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陽 yo-heave-ho

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□海篇 The Pirates and Secret Treasure.

2.05.1 ハリソンとデュレー

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 時は遡り、半月程前のこと──

 南方諸島、ティラマス島。早朝。
 ハリソンは小舟の小さな帆を操り、野営地近くの砂浜を目指していた。この島に来て一月。その間こうして休暇を貰い、近くの島だからと帰郷までして、贅沢だなぁと、一人思う。またしっかり働かなければあのハゲいやいや、'閣下'の機嫌を損なってしまう。
 朝の気持ちいい風を孕み帆が舟を引っ張る。穏やかな水面を切って進むのは気持ちよく、子供時代の漁師生活を思い出す。砂浜が見えてきて気がつく…先ほどから見えていた人影が自身の上官であると。ハリソンは声をかけようとして、止め──次の瞬間ジェラルドの両手の剣が疾り、空を切って舞った。
 彼はダンスでも踊っているかのように美しく、速く、見る者全てを魅了するかのような姿で。二刀流だというのに本当に速く、疾く、非の打ち所がない剣舞。朝日を反射させた剣が世界を輝かせ、小舟が浜へ着いたのと同時、剣は生き物のように鳴いて鞘に収まり、波の音だけが残った。
 ジェラルドは深呼吸して熱くなった身体を落ち着かせる。すると背後から拍手が聞こえ驚き振り返り、つい顔を綻ばせた。
「ハリソン、おかえり」
「ただいま戻りました!」
 手を振り駆けて来るハリソンは笑顔で、何やら瓶を持っているから、この間話していた地酒かもしれない。脱ぎ捨てたままのシャツを掴み、滴る汗を二の腕で拭い自身も歩み寄る。
「こんな早くから鍛練を?」
「本当は日課なんだ。パールでは、サボりがちだったが」
「忙しいんだから当たり前です、休んでください」
「此処に来てから暇だぞ」
「'閣下'のお守りがあるじゃないですか」
 二人声を潜めて笑い浜辺を歩く。
 歩きながらさり気なく視線を動かし、ジェラルドの上半身をチラ見する。身体中剣や銃の傷痕だらけ。利き手の右腕には大きな切創。さらに左腕には少し意匠の異なる軍の紋の刺青…彼と接する時間が増え、見る機会が多くなったそれの正体を、ハリソンは休暇の間で知った。
 視線に気がつきジェラルドが首を傾げる。見せる表情が柔らかくなったのも、自身の前だけだと最近気がついた。
「もっとゆっくりしてくればよかったのに」
「そうもいきません。いつ出航するかわからないし」
「奥さんと娘さんは?元気だったか?」
「…あぁ、その…」
「…何かあったのか?」
 言い淀んだハリソンにジェラルドは心配になり足を止めるが、彼は苦笑いして、
「嫁が…二人目身籠って」
「!え」
「えっと、一応言いますけど、ちゃんと俺の子ですから。もう半年で、」
「おめでとうハリソン…!」
 躊躇いながら言えばジェラルドは自身のことのように喜び嬉しそうで、心から祝ってくれているのだとわかる。ハリソンは照れ臭くなるが素直にありがとうと伝えた。
「今日からまた休みを取ってくれ。一緒に居るほうがいいだろ」
「ダメですよ!帰ってる間中、働け働けうるさかったし」
「奥さんもしっかり者か」
「まぁ、似てるとは言われます」
「あと敬語、いい加減止めてくれ。子供二人なんて人生の先輩過ぎる」
「それもダメですっ」
 遠くで時告の鐘が鳴る。旗艦の朝の合図だ。吉報に笑顔絶えない二人は足早に船へ向かった。
 ──テオディア領でありながら治外法権をいいことに、バルハラ軍南部艦船隊は各船の修繕と装甲造りのため、この一月ティラマス島を根城にしていた。


 初夏。
 南方諸島はすっかり夏で、暑さ凌ぎに軍服も簡易なものになる。ハリソンはシャツやズボンの袖を捲り、漁師の家系の経験を駆使し、若い兵達に船での仕事を教え取り仕切っていた。
 上甲板でまた怒鳴り声が響く。これにも大分慣れ、皆驚いたりビクつくことは少なくなったが、梯子口から顔を覗かせ窺えば相手をしているのはやはりジェラルドで、彼は怒り顔のソロウとは真逆に涼しい顔をしていた。我が上司ながら時々心配になるが、艦船隊に加わってからは'腰巾着'のルミディウスもいないので、エスカレートさせない術も身に付けたらしい。
「返事はまだか?!」
「はい。来たらすぐに、お伝え、」
「当たり前だッ」
 ソロウは不機嫌を顕に怒鳴るが、
「まぁいい…'こそ泥'が一緒らしいからな。探し物がセットとは好都合だ」
 ソロウは鼻を鳴らし笑うと勝手に機嫌を変え、船を下りて行った。
 どうやら<虎の眼の盗賊>と<大海賊ラッカム>がセットになったことで、'閣下'は見た目や怒鳴り声とは裏腹に上機嫌が続いていた。しかし島に来てから全ての仕事を任せ切りにし、あのハゲは島の野営地で悠々自適。夜も金をちらつかせ島の女を侍らせているらしく(それが故郷の島にまで及ばないか正直心配だ…)、天罰でも下ればいいのにと思い、ハリソンは眉を寄せた。'ラッカム一味'の'協力者'との連絡も、ジェラルドに代筆させていて、気に入らない。
 セディがジェラルドと二言三言会話して、ソロウの後を追って行った。あの海賊も気に食わぬ、図体ばかりデカくて働きもしない。海の男のくせに。しかしこの航海でジェラルドの意外な嗜好も知った…正義感の強いはずの彼は、どうやら海賊に興味があるようで、
「…あの、ハリソンさん?」
「!…すまん、どうした?」
 軍兵に呼ばれはっとする。つい覗き見に夢中になってしまった。
 兵からの質問に答え、ハリソンはまた考え込む。それは<虎の眼>のこと…奴は何故'ラッカム一味'と一緒にいる?賊同盟?義賊が'青色'に参戦??わけがわからない。あいつの意味不明な行動は陸にいる時からだ。
 一人悶々と考えながら、ハリソンは本来の仕事を熟していった。

 昼下がり、島の鍛冶屋にて。
 ジェラルドが午後休みを使い剣の研ぎを頼みに行くというので、ハリソンもお供することにした。単に心配だと言ったハリソンにジェラルドは苦笑いしていたのだが…案の定、
「C'est à pièce d'argent ouest」
「……」
 それまで東言語だった鍛冶屋が急に西言語で話しはじめ、思わず眉根が上がる。西言語は少しなら理解出来たが、どうやらバルハラ軍兵だからと高値をふっかけているようだ。
 目の前でニヤニヤと笑う鍛冶屋にどう返すべきか迷い黙っていると、
「C'est trop cher, veuillez baisser le prix」
「!」
「…Vous êtes de l'Ouest?」
「いや、隣島だよ。Tu veux encore?」
 ハリソンが口を挟み、西言語で交渉しはじめる。ジェラルドは驚き目を丸くして彼の流暢な言葉に耳を傾けた。鍛冶屋も驚いた様子だったが観念して東言語に戻り、正規の値段で引き受けてくれることになった。
「…話せるのか?」
「少しですけどね」
「今のが、少し?」
「島民の嗜みってやつです」
 嗜みが西言語とは…思わず苦笑いしてしまうが無事に剣を預けられ、一緒に鍛冶屋を出る。島に来てからというもの、西言語の洗礼は度々遭っていたのだが、ハリソンがいれば心強いとつい安堵する。
「それにしても、良かったんですか?」
「ん?」
「いつもはご自分で研いでるのに」
「よく見てるな…」
 二人肩を並べ通りを歩きながらさらりと言われ、ジェラルドはまた苦笑いをもらす。捜索隊が解隊してからというもの、ハリソンの俺観察(勝手ながらそう呼んでいる)は拍車がかかっていた。
「忙しい時でもやってましたから、そりゃあ目にも止まります」
「そうだったか?」
「陸に居る時もそうでしたよ、寝る間も惜しんで研いで。それで日課の鍛練もやってたんでしょう?なんで気づけなかったんだ…」
「……どこまで見てる??」
「…すみません、つい。悪い癖です」
 はっとした様子で視線を逸らすハリソン。気まずそうに口元を押さえる彼にジェラルドは何か言いかけるが、溜息を吐き首を振って、
「買い物も付き合ってくれないか?あなたが一緒なら、心強い」
「!はい」
 微笑み言われハリソンの顔も綻ぶ。二人は暫く島を練り歩いた。


 翌日、陽が傾きはじめた頃。
 剣の鍛練と身体が鈍らないように、砂浜に軍兵達が集まっていた。普通の地面と違い砂は動きづらく体力を奪われる。そんな中でもう何十人もの稽古に付き合っているジェラルドは、疲れのつの字も顔に出さず、流れる汗も爽やかに見えてしまうものだから、凄いを通り越し化け物じみていた。
「次…」
 砂に転がった兵を尻目に、ジェラルドは木剣を構え直す。乱れた髪の隙間から覗く鋭く冷たい眼差し。相対した若い兵は一瞬怯んでしまうが、砂を蹴り斬りかかっていった。
 乾いた打ち合いの音が何度か続くが、ジェラルドが攻めに転じた途端音の速度が上がり、あっという間に薙ぎ払われ剣が弾き飛ぶ。呆気に取られる兵の喉元に剣先が突き付けられ動きが止まった。
「落としても隙を作るな、諦めるな。間を取れ。そもそも詰め過ぎだ」
「す、すみませ…」
 不機嫌そうながらも的確に指摘するジェラルド。兵は未だ固まっていたが、数十秒程度の稽古はこれまでと比べものにならず、実戦そのものだと身体が直感し正直感動してしまう。周りで見ていた兵達も感嘆の声をもらした。
 艦船隊に彼(と、船や海に詳しいハリソンさん)が加わってからというもの、'剣聖'でも有名なパールの副指揮官と実際に剣を交わし学べることに、古参も若手も皆軍人としての血を騒がせていた。
 ジェラルドは周りの視線や思惑などどうでもいいようで、短く息を吐くと背後を振り返った。自身とは別で稽古に取り組む一団。指導役で若い兵達を相手にしているのはハリソンで、彼は荒いながらも速く剣を振るっていた。捜索隊で一緒になり何度か稽古をしたが、最近剣筋が変わったように思い尋ねてみたら、それは自身の影響だと言っていた。俺を目指したいとも…
 自身が他人に影響を与えるなんて気が引ける。正しい型を習ったわけでもないし、皆の噂通り血生臭いだけ。俺なんか目指すもんじゃないと、ぼんやり思う。嬉しそうな顔で話していた彼は、頭の中で何を考えていたのか。言葉の裏ではまた観察してたのか。それに昨日も見ていた、俺の左腕刺青を…
「デュレー隊長?」
「…すまない。もう一度、やるか」
 余所見したまま呆けているジェラルドへ兵が心配そうに声をかければ、彼はまた鋭い目に戻り木剣を握った。

 夜、旗艦にて。
 ジェラルドの代わりに鍛冶屋へ剣を引き取りに行ったハリソンは、持ち主に返すべく姿を探していたが、見当たらず。仲良くなった兵達に尋ねてみると伝令兵と一緒にいたと知り、船首下の鳩小屋へ向かった。
 舷の短い階段を下りようとしてつい立ち止まる。鳩小屋の手前でジェラルドと伝令兵が何やら話していた。声をかければいいものをハリソンはまた悪い癖が出て…こっそり様子を窺う。
「今日の分はこれだけですね」
「…やはり無いか。何度もすまない」
「いえ、届いたらお伝えします」
 二人は小さな書面を眺めていて、それは今日届いた伝書鳩の連絡の一覧のようだった。'協力者'からの手紙を待っているのか。
 ジェラルドはそのまま去って行ってしまい、追いかけようか迷う。手の中の剣を返すことよりも好奇心が疼いて仕方なく、ちょっと聞くだけだと己に言い訳し、伝令兵を呼び止める。
「なぁ、デュレー隊長何か探してるのか?」
「ん?あぁ…北部からの手紙を待ってるらしい。何度か聞かれてんだ」
 振り返り答えた兵の言葉にハリソンは一瞬固まるが、愛想笑いで誤魔化す。北部、古巣から?どういうことだ?
「あ、それからあんたのも聞いてくれてたぞ」
「?俺?」
「ディックって奴か中央の図書館出しで、あんた宛に来てないかって。あの人上官のくせに、強い上に優しいとはなぁ」
「…そうなんだよ、自慢の上官。探してくれてありがと、後で礼言っとく」
 互いに笑い合い別れ、ジェラルドが消えて行った側の階段を上り…一人なった瞬間ハリソンは船縁を掴み、叫びそうになった声を拳に籠め叩きつけた。
(なんで、ディック?図書館って…まさか調べさせたこと、気づいて…?!)
 頭が騒がしくなり、もれた吐息が微かに震える。自身の詮索好きは当にバレているが、あのことまで気づかれてるとなると、ヤバい。
(…どうしよう、クビになる?いや、それよりも…)
 クビという単語を思い浮かべると妻子の顔も浮かんできて、首をブンブン振り溜息を吐く。大丈夫、直接何か言われたわけじゃない。あいつの場合クビなんてのより、本気で怒らせちまうほうが恐ろしい…
 腕に挟んだままの剣をチラりと見て歩き出す。ジェラルドはもう甲板にもいなそうで、充てがわれた寝床に行ったのだろうと思い向かう。平常心、顔作って、俺は何も聞いてない、さっさと返してそれで終わり……
 軽くパニックになった頭の中で、ハリソンはそんなことを考えていた。
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