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陽 yo-heave-ho

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■幕間

2.09.0.5(2) 別れ道【R-18】

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 …三日──否、二日前。

 風流街、煙草屋。数多くある部屋のエルドレッドの部屋にて。
 パタパタと音がし眠りの淵から呼び起こされる。夜更けでも明るい窓の外に目を向ければ、強めの雨がベランダを叩いていて、思わず溜息が込み上げる。通り雨だろうがこの後の面倒を想像すると、少し気怠くなった。
 それでも身体は心地好さで満たされていて、それは腕の中の温もりのお陰であり、燻る気持ちを伝えたく柔らかな髪に頬を埋める。
「甘えただね」
「起きてたのか?」
「あんたが起きたから、起きたのさ…」
 胸元で声がし、キアが顔を上げる。てっきり眠ってると思っていたエルドレッドは少し驚き、そして顔を綻ばせ、
「悪かったな。まだ寝てろ…っ…」
「あんたこそ…、…朝にはまだ早いよ」
 囁き合い何度か唇を重ねる。鳥のように啄む程度のそれは擽ったく鎮まったはずの欲も目覚めそうになり、誤魔化すように顔を背け起き上がる。
 燃え尽きた蝋燭の傍らを探るが眼帯が見つからず、さらに床を探っているとキアの手も伸びてきて、
「こっちだよ。葉巻は上着の中」
「…便利な奴だ」
 寝床の裏側に導かれ、何故かシーツに巻き込まれていた眼帯を見つけ、彼女の手ごと掴む。絡め取った指は細くしなやかで、力を入れれば折れてしまいそうなそれに目を細めると、キアはクスクス笑って眼帯を抜き取り、向かい合った顔に巻き付けようとした。
「外へ出るのかい?雨なのに」
「俺の勝手だ」
「ッ、ん"……悪いね」
「なんのことだ…」
 咳き込んだキアは申し訳なさそうな表情で、エルドレッドは目を逸らしたが…自身の考えなどお見通しなのだろう。こういう時まで発揮される彼女の不思議な力は少し煩わしく、気を遣ってやれぬ己も憎たらしい。
 紐を結んでいた手が止まり、間近に迫った口から吐息がもれ、それが溜息だとわかり首を傾げる。彼女は深い傷で塞がった左目を見つめていた。
「どうした?」
「…目を見てるんだ」
「そっちはもう無い」
「あるさ…目玉が無くても在る。あんたの目はいつも未来あしたを映してて…輝いて、綺麗だね」
 未来と言われ口を開きかけるが、あることを思い出し苦笑いしてしまう。同時に気になっていたことも浮かぶ。
「あいつは…<虎の眼の盗賊>も、俺の目を覗いてた。何かと間違えたらしい」
「そう」
「あいつなんだな?」
「……」
 キアの口が閉じ目を逸らされる。アタリだ。
「髪はそっくりだが、目の色は違うな」
「…あの子は、父さんに似たんだよ」
「ならお前は母親似か?」
「ふふ…秘密にしておくれ」
「…あいつにも黙ってるつもりか」
「いいんだよ、これで…」
 悩まし気に伏せられた目蓋にキスし、また髪に擦り寄る。まるで猫だと言われ返そうと思ったが止める。猫はどっちだ。いつの間にか姿を消し、また急に戻って来て。出会った頃からどこか上の空で何かを探し、今はその探しもの…あの野良キースの為で、俺はオマケか何かだ。
 頭から首へ、鎖骨へと移り、胸の膨らみに口付ける。滑らかで温かい肌越しに心臓の音が聞こえ、共鳴するように己の心も穏やかになる。
「いい音だ…」
「…あんたからも聞こえるよ」
 どちらからともなく唇を交わす。
 目の前の女は昔と変わらず美しく、底知れぬ謎に包まれている。猫なのか魔女なのか、はたまた別の生物なのかわからないが、何よりも愛おしく恋しく、飽きない存在だ。


 一人寝床を出て上着を探り、葉巻に火を灯す。窓を開けると強めの風に押され、自身と一緒にベランダへと追い返し閉ざす。
 ベランダから運河を見下ろすと停泊中のテンペスト号が沢山の灯りに照らされていて、船員や反乱組織の者達が忙しなく働いていた。朝までに終わらせ、今度はヘルブラウ号。小型船は沖合いで済ませると一味の若い奴(名前を覚えるのは億劫だ)が言っていたが、この空模様では海も荒れている筈、手古摺るだろう。一日足らずの航路とはいえ、きっと皆焦り始める頃だ。
(どのくらい持つか…弾は足らせる、問題は向こう。波はいいが風が弱ければこちらが不利。早々にバレてしまったら?全員を逃す間は…作るのが、俺の仕事だ)
 煙を吐き出しについて考える。何度も繰り返した想定が頭の中を駆け巡り、想像通りに上手くいく。だが現実は違う。上手くいくはずがない。リンが言っていた風は本当に来て、海は味方になるのか。今回は俺達だけじゃなく一味の者も陸の輩もいる。生意気なフランシスだって…また無謀なことをして、酷たらしく海底へ逝かせるのか…
 無意識に奥歯を噛み締め首を垂れる。雨脚が強くなり、自身を咎めるように背中を打つ。咥えたままだった葉巻の火が消え、滴が眼帯を伝い涙のように流れていく。
「珍しいねぇ、そんな顔して」
「…濡れるぞ」
「いいの。あたしの勝手さ」
 窓が開き背中を抱き締められる。あっという間に冷えた身体を温もりが包んでくれて、振り返るとキアは毛布一枚しか羽織っておらず、布の隙間から覗く裸体に眉を寄せてしまう。煽っているのか天然なのか、まったく。
「あんたらしくないよ、キャプテン。いつもみたく笑って、しゃんとしな」
「…見抜いているんだろう、俺が…何をするのか」
「……」
 足元に転がった葉巻を踏みつけ、雨から守るように自身に引き寄せ髪を掬い取る。キアの優しく穏やかな香りを吸い込んでも誤魔化せず、目を背けていた感情が膨れ上がり、胸を占めていく。
 恐怖──怖いのだ、死が。
 今も昔も恐ろしい。ひた隠しにしようとも迫ってくる足音にすら怯えている。なのに懲りもせず、己は死に急いでいる。
「教えてくれ、本当にやれるか」
 本音を呟き後悔する。札付きになり'濁り青'なんて大そうな名で呼ばれても、自身はいつも死の影に怯えていて、情けなくて恥ずかしい。それを昔彼女に見透かされ癒してもらった。今再びそれを求めてしまう己は誰よりも餓鬼だ。だが、縋りたくて仕方がないのだ…
 キアは微笑みエルドレッドの頬を撫で、額に張り付いた髪を除けてやった。ずぶ濡れで思い詰めた顔をする彼は可愛くて、相変わらず愛おしい。此処まで来た理由よりも彼との再会に胸が熱くなったのは事実で、今はその想いと、ひと時でも誘惑に負けた罪悪感とが波のように畝り心を揺らしている。
 それでもわかっているからこの道を選び、彼と対峙している…だから伝えねばならない。
「前にも言ったじゃないか、あんたの選ぶ道は間違わない。失敗したと思っても、大丈夫…あんたの道は上手くいくよ」
「……」
「…ヴィト…」
 名前を呼び唇を重ねる。エルドレッドの舌が割り込んできて、深い口づけに変わる。冷えた身体とは対照的に互いの口内は熱く、蕩けた。
「……は、ぁ…ン…」
 艶めかしい吐息が水音とともにもれる。疼いた身体を燃え上がらせていく。
 キアは息苦しいのか一瞬逃げようとし、意地悪く頭を捕まえ絡め取った舌に吸い付き、反応を楽しむ。爪先立ちでよろけた身体を毛布ごと抱えると彼女の手が首に回され、指先を腿に潜り込ませ愛撫してやる。何度かビクンと身体が跳ねて、口端から唾ともに切なげな声が溢れ、さらに求めた。
「!ん…げほ!ケホッ…ヅぅ"!」
「ッ……キア」
 喉が鳴ったのと同時にキアが咳き込み、血の味までして漸く口を離す。
 息を乱しながらも彼女は縋り付いてきて、抱く腕に力を込め支えてやり、もう二度と放すまいと一人思う。そして伝えるなら今しかないと心が湧き立つ。
「…お前は俺の女神だ。一緒に来てくれ、今度こそ共に、」
「ダメ!」
 内に秘めた想いを告げる。が、遮った声はしっかりとしていて、それは拒絶の意味だった。
 たった今のキスなど無かったかのようにキアは眉を寄せ、辛さと嫌悪が混ざったような顔になり、エルドレッドは固まってしまい……そして察する。彼は声を上げ笑い出した。
「そうか!これが別れか」
「……」
 この愛は自身だけの勘違いではないはずだ。命を賭して守るという想いもきっと伝わっている。そしてこの黙り。
 ならば、アタリだ。
「俺だからいいものを…少しは嘘偽りを言えるようになれ。的中ばかりでは商売にならんだろう」
 笑いながら顔を覗くとキアは目を逸らし、また察する。は上手くいく、だから死ぬんだ、俺は。
 わかってしまえば楽なもので、犬死でなければいい。覚悟を決めれば良いのだ。抱いていた恐怖も不思議と静まっていく。彼女が教えてくれたのも要因だろう。だが死の航海など誰が付いていくものか、わかっているなら俺も乗せん。しかし惚れた女にこんな形でフラれるとは、やはり情けない──
「死ぬ前に会えてよかった…野良は必ず助ける、お前は幸せになれ」
「…嫌、」
「逃げるな。最後くらい、いいだろう」
「っ…ふぅ…!」
 逃げようとするキアを捕まえ強引に顔を向けさせる。最後ならもっと優しくしてやりたいのに、逆の気持ちも芽生えまた唇を奪う。口内を貪り頸ごと首を絞めつければ、彼女は抵抗を止め目を瞑ってしまう。頬を滴が流れていった。
 されるがままになった彼女を抱き上げ部屋に戻る。ずぶ濡れでも構わずに寝床に押さえ付け、秘部に手を伸ばす。くちゃりと水音がし夜の残滓が零れ、嫌がる脚を抱え自身の一物を押し当てると吐息が矯声に変わった。キアは何度も首を振り名前を呟くが…
 扉が数度叩かれ振り返る。聞こえた声はリンだった。


「ヴィト、悪ぃおこし…!?!」
 ダメ元で叩いた扉が開かれリンはすぐさま謝るが、目の前に現れたエルドレッドの背後に布一枚しか纏っていない女 (確かキアといったか)が見え、慌てて背中を向けた。
 あからさまな反応にキアは吹き出し笑い、エルドレッドも苦笑いをもらす。
「お前は相変わらずガキだな」
「いやちょ、悪ぃマジ、邪魔して、」
「俺も同じようなものだが?」
「いやいやッ、男と女は、違ぇだろ。あんたちゃんと履いて、」
「ウブめ」
「やめろよぉ…!」
 揶揄うように覗き込むとリンは顔を背け逃れた。顔が茹で蛸のように真っ赤で余計面白い。
 用件を聞くと船のことで、やはりこの天候で作業が進められず人手を集めているらしい。
「テンペストが終わったら先に小せぇのやらねぇか?一気に入れられるだろ」
「ヘルブラウはどうする?それにお前は直出発だろう」
「まだ平気、うちは最後でいい。朝には晴れるしギリギリでも何とかする。メインで動くあんたらが終わってなきゃヤバい」
 そう言うとリンは螺旋階段に向かって声をかけ、誰かと二言三言話し向き直り、
「指示出していいならこっちで、」
「俺がやる。先に行ってろ、今生の別れだ」
 遮られリンは目を丸くした。言葉のままに捉えていいのか、育ちのいい彼なりの冗談なのか。兎に角今はやれるだけのことをやるしかなく、お言葉に甘えることにする。
 頼むと言うと彼は足早に階段を下りて行った。

 扉を閉めた途端腰に腕が絡み付き、先ほどまでの昂りが蘇る。やると言ったからには行かねば、だがもう少しだけと思い、指を重ね温もりを手繰る。
「煙なんぞ吸わずに、もう一度抱けばよかった」
「バカ」
「急げば間に合うか?」
「諦めな」
「…お前までずぶ濡れで、乱暴なことをして、情けない姿も見せた。すまない」
「いいんだよ…」
 向かい合い柔らかな頬を撫でる。顔も髪も全てが雨に濡れていて冷たく綺麗で、どんなものよりも美しい。
「愛してる、ヴィト…ずっと」
「…初めて言ったな…」
 唇を重ね舌を絡ませる。今度は優しく、じっくりと。
 このひと時が終わればもう休む暇は無いだろう。これが今生の別れ──神よ頼む、この女が好きで、愛しくて堪らないんだ。頼むからもう少し…

 エルドレッドとのキスを味わいながら、キアは悔いていた。先ほど真実を伝えなかったことを。
 彼の言う通りこれは二人の今生の別れで、別れ道。悔いることなんてない、これでいい。待ち受ける道を伝えてしまったら、一途な彼は無理矢理でも付いて来て、きっと変わってしまう──愛する男を自身の道に巻き込むわけにはいかない。
(あんたなら、大丈夫)
 薄ら目蓋を開くと大好きな目と合い、心が満たされていく。青を帯びた霧の色。柔らかな鼠みたいな可愛い色。あぁ、もっと見せとくれ…


 それから間もなくして、しっかりと身支度したエルドレッドはキアを残し、出て行った。
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