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□陸篇 Catch Me If You Can.
1.08.2 <虎の眼の盗賊>
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時は戻って数日前。
キース達がパールを脱出した日の夕刻のこと。
午前中いっぱいミス・コールドウェルに付きっ切りだったジェラルドは、漸く解放され本来の仕事に戻っていた。
一足先に片付けられた自身の執務室。机の上には届けられたり持ち込んだ書類や資料でいっぱいだった。昨夜の騒動で荒れた基地は未だにバタついていて、修繕や負傷者の取り纏めは山積みに。検問の検挙者情報に、本部の抜き打ち調査の件、これらの連絡や報告纏めをする必要もあり…仕事量はいつも以上に多い。
進んだことといえば検挙者と投棄物の調査で、どちらもハリソンが引き受けてくれた分だ。尤も検挙者に<獣の盗賊>らしき人物はおらず、投棄物も"///"のサインが彼の苛立ちを助長しただけだったが。
「副指揮官殿、お持ちしました」
「…ありがとう。ついでで悪いんだが、伝令も頼めるか?」
開けたままの扉がノックされ、軍兵が布で包まれた何かを持ってくる。ジェラルドはそれを受け取ると検問解除の指示を伝えた。
兵も、部屋で一緒に仕事をしていたハリソンも、少し驚いた様子で顔を上げた。単なる勘だったが、検問を続けても<獣の盗賊>は引っかからないだろう。あいつはとっくに街を出ただろうと、そう思った。女海賊ビアンカのこともバレてしまったから彼女も一緒に。
兵を見送り散らかった机を眺める。溜息とも取れる深呼吸をし、傍らのハリソンへ視線を送る。
「進めてくれて助かる…後は俺でやる」
「いえ、あまりお役に立てず、すみません…と」
「そんなことない、ありがとう」
「ちゃんと休憩取ってくださいね?」
「ああ…先に行ってくれ、追いかける」
「了解です。街を出る時は報せます」
改めていた書類にサインをし、ハリソンは苦笑いしてみせた。今夜から捜索隊の活動を再開、また<獣の盗賊>を追いかける。昨夜のことで二人よりも他の隊員達が息巻いていて、彼らはパールに戻って間もないというのに今か今かと出動の時を待っていた。
ハリソンは書類や自身の仕事道具を片付けていくが、徐に手を止め扉に近寄り、廊下の人気を窺うとそっと閉めて、
「…デュレー隊長。少しだけ、よろしいですか?」
「?どうした」
「…お聞きしたいことがあります」
振り返り尋ねてきたハリソンにジェラルドは頷き返すが、彼の表情が真剣だとわかり、渡そうと思っていた物から手を離した。また勘が働く…あまり良くないことだ。この場に二人きりなのはせめてもの救いなのか…
「昨夜、<獣の盗賊>が現れた時…聞こえたんです…隊長と奴が、話してるの」
「……そうか」
「内容も、聞こえました」
「ハッキリ言ってくれ」
「…知り合いなんですか?」
静まり返る執務室。窓の外からは兵達の声や馬の嗎が聞こえた。
睨むでもなく真っ直ぐに見つめてくるハリソンに、ジェラルドは小さく息を吐き答えた。
「あなたの言う通りだ…俺は、あいつを知ってる」
「…やっぱり」
正直に告げられ、だがハリソンはつい眉根を寄せてしまう。モヤモヤしていた疑念が一気に膨らみそうになるが押し止め、いつも通りに無表情なジェラルドの言葉を待った。
「昔の馴染みだ。友人…じゃないな、少し違う。昨夜間近で出くわして、<獣の盗賊>があいつなんだと解った」
「……」
「疑ってるんだろ?」
ジェラルドは視線を逸らし失笑して、また息を吐いた。
ハリソンの疑念が表情や声から伝わってくる。ジェラルドは内心で膨らむ焦りを悟られぬよう必死だったが、
「俺は、隊長を信じます。信じたいです」
彼の言葉にまた視線を戻す。先ほどよりも強い意志を感じる瞳とぶつかった。
「だから、教えてほしいです。奴のこと」
また沈黙が流れる。部屋の空気が張り詰めているようだった。ハリソンに出会ってから少なからず危惧していたことが、今現在起こっている。彼に嘘を吐くのはマズい、こんなところで、躓けねぇ…
「…キース・エフライム。それがあいつの名前だ。5年程前まで会っていた。歳は、今だと26か7。家族や縁者はいないはず…俺が知ってるのは、そのくらいだ」
「…充分です…ありがとうございます」
「ハリソン、」
「隊長」
取り繕うなんてらしくない。だがつい声を発すれば、ハリソンはやっと顔を綻ばせ、顔を押さえていた手を口元に移し、
「こういうことって、軍人なら起こり得ますから。話してもらえてよかった…俺はただ知りたかっただけで、いつもの悪い癖です。すみません。この話はここで…俺達だけでお終いにしましょう」
ジェラルドは言葉を失い、ただ黙って聞き入っていた。<獣の盗賊>のことなのに彼らしからぬ台詞。何故と思う一方で安堵したのも事実だ。
呆けてるようにでも見えたのか、ハリソンは固まっているジェラルドに苦笑いして、先に行くと告げるとまた扉を開け出ていこうとした。が、
「待ってくれ…正体がわかったんだから、手配書は更新する」
「!…でも、いいんですか?」
「当たり前だ。昨夜のこともある。さっさと捕まえるには、どうしたらいい?」
「ぇ、っと…えっとですね、手っ取り早いのは値を上げることです。'専門家'が本腰入れる」
立ち上がり待ったをかけたジェラルドにハリソンは素直に驚き、扉を閉め机に戻った。予想外だったジェラルドの決断に今度はハリソンが目を丸くし、心なしか動揺していた。
ジェラルドは椅子に座り直すと新しい紙を取り出し、ペンを走らせた。
いつの間にか日が暮れ部屋の暗さに気がつく。ハリソンが勝手知ったる様子で燭台に火を灯し、チラりと覗けば紙の内容はやはり<獣の盗賊>の手配書についての進言書で、また動揺する。
「あの…ホントに?」
「くどいぞ。良くないなら端からシラを切った」
「…隊長のそういうとこ、もっと見習います」
「それは褒めてもらってるのか?」
滑らかで綺麗な字がすらすらと記されていく。目を合わさずとも答え苦笑いするジェラルドは、いつもの真面目な副指揮官で、いつもの彼だった。
「…ハリソン」
「はい?」
「それ…俺は使わないから、使ってくれ」
不意に左手で示され、先ほど兵が持ってきた物を手に取り広げる。それは小銃で──しかも高官にしか支給されない三連撃ちの回転式銃だった。
「!なっ、ちょっとこれ、」
「支給されたんだが、俺は苦手なんだ。だからあなたに」
「いやっ、隊長!それは、」
「しつこい、使え、俺は下手だ、また躊躇うなよ、いいな」
「……」
「あなたは射撃の腕がいいと、皆言ってたぞ」
思いがけない物に驚き返そうとするが、少し苛立った声に押され、最後は何も言えなくなり受け取ってしまう。自慢ではないが銃は得意だ…が!こんな高価な代物を、隊長でもない俺が?使ったこともないから壊さないか不安でもある。
ハリソンは汗が滲む手で銃を握りしめ、気を逸らすようにジェラルドを見守った。
キース・エフライムについて、進言書を覗き見ながら話を聞く。
先日わかった髪の色は赤みを帯びた茶褐色に変わり、瞳の色は記憶が曖昧でわからず仕舞い。背丈は昨夜のことを振り返り判明したので、付け加え、思ってたより小柄だと冷静になったハリソンが呟いたことで、ジェラルドの珍しい笑顔を引き出すこととなった。
「賞金稼ぎ、食い付くといいんですが」
「狙う者は増えるだろうが……例えば」
一度ペンを置き二人で紙を眺める。ジェラルドがチラりと見遣り、
「目立ちたがりのクソ野郎を、もっと目立たせてみる、とか」
鋭くなった黒い瞳とぶつかり、彼の指がキース・エフライムの名前をなぞる。ピリオドを打つように爪先でトントンと叩き、何やら意味深で首を傾げると、次に発せられた内容にハリソンは目を丸くした。それは以前語った虎のことで、
「いっそ使ったらいいんだ。トラ、気に入ってるんだろ?」
「いや気に入ってるとかじゃ、」
「本名がわかっても、あまり効果は無いかもしれない。手配名を目立たせて名前も認識させる」
「んん、なるほど…でも虎って…わかりますか?」
「…わからずとも、興味は惹くだろ」
「あなたも見たことないのに?」
「…それを言うな」
完全に思いつきだったのか言葉に詰まるジェラルド。ハリソンも唸るが、段々と笑いが込み上げ破顔し、
「いいですね…了解!やりましょう」
そうして決まった新しい手配名。
<獣の盗賊>に訂正線が引かれ、<虎の眼の盗賊>と記される。
昨夜のことが噂になれば、盗賊は義賊とまた言われるのだろう。一軍人としてはあるまじきことなのだが、ハリソンはなんだか嬉しさも感じていた。
進言書や仕事道具(三連銃はまた返そうとしたのだが睨まれてしまい、観念して受け取った)を持ったハリソンが執務室を出て行く。
すっかり暗くなってしまった廊下の灯りを点すべく、若い兵達が火種片手に駆け回っていた。階段を降りながら頭を巡らせる。
(本当は…もっと、知ってるはずだ。まだきっと隠してることがある、でも…あの人は、今までと違う。だから…)
信じたい、と、つい独り言をもらす。
聞きたいことは他にもあったが、敢えて黙っていた。約一ヵ月。たった一ヵ月足らずの会話と仕事(と観察も)で知ったジェラルド・デュレーという男。彼はこれまでの上官とは違う。他の軍兵とも違う。ハリソンが知った彼は理想的な軍人であり、冷静で厳しく、鋭い、正義の人だ。
だから信じることにする。隠し事がまだあるなら、いつか話してくれるまで待つ。待ちたい。そんなことを考えながら、ハリソンは新しい手配書を印刷すべく事務方のもとへ向かった。
ジェラルドは一人になり、冷めきった紅茶を口に運んだ。しかしすぐに溜息をもらし、眉間に皺を寄せ目を瞑ってしまう。
扉の向こうに消えたハリソンはさっさと立ち去り、恐るものはなくなった。ひとまずは。
(もっと探ってくると思ったが…名前くらいなら…あのくらいなら、まだ大丈夫。そもそもあいつの問題だ、クソ厄介なまったく、ざけんなよ…!)
隠していた焦りが今になって溢れ出る。冷や汗なんて久々だった。バレてないだろうか?南部でこういうことになるのはもっと別の場面だと思っていたから、動揺が止まらない…
ハリソンという男は優秀であり、厄介である。あの時あの場面を見られたのも死活だ、仮にも賊相手に話し過ぎだ馬鹿が。これからもハリソンには気をつけなくては。
残りの仕事を片すべくペンを取るが、扉がノックされ声がかけられる。声の主がわかり思わず顔を顰めるが、ジェラルドは自ら趣き扉を開けた。目の前に立っていたのはミス・コールドウェルだった。
「どうも」
「……何か?」
「調査とは別件です。あなたに伝言、忘れてました」
不機嫌が面に出ているようで、ミス・コールドウェルが苦笑いする。
「"好きにやっていいが、たまには手紙を寄越せ"…とのこと」
「……」
「……私からもお願いしたいわ。君がいなくなって、何故か私のとこに報せがくる、お守りをするようにって!」
「…俺の問題ですか、それ」
伝言と、切り替わった彼女の雰囲気にジェラルドは首を振り、また溜息を吐いた。久々に垣間見る彼の素にミス・コールドウェルは今度こそ笑い、面白そうに眺め、
「この5年間、あの人のお守りは君の係だったでしょ。今じゃやりたい放題、皆悲鳴上げてるって」
「ライラさん、」
「単純な話、寂しがってる。勿論、私も」
言葉の終わりにふふんと笑ってみせれば、ジェラルドの眉間の皺が増えたのがわかった。
「……なんで来たのか、知ってるでしょう」
「…そうね」
「手紙は書きます、近い内。次は何処か存じ上げませんが、お気をつけて」
少し冷たく言い放ち、ジェラルドは廊下に向かって腕を差し出した。これ以上の立ち話は本当に怒らせそうだと察し、ミス・コールドウェルことライラは会釈で返し立ち去るが、
「あまり根を詰めないように。ご飯食べて、ちゃんと寝なさい」
振り向きざまに笑顔で告げられ、ジェラルドは本日の定番となった溜息を吐く。直近の多忙は彼女が持ち込んだ仕事だと喉から出かけたが、一人呑み込み中へ戻った。
ジェラルドはその夜の内に仕事を片付け、必要な荷物を纏め、ライプニッツと共に夜更けのパールを出て行った。ハリソン達は早々に街での捜査を打ち切り、南の街道を進んでいた。
基地や街の現状は芳しくない。北部なら襲撃の混乱に乗じ、暴動や内乱が起きるだろう。ただハリソン以外にも頼れる軍兵はいる(若干名だが)。今は彼らにも頼って、あいつを追ったほうがいい。
(つくづく、面倒なチビ…)
先行く捜索隊やジェラルドを追うように、<虎の眼の盗賊>の手配書が刷新される。数日後には南部統括のノクシア基地で容認され、バルハラ中へ広まり貼り出された。
本名が露見したり二つ名が変わるお尋ね者は近年では珍しいことだった。軍兵も街人も揃ってキース・エフライムに興味を抱く…そして'専門家'である賞金稼ぎも。
……回想終わり、現在──
四人は夜も馬車を走らせノクシアに辿り着いた。大きな港街だがバルハラ軍南部統括の拠点であり、ファンダルのように軍兵が集う街。
軍と街は友好的な関係だ…表立っては。反発する者は容赦なく逮捕されたり追い出されるのが通例で、此処はパールよりも厳しく、影が濃い街でもある。
露店商が集う通りの一角。幸いなことに顔見知りはおらず、暫くは安全そうだった。キース改めカイルは店代わりの幌の中に腰を落ち着かせ、手の中の手配書を睨んでいた。
「……なぁ!手伝えよ、お前の店だろ!」
「支度くらい一人でやれ、アホ見習い」
「好きでやってんじゃないッ…もうッ」
幌の外で煙草の葉や装飾品を並べていくエド。彼の不満を一蹴し、カイルは煙草に火を点ける。
店を開けている間はカイルとエドの二人だけ。エドはいつの間にか見習いになり、スタンとイザベラは別行動で出稼ぎへ。また振り返り様子を窺うとカイルは相変わらず睨めっこ状態だった。
「御大層な名前だなぁ、そいつ」
手伝ってもらえない仕返しに嫌味を言えば、案の定睨み返され、
「<虎の眼>なんて。ただの盗人だろ!」
「……」
「あんなすごい生き物じゃなくて、猫で充分さ」
「………ネコ、って?」
「?」
また言い合いにでもなるかと思いきや、予想外の返答にポカンとしてしまう。カイルは眉間に皺を寄せていて、何度も手配書とエドを見比べ、
「…この、トラ?っての…猫なのか?あのネコ??…なんなんだよ」
「…もしかして…知らない?」
「……だったらなんだ」
エドが目を丸くするとカイルはそっぽを向いた。その顔が若干赤くなってるのが見え、笑いが込み上げる。おもしろっ!
暫くはこの虎ネタで対抗できそうだと、エドは密かに思うのだった。
キース達がパールを脱出した日の夕刻のこと。
午前中いっぱいミス・コールドウェルに付きっ切りだったジェラルドは、漸く解放され本来の仕事に戻っていた。
一足先に片付けられた自身の執務室。机の上には届けられたり持ち込んだ書類や資料でいっぱいだった。昨夜の騒動で荒れた基地は未だにバタついていて、修繕や負傷者の取り纏めは山積みに。検問の検挙者情報に、本部の抜き打ち調査の件、これらの連絡や報告纏めをする必要もあり…仕事量はいつも以上に多い。
進んだことといえば検挙者と投棄物の調査で、どちらもハリソンが引き受けてくれた分だ。尤も検挙者に<獣の盗賊>らしき人物はおらず、投棄物も"///"のサインが彼の苛立ちを助長しただけだったが。
「副指揮官殿、お持ちしました」
「…ありがとう。ついでで悪いんだが、伝令も頼めるか?」
開けたままの扉がノックされ、軍兵が布で包まれた何かを持ってくる。ジェラルドはそれを受け取ると検問解除の指示を伝えた。
兵も、部屋で一緒に仕事をしていたハリソンも、少し驚いた様子で顔を上げた。単なる勘だったが、検問を続けても<獣の盗賊>は引っかからないだろう。あいつはとっくに街を出ただろうと、そう思った。女海賊ビアンカのこともバレてしまったから彼女も一緒に。
兵を見送り散らかった机を眺める。溜息とも取れる深呼吸をし、傍らのハリソンへ視線を送る。
「進めてくれて助かる…後は俺でやる」
「いえ、あまりお役に立てず、すみません…と」
「そんなことない、ありがとう」
「ちゃんと休憩取ってくださいね?」
「ああ…先に行ってくれ、追いかける」
「了解です。街を出る時は報せます」
改めていた書類にサインをし、ハリソンは苦笑いしてみせた。今夜から捜索隊の活動を再開、また<獣の盗賊>を追いかける。昨夜のことで二人よりも他の隊員達が息巻いていて、彼らはパールに戻って間もないというのに今か今かと出動の時を待っていた。
ハリソンは書類や自身の仕事道具を片付けていくが、徐に手を止め扉に近寄り、廊下の人気を窺うとそっと閉めて、
「…デュレー隊長。少しだけ、よろしいですか?」
「?どうした」
「…お聞きしたいことがあります」
振り返り尋ねてきたハリソンにジェラルドは頷き返すが、彼の表情が真剣だとわかり、渡そうと思っていた物から手を離した。また勘が働く…あまり良くないことだ。この場に二人きりなのはせめてもの救いなのか…
「昨夜、<獣の盗賊>が現れた時…聞こえたんです…隊長と奴が、話してるの」
「……そうか」
「内容も、聞こえました」
「ハッキリ言ってくれ」
「…知り合いなんですか?」
静まり返る執務室。窓の外からは兵達の声や馬の嗎が聞こえた。
睨むでもなく真っ直ぐに見つめてくるハリソンに、ジェラルドは小さく息を吐き答えた。
「あなたの言う通りだ…俺は、あいつを知ってる」
「…やっぱり」
正直に告げられ、だがハリソンはつい眉根を寄せてしまう。モヤモヤしていた疑念が一気に膨らみそうになるが押し止め、いつも通りに無表情なジェラルドの言葉を待った。
「昔の馴染みだ。友人…じゃないな、少し違う。昨夜間近で出くわして、<獣の盗賊>があいつなんだと解った」
「……」
「疑ってるんだろ?」
ジェラルドは視線を逸らし失笑して、また息を吐いた。
ハリソンの疑念が表情や声から伝わってくる。ジェラルドは内心で膨らむ焦りを悟られぬよう必死だったが、
「俺は、隊長を信じます。信じたいです」
彼の言葉にまた視線を戻す。先ほどよりも強い意志を感じる瞳とぶつかった。
「だから、教えてほしいです。奴のこと」
また沈黙が流れる。部屋の空気が張り詰めているようだった。ハリソンに出会ってから少なからず危惧していたことが、今現在起こっている。彼に嘘を吐くのはマズい、こんなところで、躓けねぇ…
「…キース・エフライム。それがあいつの名前だ。5年程前まで会っていた。歳は、今だと26か7。家族や縁者はいないはず…俺が知ってるのは、そのくらいだ」
「…充分です…ありがとうございます」
「ハリソン、」
「隊長」
取り繕うなんてらしくない。だがつい声を発すれば、ハリソンはやっと顔を綻ばせ、顔を押さえていた手を口元に移し、
「こういうことって、軍人なら起こり得ますから。話してもらえてよかった…俺はただ知りたかっただけで、いつもの悪い癖です。すみません。この話はここで…俺達だけでお終いにしましょう」
ジェラルドは言葉を失い、ただ黙って聞き入っていた。<獣の盗賊>のことなのに彼らしからぬ台詞。何故と思う一方で安堵したのも事実だ。
呆けてるようにでも見えたのか、ハリソンは固まっているジェラルドに苦笑いして、先に行くと告げるとまた扉を開け出ていこうとした。が、
「待ってくれ…正体がわかったんだから、手配書は更新する」
「!…でも、いいんですか?」
「当たり前だ。昨夜のこともある。さっさと捕まえるには、どうしたらいい?」
「ぇ、っと…えっとですね、手っ取り早いのは値を上げることです。'専門家'が本腰入れる」
立ち上がり待ったをかけたジェラルドにハリソンは素直に驚き、扉を閉め机に戻った。予想外だったジェラルドの決断に今度はハリソンが目を丸くし、心なしか動揺していた。
ジェラルドは椅子に座り直すと新しい紙を取り出し、ペンを走らせた。
いつの間にか日が暮れ部屋の暗さに気がつく。ハリソンが勝手知ったる様子で燭台に火を灯し、チラりと覗けば紙の内容はやはり<獣の盗賊>の手配書についての進言書で、また動揺する。
「あの…ホントに?」
「くどいぞ。良くないなら端からシラを切った」
「…隊長のそういうとこ、もっと見習います」
「それは褒めてもらってるのか?」
滑らかで綺麗な字がすらすらと記されていく。目を合わさずとも答え苦笑いするジェラルドは、いつもの真面目な副指揮官で、いつもの彼だった。
「…ハリソン」
「はい?」
「それ…俺は使わないから、使ってくれ」
不意に左手で示され、先ほど兵が持ってきた物を手に取り広げる。それは小銃で──しかも高官にしか支給されない三連撃ちの回転式銃だった。
「!なっ、ちょっとこれ、」
「支給されたんだが、俺は苦手なんだ。だからあなたに」
「いやっ、隊長!それは、」
「しつこい、使え、俺は下手だ、また躊躇うなよ、いいな」
「……」
「あなたは射撃の腕がいいと、皆言ってたぞ」
思いがけない物に驚き返そうとするが、少し苛立った声に押され、最後は何も言えなくなり受け取ってしまう。自慢ではないが銃は得意だ…が!こんな高価な代物を、隊長でもない俺が?使ったこともないから壊さないか不安でもある。
ハリソンは汗が滲む手で銃を握りしめ、気を逸らすようにジェラルドを見守った。
キース・エフライムについて、進言書を覗き見ながら話を聞く。
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「賞金稼ぎ、食い付くといいんですが」
「狙う者は増えるだろうが……例えば」
一度ペンを置き二人で紙を眺める。ジェラルドがチラりと見遣り、
「目立ちたがりのクソ野郎を、もっと目立たせてみる、とか」
鋭くなった黒い瞳とぶつかり、彼の指がキース・エフライムの名前をなぞる。ピリオドを打つように爪先でトントンと叩き、何やら意味深で首を傾げると、次に発せられた内容にハリソンは目を丸くした。それは以前語った虎のことで、
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「いや気に入ってるとかじゃ、」
「本名がわかっても、あまり効果は無いかもしれない。手配名を目立たせて名前も認識させる」
「んん、なるほど…でも虎って…わかりますか?」
「…わからずとも、興味は惹くだろ」
「あなたも見たことないのに?」
「…それを言うな」
完全に思いつきだったのか言葉に詰まるジェラルド。ハリソンも唸るが、段々と笑いが込み上げ破顔し、
「いいですね…了解!やりましょう」
そうして決まった新しい手配名。
<獣の盗賊>に訂正線が引かれ、<虎の眼の盗賊>と記される。
昨夜のことが噂になれば、盗賊は義賊とまた言われるのだろう。一軍人としてはあるまじきことなのだが、ハリソンはなんだか嬉しさも感じていた。
進言書や仕事道具(三連銃はまた返そうとしたのだが睨まれてしまい、観念して受け取った)を持ったハリソンが執務室を出て行く。
すっかり暗くなってしまった廊下の灯りを点すべく、若い兵達が火種片手に駆け回っていた。階段を降りながら頭を巡らせる。
(本当は…もっと、知ってるはずだ。まだきっと隠してることがある、でも…あの人は、今までと違う。だから…)
信じたい、と、つい独り言をもらす。
聞きたいことは他にもあったが、敢えて黙っていた。約一ヵ月。たった一ヵ月足らずの会話と仕事(と観察も)で知ったジェラルド・デュレーという男。彼はこれまでの上官とは違う。他の軍兵とも違う。ハリソンが知った彼は理想的な軍人であり、冷静で厳しく、鋭い、正義の人だ。
だから信じることにする。隠し事がまだあるなら、いつか話してくれるまで待つ。待ちたい。そんなことを考えながら、ハリソンは新しい手配書を印刷すべく事務方のもとへ向かった。
ジェラルドは一人になり、冷めきった紅茶を口に運んだ。しかしすぐに溜息をもらし、眉間に皺を寄せ目を瞑ってしまう。
扉の向こうに消えたハリソンはさっさと立ち去り、恐るものはなくなった。ひとまずは。
(もっと探ってくると思ったが…名前くらいなら…あのくらいなら、まだ大丈夫。そもそもあいつの問題だ、クソ厄介なまったく、ざけんなよ…!)
隠していた焦りが今になって溢れ出る。冷や汗なんて久々だった。バレてないだろうか?南部でこういうことになるのはもっと別の場面だと思っていたから、動揺が止まらない…
ハリソンという男は優秀であり、厄介である。あの時あの場面を見られたのも死活だ、仮にも賊相手に話し過ぎだ馬鹿が。これからもハリソンには気をつけなくては。
残りの仕事を片すべくペンを取るが、扉がノックされ声がかけられる。声の主がわかり思わず顔を顰めるが、ジェラルドは自ら趣き扉を開けた。目の前に立っていたのはミス・コールドウェルだった。
「どうも」
「……何か?」
「調査とは別件です。あなたに伝言、忘れてました」
不機嫌が面に出ているようで、ミス・コールドウェルが苦笑いする。
「"好きにやっていいが、たまには手紙を寄越せ"…とのこと」
「……」
「……私からもお願いしたいわ。君がいなくなって、何故か私のとこに報せがくる、お守りをするようにって!」
「…俺の問題ですか、それ」
伝言と、切り替わった彼女の雰囲気にジェラルドは首を振り、また溜息を吐いた。久々に垣間見る彼の素にミス・コールドウェルは今度こそ笑い、面白そうに眺め、
「この5年間、あの人のお守りは君の係だったでしょ。今じゃやりたい放題、皆悲鳴上げてるって」
「ライラさん、」
「単純な話、寂しがってる。勿論、私も」
言葉の終わりにふふんと笑ってみせれば、ジェラルドの眉間の皺が増えたのがわかった。
「……なんで来たのか、知ってるでしょう」
「…そうね」
「手紙は書きます、近い内。次は何処か存じ上げませんが、お気をつけて」
少し冷たく言い放ち、ジェラルドは廊下に向かって腕を差し出した。これ以上の立ち話は本当に怒らせそうだと察し、ミス・コールドウェルことライラは会釈で返し立ち去るが、
「あまり根を詰めないように。ご飯食べて、ちゃんと寝なさい」
振り向きざまに笑顔で告げられ、ジェラルドは本日の定番となった溜息を吐く。直近の多忙は彼女が持ち込んだ仕事だと喉から出かけたが、一人呑み込み中へ戻った。
ジェラルドはその夜の内に仕事を片付け、必要な荷物を纏め、ライプニッツと共に夜更けのパールを出て行った。ハリソン達は早々に街での捜査を打ち切り、南の街道を進んでいた。
基地や街の現状は芳しくない。北部なら襲撃の混乱に乗じ、暴動や内乱が起きるだろう。ただハリソン以外にも頼れる軍兵はいる(若干名だが)。今は彼らにも頼って、あいつを追ったほうがいい。
(つくづく、面倒なチビ…)
先行く捜索隊やジェラルドを追うように、<虎の眼の盗賊>の手配書が刷新される。数日後には南部統括のノクシア基地で容認され、バルハラ中へ広まり貼り出された。
本名が露見したり二つ名が変わるお尋ね者は近年では珍しいことだった。軍兵も街人も揃ってキース・エフライムに興味を抱く…そして'専門家'である賞金稼ぎも。
……回想終わり、現在──
四人は夜も馬車を走らせノクシアに辿り着いた。大きな港街だがバルハラ軍南部統括の拠点であり、ファンダルのように軍兵が集う街。
軍と街は友好的な関係だ…表立っては。反発する者は容赦なく逮捕されたり追い出されるのが通例で、此処はパールよりも厳しく、影が濃い街でもある。
露店商が集う通りの一角。幸いなことに顔見知りはおらず、暫くは安全そうだった。キース改めカイルは店代わりの幌の中に腰を落ち着かせ、手の中の手配書を睨んでいた。
「……なぁ!手伝えよ、お前の店だろ!」
「支度くらい一人でやれ、アホ見習い」
「好きでやってんじゃないッ…もうッ」
幌の外で煙草の葉や装飾品を並べていくエド。彼の不満を一蹴し、カイルは煙草に火を点ける。
店を開けている間はカイルとエドの二人だけ。エドはいつの間にか見習いになり、スタンとイザベラは別行動で出稼ぎへ。また振り返り様子を窺うとカイルは相変わらず睨めっこ状態だった。
「御大層な名前だなぁ、そいつ」
手伝ってもらえない仕返しに嫌味を言えば、案の定睨み返され、
「<虎の眼>なんて。ただの盗人だろ!」
「……」
「あんなすごい生き物じゃなくて、猫で充分さ」
「………ネコ、って?」
「?」
また言い合いにでもなるかと思いきや、予想外の返答にポカンとしてしまう。カイルは眉間に皺を寄せていて、何度も手配書とエドを見比べ、
「…この、トラ?っての…猫なのか?あのネコ??…なんなんだよ」
「…もしかして…知らない?」
「……だったらなんだ」
エドが目を丸くするとカイルはそっぽを向いた。その顔が若干赤くなってるのが見え、笑いが込み上げる。おもしろっ!
暫くはこの虎ネタで対抗できそうだと、エドは密かに思うのだった。
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執筆終了済みです。
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