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幕間
10.脳筋令嬢の執事
しおりを挟む俺はバトラー、とある公爵令嬢に仕える哀れな使用人である。
魔法医学大を卒業してから、俺はここで使用人として身を埋めている。
え、どこが哀れだ? むしろ勝ち組じゃないか?
そう思う人もいることだろうが、経緯を聞いてほしい。
俺がここで使用人をやっているのは望んでのことではなかった。
俺は幼少期より治癒医学師になるべく、医学の道を志していた。
それで王国でも最難関とも言われる王立の魔法医学大に進学し、卒業をした。
そこからは順当に医学のキャリアを登っていくため、私はある人に医学のノウハウの教授を求めた。
それが、今従えているバルク家の現当主であるフェランド=フォン・バルク様だった。
彼は魔法医学界の権威の一人であり、治癒医学のノウハウ構築に至っては新医学の開拓者とまで言われた御人なのである。
そんな人物に師事しようとし、俺は色んな手を使って謁見を果たした。
そこで治癒医学についての熱意をひたすらに語ったら、どうやら気に入ってもらえたようで師事することを認めてもらうまで至った。
そこまでは良かった。
……が、フェランド様は医学のノウハウを教える代わりに我が家の使用人、そして誕生を待つ愛娘の専属執事になってもらいたいと提案を受けたのだ。
日夜、研究ばっかりでズボラな俺が出来るのか……と思ったが、背に腹は代えられない。
俺は快く承諾し、使用人となった。
しかし、この判断は後の自分の首を絞めることになった。
激務……とにかく激務なのである!
もう医学のことなんて頭から抜け落ちる程度には激務な日々を送っていた。
フェランド様から治癒医学を教えてもらう日以外は、毎日のようにあっちこっち奮闘していたものだ。
そしてそれはフィオレンティナ嬢の誕生によって更に拍車がかかることになる。
幼少期の彼女は今では考えられないくらいに大人しく、天性とも呼べる可愛さを持っていた。
それこそ湖に姿を見せる美しき白鳥のように、色々な人物を魅了していた。
脳筋ではない、今の裏の顔がその時は彼女にとっての素の姿だったのである。
しかし、それ故に色々な輩に狙われるのも日常茶飯事だった。
俺はフィオレンティナ嬢の専属使用人として仕事が始まってから、それこそ孤軍奮闘だった。
近くの庭園に足を運んだ時には突然仮面をつけた連中に誘拐されたり、変な輩に絡まれたり、物で釣ってお嬢を連れて帰られたり……
数えきれないほどの窮地を乗り越えてきた。
その度にフェランド様に強いお叱りを受けたものだ。
でもしょうがないでしょう。
目を離していなくてもいきなりいなくなったりするんだから……!
もちろん俺の不注意もあったのだが、これはもう一種のホラーだろ! と訴えたくなるくらいの出来事もあった。
そんな波乱万丈の日々を乗り越えていくうちに、いつしか使用人としての器量がついてきてしまった。
あんなに激務だったはずの仕事にやりがいを感じ始め、むしろ求めるようになっていた。
そしていつしか治癒医学の勉強や研究より使用人としての活動の方が長くなっていたのだ。
俺はドMだったのかもしれない。
そう思いながらも現在に至るまで、俺は彼女の使用人をやっている。
「お嬢、今日もやるんですか?」
「当たり前よ。むしろ今日はクソ公務のせいでトレーニングできるか分からないんだから!」
時は遡り、午前中。
少しハラハラした朝食を終えた俺たちは屋敷から程近い別荘に来ていた。
「クソ公務とか言わんでください。現地視察も立派な仕事なんですから……」
今日も我がお嬢はアクセル全開だ。
そして今日も今日とて俺はお嬢のトレーニングに付き添っている。
「また器具が増えてないですか?」
「贔屓にしている商人が新作器具を仕入れたみたいで、匿名経由で入れてもらったわ!」
「左様で……」
ウキウキで答える我がお嬢にため息が出そうになる。
ここはフェランド様がお嬢の為に用意した別荘だ。
公爵令嬢として一人で勉学に集中したいという彼女に要望で建築された。
……というのは、もちろん建前である。
本当は誰にも見つからないように、自らのトレーニング施設を作るためだった。
別荘の1階、2階はお兄様のオリバー様やフェランド様も足を運ばれるためか、特段の変わった様子はないが、メインなのはここの地下1階。
ここが彼女専用のトレーニング施設となっており、ありとあらゆる設備が備わっている。
ここでお嬢嬢は順調に脳筋への道を歩まれているのである。
ちなみにこの秘密を知っているのは、俺だけだ。
リフォーム工事の際も〝勝手に〟俺の名義で作業が行われたようだし。
「今日は1時間1セットメニューでやるわ。時間的に厳しそうなら途中で切り上げる」
「承知致しました」
昔はこんな感じじゃなかったのに……回想するためにそう思う。
お嬢が脳筋になり始めたのは、中等部に上がる前だった。
俺の奮闘もあって昔よりは誘拐被害等に遭わなくはなっていたが、突然彼女からこう言われたのだ。
……私、強くなるわ。
当時はその意味が分からなかった。
しかしそれは文字通りを意味し、いつしか愛嬌たっぷりだったお嬢は生粋のゴリラ女になってしまっていたわけだ。
まぁ彼女なりに自分を守るためとか家に迷惑をかけないためにとか色々な想いがあったみたいだが、今では自らを鍛え強くなることだけが彼女の目的となっている。
後は知っての通りだ。
来年で成人を迎えようとしているお嬢は裏の顔も使いながら、日々己の研鑽に明け暮れている。
「あぁぁ……ケツかぃぃ! ついでに鼻水も出てきたし……バトラー、ティッシュもってきて!」
「は、はい……」
問題なのは、身体だけではなく思考も脳筋になってしまったのがな……
民衆の前じゃ決して見せないが、いつボロが出るか心配で仕方がない。
「ふんっ! あぁぁぁぁ……」
「そんな酒に溺れた朝帰りのおっさんみたいな声出さないでください。はしたないです」
「あら、これが私の自然体よ。貴方は良く知っているでしょう?」
「そうですけども……」
いや、それが自然体じゃ困るんよ。
普通の人でも堂々と人前で鼻をほじったりする人は少ないのよ。
公爵令嬢ってなると、他にそんな人はいないのよ。
公務やパーティーとかで美しいドレスに身を包んだ貴族令嬢が鼻をほじったり、屁をこいていたりしたら世間はどう思うか?
そんなのがマスメディアに取り上げられた日には、とんでもないことになる。
一応お嬢もその点は理解しているからか、家の者でも俺くらいにしか素を見せてはいないけど。
「いいじゃない! 公爵令嬢ってだけで堂々とオナラはできないわ、鼻はほじれないわで窮屈なんだから! 一人の時くらいは許しなさいな」
「自分もいるんですが……」
「貴方はノーカンよ」
「さいで……」
とても世間から評価されているような令嬢の姿はそこにはなかった。
「もう少し自分の身分に自覚を持ってください……」
「持っているわよ。私なりに」
多分、その辺の意識は低めなんだろうなと思った。
そんな脳筋令嬢ではあるが、根の優しさは昔から変わってはいない。
困っている人がいれば無条件で手を差し伸べるし、家柄を盾に横暴な振る舞いも絶対にしない。
前にその振る舞いもみんなのフィオレンティナを演じるための延長なのですか? と聞いたことがあった。
そしたら真顔で「そんなわけないじゃない。困っている人がいたら助けるのが人として当然でしょ?」と返された。
なんか自分が人外のような考えを持っているかのように感じて悲しくなった。
まぁそんな優しさも持ち合わせているから、今もこうして従事している。
色々な意味で目が離せないからな。
常に監視の目を張り巡らせていないといけないのが辛いところではあるが……
「ついでにトイレもいきたくなってきたけど、わざわざ一階まで上がるのは面倒ね。バトラー、そこの小瓶をとってきてちょうだい」
「あの……つかぬことをお伺いしますが、その小瓶で一体なにを?」
「もちろん、すっきりするのよ。話の流れ的に言わなくても分かるでしょう?」
「いや、ダメに決まってるでしょ。早く閑処にいってください」
「でもトレーニング時間が――」
「行け」
「はい……」
お嬢は渋々と立ち上がると、一階に繋がる階段の方へと歩いていく。
流石に令嬢として最低限の矜持は持っていてもらわないといけない。
いや、これは人としてか……
そんなことまで許したら今度は道端で同じことをやりかねないからな……
「はぁ……これでも王立魔法大学で主席卒業なんだもんな……」
備考、フィオレンティナ嬢は成人前ではあるが大学で魔法博士という称号を取得している。
王国一と名高い魔法大学を飛び級で入学し、首席で卒業……史上最年少&最短で博士号を取得した。
今のお嬢を見ると、魔法とは? という疑問が浮かぶことだと思うが、博士の名を冠するだけあり、魔法には精通している。
それでも魔法を使わないのはお嬢曰く、魔法なんて俗世に汚染された女々しか技よ……とのこと。
お嬢を見ると、女々しいくらいがちょうどいいのでは? と思ってしまう俺は古い人間の考えなのだろうか?
とはいえ、どんな分野でもしっかりと結果を出してくるあたり、流石フェランド様の娘と言ったところだ。
天才と馬鹿は紙一重というが、まさに彼女は天才にも馬鹿にでもなりえる逸材なのだ。
「あ、バトラー!」
お嬢は歩みを止めると、こちらを振り返る。
「5分後に修行用木人で技の鍛錬に移るわ。準備しておいてちょうだい」
「はい。すぐに準備致します」
俺は静かに頷くと、今日もハチャメチャ令嬢のお世話をするのである。
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次回から新章に入ります!
引き続き、本作の応援のほどよろしくお願い致します!
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