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効き目
しおりを挟む遂に、明日、王国の一行がやってくる。
記念式典やら、晩餐会やらで宮殿内は皆忙しい。
だが、ライラは特段忙しいという訳でも無かった。一介の家庭教師に出来ることは限られる。
王国のしきたりや装飾など助言を求められれば答える程度で、エルメレに居る優秀な人材が全てを万事滞りなく準備していた。
ライラは仄かに癖のあるハーブティーをカップへ注ぎ、華奢な体を更に小さく丸めて座るミリアムの元へ運ぶ。
本当はこの気まずい空間に居るくらいなら、ライラも忙しく宮殿内を走り回っていたい。
だが、ミリアムは時間が空けばライラを指名する。特に何か話す訳でも無い。
ライラに出来ることは、ミリアムが出来る限り心身を落ち着かせて明日に臨めるようにする事くらいだが、いかんせんミリアムとの付き合いが長い訳でも無いので気の利いた事も言えない。
ライラは徐に取っ手のついた籠からいくつか油紙に包んだ包みと、蓋をした小さな鍋を取り出した。
本当は上品な陶器のお皿の上に盛って出したかったが、それは叶わない。
ミリアムの前に質素な包みが置かれ、ライラがそれを開くと、ミリアムは眉を一瞬顰めた。
『これは…?』
ミリアムがライラに顔を向ける。
『こちらは王国のお菓子です。料理人に無理を言って手伝っていただきました』
バターの香りやカカオの香りにミリアムの表情は幾分緩む。クッキーの形は食べやすさと可愛さを考慮して小さく、そしてより可愛らしく作り上げたマカロンとマドレーヌも一緒だ。
レイモンドから貰ったお菓子のレシピ本は大いに役に立った。
『それと…こちらは、トロメイの物です。ミリアム殿下もお召し上がりになったことがあると思いますが、レシピはそれぞれの家庭で異なりますので、ぜひ一口』
赤い小鍋の蓋を開ければ、そこにはゼリーのような質感の物がある。
色こそ濃い茶色だが、ここにはあらゆるスパイスが入っていて甘味もあるがすっきりとした味わいのものだ。
レイモンドのアドバイスを受けライラはスパイスや薬草を買い求めたが、素人にはどう味付けをすれば良いからわからなかった。
そこで料理人に頼み込んで作ってもらった訳だが、ライラもこのお菓子をトロメイで見かけはしたが食べたことは無い。
ただミリアム殿下は以前も召し上がった事があって気に入っているようだ言う料理人の言葉もあって、スパイスやハーブをふんだんに取り入れて貰った。
毒味も味見も勿論済んである。
使用人に頼んで皿を用意してもらい、品よく盛り付けるとライラはそれをテーブルに並べる。
『さぁ、どれから召し上がりましょう?』
ライラがそう言うと、ミリアムはゆっくりお菓子を見渡し、おずおずとマカロンを指差す。
先程よりも少し緊張が和らいだ顔色の良いミリアムを見て、ライラも少しホッとした。
『美味しかったわ…』
ミリアムは一通りのお菓子を口にして、お茶を口にする。
ハーブやスパイスが効いてるのだろう、ミリアムがリラックスしているのがライラにも分かった。
『お口に合って何よりです。生まれ育った場所の物が1番かもしれませんが、同じ国でもさまざまな食べ物があります。
外国の物も、また新鮮で楽しめるかと––…』
ライラがそう言うと、ミリアムは膝の上に両手結ぶようにして置く。
『……王国のお菓子が存外美味しいという発見はありました。確かに、これは違う一面ね』
ミリアムが大きな目をライラに向ける。
『私が王国の皆様と一緒に過ごす間、あなたは何をしているの?』
王国の一行がこちらへくる間、両国には公式に通訳が付く。博識で人生経験も豊富な身分の高い、通訳が。
勿論ライラはそんな役割は与えられていない。キアラからもそんなお達しは来なかった。
滞在中の細々とした雑用や、王国の一行でも末端の人達の通訳など片手間で出来る程度の仕事は既に任されている。
与えられた数少ない役割の中で、十二分にライラはエルメレの役にたつと示さないといけない。
そこまで警戒しなくても、宮殿内で王国の重要人物達と顔を合わせる事はまず無いのでは––…と思った程の仕事内容だ。
『人手が必要な場所で手伝いがありますが、私に出来ることは限られますので、お暇を与えられるかもしれません』
ライラの言葉に、ミリアムはふーんと言葉を返す。ミリアムの視線はライラの顔より少し下を向いていた。
『…あなたは私に付いていてちょうだい』
『え––?』
ミリアムの言葉に、ライラは不敬にも声を漏らしてしまった。
確かに、もしかしたらミリアムかキアラから何か命じられるかもしれないとは思っていたが、ライラは貴族でも無い。
ただのポッと出の教師––キアラも歳が近いから年配の教師よりかはミリアムには良いだろうと当てがった、丁度良い駒だ。
自分は役に立つんだと躍起になって下手を打つよりは、粛々と任された事をこなす方がより堅実だと思い直した所だった。
『いえ、私はそのような立場には…何より身分のしっかりとした、両国公式の通訳がおりますので』
ご立派な通訳を差し置いて、どこの馬とも知らない教師が…どう考えても敵が増えそうだ––––
ライラがミリアムに新しい茶葉を用意する。
落ち着かせすぎておかしな思い付きをさせてしまったのかと思いつつ、ライラはまた新しいポットにお湯を注いだ。
茶葉は気持ち少なめに、お湯を多めにしてみた。
『いいえ、ダメよ。あなたは私と居るの。
お姉様にもお願いするわ』
いやいやいやいや––––
ライラが嫌そうな顔を隠せないでいると、ミリアムはじーっとライラの様子を伺っている。
『嫌なの?何がそんなに嫌なの?』
『いえ嫌とか嫌じゃ無いという話では無くてですね……』
『じゃあ、いいじゃない。決まりね』
久しぶりにミリアムは小憎たらしい笑みをライラに向ける。
しっかりと変装の準備をしなくてはいけないらしいが、果たして明日までに間に合うのだろうか……。
ミリアムはスッと立ち上がると、お茶を注ごうと床に跪くライラを見下ろす。
その頬はほんのり紅く染まって随分顔色も良くなった。
『その指輪、素敵ね。…私が気付いていなかったとでも思った?よく見覚えがあるわ』
ミリアムの言葉にライラは手元が狂い、ガシャンと音を立てて銅製のポットがテーブルに落ちる。
ミリアムはそのまま扉へ向かう。
『じゃあ明日ね、先生––』
そう言ってにっこりと笑みを浮かべてライラを振り返ると、ミリアムは軽やかに去っていった。
確かにミリアムの顔色は良くなった。
期待通りの効果があったのだろう。
効きすぎた…かもしれない……
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