めた雨粒を弾いた。
向かう先は図書館、'禁書室'。
狙いは<ジュアンの羅針盤>と……
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