1 / 1
たった1人だから
しおりを挟むある小さな村には、小さな双子がいた。
その妹である片方が私だった。
10になる頃には似ているが性格は全くと言っていいほど差が出ていた。
兄はあまりにも行動範囲が狭く少し、同年代の人と遊ぶのが苦手だった。
「ねぇエフィ!またあの木まで行こうよ!」
「待ってよ…!リディ…!」
この村はあまりにも小綺麗で静かだ。
「また行くの?行くなら気をつけてね。エフィを怖がらせないで。」
「わかったよ!エフィ、早く行こう!」
多少機械的ではあるが畑もあり、景観はいいとは言えないが、工場なんかはなく、村人も少ない。
ただ一つだけ変わっていることがあった。
「わぁぁっ!すごい、前より深くなってる?」
「落ちたら…大変そうだね。」
深い深い、穴。
機械だけが必死に、ただひたすらに掘り進めている。
「ねぇ、エフィ、どこまで掘るんだろうね?」
「分からないよ。もう人間が掘れる深さではないって。」
この村の近くにあるのは鉱区。
あまりにも深い穴で直径だけで29000フィートもあるとか。
世界にはもっと深くまで掘り進めて鉱物を取ったものもあると言うが…
子供にとってどうしてなのかとなるような疑問ばかりが浮かぶ世界なのだ。
ここはそう、機械ばかりの世界。
その材料を取り出すための鉱区。
どこに行っても、ここにしかない材料を取る為の場所だと、母は教えてくれた。
王都に行け機械達が動き、働き、そこには貴族様もいて、戦火から守ってくれていると言う。
学校から学んだのはその知識だ。
「もしかしたら世界の反対側にも行けるかもしれないよね。」
「それは無理だよ、この世界には核というものが存在するんだから。」
「やってみなきゃ分からないじゃない!」
みんなはこの大きな穴を地鳴の穴と呼んでいた。
誰もがこれを欲しがった。
しかしこれを王都は必死に守り、最初にその鉱物を見つけた村もまた守ってくれている。
絵本で何度も見た世界だ。
この世界は綺麗で、あまりにも真っ暗な場所を見せない。
「リディ?どうしたの?目が覚めたかと思えば…とても呼吸が苦しそうだ。」
左目で見える、世界はあまりにも、暗い。
部屋に差し込む光が少ないのだろうか。
ここはあの家ではない。
ただどうしても信じられなくて呼吸ばかりが上がっていく。
「……っ!はぁ…やだ……いや、嫌だいやだぁっ!」
椅子から立ち上がるけれどすぐに、足は止まり、受身をとる間もなく転ぶ。
「リディ!どうしたの?僕がエスコートするから立つ時は言ってと言ったでしょう?」
「…うぅ…いや…いやだ…っ」
必死で手繰り寄せた手が、私を支える左手が。
あまりにも人間らしくない。
左手を思わず引いて、その反動で、もう一度倒れる。
「あぁ、リディル、大丈夫だよ、大丈夫。僕はちゃんとここにいるさ。」
何故かを理解しているように、次は、右手を差し出される。
エフィは、エフィはどこなの。
「あぁ、苦しかったね。大丈夫。僕はそばに居るよ。ちゃんとここにいる。」
「エフィムはここだよ。リディの隣にいる。ちゃんと、ずっと、ここにいる。」
12歳になるころ。
深い地鳴の穴はそのあとも見て分かるほど深く、深くなっていく。
なんせそれは機械が必死そうに掘っているのだから。
しかし、このところ機械の故障が多くなったと村に来た誰かが言っていたのだ。
事実、1度だけエフィと見に行った時にひとつの機械が壊れた。
今の世界はあまりにも機械を使っている。
人の生活をサポートするのにも機械を使い、店の前に立つのもロボット。
畑に設置されているただの棒のようなものは気候によって勝手に水を、肥料を、影を、植物に与える。
その土自体管理されているものだ。
ここはまだ、人工ながらに自然の残っている場所だ。
周りを見ればあまりにもボロボロな老木。
珪化木は数年で見れなくなると言われていた。
「ねぇ、エフィ、この村の外はどうなっているんだろうね。」
「どうして?リディは王都へ行きたいの?」
「そうじゃないよ。だって私はここが好きだもの。」
そう、ここが好きだった。
老木なんてものじゃない。
枯れ果てた木に登ってこの穴を見つめて。
まるで世界が、終わるかのようにも見えるこの場所が。
「この穴がもし世界の裏に繋がったらって話したでしょ?」
「うん、僕は核があるから無理と言ったよね。」
「そうだよね。…ならもし、これのせいで世界が壊れたならって思って。」
「…どうしてそんなことを思ったの?」
「そうなったとしたら全部が壊れるのか、それともどこかは残るのか。何となく考えたんだよね。」
エフィはそんなことを言った私を驚く目で見つめた。
夢の光景が過ぎる。
周りの地面が崩れて、割れていく。
そんな子供の怖い夢の世界。
「夢だったんだけどね!それにそんなの起こらないって知ってるけど…怖かったんだ。」
そういうとエフィは少し考えるように下を向いて。
「もし、世界が壊れたって僕は、エフィを守るよ。だって、大切な妹なんだから。」
真っ直ぐと、純粋に、私を見てそう言う。
「…ふふ。」
「あ、笑うのは酷いや。」
「だって、今のエフィ、王子様みたいだったんだもの。あまりにもおかしくって。」
「本当に怖がってると思ったから言ったのに!ずるいや!」
「ごめんごめん。なら、もし地球が真っ二つになっても守ってね?」
「もちろんだよ。絶対。」
小さな、馬鹿みたいな約束。
それに跳ねるように喜んだのは、つかの間だった。
「え…地鳴の穴から手を引く?」
「そんな話があるらしい。」
「これからどうなるのかしら…」
「でもなんで…鉱石はまだあるんだろう。」
「分からない、だがロボットも回収するらしい。」
「それはいいがそしたらここも戦火に…」
そんな話が村で際立って聞こえてくる。
少なくとも王都は、嫌でも手を引かなかった。
あまりにもおかしな話だ。
あの約束から2年。
14歳。
大人の話は嫌でも理解出来る年齢だ。
中途半端な大人。
そんなところだろう。
鉱石が無くなった訳では無いが少なくとも王都は私たちの村から手を引くらしい。
それが、何を意味するのか。
あまりにも、残酷だったと気付いたのはすぐだった。
機械が動かなくなり、何も無いのを見つめるのは飽きた頃。
少しづつ、少しづつ、蝕んだのはそれだった。
突如、誰かがこの村に火をつけた。
ただそれだけなら、どれだけ良かっただろうか。
彼らが手を引いた理由、これを予測するのには、あまりにも時間が無さすぎた。
「リディ!リディ…!どうして…こうなっているの…?!」
ただ覚えているのは、赤く熱い何かと、恐怖で動かない体だけ。
「大丈夫だよ、エフィ…怖がらないで…!とにかく、逃げる道を探すんだ。」
縋った腕はしっかりと握っていないと滑り落ちそうだ。
足が力は入っているのに、動かない。
熱以外に何も残っていない村は、ただ、赤く染まっていく。
崩れ落ちる柱に身を屈めそうになった私をリディは必死に手を繋いで引き、駆けていく。
「リディ、大丈夫だから……逃げよう…!」
その言葉に従うように足を引きずる。
炎が追いかけてきているような錯覚を起こしてしまうほど。
あまりにもこの村から離れられる距離は遠い。
「っ…!エフィ…!火がっ!」
少しずつでも、迫ってくる恐怖感に足がガクガクと震える。
そんな中で、村の屋根も、柱も落ちてくるのだから。
「…っ!」
そんなのは、本当に一瞬なんだ。
限界のように、立ち止まる。
肺が痛い。
息が荒くなる。
呼吸も、ままならなくなって。
「リディ!」
そのまま、崩れ落ちた。
体が限界を迎えていたんだ。
足が立たなくて、力も入らなくて、呼吸がどんどん苦しくなって。
倒れた体はもう動かない。
もう限界なのかと、そう思いながらも声を出そうとするが何も出ない。
「リディ!逃げよう…はやくっ!!」
そんなのはわかっているんだ。
それでも、足が動かない。
いや、違う。
もう…私はきっと逃げられないんだ。
そんな絶望感に体が包まれる。
手が離れる前に私が燃えて死ねばいいのにとさえ思った時だ。
「僕が守るから!絶対に!」
まるで騎士のように、彼は私の前に立って燃え盛る炎の中で私を必死に立たせる。
「エフィ…っ!」
「僕は絶対見捨てないよ…?だって、お兄ちゃんなんだから。」
恐怖に震えた声で、涙で濡れた顔で。
それでも、炎の中で私を支えながら彼は言うのだ。
「リディル!もう少しだよ…!ほら、少し頑張ろ!」
「っ…むりだよ…もう…逃げれないのに…」
そんなのは決まっている。
もう、私は助からない。
ならせめて、この命が尽きる前に、エフィだけでも助けたい。
手を離そうとしても、エフィは私の手を離さなかった。
そんな、幻想は、長くは続かない。
炎が、私たちを囲うように。
そして、周りから木が倒れてくる。
もう、逃げ場なんて無かった。
分かっていたんだ。
エフィはそれでも、私の手を離さなかった。
それは、私たちの1度目の終わりを示した。
焼けた木はいつの間にか静かになっていて。
何故か残っている記憶の断片に近いのだ。
熱さも忘れる程に、痛みも感じないほどに、空だけが暗く、灰色になっていた。
煙と同じ色。
それに恐怖を感じないほど。
でも繋がれてた右手は、何故か、温かく感じた。
まだ生きてることを悔やむ程に。
焼けた村。
それを囲む木々たち。
もう…私は、エフィは、死ぬしか無かったんだ。
「…あぁ、生きてる。」
そんなのは、今の世界では簡単に打ち砕かれるんだ。
繋いだ手を離さないままに、このまま逝かせて欲しかったんだ。
「…お前らも辛かったな。でも、お前しかもう何かを知っているのが居ないんだ。」
その声が答えかのように、私の体は、リディと離れたんだ。
まだ、動かない体で、瞼だけを必死に開ける。
頭も重い。
視界もぼやけて狭く感じる。
腕も…体も…全部が重たい。
だがそれも動かそうとしたからか。
布が擦れた音でだろう。
誰かが1人私のことを覗いてきた。
「目が覚めたか。瞳孔が動くあたり意識はありそうだな?」
まるで見定めるように、私のことを見てきたのは、誰かも分からないが。
「ここは?」
声を発したようで、何も聞こえなくてただ言えたのかすらさえ分からない。
「…はぁ、君は病人に情けもかけられないのかな。目覚めたばかりで無理に決まっているだろう。」
「そう言うなよハウエル。もうまじで2人だけだったんだぞ?あとは火だるまだ。」
声は聞こえるのに答えが返ってこないのは…きっと、届かなかったんだろう。
なら、いい。
そう思いながらただ会話だけを聞く。
「ヒントなんてもうないと思ってたんだからさぁ。これは投資だと、う、し。」
「君の好奇心の先は本当に分からなくてもはや不愉快にも感じるよ。それに私は医者じゃないんだ。人間はそもそも修理対象外だよ。今回だって君が呼ぶんだからどんなガラクタと偽保証書作成かと思えば…」
「俺は少なくとも優しいんだよ。お前みたいに人間を捨てたりしない。」
「後にガス中毒になってふわふわしだしたと思えば倒れておいてそれかい?」
「生きてるんだからいいだろ。」
「はいはい。」
そこまで聞いて、意識がまたどこか遠くへ飛んでいく。
ただ、誰かの会話を聞きながら私は目を閉じていた。
「…リディルっ!」
そして次、目が覚めるまではそこまで短くなかった気がした。そんな声に目を覚ませばエフィが、私に抱きついている。
まだ動けもしない体ででよく頭が回らない中で私を抱きしめているのをただ見つめるしか出来なかった。
「リディル、怪我は酷くない?まだ痛い?」
その問はきっと色々なことを聞きたいのだろうと察しながら。
でも…少しだけ、違和感を感じて。
「…ダメか?これも。」
「ああ。結構これでも私の最高精度だと思うのだけれど。」
「もう、黙っていてくれよ!君たちには感謝しているがそもそもリディが生きている可能性だって極めて低いじゃないか!このポンコツ医者!」
「ほら、だから言ったんだ。助けるだけがヒーローじゃないよ、ポンコツ医者。」
「ハウエルまでに言われるとさすがに悲しいんだが?というか矛先はお前にも向いてるだろ…」
「それは残念。私はまだ知りたいことが多くて悲しいなんて思う暇無いんだ。放っていいなら私はスーの元へと帰るよ。」
「あー!!もう!早くリディルを治せよ!お前らが喧嘩していたところでなんにもならないんだ!」
そんな会話をただ眺めていた。
ただ、その会話を聞いているとひとつ、疑問に思うことが……いや、違和感がひとつある。
エフィは、こんなに…人に優しくなかっただろうか。
いや、違うんだ。
エフィの優しさは知っている。
村の皆にだって優しくしてて…私にとっても、自慢のお兄ちゃんだったから。
だからこそ…何となく変な感じがして。
「早く、リディルを治してくれよ!」
「だから今やってるんだよ?君がそのトリガーになってくれると信じていたんだけどね。私の最高傑作?」
そんな、声にも反応しないほど。
私は……ふと頭に浮かんだことが口から出ていた。
そんなことをただ聞いてしまう。
そんなのはありえないと知っているはずなのに。
「エフィ…じゃ…ない…。」
「…は?」
「どうしたの、リディ。どう見たって…僕はエフィムだよ。」
「エフィじゃ……ない。」
その言葉に、一瞬だけ固まる空気に、私は違和感を持ちながらも言葉を並べていった。
「この…この人は……」
そんなのを聞いていた3人は目を丸くして私を見る。
それでも構わずに私は聞いたんだ。
「誰な…の?」
そんなことがありえないと知っているはずなのに。
「…まってよ、僕はエフィだよ?」
そんな問に答えれるほど私はまだ動ける体ではないし、何より喋るのも精一杯で、これ以上何も答えられない。
でも。
「……エフィ…じゃ…ないの。」
そんなのは、ありえないと知っているはずなのに。
「まってよ、僕はエフィだよ?君のお兄ちゃんで…」
「…もうよせ。ハウエル。」
「…ふむ、やはりデータをどれだけ詰めてもどこかズレるものなのだな。医学的にも証明されていたものが覆る可能性もあるね?ディーン。」
「人情が無いはお前の方だろ…」
「今それは関係ない、と言いたいところだけど…少し待ってくれるかな?リディ。」
そう名前を呼ばれて私はついそちらを見る。
まるで、悪事を咎められているような気分になるがそうではないのだろうと何故かそんな気がして。
そんなのを分かっていてエフィ…の形をした何かは私に笑いかけた後にまた2人を見て言うのだ。
「もう、そうだよね。知っているから。」
それが何なのかは分からないけれど。
「知っているからこそ、分かるんだ、彼女はもう、脳内で理解をしている…もしくは、これに恐怖心を感じてしまっているんだろうね。」
それは…私のなのか、自分のなのか。なにかが分かってしまったようで。
もう、私には何も理解が出来なくなるのだ。
そんなのはありえないと知っているはずなのに。
そんなのはありえないと分かっているはずなのに。
そんなのはありえないと知っているはずなのに……なのに。
なんで、こんなにエフィにそっくりな人が私の前にいるんだろうか。
そんな感覚なんだ。
焦りばかりが増えていくんだ。
「…もう、いいよね?僕、リディには嘘をつきたくないんだから。これでリディが僕を受け入れてくれなくたって僕はこれでもう満足しているよ?」
2人に肯定を求めるリディの形をした何かは私の右手を取る。
その左手はそのまま…だが、右手は、熱も感じないような、冷たいものだった。
「僕はね、死んだんだ。あの業火に焼かれて…半分くらいは体が壊死してしまったんだ。ほとんど体は残ってないし…機械だらけになったみたい。だから…リディが僕のことをエフィムじゃないというのも分かるんだ。」
「で、でも…それは…。」
「分かってるよ。そんなことはありえないって言いたいのも、リディが僕が死んだ時点でもういないことを理解していることも…だって、僕なんだから。僕が今の君にとって、異物に見えるのは分かるんだ。」
「な、なん……で…。」
少しだけ手を掴む力が強くなる。
そしてまるで叫ぶように続けた。
声が掠れて。
もう何を言ったのか分からない。
「いいんだよ?リディが僕をエフィムとして見れないならそれでいいんだ。最後までとはいかなかったけど、リディを守りきれたんだ。僕にとっては大切な妹を守りきれて良かったって思うよ。」
「違う…あなたは…。」
「違うくないよ。エフィムはもういないんだ。今、僕はリディの知っているエフィだよ。だけど…やっぱり、ちょっと違ったみたい。」
もう、何も分からない。
何もかもがおかしくて、でも…それでも、私はこの手を払うことは出来なくて。
ただ、ただ、涙が止まらなかった。
縋る場所は、もう、ここしかないの。
「だからもういいんだよ?僕はリディを守りたかったんだからさ。」
だから、良かった、と話す声は、あまりにも、お兄ちゃんのエフィと酷似している。
泣いても、叫んでも、それしか無い。
「…行こう。ハウエル。精神的なものは医者でも治しきれるもんじゃない。」
「…………君は相変わらず残酷だ。」
そう言いながら足音はいつの間にか消えて私の叫び声だけが響く。
体がいつの間にかそれに耐えきれなくなって。
また、意識を手放す。
それを何度も繰り返した。
「…エフィ…エ…フィ……。」
何度も指先で探すけれど、ここは、ベッドの上。
ただ少し、柔らかいものの上を這うだけ。
もうあの時の隣にいた少年はどこにも居ない。
大切な家族は…もう居ない。
「…起きた?リディ、喉が渇いたと思ったからお水、用意したんだ。」
そんな声に反応すれば、そこに居たのはエフィだ。
「え、エフィ……?」
「どうしたの?リディ。」
「……………なんでもない。」
もう、いないんだと分かっているのに。
それでも…もういないんだと理解していても。
私はまたその手を取ってしまうのだ。
さっき、転んだ時に汚れたのだろうか。
服が変わっている。
濃紺の大人しめなロングスカートはいつの間にか、少し動きやすい膝丈の黒のズボンに変わっていて。
ブラウスも首元が少しあいてるもの。
…少し、呼吸がしやすい。
けれど。
グラスを手に取り声を出すのも辛くて。
ただ、壁に背を預けて。
座って窓を見る。
ここは、あの燃えた街ではない。
もう、残っていないのだ。何も。
「どうしたの?どこか痛いの?」
エフィの声で、私を見つめて話す姿に少し、視線を逸らす。
そして、首を横に振る。
「嘘だよね?だって、リディの手は今とても熱くなってる。…僕は、リディのことはなんだって分かるんだよっ?」
楽しそうにその表情で笑う彼に、何かも分からない感情ばかり向く。
「…………なんでもない。」
「なんでもなくないでしょ?大丈夫、僕がちゃんと聞くから、ゆっくりはな…」
「なんでもないんだよ!!!!」
もう、声が枯れそうだった。
もう、耐えられなかった。
もう…限界だった。
なんで?どうして?私の家族は、皆どこかに行ってしまうの?私を置いてどこかに行ってしまうの?なんで私は生きてて…なんでエフィが死んでるの…?
つらつらと脳内に並ぶ言葉が全て自分を追い詰めていく。
「…リディ?」
「もう……いや…だよ……。」
そんな声にエフィはただ私を抱きしめる。
その体は温かくて、でも、冷たい。
「大丈夫。僕はこんなままでも…ちゃんとリディの傍に居るんだ。約束したからね。」
「……っ…生きてたって…会えない…。」
「…僕はちゃんと、ここにいるよ、リディの隣からもう二度と離れない。だから…会えないなんて言わないで?もうここは…誰も来ない、安全な場所になったんだから。」
「…これ以上はやはりお手上げだね。もう残っているデータや機械感を減らすのは難しい。そもそも人間を機械で再現するのも限界があってだな。医者の君なら分かるだろうが不気味の谷現象は今の時代でも起こりうるんだ。再現が高度になるある一点で違和感や恐怖感を1度でも与えてしまえばそれはもう共感性を失うんだ。」
「…はぁ、やっぱり、そんなもんか。」
何度も泣いて、思い出す度に嫌な吐き気に襲われる。
あの赤い世界を思い出す。
でも、ただ胃液しか出ないから。
喉は荒れきって痛いのにまだ泣くことをやめられない。
何度も優しく、背中を撫でられた。
エフィが泣いている時いつもそうしてくれるように。
「ロボットや機械に対する恐怖心はそもそも昔に立証されている。性格や心身状態によってブレはあるが過去の論文を見れば分かることだ。これ以上いじるとなればさらに蝋人形のようになって余計恐怖心を与えるだけになる。」
「だろうな。…これ以上、サポートも難しい。」
「…いや。」
背中を撫でていた手が私の手をぎゅっと握って。
「リディが、まだ生きたいと望むなら…僕はそれを応援したいんだ。」
それでも、私はその手を握り返すしか出来なかったのだ。
もう…居なくても…同じだから。
「はぁ…お前がそう望むのなら…それを尊重するよ。…どうしたって、そのリディルってやつだけしか頼みの綱は居ないんだ。」
「ディーンが良いと言うなら私は賛成だよ。人間の精神的な苦痛は時が経つに連れて薄れる。それによっては…誰かを受け入れることも、いつか叶うかもしれないからね。」
「はぁ…そんなもんかね…。」
「医者がそう言うと信憑性が薄まるんだからやめてくれないか?」
そんなのは、分かっている。
ただ、私は今それを受け入れられるかは分からなくて。
「…私は…どうすればいいの?」
そんな問いにエフィは少しだけ寂しそうな顔をしてから答えた。
「ただ、生きて欲しいんだ。君を守ったのはその気持ち一心だったからね。もちろん、これからも僕はリディを守るよ?」
「でも………!もうエフィはいない!私の家族はもう居ない!」
痛い心が、枯れた声が、自分を恐怖に縛り付ける。
また、目の奥が熱くなる。
「リディ…僕はね、本当にこれで良かったと思うんだ。」
そんな声に思わず体を離すけれどエフィはそれでも私を離そうとはしなくて。
「あの炎の中で…もうリディには会えないんだって思ったんだ…でも、こうして会えたのも奇跡なんだと思うから…。」
「そんなもの!私は望んでない!」
そんな声に彼はただ笑うだけだ。
「いいよ。望んでなくたって。でも…少しだけ、僕を頼ってよ。だって僕は、リディのお兄ちゃんだよ?…足りないとこばっかりかもしれないけど…僕は、君の家族なんだ。」
「……違う。」
「違わないよ、リディ。リディは多分知ってるかもしれないけど…僕は君が大好きなんだ。誰よりも何よりも大切で、生まれる時まで一緒なんだもん。幸せになって欲しいって思うのは…それくらい、大切だから。だから君は幸せにならないとダメなの。僕が、君に出来る精一杯はこうやって歩くのを一緒に手伝うだけ。」
そんなのを聞けば聞くほど心が痛くなるんだ。
辛いからじゃない。心が痛むからじゃない。ただ苦しいからだ。
もういない彼の残像を見て苦しくなるからだ。
でも、だからこそ。
もう居ない彼のために。
私の答えを出さないといけないんだ。
「ねぇ…リディ?」
そんな問いにエフィは、私の手を優しく握ったまま笑って話すんだ。
「ゆっくり歩けるまで、僕はちゃんと支えるから。だから…僕と、一緒に歩いてみよ?」
そんな声に私はもう涙が止まらないんだ。
そうすることが当たり前みたいにまた涙をそっと拭われて笑う彼に思わず何かが溢れそうになるんだ。
もう居ない兄の笑顔で。
そんなふうに笑われて。
…もう、なにも、言えない。
だってここにいなくたって…エフィはここにいて、生きてなくても生きてて、死ぬことも許されなくて、ただただ、今は何も無いのに真っ暗な足枷のままに動かなきゃいけないのだから。
「ねぇ、エフィ……。」
もう答えは分かっているのに、それでもそんな言葉を、涙を堪えながら言ってしまうんだ。
「…おいて…かないで…私を…1人にしないで…。」
「置いてなんていかないよ、リディ。」
「何かあればここに連絡すればいい。スーにはこのアドレスだけは避けないように言っておくさ。」
「あぁ、ありがとう、ハウエル。」
「耐えられそうかい?あえてこの辺に住むことにしたんだから…まぁ、覚悟は決まっているんだろうが。」
「君は何となく心配症だなぁ。ここなら半分くらい機械の僕らは発がん性物質も多少取り込んだって被害はないんだ。それに…元々はそこに住んでたんだからね。」
「…はぁ、ディーンの性格が移ったかな。まぁいい。機械のメンテナンスは一応本業なものでね。一応、君の内部にはエラーが起きた時や電気がどこか巡らなくなる手前に通知が来るように設定はしているけどね。」
「ありがとう、ハウエル。」
「リディはそれでいいのかい?君はこれから、ある意味地鳴の穴の番人みたくなるけれど。」
私は、その質問に答えることはなかった。
もう、考えることを、出来なくなっていたんだ。
「…適度に見に来てやるさ。あいつみたくここから奥まで行ってラリったりするのは勘弁だが…この辺なら、多少は人間も問題ないからね。」
「あはは、そんなに心配かい?大丈夫。もう時間が経過するのを待つだけだから。」
「ある意味楽観的だな。もし人工皮膚でもう少しいいのが手に入りそうなら溶かして君に用意しよう。」
「うん。ありがとう、ハウエル。」
そんな声に私はただエフィの手を握るだけだったんだ。
それから、1週間ほど経っただろうか。
もう日を数えるのも億劫で。
でも…それでもエフィは私に優しくしてくれていて。
私はもう何も分からないままただその手を握り返すことしか出来なかったんだ。
ただ、それが続いていく。
お茶を飲んで、ただ部屋から動かず、少し景色を見て、眠る。
ただ、それだけの。
何もわからないまま。
ただ、手を握っているだけの。
そんな日々を生きるだけの存在に成り下がってしまったのだ。
「……リディ?どうしたの?」
そんな声に私は答えられなかったんだ。
「今日はご機嫌ななめかな。なら気分あげるためにもせっかくだからオシャレしようよ!可愛い服着たらきっと、リディもとっても楽しくなると思うよ!」
何も言わずに、答えることも無く。
「ダメだよ!だってリディは女の子なんだからお洒落しないと!」
そう言いながら私にフリルのついたブラウスを合わせる。
「ほら、リディの服もちゃんとあるからね?あっ、せっかくだから僕とお揃いにしよう!」
温かい日々は…視界や腕と共に失って。
もう、私はただ、ゆっくりとその日その日を過ごすしかないのだった。
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
先生!放課後の隣の教室から女子の喘ぎ声が聴こえました…
ヘロディア
恋愛
居残りを余儀なくされた高校生の主人公。
しかし、隣の部屋からかすかに女子の喘ぎ声が聴こえてくるのであった。
気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる