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□陸篇 Catch Me If You Can.
1.06.4 パールにて(4)
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雑貨屋の屋根裏部屋にて。
ローズは一人寝付けずにいた。四人の話に聞き耳を立てているわけではないが、時折聞こえてくる声に不安が募る。会って間もない海賊だが二人は優しく快活で、何よりもビアンカは、短い間に大切なことを教えてくれた。
そんな海賊の役に少しでも立てたらと、少女は思っていた。
ロムはキースに作ってもらった煙草を味わいながら、知り得る全てを話し始めた。
'ラッカム一味'だけを執拗に狙うようになったバルハラ軍。バルハラ軍というより南部統括、半年前から増加した艦船と海上部隊。一味の船が一隻やられ、乗っていた半数の仲間が殺られたこと。さらに陸に上がっていた仲間も次々に捕まっていること…そんな状況下で、仲間やビアンカを助ける為に自身が陸に来たということも。
ビアンカは知らなかったことまで聞き、顔色を変えた。最初の再会でロムが全てを語らなかったのは、彼女の不安を掻き立てないためだった。そして、
「やられた船は…?」
「オフィーリア。正確には、連中に奪われた」
「オーウェンは!?ジュリーやレスターは、」
「オーウェンは無事だ、他はわからん。俺も遣いの途中で聞いた。殺られたのは…結構多いって、聞いてる」
冷静に答えるロム。ビアンカは言葉を失い固まってしまう。キースとスタンも想像以上の事態に眉を寄せていた。
「なぁ、'ラッカム一味'なんだろ?そういうのは前からあったんじゃねぇのか?」
「ラッカムだからこそ、今まで目立った捕り物がなかったんだ」
口を挟んだスタンにキースは首を傾げる。ロムも頷いてみせ、
「俺らは'青色'でやってきてた、それも長いこと。人数や船も多いが、親父の目の黒いうちは好き勝手やる奴もいねぇ」
「'青色'?」
「'青色の海賊'だよ。海賊としか喧嘩しない、掠奪はしない、困ってる人は助ける。他にも…それがあたし達だ」
ビアンカが詳しく語るが、前知識の無い盗賊は目を丸くするばかりだった。
「そんなのあるのか?」
「世界は広ぇの。で、ようは'青色'が軍に狙われるなんてのは、今まで無いに等しかった」
「って言っても…海賊だからな。一味には俺のような札付きもいる」
「それでもわかんないよ…皆で掟を守ってきたじゃないか」
「掟はうちだけのもんだ、わかるだろ?'青色'も'黒'も、ハッキリ決まってるわけじゃねぇ。世界共通なはずもねぇし、軍兵や他の奴らから見たら同じ海賊…悪者だ」
「そうだけど…」
「でもよ、'ラッカム一味'はテオディアの後ろ盾があるだろ?どうしちまったんだ?」
「……」
キースは三人の話に付いていけずだった。'黒'という新しい色や隣国の名前まで出てきて、ただ黙って聞いているしか出来ず。
「後ろ盾なんてのは眉唾話さ。私掠船でもねぇし、関係なんて持っちゃいねぇ。'青色'だからな」
ロムが苦笑いしながら首を振る。バルハラの隣国テオディアと'ラッカム一味'は、以前から友好関係だという噂があった。所詮は噂だが'ラッカム一味'だからこそで、彼らは誇り高い'青色の海賊'で有名なのだ。
「…青ってのは…何となくわかった。だからこいつがトラブルメーカーなのも、よくわかった」
「んなっ、そういうわけじゃ、」
「さっき言ってた裏切り者って?」
「聞いてよ!もう…」
さりげないキースのツッコミ。ビアンカが反論するが、話の続きが気になりロムに視線を戻す。
「…この街で、お前以外とも落ち合うはずだった。けど着いてみたら、いたのは仲間じゃなくて軍兵だ。連絡取りで使ってた鳩も戻ってこねぇ…お前の鳩が行方不明になったのも、同じな気がしてる」
話が終わらぬうちにビアンカはまた首を振り、
「そんなの、偶然かもしれないだろ…鳩は迷子にもなるし、今頃着いてるかもしれない」
「こんな大事なタイミングでか?出来過ぎてる。俺は陸からこの街に飛ばしたんだ、そいつも消えちまったんだぞ!」
「だから、今になって着いてるかも!」
「ストップストップ!落ち着けよ、な?」
信じる者と疑う者の押し問答。ヒートアップする二人をスタンが止める。ロムは溜息をもらし、ビアンカは顔を背けるが、彼女は今にも泣き出しそうな表情だった。
「とにかく、兎に角な…こんな状況で陸に居続けんのは危ねぇ、アジトに帰ろう」
「……」
「けど、正直…仲間を信じていいかわからん。お前と一緒に行動して、また何かあったら…今度こそヤバい」
「……」
「俺が言ってることを信じなくてもいい、勘違いならそれに越したこと、」
「わかった!言うこと聞く…帰るよ。だからもう、その話しないで」
半ば自棄のような返事にロムは眉を寄せたが、頷くとビアンカの頭を優しく撫でてやった。
「なぁ…信じらんねぇんだろ?ならなんで俺に頼む?」
キースが抱いていた疑問をぶつけ、会ったばかりなんだから尚更だとも付け足す。しかしロムは振り返ると苦笑いして、
「ビアンカを助けてくれたじゃねぇか」
「!」
「もしお前が、俺達を嵌めようとしてんなら、こいつなんてとっくに捕まってる。でも違う。それに…<獣の盗賊>は'義賊'なんだろ?」
「それは…街の奴らが、勝手に、」
「勝手に言うくらいお前の行いがいいってことじゃねぇか?もう二回もこいつを助けてくれて、なんだか'青色'の俺達みてぇだ…俺の勘だがお前は信じられる。陸でそういう奴と巡り会えて、ありがたいよ」
「…、…」
「……キザだねぇ」
「!え、そうか?」
スタンに揶揄われロムの顔が赤くなる。思ってもみぬ言葉にキースも照れてしまい、口元を隠し誤魔化した。
「'青色'ってのは、よくわかんねぇ…けど…わかった。引き受ける」
ロムの顔が一気に綻び頭を撫で回される。スタンの言う通り、今のはキザだと思う。小っ恥ずかしいこと言うし。こんな奴から金は貰えないとも思った。
…和んだ三人とは異なり、ビアンカの表情は曇ったままだった。
夜更け。
ロムは一人雑貨屋を出て行った。リンブルの商人、デニスという男を頼るよう伝えて。静かな市場に消えていく大きな背中を、ビアンカは黙って見送った。
三人になり、店が静かになる。飯や酒の続きをする気にもなれず、いつもは煩いスタンも静かだ。ビアンカは屋根裏には上がらずソファの上で縮こまって座り、胸元のペンダントをギュっと握りしめていた。泣いてはいないようだが、何やら思い悩んでいるようだった。
「…ビアンカちゃんよぉ、ロムの言う通りだぞ。疑いたくねぇだろうが、もしもってことあるだろ?」
「……」
返事はなく、膝を折り隠れるように頭を埋めてしまう。今はそっとしておいたほうがいいのかスタンが悩んでいると、
「おい、今日はもう寝ろ。上がれ」
「……」
「そうやってたら、答えが見つかんのか?」
「…うるさい」
「あぁ、本当のこと言われて拗ねてやがる。阿保」
キースの皮肉に苛立ち顔を上げるビアンカ。一発殴ってやろうかと腕を上げるが、逆に捕まってしまう。
「このアホの泣き虫バカ、一度しか言わねぇからよく聞け」
「放せ!泣いてないッ」
「"前を向け"。うじうじする暇あったら、今出来ることやれ。考えたくもねぇ最悪なもんがあるなら、それをどうにか出来るように動け」
「……なに…それ?」
抵抗するビアンカに対しキースは冷静で、一言一言をしっかり語ったその表情は少し辛そうで、目を逸らせず釘づけになる。
「…受け売り」
「は…?」
「仲間のこと信じてぇなら、疑い晴らしてみろよ。ロムが言ってたことを信じるなら、あいつだけ信じろ…今のお前はどっちでもねぇだろうが」
「……」
「意味ねぇことしてねぇで、今は寝ろ。寝て頭冷やせ。そしたら少しは阿保が治るんじゃね?」
「…アホじゃ、ない」
「じゃあ休め。うじうじして時間をムダにすんな。明日やその先は嫌でも来る。頼まれちまったし…引き受けたから、お前をリンブルに送ってやる。明日発つぞ。またグズったらマジで殴るからな」
そう言ってやっと腕を放してやる。多少暴力的ではあったが、ビアンカは言葉の一つ一つの意味を噛み締めるように、無意識に頷きを繰り返していた。
皮肉や嫌味ばかりの彼が珍しく励ましてくれているとわかり、受け売りだと言った言葉は誰から教わったのかも気になった。
「さーすが、俺の相棒♪いいこと言う」
「相棒じゃねぇ」
二人のやり取りを眺めていたスタンは何故かニヤニヤしていて、キースはいつもの鋭い睨みで返し、煙草を一本手に取った。先ほどのロムの言葉を思い出す。真相はわからないが彼の言うきな臭さが引っかかった。
気まずかった空気が変わり、スタンがビアンカに絡む。彼女も顔色が良くなっていて、溜息混じりに煙を吐き出し考える…南部が艦船や部隊を増やしてるのは知っていた。が、'ラッカム一味'を狙った討伐なんてのは初耳。スタンも知り得ないとみると、極秘の内容か…
キースの脳裏に昼間や山でのことが浮かぶ。異動してきたというなら、あいつも関わってるのだろうか…?
翌朝──日が昇りまだ間もない頃。
ドウェインは店の窓を開け、手巻きの煙草を作り始めていた。程なくして身支度したローズが屋根裏から降りてくる。先ほどドウェインに起こされ、待っていた荷物が届いたと知った少女は、やっと本来の仕事に戻るのだ。
「ドウェインさん、お世話になりました。いつもありがと」
「こっちも仕事頼んでんだ、問題ねぇよ」
肩越しに言い、カウンター下から荷物を取り出す。ローズに預ける物のようだ。
「…起こすか?」
「ううん、寝かせてあげて…昨日、遅くまで話してたし」
「騒がしくてすまんな」
「だいじょぶ!」
二人の視線が店奥のソファへ向く。デカい身体を広げ占領して眠るスタンと、床に追いやられ肘掛けに寄り掛かり眠るキースの姿。さらに屋根裏を見上げる。
「あの子にも、いいのか?」
「…ん。またねって、伝えて」
笑顔でそう言うと、ローズは手を振りながら店を出て行った。小さな背を見送りドウェインは仕事を再開した。
暫くして、朝の日差しが店の中へも入ってくる。
出来上がった一本に火を点け、キースのように窓辺に灰皿を置き一息吸うと置き去りにするが…窓の外、市場の奥。何やら騒がしい。またローズが事件に巻き込まれたかと思ったが、そうではなさそうで。
さらに軍の騎馬兵が何人も駆け込んでいく。どうやら捕り物だと察知し、同時に嫌な予感がした。
「はよぉ…」
煙の匂いで目が覚めたのか、のそのそとスタンが起きてくる。ドウェインは一瞥だけしてまた窓の外を見た。
「…なんだ??」
「捕り物みてぇだ…」
ドウェインの様子にスタンも異様さを感じる。聞くなり扉を開け店前で何事か確かめる。次第に市場中が騒がしくなり、軍兵の数もどんどん増えていった。
「どうした…?」
キースも目を覚ます。スタンが顔だけ覗かせて、
「ちょっと見てくるわ、様子がおかしい」
スタンが駆け出して行き、今度は上からドタバタと物音が聞こえ、梯子を落ちるようにしてビアンカが降りてきた。
「ドウェインさんっ…窓から見えたんだけど、港のほうに軍兵が集まってるんだ!」
「あぁ…なんだろうな。喧嘩か、昨日みてぇなもんじゃねぇか」
不安気な彼女に対しドウェインは落ち着き払っていて、彼の意図がわかりキースもつい窓の外へ目を向ける。
「でもッ、すごく多くて、市場の人も、どんどん見に行って、」
「止めとけ、また巻き込まれるぞ」
ドウェインがピシャリと遮るが、ビアンカは不安そうに首を振るばかり。外の様子に彼女も胸騒ぎがしていたのだ。カウンターに放られたままのキースの外套を見るとそれを掴み取り、
「!おいビアンカ、」
「すぐ戻る、大丈夫!巻き込まれたりしない!」
止めようとするが一歩届かず。彼女は逃げるように店を出て、外套を羽織りながら駆けて行ってしまった。
キースも慌てて上着を着てバンダナを巻く。ドウェインと目が合い、彼の表情からヤバい雰囲気を感じ取り、ビアンカを捕まえるべく後を追った。
市場の終わりから続く大通り。港まではまだ距離があるが、既に人が多くなっていておかしな状況だった。街人は港のほうを見ながら声を潜め話し、何があったのかは聞こえずわからずだった。さらに薄っすらだが軍兵も見え…数日で知ったこの街の朝の風景には多過ぎる数だった。
「ビアンカ!」
追いついたキースがビアンカの肩を掴むが、彼女は止まることなく進んだ。進むにつれて胸の騒めきが大きくなり、港に集まった群衆や喧騒もハッキリと見聞きでき、解ってくる。
「ビアンカ待て、行くな」
「放して…!」
群衆の中にいたスタンが二人を見つけ、ビアンカを真正面から捕まえ止めようとするが、強引に振り解きさらに進む。集まった街人や軍兵の声と、海賊という単語。嫌な予感はピークを迎え、人垣を分け騒ぎの中心地を目の当たりにすれば、ちょうど馬が嘶き駆け回りはじめたところだった。
取り囲む群衆の前いっぱいを駆ける馬。軍兵が跨る鞍には縄が付けられており、その先に繋がれた人物も馬に引かれ同じように動き、転がり、土煙を立てる──引き回しにされているのはロムだった。
「!!ッ…んん!ん"ー!!」
見えた途端飛び出そうとしたビアンカを、スタンの大きな手が阻み口を塞ぐ。群衆の真っ只中で二人して座り込む。街人の足の間から見える光景に涙が溢れてきて、強張った身体が一気に熱くなる。
「<壊し屋ティシアーノ>!罪状は海賊行為、我が国並びに軍への反逆行為、我が軍の船を破壊した罪、他多数!」
「海賊は重罪なり!同賊は同じ末路を歩むことになる!皆もよく覚えておけ!」
引き回しの最中、紙を持った兵が声を上げた。手配名を知る者は声を上げ群衆がさらに騒つく。
キースは二人の横でその光景を見ていた。傍観というのが正しいかもしれない。何も出来ず動けず、段々と怒りや疑念が込み上げ、無意識に拳を固く握り締めていた。
何周か回り馬が止まる。集まった兵達の中からジェラルドが現れ、ロムに歩み寄った。
「…話す気になったか?」
「…さっさと、殺せ…ッ」
ロムは全身血と砂埃に塗れ、引き回しのせいで首も締まり顔は赤黒くなっていた。両脚は斬られたり撃たれたりしたのか傷だらけで、流れ出た血のせいでズボンの色は変わってしまっていた。
ジェラルドは睨まれようとも感情を顕にせず、冷たい眼差しで見下ろし、また口を開いた。
「もう一人この街に居るはずだ…何処だ?」
「知らんッ」
問いかけに怒鳴り返すロム。二人は暫く睨み合っていたが、ジェラルドが合図を出すと兵が数人やって来て、
「連行する」
「このまま連れて行きますか?」
「…いや、貴重な情報源だ。馬車に乗せろ」
内容が聞こえロムは奥歯を噛みしめた。目の前のこいつはなんとしてでも口を割らせる気らしい…兵達がロムの縄を引っ張り、無理矢理立たせ歩かせようとする。が、
「わ"!?」「!逃げたぞッ」
ロムは首の縄を自ら引っ張り、よろけた兵達を一気に蹴り倒した。さらに腕を捩り全身の力を込めると、なんと後ろ手の縄を引き千切ってしまう。周りにいた兵や街人が慌て出し、ジェラルドも振り返り顔色を変える。
「退けぇ!!」
「早く、捕まえろ…ッ」「なんて馬鹿力だ…!」
飛びかかり押さえ込もうとする兵達を、ロムは物ともせず打ちのめし投げ飛ばし、兵達は段々と恐れ慄いてしまう。放られた兵が群衆に突っ込み、騒ぎはさらに大きくなり街人達が逃げていく。
兵達が銃を向けるが、前に出たハリソンが使うなと声を上げる。その声は当然ロムにも届いていて、彼は群衆へ向き直ると大きく息を吸い、怒鳴った。
「鳩だぁッ!!」
「!」
「コバルト!鳩守りッ…やっぱりいる!間違いねぇ!!」
向かってくる兵を払い除けながら必死に声を上げる。スタンが思わず腕の中を覗けば、涙で濡れたビアンカの目が大きく開かれ、認めたくない気持ちで首を横に振っていた。
何らかのことを掴んだロムは、それを伝えようとしていた。今此処いるともわからない、ビアンカへ…
「何をしてる!押えろ!!」
「ッ"、あ"あぁ!!…ホントだ、嘘じゃねぇッ…裏切り、だぁッ!」
背中に覆い被さった兵の剣が刺さり身悶えるが、まるで暴れ馬や雄牛のように身体を振り、さらに咆哮する。
マズい、押さえ込めない…<壊し屋ティシアーノ>の勢いに兵達はすっかり押されていた。ハリソンが何度も声を上げるが、銃を取る者が増え、このままでは街人にも危害が及ぶ…ジェラルドは舌打つと腰の剣を掴み、鋭い音とともに二本同時に引き抜いた。
「!隊ちょ、」「全員下がれッ!!」
ハリソンが慌てて止めようとするが、前に出たジェラルドの怒声に負けてしまう。勢いの止まらぬロムの目が彼を捉える。ロムは兵が落とした剣を掴み突っ込んでいき、
「…よせ、ダメだ…」
一瞬誰の声かわからずスタンが辺りを窺う。ずっと立ち竦んでいたキースが人垣を掻き分け、前へ出ようとしていた。
ロムが勢いのままに剣を振り上げる。ジェラルドはずっと下ろしたままだったが、刃が自身へ振り下ろされる瞬間一歩前に踏み込み、
「お"おおッ!!」「!!」
甲高い音が響き、静まり返る。
ロムの剣は弾かれ、いつの間にか地面に転がっていて、彼の身体もジェラルドに覆い被さったまま微動だにせず。やがて膝から崩れそうになり、ジェラルドが抱えるようにして支え──彼は顔も服も、ロムの血で真っ赤に染まっていた。
「隊長!!」
「…手を貸してくれ」
「無事ですか!?!」
「大丈夫だ…彼を、運べ」
糸が切れたようにハリソンや兵達が駆け寄る。ジェラルドはいつもの無表情に戻り、静かに剣を振り払い鞘に収めた。
兵達が支え役を変わると、思った以上の重さでよろけてしまう。ぐったりとしたロムは既に事切れており、腹から首までの縦一線、赤に染まった大きな傷から血が溢れ出ていた。
群衆の騒めきが戻り、女達が悲鳴を上げる。目の前で何が起きたのかわからず、一太刀なのか二太刀なのか、兎に角大柄な海賊を瞬く間に斬り伏せた新しい副指揮官に、街人達は驚き関心していた。事態が終息し兵達は群衆を追い払うべく声を上げ、今度こそロムを運ぶための荷馬車が現れ、数人がかりで亡骸が荷台へ担ぎ上げられる。
「……」
ジェラルドは振り返り、未だ残っている群衆を見回した。真っ直ぐに自身へ向けられた強い殺気。女のほうではなく、あいつ。ゆっくりと目を動かし探るが姿は見当たらず、殺気もとうに消えてしまった。
ロムが叫んだ時点で察しはついていたが、あからさまな気配に苛立ちが募る。革手袋が汚れても構わずに顔の血を拭い、そのまま乱れた髪も掻き上げる。
「…隊長…?ホントに、大丈夫ですか?」
荷馬車も基地へと向かい、朝の大捕り物はお開きとなったが、ジェラルドが纏う不穏な気配を感じ、ハリソンが心配そうに覗き込んできた。
「…あぁ…心配ない」
「本当に?怪我もありません?」
「…ああ」
「それならいいんですけど…あんな大柄な奴相手に無傷で、すごい」
「…すごい?」
「ええ、だって一太刀だったじゃないですか!銃も使わずに、剣だけ、」
「止めろ」
いつになく冷たい声がピシャリと遮る。ハリソンはついビクりとして固まってしまう。
「ティシアーノは、死ぬつもりで向かってきた。口を閉ざすために…それにまんまと乗せられたのは俺だ」
「な、」
「情報源だと、あいつに聞かれたのがまずかった。こちらが銃を使えないのを、逆手に取られて…あれだけ暴れられればこの場で終わらせるしかない。クソが…ッ、手がかりが無くなった」
血塗れのまま平然と告げ、舌打ちまでもらして、ジェラルドはその場から去って行ってしまった。
ハリソンはもっと違う言葉を予想していた。てっきり街人や兵を守るために動いたのだと思った。今まで見てきた彼なら、そう言うと思っていた。けれど今のは違う。
また'氷の男'を垣間見て、ハリソンはジェラルドのことがわからなくなった。
キースとスタンはビアンカを引っ張り雑貨屋へ戻っていた。
戻ってくるまでが大変で、ビアンカは自ら声や嗚咽を押さえていたが、怒りで暴走しかけもして、市場を避け人通りの少ない裏路地を通りやっとのことで雑貨屋へ辿り着くと、ドウェインが扉や窓を全て閉じ、店は臨時休業となった。
「…放して、ッ…いや!!」
「暴れんな…!」
泣き喚き暴れるビアンカを、キースは乱暴な手付きで捕まえソファへ押し倒した。外へ出ようとしないか様子を窺っていたが、彼女は肘掛けに縋り付いたまま声を押さえ泣いていた。
「…あの野郎ッ」
舌打ちをもらし込み上げた怒りを吐き、奥歯を噛み締める。助けに入らず見ていただけの自身も呪いたかった。
「…どうすんだ?」
「…どうもこうもねぇ」
険しい表情のスタンに返事をし、バンダナを解く。キースの目は鋭くも真っ直ぐに何かを見据えていた。
ビアンカと共にロムの末路を見届けた二人の考えは同じで、キースはドウェインにも声をかけ、男三人でカウンターを囲み、
「'糸'どのくらい直った?」
「直してねぇ、新調だ。あとは巻き付けて調整するだけ」
「悪かったよ、そのまま頼む。火薬が足りねぇ」
「くれてやる。薬莢だけか?」
「煙のも欲しい」
「高ぇのは使うなよ」
「俺は何もねぇの?」
「あんたはこっち…今これしかねぇ、これで、」
「んなのサービスだ、任せとけ」
「どうも。今夜には行きたい、間に合うか?」
「プロってのは間に合わせるもんだ」
キースは二人に頼みながら飛び道具や金を出すと、回転式銃の手入れを始めた。スタンがさっさと店を出て行き、ドウェインは何も無いはずの壁を叩き、隠し戸であるそこを開け、何やら作業をし出した。
泣いてばかりだったビアンカは顔を上げ、三人の様子に戸惑ってしまう。
「…なに、してるの?」
「…教えてほしいか?」
振り返ったキースに手招きされ、涙を拭い素直に歩み寄るが、
「…ッ"!ぁ…」
同じく歩み寄ってきた彼が身を屈めた途端、腹に重い一撃が入る。ビアンカは息を詰まらせそのまま意識を失ってしまった。
抱き支えるキースの表情はいつもの不機嫌だったが、鮮やかな緑の瞳は違い──怒りの熱を帯び、獰猛な獣のようだった。
「後でちゃんと教えてやる、だから…今は大人しくしとけ…」
呟きながらぐったりとしたビアンカを背負う。女に対して手荒いのはわかってる、けど今はこれが最善で、こういうことは見過ごすわけにいかず、片足突っ込んでるから放っておけない。あいつも関わってんなら尚更だ。
弟子の様子を眺めていたドウェインが喉を鳴らして笑う。
「ひよっこが、一丁前なことほざいてやがる」
「うっせぇ…つか、上げるの手伝えよ」
重そうに梯子を上ろうとするキースに、ドウェインはさらに笑いをもらした。
ローズは一人寝付けずにいた。四人の話に聞き耳を立てているわけではないが、時折聞こえてくる声に不安が募る。会って間もない海賊だが二人は優しく快活で、何よりもビアンカは、短い間に大切なことを教えてくれた。
そんな海賊の役に少しでも立てたらと、少女は思っていた。
ロムはキースに作ってもらった煙草を味わいながら、知り得る全てを話し始めた。
'ラッカム一味'だけを執拗に狙うようになったバルハラ軍。バルハラ軍というより南部統括、半年前から増加した艦船と海上部隊。一味の船が一隻やられ、乗っていた半数の仲間が殺られたこと。さらに陸に上がっていた仲間も次々に捕まっていること…そんな状況下で、仲間やビアンカを助ける為に自身が陸に来たということも。
ビアンカは知らなかったことまで聞き、顔色を変えた。最初の再会でロムが全てを語らなかったのは、彼女の不安を掻き立てないためだった。そして、
「やられた船は…?」
「オフィーリア。正確には、連中に奪われた」
「オーウェンは!?ジュリーやレスターは、」
「オーウェンは無事だ、他はわからん。俺も遣いの途中で聞いた。殺られたのは…結構多いって、聞いてる」
冷静に答えるロム。ビアンカは言葉を失い固まってしまう。キースとスタンも想像以上の事態に眉を寄せていた。
「なぁ、'ラッカム一味'なんだろ?そういうのは前からあったんじゃねぇのか?」
「ラッカムだからこそ、今まで目立った捕り物がなかったんだ」
口を挟んだスタンにキースは首を傾げる。ロムも頷いてみせ、
「俺らは'青色'でやってきてた、それも長いこと。人数や船も多いが、親父の目の黒いうちは好き勝手やる奴もいねぇ」
「'青色'?」
「'青色の海賊'だよ。海賊としか喧嘩しない、掠奪はしない、困ってる人は助ける。他にも…それがあたし達だ」
ビアンカが詳しく語るが、前知識の無い盗賊は目を丸くするばかりだった。
「そんなのあるのか?」
「世界は広ぇの。で、ようは'青色'が軍に狙われるなんてのは、今まで無いに等しかった」
「って言っても…海賊だからな。一味には俺のような札付きもいる」
「それでもわかんないよ…皆で掟を守ってきたじゃないか」
「掟はうちだけのもんだ、わかるだろ?'青色'も'黒'も、ハッキリ決まってるわけじゃねぇ。世界共通なはずもねぇし、軍兵や他の奴らから見たら同じ海賊…悪者だ」
「そうだけど…」
「でもよ、'ラッカム一味'はテオディアの後ろ盾があるだろ?どうしちまったんだ?」
「……」
キースは三人の話に付いていけずだった。'黒'という新しい色や隣国の名前まで出てきて、ただ黙って聞いているしか出来ず。
「後ろ盾なんてのは眉唾話さ。私掠船でもねぇし、関係なんて持っちゃいねぇ。'青色'だからな」
ロムが苦笑いしながら首を振る。バルハラの隣国テオディアと'ラッカム一味'は、以前から友好関係だという噂があった。所詮は噂だが'ラッカム一味'だからこそで、彼らは誇り高い'青色の海賊'で有名なのだ。
「…青ってのは…何となくわかった。だからこいつがトラブルメーカーなのも、よくわかった」
「んなっ、そういうわけじゃ、」
「さっき言ってた裏切り者って?」
「聞いてよ!もう…」
さりげないキースのツッコミ。ビアンカが反論するが、話の続きが気になりロムに視線を戻す。
「…この街で、お前以外とも落ち合うはずだった。けど着いてみたら、いたのは仲間じゃなくて軍兵だ。連絡取りで使ってた鳩も戻ってこねぇ…お前の鳩が行方不明になったのも、同じな気がしてる」
話が終わらぬうちにビアンカはまた首を振り、
「そんなの、偶然かもしれないだろ…鳩は迷子にもなるし、今頃着いてるかもしれない」
「こんな大事なタイミングでか?出来過ぎてる。俺は陸からこの街に飛ばしたんだ、そいつも消えちまったんだぞ!」
「だから、今になって着いてるかも!」
「ストップストップ!落ち着けよ、な?」
信じる者と疑う者の押し問答。ヒートアップする二人をスタンが止める。ロムは溜息をもらし、ビアンカは顔を背けるが、彼女は今にも泣き出しそうな表情だった。
「とにかく、兎に角な…こんな状況で陸に居続けんのは危ねぇ、アジトに帰ろう」
「……」
「けど、正直…仲間を信じていいかわからん。お前と一緒に行動して、また何かあったら…今度こそヤバい」
「……」
「俺が言ってることを信じなくてもいい、勘違いならそれに越したこと、」
「わかった!言うこと聞く…帰るよ。だからもう、その話しないで」
半ば自棄のような返事にロムは眉を寄せたが、頷くとビアンカの頭を優しく撫でてやった。
「なぁ…信じらんねぇんだろ?ならなんで俺に頼む?」
キースが抱いていた疑問をぶつけ、会ったばかりなんだから尚更だとも付け足す。しかしロムは振り返ると苦笑いして、
「ビアンカを助けてくれたじゃねぇか」
「!」
「もしお前が、俺達を嵌めようとしてんなら、こいつなんてとっくに捕まってる。でも違う。それに…<獣の盗賊>は'義賊'なんだろ?」
「それは…街の奴らが、勝手に、」
「勝手に言うくらいお前の行いがいいってことじゃねぇか?もう二回もこいつを助けてくれて、なんだか'青色'の俺達みてぇだ…俺の勘だがお前は信じられる。陸でそういう奴と巡り会えて、ありがたいよ」
「…、…」
「……キザだねぇ」
「!え、そうか?」
スタンに揶揄われロムの顔が赤くなる。思ってもみぬ言葉にキースも照れてしまい、口元を隠し誤魔化した。
「'青色'ってのは、よくわかんねぇ…けど…わかった。引き受ける」
ロムの顔が一気に綻び頭を撫で回される。スタンの言う通り、今のはキザだと思う。小っ恥ずかしいこと言うし。こんな奴から金は貰えないとも思った。
…和んだ三人とは異なり、ビアンカの表情は曇ったままだった。
夜更け。
ロムは一人雑貨屋を出て行った。リンブルの商人、デニスという男を頼るよう伝えて。静かな市場に消えていく大きな背中を、ビアンカは黙って見送った。
三人になり、店が静かになる。飯や酒の続きをする気にもなれず、いつもは煩いスタンも静かだ。ビアンカは屋根裏には上がらずソファの上で縮こまって座り、胸元のペンダントをギュっと握りしめていた。泣いてはいないようだが、何やら思い悩んでいるようだった。
「…ビアンカちゃんよぉ、ロムの言う通りだぞ。疑いたくねぇだろうが、もしもってことあるだろ?」
「……」
返事はなく、膝を折り隠れるように頭を埋めてしまう。今はそっとしておいたほうがいいのかスタンが悩んでいると、
「おい、今日はもう寝ろ。上がれ」
「……」
「そうやってたら、答えが見つかんのか?」
「…うるさい」
「あぁ、本当のこと言われて拗ねてやがる。阿保」
キースの皮肉に苛立ち顔を上げるビアンカ。一発殴ってやろうかと腕を上げるが、逆に捕まってしまう。
「このアホの泣き虫バカ、一度しか言わねぇからよく聞け」
「放せ!泣いてないッ」
「"前を向け"。うじうじする暇あったら、今出来ることやれ。考えたくもねぇ最悪なもんがあるなら、それをどうにか出来るように動け」
「……なに…それ?」
抵抗するビアンカに対しキースは冷静で、一言一言をしっかり語ったその表情は少し辛そうで、目を逸らせず釘づけになる。
「…受け売り」
「は…?」
「仲間のこと信じてぇなら、疑い晴らしてみろよ。ロムが言ってたことを信じるなら、あいつだけ信じろ…今のお前はどっちでもねぇだろうが」
「……」
「意味ねぇことしてねぇで、今は寝ろ。寝て頭冷やせ。そしたら少しは阿保が治るんじゃね?」
「…アホじゃ、ない」
「じゃあ休め。うじうじして時間をムダにすんな。明日やその先は嫌でも来る。頼まれちまったし…引き受けたから、お前をリンブルに送ってやる。明日発つぞ。またグズったらマジで殴るからな」
そう言ってやっと腕を放してやる。多少暴力的ではあったが、ビアンカは言葉の一つ一つの意味を噛み締めるように、無意識に頷きを繰り返していた。
皮肉や嫌味ばかりの彼が珍しく励ましてくれているとわかり、受け売りだと言った言葉は誰から教わったのかも気になった。
「さーすが、俺の相棒♪いいこと言う」
「相棒じゃねぇ」
二人のやり取りを眺めていたスタンは何故かニヤニヤしていて、キースはいつもの鋭い睨みで返し、煙草を一本手に取った。先ほどのロムの言葉を思い出す。真相はわからないが彼の言うきな臭さが引っかかった。
気まずかった空気が変わり、スタンがビアンカに絡む。彼女も顔色が良くなっていて、溜息混じりに煙を吐き出し考える…南部が艦船や部隊を増やしてるのは知っていた。が、'ラッカム一味'を狙った討伐なんてのは初耳。スタンも知り得ないとみると、極秘の内容か…
キースの脳裏に昼間や山でのことが浮かぶ。異動してきたというなら、あいつも関わってるのだろうか…?
翌朝──日が昇りまだ間もない頃。
ドウェインは店の窓を開け、手巻きの煙草を作り始めていた。程なくして身支度したローズが屋根裏から降りてくる。先ほどドウェインに起こされ、待っていた荷物が届いたと知った少女は、やっと本来の仕事に戻るのだ。
「ドウェインさん、お世話になりました。いつもありがと」
「こっちも仕事頼んでんだ、問題ねぇよ」
肩越しに言い、カウンター下から荷物を取り出す。ローズに預ける物のようだ。
「…起こすか?」
「ううん、寝かせてあげて…昨日、遅くまで話してたし」
「騒がしくてすまんな」
「だいじょぶ!」
二人の視線が店奥のソファへ向く。デカい身体を広げ占領して眠るスタンと、床に追いやられ肘掛けに寄り掛かり眠るキースの姿。さらに屋根裏を見上げる。
「あの子にも、いいのか?」
「…ん。またねって、伝えて」
笑顔でそう言うと、ローズは手を振りながら店を出て行った。小さな背を見送りドウェインは仕事を再開した。
暫くして、朝の日差しが店の中へも入ってくる。
出来上がった一本に火を点け、キースのように窓辺に灰皿を置き一息吸うと置き去りにするが…窓の外、市場の奥。何やら騒がしい。またローズが事件に巻き込まれたかと思ったが、そうではなさそうで。
さらに軍の騎馬兵が何人も駆け込んでいく。どうやら捕り物だと察知し、同時に嫌な予感がした。
「はよぉ…」
煙の匂いで目が覚めたのか、のそのそとスタンが起きてくる。ドウェインは一瞥だけしてまた窓の外を見た。
「…なんだ??」
「捕り物みてぇだ…」
ドウェインの様子にスタンも異様さを感じる。聞くなり扉を開け店前で何事か確かめる。次第に市場中が騒がしくなり、軍兵の数もどんどん増えていった。
「どうした…?」
キースも目を覚ます。スタンが顔だけ覗かせて、
「ちょっと見てくるわ、様子がおかしい」
スタンが駆け出して行き、今度は上からドタバタと物音が聞こえ、梯子を落ちるようにしてビアンカが降りてきた。
「ドウェインさんっ…窓から見えたんだけど、港のほうに軍兵が集まってるんだ!」
「あぁ…なんだろうな。喧嘩か、昨日みてぇなもんじゃねぇか」
不安気な彼女に対しドウェインは落ち着き払っていて、彼の意図がわかりキースもつい窓の外へ目を向ける。
「でもッ、すごく多くて、市場の人も、どんどん見に行って、」
「止めとけ、また巻き込まれるぞ」
ドウェインがピシャリと遮るが、ビアンカは不安そうに首を振るばかり。外の様子に彼女も胸騒ぎがしていたのだ。カウンターに放られたままのキースの外套を見るとそれを掴み取り、
「!おいビアンカ、」
「すぐ戻る、大丈夫!巻き込まれたりしない!」
止めようとするが一歩届かず。彼女は逃げるように店を出て、外套を羽織りながら駆けて行ってしまった。
キースも慌てて上着を着てバンダナを巻く。ドウェインと目が合い、彼の表情からヤバい雰囲気を感じ取り、ビアンカを捕まえるべく後を追った。
市場の終わりから続く大通り。港まではまだ距離があるが、既に人が多くなっていておかしな状況だった。街人は港のほうを見ながら声を潜め話し、何があったのかは聞こえずわからずだった。さらに薄っすらだが軍兵も見え…数日で知ったこの街の朝の風景には多過ぎる数だった。
「ビアンカ!」
追いついたキースがビアンカの肩を掴むが、彼女は止まることなく進んだ。進むにつれて胸の騒めきが大きくなり、港に集まった群衆や喧騒もハッキリと見聞きでき、解ってくる。
「ビアンカ待て、行くな」
「放して…!」
群衆の中にいたスタンが二人を見つけ、ビアンカを真正面から捕まえ止めようとするが、強引に振り解きさらに進む。集まった街人や軍兵の声と、海賊という単語。嫌な予感はピークを迎え、人垣を分け騒ぎの中心地を目の当たりにすれば、ちょうど馬が嘶き駆け回りはじめたところだった。
取り囲む群衆の前いっぱいを駆ける馬。軍兵が跨る鞍には縄が付けられており、その先に繋がれた人物も馬に引かれ同じように動き、転がり、土煙を立てる──引き回しにされているのはロムだった。
「!!ッ…んん!ん"ー!!」
見えた途端飛び出そうとしたビアンカを、スタンの大きな手が阻み口を塞ぐ。群衆の真っ只中で二人して座り込む。街人の足の間から見える光景に涙が溢れてきて、強張った身体が一気に熱くなる。
「<壊し屋ティシアーノ>!罪状は海賊行為、我が国並びに軍への反逆行為、我が軍の船を破壊した罪、他多数!」
「海賊は重罪なり!同賊は同じ末路を歩むことになる!皆もよく覚えておけ!」
引き回しの最中、紙を持った兵が声を上げた。手配名を知る者は声を上げ群衆がさらに騒つく。
キースは二人の横でその光景を見ていた。傍観というのが正しいかもしれない。何も出来ず動けず、段々と怒りや疑念が込み上げ、無意識に拳を固く握り締めていた。
何周か回り馬が止まる。集まった兵達の中からジェラルドが現れ、ロムに歩み寄った。
「…話す気になったか?」
「…さっさと、殺せ…ッ」
ロムは全身血と砂埃に塗れ、引き回しのせいで首も締まり顔は赤黒くなっていた。両脚は斬られたり撃たれたりしたのか傷だらけで、流れ出た血のせいでズボンの色は変わってしまっていた。
ジェラルドは睨まれようとも感情を顕にせず、冷たい眼差しで見下ろし、また口を開いた。
「もう一人この街に居るはずだ…何処だ?」
「知らんッ」
問いかけに怒鳴り返すロム。二人は暫く睨み合っていたが、ジェラルドが合図を出すと兵が数人やって来て、
「連行する」
「このまま連れて行きますか?」
「…いや、貴重な情報源だ。馬車に乗せろ」
内容が聞こえロムは奥歯を噛みしめた。目の前のこいつはなんとしてでも口を割らせる気らしい…兵達がロムの縄を引っ張り、無理矢理立たせ歩かせようとする。が、
「わ"!?」「!逃げたぞッ」
ロムは首の縄を自ら引っ張り、よろけた兵達を一気に蹴り倒した。さらに腕を捩り全身の力を込めると、なんと後ろ手の縄を引き千切ってしまう。周りにいた兵や街人が慌て出し、ジェラルドも振り返り顔色を変える。
「退けぇ!!」
「早く、捕まえろ…ッ」「なんて馬鹿力だ…!」
飛びかかり押さえ込もうとする兵達を、ロムは物ともせず打ちのめし投げ飛ばし、兵達は段々と恐れ慄いてしまう。放られた兵が群衆に突っ込み、騒ぎはさらに大きくなり街人達が逃げていく。
兵達が銃を向けるが、前に出たハリソンが使うなと声を上げる。その声は当然ロムにも届いていて、彼は群衆へ向き直ると大きく息を吸い、怒鳴った。
「鳩だぁッ!!」
「!」
「コバルト!鳩守りッ…やっぱりいる!間違いねぇ!!」
向かってくる兵を払い除けながら必死に声を上げる。スタンが思わず腕の中を覗けば、涙で濡れたビアンカの目が大きく開かれ、認めたくない気持ちで首を横に振っていた。
何らかのことを掴んだロムは、それを伝えようとしていた。今此処いるともわからない、ビアンカへ…
「何をしてる!押えろ!!」
「ッ"、あ"あぁ!!…ホントだ、嘘じゃねぇッ…裏切り、だぁッ!」
背中に覆い被さった兵の剣が刺さり身悶えるが、まるで暴れ馬や雄牛のように身体を振り、さらに咆哮する。
マズい、押さえ込めない…<壊し屋ティシアーノ>の勢いに兵達はすっかり押されていた。ハリソンが何度も声を上げるが、銃を取る者が増え、このままでは街人にも危害が及ぶ…ジェラルドは舌打つと腰の剣を掴み、鋭い音とともに二本同時に引き抜いた。
「!隊ちょ、」「全員下がれッ!!」
ハリソンが慌てて止めようとするが、前に出たジェラルドの怒声に負けてしまう。勢いの止まらぬロムの目が彼を捉える。ロムは兵が落とした剣を掴み突っ込んでいき、
「…よせ、ダメだ…」
一瞬誰の声かわからずスタンが辺りを窺う。ずっと立ち竦んでいたキースが人垣を掻き分け、前へ出ようとしていた。
ロムが勢いのままに剣を振り上げる。ジェラルドはずっと下ろしたままだったが、刃が自身へ振り下ろされる瞬間一歩前に踏み込み、
「お"おおッ!!」「!!」
甲高い音が響き、静まり返る。
ロムの剣は弾かれ、いつの間にか地面に転がっていて、彼の身体もジェラルドに覆い被さったまま微動だにせず。やがて膝から崩れそうになり、ジェラルドが抱えるようにして支え──彼は顔も服も、ロムの血で真っ赤に染まっていた。
「隊長!!」
「…手を貸してくれ」
「無事ですか!?!」
「大丈夫だ…彼を、運べ」
糸が切れたようにハリソンや兵達が駆け寄る。ジェラルドはいつもの無表情に戻り、静かに剣を振り払い鞘に収めた。
兵達が支え役を変わると、思った以上の重さでよろけてしまう。ぐったりとしたロムは既に事切れており、腹から首までの縦一線、赤に染まった大きな傷から血が溢れ出ていた。
群衆の騒めきが戻り、女達が悲鳴を上げる。目の前で何が起きたのかわからず、一太刀なのか二太刀なのか、兎に角大柄な海賊を瞬く間に斬り伏せた新しい副指揮官に、街人達は驚き関心していた。事態が終息し兵達は群衆を追い払うべく声を上げ、今度こそロムを運ぶための荷馬車が現れ、数人がかりで亡骸が荷台へ担ぎ上げられる。
「……」
ジェラルドは振り返り、未だ残っている群衆を見回した。真っ直ぐに自身へ向けられた強い殺気。女のほうではなく、あいつ。ゆっくりと目を動かし探るが姿は見当たらず、殺気もとうに消えてしまった。
ロムが叫んだ時点で察しはついていたが、あからさまな気配に苛立ちが募る。革手袋が汚れても構わずに顔の血を拭い、そのまま乱れた髪も掻き上げる。
「…隊長…?ホントに、大丈夫ですか?」
荷馬車も基地へと向かい、朝の大捕り物はお開きとなったが、ジェラルドが纏う不穏な気配を感じ、ハリソンが心配そうに覗き込んできた。
「…あぁ…心配ない」
「本当に?怪我もありません?」
「…ああ」
「それならいいんですけど…あんな大柄な奴相手に無傷で、すごい」
「…すごい?」
「ええ、だって一太刀だったじゃないですか!銃も使わずに、剣だけ、」
「止めろ」
いつになく冷たい声がピシャリと遮る。ハリソンはついビクりとして固まってしまう。
「ティシアーノは、死ぬつもりで向かってきた。口を閉ざすために…それにまんまと乗せられたのは俺だ」
「な、」
「情報源だと、あいつに聞かれたのがまずかった。こちらが銃を使えないのを、逆手に取られて…あれだけ暴れられればこの場で終わらせるしかない。クソが…ッ、手がかりが無くなった」
血塗れのまま平然と告げ、舌打ちまでもらして、ジェラルドはその場から去って行ってしまった。
ハリソンはもっと違う言葉を予想していた。てっきり街人や兵を守るために動いたのだと思った。今まで見てきた彼なら、そう言うと思っていた。けれど今のは違う。
また'氷の男'を垣間見て、ハリソンはジェラルドのことがわからなくなった。
キースとスタンはビアンカを引っ張り雑貨屋へ戻っていた。
戻ってくるまでが大変で、ビアンカは自ら声や嗚咽を押さえていたが、怒りで暴走しかけもして、市場を避け人通りの少ない裏路地を通りやっとのことで雑貨屋へ辿り着くと、ドウェインが扉や窓を全て閉じ、店は臨時休業となった。
「…放して、ッ…いや!!」
「暴れんな…!」
泣き喚き暴れるビアンカを、キースは乱暴な手付きで捕まえソファへ押し倒した。外へ出ようとしないか様子を窺っていたが、彼女は肘掛けに縋り付いたまま声を押さえ泣いていた。
「…あの野郎ッ」
舌打ちをもらし込み上げた怒りを吐き、奥歯を噛み締める。助けに入らず見ていただけの自身も呪いたかった。
「…どうすんだ?」
「…どうもこうもねぇ」
険しい表情のスタンに返事をし、バンダナを解く。キースの目は鋭くも真っ直ぐに何かを見据えていた。
ビアンカと共にロムの末路を見届けた二人の考えは同じで、キースはドウェインにも声をかけ、男三人でカウンターを囲み、
「'糸'どのくらい直った?」
「直してねぇ、新調だ。あとは巻き付けて調整するだけ」
「悪かったよ、そのまま頼む。火薬が足りねぇ」
「くれてやる。薬莢だけか?」
「煙のも欲しい」
「高ぇのは使うなよ」
「俺は何もねぇの?」
「あんたはこっち…今これしかねぇ、これで、」
「んなのサービスだ、任せとけ」
「どうも。今夜には行きたい、間に合うか?」
「プロってのは間に合わせるもんだ」
キースは二人に頼みながら飛び道具や金を出すと、回転式銃の手入れを始めた。スタンがさっさと店を出て行き、ドウェインは何も無いはずの壁を叩き、隠し戸であるそこを開け、何やら作業をし出した。
泣いてばかりだったビアンカは顔を上げ、三人の様子に戸惑ってしまう。
「…なに、してるの?」
「…教えてほしいか?」
振り返ったキースに手招きされ、涙を拭い素直に歩み寄るが、
「…ッ"!ぁ…」
同じく歩み寄ってきた彼が身を屈めた途端、腹に重い一撃が入る。ビアンカは息を詰まらせそのまま意識を失ってしまった。
抱き支えるキースの表情はいつもの不機嫌だったが、鮮やかな緑の瞳は違い──怒りの熱を帯び、獰猛な獣のようだった。
「後でちゃんと教えてやる、だから…今は大人しくしとけ…」
呟きながらぐったりとしたビアンカを背負う。女に対して手荒いのはわかってる、けど今はこれが最善で、こういうことは見過ごすわけにいかず、片足突っ込んでるから放っておけない。あいつも関わってんなら尚更だ。
弟子の様子を眺めていたドウェインが喉を鳴らして笑う。
「ひよっこが、一丁前なことほざいてやがる」
「うっせぇ…つか、上げるの手伝えよ」
重そうに梯子を上ろうとするキースに、ドウェインはさらに笑いをもらした。
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