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第二章【越】
最高の薬
しおりを挟む【新人戦地区大会当日の海香】
海香の朝は早い。
海香はのんびりした性格だが、朝慌てるのが嫌いな為、早起きする事が習慣づいている。
「あー。おはようまっひー。ちゃんと起きてるー?」
電話を片手に支度を進める海香。電話越しのまひるの声は今にも二度寝しそうな程に微睡んでいる。
「ちょっとまっひー。大丈夫? 私は先に出るから、ちゃんと来るんだよー。あとラケットは忘れずに持っていくんだよー」
『それはもう言うな。わーかってるよ。ウチの母ちゃんより煩いぜ』
「まっひー」
『はいはい! 起きました、今ちゃんと起きましたよ』
「宜しい。じゃ遅刻しないで来るんだよー。また後でねー」
海香は電話を切ると、自分で作ったお弁当を鞄に詰めて、荷物の最終チェックを行った。
忘れ物は無い。まだ出るには早いが、後で慌てるのが嫌な為少し早めに出る事にした。
海香は他のメンバー達とは違う小学校から念珠崎に来ている為、他の人とは少しルートが違う。なので、いつも会場へは一人で向かう事になる。
因みに学校が一緒なのは『乃百合、ブッケン』『桜、和子』の二組だ。海香とまひるは、それとはまた違う小学校に通っていた。こうして見ると、広い地区から集まっている事が分かる。念珠崎中は、小さな小学校の集合体の様な学校だ。
「おかーさん。海香そろそろ出るよー?」
玄関の前で、リビングに居るであろう母を呼んだ。海香の母は出かける前、必ず見送りをしてくれる。
母子家庭で育った海香にとって、母に送り出される事は、愛情を感じる一つのイベントの様なものだった。
「おかーさーん?」
いつもは笑顔で送り出してくれる筈の母が姿を見せない。支度している間は起きて家事をしていた筈で、寝ている事は無いだろう。海香はさっきよりも大きな声で母を呼ぶ──、
「おかーさーん。海香もう行っちゃうからねー」
しかし返事は返ってこない。
海香の家は裕福では無い。家も小さくな平屋建てであり、声が届いていない筈は無い。
それでも海香は出発前に母の顔が見たくて、履いた靴を脱ぎ再びリビングまで戻って行った。
「おかーさん。海香もう行く──、」
海香は目を疑った。
母は胸の辺りを抑え、声も出せない程苦しそうに横たわって居たのだ。
「おかーさんッ! え……大丈夫!? 嘘……でしょ……」
問いかけに母は応える事が出来なかった。これは本当に一刻を争う事態だと気がつくと、すぐに海香は携帯を取り出し、震える手で『119』に電話をかけた。
「あのッ! おかーさんが! おかーさんが──、」
■■■■
その後駆けつけた救急隊により、母は病院へと運ばれ、海香はそれに付き添い共に病院へ来ていた。
母は病院の奥へと連れていかれ、海香は廊下にある椅子に座って母の帰りを待っていた。
今の時刻は分からない。携帯は家に置いてきたままだ。
それからどれ程時間が経っただろうか。海香にとってそれは、一日中母の帰りを待っていたかのように長い時間だった。
そして──、
不意に目の前の扉が開き、白衣を纏ったお医者さんが出てきた。
思わず駆け寄った海香に、お医者さんは丁寧に話をしてくれた。
母は取り敢えずは落ち着いたみたいで、今は意識もあると言う。ただ、この後詳しい検査をしてみない事にはなんとも言えないとの事だった。勿論大切な母の為、海香は即答で検査をして下さいとお願いをした。
「勿論そのつもりです。お母さんはきっと元気になるから安心してね。今は意識もあって会話も出来るから、今のうちに何かお話しておくかい?」
「いいんですか?」
「いいよ。検査に入るとまた暫く会えなくなっちゃうからね」
お医者さんの言葉に頷き、海香は母の居る部屋へと入った。
目に映ったのは、いつも元気で明るい母とは全く違い、今朝会ったばかりなのに、見違える程痩せて見えた。
また反応が返ってこなかったらどうしようと思いながらも、海香はベッドに横たわる母に声をかけた。
「おかーさん……」
「海香……」
力無い声だったが、ちゃんと返事が返ってきた事が嬉しくて、思わず母の手を握りしめた。
「おかーさん、大丈夫?」
「ええ、今はだいぶ楽になったわ。この後検査があるみたい。でもきっと大丈夫よ」
「うん。大丈夫だよ。海香がついてるから」
「ごめんね」
「なんで謝るの? 病気はしょうがないよ」
弱々しく母が謝ったが、海香には謝る理由が見つからなかった。
今まで女手一つで支えてくれた母を、今度は自分が支えてあげる番だ。海香ももう中学生で、その自覚は十分にある。
「もし……重い病気だったら、海香に苦労をかけちゃうわね。まだ中学生なのに……」
「そんな事ないよ。きっと大した事ないって。それに知ってる? 病気って治るんだよ? 心が死ななければ病気は治る。海香の友達が教えてくれたんだよ。だから弱音を吐いちゃダメなんだよ!」
「そうね……ふふっ、海香は変わったわね。昔は笑わない娘でおかーさんどれだけ心配したか……」
母は目を天井に向け、昔の事を思い出している。海香は今では想像も出来ないが、子供の頃は全く笑わない子で、いつもムスッとしていて友達も一人もいなかった。
「そうだっけー?」
「そうよ。でも卓球があなたを変えてくれたのよ。初めて卓球でピンポン玉を打った時、今まで見たことも無いような顔で笑ったの。それから海香は少しずつ友達も出来て、おかーさんとっても嬉しかったのよ」
「卓球が?」
「そう。卓球始めてから変わったの。笑顔も増えて、しっかりしてきて……お医者さんも言ってたわよ。連絡が早くて良かったって。いい娘さんですねって。海香がおかーさんを助けてくれたのよ?」
「卓球が……私を、私が……おかーさんを……」
海香は何か大切な事に気がついた。
それがなんなのかはまだハッキリとは分からないが、凄く大切な事だ。
それは──、思わずハッとした顔を母に見抜かれた。
「行ってきなさい……今日は大切な日、なんでしょ?」
「うん……でも、おかーさんが──、」
「大丈夫よ。もうすぐ斎藤さん来るから。さっき連絡入れてもらったの」
斎藤さんは母の友達で、海香もよく知る大人の一人だ。母は四国から結婚する為に山形に越してきて、この辺に親戚は居ない。そして父は、海香が幼い頃に蒸発してそれっきり。
今、原家にとって頼れる相手は、気心知れた友達だけなのだ。
母に試合に行ってと言われても今の母を一人にする事は出来ない。きっと母は誰か傍にいて欲しいに違いない。
とその時、病室の扉が開かれ長い髪の大人の女性が部屋に入ってきた。
「斎藤さん! おかーさんが……」
「海香、よくやった!」
「えっ……」
「お前が空音の未来を救ったんだ。ありがとう」
海香はわけも分からぬまま斎藤さんに強く抱き締められた。
その光景を見た母は、弱った声で斎藤さんに頼み事をした。
「斎藤、お願いがあるんだけど……」
「わかってるって。何年の付き合いだと思ってんだよ」
斎藤さんはポケットから財布を取り出すと、海香にポンと三万円を手渡した。
呆気に取られた海香に対し、斎藤さんはお金を半ば強引に掴ませた。
「これは……」
「早く試合に行ってこい。まだ間に合う。皆が待ってんだろ? 病院の前でタクシー拾えるから、急いでそれに乗れ」
「でも──、」
「おかーさんには私がついてるから大丈夫。海香が居てもすぐに良くなるわけじゃない。それに、こいつにとっちゃ海香が試合で勝つのが一番の薬なんだ。卓球やってるお前が好きなんだって耳にタコができる程聞いてるからな」
斎藤さんが母に目を落とすと、母は苦しい筈なのに笑ってみせた。
「…………わかった。おかーさん、海香頑張ってくる。夜に最高のお薬持って帰ってくるから!」
海香の言葉に、母はこの日一番の笑顔で「宜しくね」と答えた。
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