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第三章 【誓】
【やなぎ】
しおりを挟む海香のドライブをストップしにいった楓のラケットは、海香の上回転ドライブに合わせるように、更に下回転を乗せてネット上すれすれを越え、ネット側ギリギリに落ちた。
当然強烈なバックススピンがかかっていた為、つんのめる程台奥まで手を伸ばし取りに行った海香だったが、それを返す事が出来なかった。
「い……今のはどういう打球だったんでしょうか……解説の桜先輩、お願いします」
「いつから私が解説役になったのよ。まぁいいけど。
今のはストップに行く際、更に回転を上乗せして返す技術だね。近年では【やなぎ】って名前が付けられていて、プロでも多用する人が増えているよ。
ライジング気味に拾いに行くから難しいんだけど、たまに前陣型の人の打球がああなる事、あるよね。これが狙ってやった事なら大したもんだけど……」
「確かに、私もたまにああいう打球打っちゃう事ありますけど、ちゃんとした技だったんですね……」
「【やなぎ】をマスターすれば、かなり戦術に幅ができるよ。上回転、下回転は勿論、横回転でも応用できるからね。
私にはちょっと難しくて無理そうだけど」
「成る程……」
遊佐楓はやなぎは勿論、ストップの事もよく分かっていない。
ただ海香の技術を盗み、更にはどうやれば勝てるかを必死に考えた結果これに至ったに過ぎない。
自ら技を進化させ、モノにした。天才的発想──
──まだ終わってない。携帯に一歩近づいた。携帯を手に入れたら『凶から始まる凶同生活!』を一気観するんだ──
再び楓のやなぎが炸裂する。
今度は上回転──
この発想と応用力は天性のものだ。
【6-5】
「こりゃウチの楓ちゃん、覚醒したんちゃうんか! どう見ても偶然ちゃうやんけ!」
「原海香が育ててくれたんすよ。強くしてくれるのは、練習やチームメイトだけじゃ無いっす。敵や逆境も自分を強くさせるファクターっす。まぁ、今回は感謝しないといけないっすね」
勝負を分からなくする、楓の連続得点。この数分間で格段に強くなっていく楓を前に、海香は何故か嬉しさを感じていた。
──楓ちゃん凄いよー! うちの一年生も凄いし、楽しみが増えたかもー! でも、まだ勝たせてあげない。今日だけは負けられないんだから──
相手を遠ざける海香のループドライブ。真円を描くような美しい軌道で落下し、その美しさからは想像できないほどの回転がかけられた打球。
打ちに行った瞬間、思った方向へ飛ばすことのできなかった楓は、思わず海香を睨みつけた。
──遠くに打ち込んでもカウンター。前に落としても、やなぎによるカウンター。でもねー、カウンターを打たせない事なんて幾らでもできるんだよー。凪咲さんはもっと強かったよ。さぁ、楓ちゃんならどうするのかなー?──
【7-5】
楽しむ事こそ海香の卓球。
迷わない。もうそこには以前の海香は居ない。
■■■■■■
「ねえ、お姉ちゃんはなんで卓球をやってるの? あんなのの何が面白いの? 楓には理解不能なんだけど」
ある日、楓は姉の凪咲にこんな質問をぶつけてみた。
幼心に率直な質問であり、そこに悪意は無い。
「楓は漫画好きだよね? 私には逆にその気持ちがわからないんだけど。だって大体の漫画って結末決まってるでしょ? 戦うやつなら強い奴倒して終わり。ラブロマンスなら結ばれて終わり。ミステリなら謎が解けて終わる。
でも卓球は違うの。先が読めない。どっちが勝つか分からない。勝つも負けるも自分次第。面白いでしょ?」
その言葉に楓は全くピンときていない様子で、次なる凪咲の言葉を待っている。
「まぁそれはスポーツ全般に言える事なんだけどね。でもね、卓球って一対一で行う球技の中で、最も相手との距離が近いんだよね。だから分かるの。
相手の表情や考えてる事、闘志や熱量──
それを小さなボールでぶつけ合う。私が最強だって、ね」
「ふーん」
相変わらず反応の薄い楓だったが、凪咲は自分の考えを押し付ける事はしない。余計な事をしなくても、楓には楓の好きが見つかるはずなのだから。
「楓もいつか出会うよ。自分を夢中にさせてくれる物に」
「漫画ぁ」
「そっかー」
■■■■■■
手を伸ばさなければ取れない場所から、更に逃げていくカーブドライブに飛びついた楓。
──ぐぬぬぬぬぬぬ──
【8-5】
大きなループドライブ。
普通に返しているだけでは一生点が取れない事は分かっている。
ではどうやれば海香から得点が奪えるのか──
──考えろ。考えるんだ。これが漫画だったら最後は私が勝つ筈なんだ。でも違う。これは卓球だから。自分の力でなんとかしないと……負ける──
【9-5】
バックドライブに素早く反応、フォアで拾えるところを敢えてバックで強引に打ち込んだ楓。
予想外の打球に逆を突かれた海香は久し振りに失点を喫した。
【9-6】
──うおっやった……まだいける──
楓の集中力が増していく。
物語の結末は自分で作る。それは漫画では味わえない、自分だけの物語。
対面する海香もまた、楓の変化に気づいていた。
真剣な表情、体から立ち上る熱、我を倒そうと目論むギラつくその目。
その全てが更に海香を奮い立たせてくれる。
──いいねー。そうこなくちゃ。いよいよ面白くなってきたー!──
今日初めての、海香のナックルドライブ。それを危なげながらも返した楓。続くこの打球はどうか──
「でた! 海香先輩の下回転ドライブッ!」
打球がラケットに当たった瞬間、咄嗟にその異変に気付いた楓は、強引にすくい上げるように打ち返す。
──うがぁぁ、落としてたまるかぁぁ──
始めて見るボールだったなら、完全にやられていただろう。
しかし上がったボールは完全なるチャンスボール。すかさず海香が仕留めに来る────
──────。
【9-7】
そこにドンピシャでカウンターが決まった。
勝ちに急いだ海香の首を掻く、会心の一撃──
だが海香も冷静さを失ってはいない。すぐさま得意のドライブで取り返し、遂にゲームポイントを奪い取る事に成功する。
【10-7】
楓にとっては、最低あと三点取らなければならない状況。それも海香が一点を取る前に。
だがやらなければならない。
このままでは到底不可能な状況で、今勝負に出なければ手遅れになる。
やるなら次か──
これまで尽くカウンターを封じてきた海香のループドライブに合わせ、跳ねた直後を狙った楓。狙うはただ一つ。
やなぎ──
「嘘やろ!? その距離からかいな!?」
「そっからネットを越して更に手前に落とすつもりっすか?」
チームメイトですらそれが成功するとは思えなかった。それ程意外で出鱈目なプレイ。しかしそうでなければ海香には勝てない。
ネットすれすれに低い弾道。ボールにはループドライブに上乗せした強烈なバックスピンが残っている──
──越えろぉぉ! お願いだから決まって! ──
感触はバッチリだった。海香はまだ台から少し離れている。これが決まれば一気に流れを引き寄せる事ができるかも知れない。
楓は願う。
この人に勝ちたい──
お願いだから入ってくれ──
静まった会場で、コンコンコンと響き渡る、ピンポン球の跳ねる音が聞こえる。
【11-7】
楓のボールはネットを越える事が出来なかった。
この瞬間、海香の勝ちが決まった。
「ゲームカウント【3-0】で、勝者、原海香さん。お互い握手をして下さい」
審判の最後の言葉の後、海香は握手を求めながら楓に優しく話しかけた。
「楓ちゃん、ありがとー。すごく楽しかったよ、また、一緒に卓球やろうねー」
差し出された海香の手を見て、ぷいっと顔を背け、そのままベンチに引き下がった楓。
完全に嫌われてしまったようだ。
楓がベンチに戻って来るや、水沢夏は右手を振るった。乾いた音が鳴り響き、楓の頬が赤く染まる。
「ちゃんと挨拶するっすよ」
すると楓は自分でもわかっていたかのように無言のまま頬に手を当て、素直に念珠崎ベンチに向かって歩いて行った。
「なっちさん、もしかして凪咲さんにぶん殴られた事根に持ってるんじゃ……」
「お? なんやそのおもろそうな話は?」
「違うっすよ! これは楓ちゃんがこの先、卓球と向き合うのに、絶対に必要な事っすよ。因みにあの時ぶったのは凪咲さんじゃなく、紗江さんっすよ」
「そうでしたっけ?」
頬の椛マークを引っさげ念珠崎ベンチまでやって来た来た楓は、自ら手を差し出し最後の挨拶をやり直した。
「原海香……次は……次は絶対に負けないからな。 必ず倒してやるからな! 覚えとけ!」
「────っうん! 楽しみにして待ってるねー!」
握手を交わし健闘を讃え合った二人。ここにまた、新たなライバル関係が誕生した。
第二試合【3-0】勝者、原海香。
ゲームカウント【1-1】
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