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第二章【越】
藤島桜
しおりを挟む藤島桜。二年生。シェイクハンド右利き。戦型は【シェイク異質型】。表ラバーには珍しいアンチラバーを貼っている。
桜は小学校五年生から卓球を始めた女の子だ。性格は陽気で、いつも人を驚かせる事を考えては、皆をビックリさせていた。そんな彼女は、二年生になったある日、テレビでアンチラバーを使っている選手を見て、こんなに面白い戦い方があるのかと感銘を受け、急遽今まで使っていた裏ソフトをアンチラバーに変えたのだ。
結果としては大会までに使いこなす事は出来ず、チームの役に立つ事は出来なかったが、ここ最近はかなり使い込んでその性質を物にしつつあった。
桜の戦い方は甘芽中の水沢夏と似ている。しかしその性格は全く違う。桜は人一倍相手の事を考えるが故の人間観察ができる娘だ。
だから人を驚かせる事が好きと言っても、人を悲しませたり怒らせたりするような事は絶対にしない。そこまで考えられる女の子なのだ。
そんな桜がある日気がついた。
最近、小岩川和子の様子が少しおかしいという事に──、
「どーしたの、わっ子ちゃん!」
部活後、石段に座りぼんやりとグラウンドを眺める和子に背後から近づき声をかけた。
急に声をかけられ和子は声をあげて驚いたが、直ぐにその顔は暗いものへと変わっていった。
「悩み?」
「はい……まぁ…… 」
「聞いてあげる」
「桜先輩が?」
「そんなに変かな? こう見えて一応先輩なんだけどな」
苦笑いを浮かべた桜に対し、和子は慌てて取り繕った。和子には桜が自分の悩みを聞いてくれる事が意外で、それが逆に嬉しかった。
「あの……実は、毎日練習してどんどん上手くなって行くのが分かるんです」
「いい事じゃないの?」
「勿論! それは凄く嬉しくて楽しいんですけど……その……出来るようになって行くにつれて、みんなの凄さが分かってきた……と言うか。このまま続けてても絶対に皆には敵わないんじゃないか……とか……そんな感じです」
「…………そっかー。その気持ち、分かるなー」
桜は遠くに見える夕日を見ながら、昔の自分を思い出した。努力しても埋まらない差、周りに追いつけないもどかしさ。特に桜の同期には海香とまひるが居て、その感情は正に自分自身が一年間抱き続けていたものと同じだった。
「海香先輩には強烈なドライブ。乃百合ちゃんは気持ちのこもった速攻。ブッケンは粘りとチキータ。まっひー先輩には闘志とフェイント。桜先輩にもアンチラバーっていう武器があるじゃないですか。私には武器なんて無いですし……体も小さいし……こんなんじゃこの先、誰にも勝てないですよ……」
「わっ子ちゃんにも武器があるよ」
「──、えっ!?」
「自分で気づいていないだけ。努力の仕方を間違えちゃダメだよ。まっひーの真似しててもまっひーにはなれない。わっ子ちゃんはわっ子ちゃん。武器を磨けば、きっとまっひーにも勝つ事が出来るんだよ。私はそう信じてやって来た。私は必ずこのアンチラバーを使いこなして、活躍してみせる」
桜は手に持ったラケットを固くにぎりしめ、語気を強めた。
「桜先輩……」
「おいで、わっ子ちゃん。今から教えてあげるよ!」
桜は立ち上がり、和子に手を差し伸べた。
かきあげた髪を耳にかけ、夕日に照らされたその横顔は、どこかいつもの桜とは違う、頼もしさが感じられる。
「い、今からですか!?」
「そう。今から! まっひーには内緒だから丁度いいよ。ねえ、一週間後、まっひーを倒してみない? わっ子ちゃんなら勝てると思うよ」
「私が……まっひー先輩に……勝てる……」
わっ子にとってまひるは憧れの先輩だ。その先輩に自分が勝てる──、そうすれば認めて貰える。チームの力になれる。
和子の気持ちはすぐに固まった。そして差し伸べられた桜の手を取り、頭を下げて指導を仰いだ。
そして──、
体育館へと戻ってきた二人は、片付けたばかりの卓球台を奥から引っ張り出し、練習を始められる状態を作りあげた。
「ところでわっ子ちゃん。さっき自分の事、体が小さいって言ってたよね。それってそんなに悪い事なのかな?」
「そ、それはそうですよ! 手足も短いから届く範囲も狭いですし、力も無いし……」
「そうだね。でもね、体が小さいっていい事もあるんだよ」
「いい事?」
「そう。例えば、この足元に来たボール。この辺のボールを拾うには、背が小さい方が有利なんだ。目線が低い位置にあるし、手も床に近い所にあるからね。大きい人は窮屈になって中々拾うのが大変なんだ」
桜はボールを使ってわかり易く説明してみせた。
「そ、そんな事今まで考えた事無かったです」
「そして本題はここから。じゃあこの低い位置にあるボールから、どうやって得点に繋げるか──、」
「そんな低い位置だったら、返すだけで精一杯ですよ!」
「例えばどんな返し方?」
「それは……こうやってすくい上げるように山成で──、」
「そう! それそれ。【ロビング】って言うやつだね」
【ロビング】大きく山成のボールを相手コートに返す技術。一般的には、相手のスマッシュ等を拾った後、自分の体制を立て直すために、時間稼ぎの様に使われる、守備的要素の強いショットである。
「私が今からロビング上げるから、ちょっと向こう側から見てて」
桜は和子を卓球台の向こう側に立たせた後、台下に隠れるように身を屈め、そこからロビングショットを打ち上げた。
「どう? 私が打った所見えなかったでしょ?」
「はい。いきなりボールが飛び出てきて、出処が分からなかったです」
「そう。出処が分からないと困惑するよね。それに打つ瞬間も見えないから回転も分からない」
「凄い……」
「そして決まったと思ったスマッシュが、ワンテンポ遅れて返ってきたらどう?」
「ショックですね……」
桜はニパッと笑う。和子の驚きに満ちた反応が、素直で可愛くて嬉しくなってきた。
「更にこのボールにトップスピンやバックスピンを混ぜるとあら不思議。相手はもっと困惑する訳だ。これってもう攻めてるのと一緒だよね。つまり──、」
「武器になる……」
和子にとっての初めての武器。
体が小さい事を逆手に取った、台下からの攻撃。
和子の胸は激しく高鳴った。先程まで悩んでいた事が一気に吹っ飛び、卓球がやりたくて堪らない。
「翔子先輩もそう。甘芽中の凪咲さんもそう。カットやブロックだって磨けば攻めるための武器になる。ロビングだって同じ。あまり使う人が居ないけど、逆にそこが味噌だよね!」
和子の視界が一気に開けた。まるで運命の出会い。
「お……お願いしますッ! 私に【ロビング】の打ち方を教えて下さい!」
元より和子に色々教えてあげるつもりだった為、桜は大きく頷いた。
「じゃあ、早速明日から部活後秘密特訓だね! まっひーをあっと言わせちゃおう!」
「が、頑張ります!」
こうして二人だけの秘密の特訓が始まった。
一週間後、まひるを倒して驚かせる為に。
和子に自信とヤル気を持たせるために。
卓球の楽しさを分かち合う為に──、
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