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橋渡し

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 王国からの一行が来る日は、確実に近づいている。
 ミリアムは意外にも真面目にライラの授業を聞いていた。だがライラが気にしていたのはミリアムの顔色と雰囲気だった。
 
 その顔は日増しにやつれ、雰囲気も儚気とは言い難い、何か諦めたような荒んだものを感じる。
 
 
 周りから既に外堀は埋められているのだから逃げる事も出来ない。
 
 憎まれ口を叩かないで真面目に授業を受けるミリアムなぞ、ミリアムでは無い。 ライラは調子が狂ってしまう。
 
 もし、ポッキリと折れてしまったら…
 
 抗えない大波にそのまま身を任せそれを乗りこなせる様な生き方が今のミリアムに出来るとは思えない。
 箱入り娘なのだから、箱の外の生き方は知らないだろう。
 
 それでも真面目に取り組もうという姿勢は、己の産まれをよくよく自覚したからに違いない。
 
 
 
『ミリアム殿下…もし不安な事があれば、お聞かせください』
 ライラがエルメレの言葉でそう言ったのでミリアムは大きな目を更に見開いて驚いた顔をする。
 
 大きな目に、可愛らしい顔立ちの年頃の女の子…驚いた顔はまだ幼さを感じさせた。
 
 
 
『…形の無い、大きな不安に押しつぶされそうなのです。自分も、皆も、中身の無い人形が動いているように感じてしまって』
 ミリアムは目を伏せ、淡々とそう呟く。
 
 大事に可愛がられて育ったと聞く。
 当てにしていた皇帝陛下も、母であるオクサナ妃でさえ梯子を外した。
 ここに来てそんな事をするくらいなら、もっと心の準備が出来る様にすることも出来たのに…可愛がった事が余程残酷にライラには思える。
 
『ミリアム殿下は人形ではありません。
 意思を持ち、ご自分の足で立っておられます。勿論、持って産まれた責務はありますが…物の見方を変えれば、お気持ちも変わってまいります…』
 
 あまりズケズケとした物言いは出来ない。お前に何が分かると言われればそれまでだからだ。
 
 
『…その様に、多くの面を私に見つけることが出来るのか分かりません』
 
 ミリアムが大きな目をライラを向けた。
 涙を溢すでも無く、灰色の目は余計に暗い。
 
 ライラもぐっと押し黙ってしまった。
 
 
『…ミリアム殿下は王国とエルメレを繋ぐ架け橋、どのように繋げるか、ミリアム殿下に託されています』
 
 つまり、やり方は選べる…
 ユージーン皇太子はまだ若い。年老いた王や有力者に嫁ぐよりは良いとは口が裂けても言えないが、実際親に売り渡される年若い女性は多い。
 
 ユージーンとどんな関係を築けるかによるが、まだ年が近い分分かり合える物も多いのではないかとライラは期待している。
 
 ミリアムには何か希望が必要だ…
 
 ユージーンが、ミリアムに希望の灯してくれると良いが…
 
 生気を感じさせないミリアムの瞳を、ライラは心配そうに覗き込んだ。
 
 



 
『…なぜ、私なのでしょう。とても名誉な事ではありますが…』
 
『良い質問だ。あなたなら客人の期待に応えてくれるかと思ってな。事情もよくよく知っているし、貴方は私達の信頼を裏切らないだろう?』
 
 フィデリオは染色が難しい落ち着いた紫色のしっかりとした上質な衣を纏い、それなりの装飾品を付けている。
 
 礼儀上のもてなしの1つと自らの存在をきちんと知らしめるためだ。
 
 
『先日の一件以来、トロメイの多くの命をお救いいただいた事、そして…その様なご信頼を賜る事は身に余る光栄でございます。その懐深いご慈悲にはいつでも身を粉にして報いる所存です。
 …ですが、王国の北方民族と我等で一体どのような話をすれば良いのか…』
 
 デュマンは落ち着いた赤の衣装に、きちんとした装飾品を付けて、フィデリオの向かいに緊張した面持ちで座っていた。
 
『身分を明かすかどうかは任せる。あちらものっぴきならない理由で生き残るのに必死なのだ。…ライラ殿を脅しに使う程な』
 
 フィデリオの物言いに、デュマンの眉がピクッと小刻みに反応した。
『脅し、とは?』
 
『王国でさる大貴族の新妻が亡くなった話はデュマン殿もご存知でしょう?北方民族はその大貴族とも縁が深い。
 その新妻が生きていると疑っておられるそうだ、お客人は』
 フィデリオがそう言うと、デュマンは眉間に皺を寄せた。

 先日のトロメイの一件以来、帝都に来るのは初めてだった。一族諸共処刑を覚悟したデュマンだったが、皇族の監視の元、事の取り仕切りはアクイラの一族に任された。トロメイの当主、そして次期当主、その一派はそれぞれ処刑、または幽閉に、そこまで時間は掛からなかった。
 
 また不明瞭な資金の使い道なども見つかり、トロメイ領は未だ対応に追われている。
 
 ハーレに力を貸した連中も、散り散りになった者を追い処刑は進んでいた。
 
 幸運にも咎を免れた当主の孫娘は、ジャニスが全面的に支援し、実質今トロメイの実権を握るのはデュマンの父ジャニスとなる。ジャニスのためなら、とアクイラの家長も力を貸してくれているのは大きい。
 
 勿論、デュマンもその手伝いに奔走している。だが皇族の呼び出しならば何より優先して応えなければならない。
 なので全てを放り出して慌てて馳せ参じた訳だが、デュマンには事情がよく飲めていない。
 
 
『だが、建前。餌に過ぎないだろうと予想している。あちらは此方と関係を持ちたいのだ。我々も少し、知りたい事がある』
 
 デュマンの後ろに立つベルナルディ侯爵家の三男が、一際鋭い視線でデュマンを見ていた。
 大怪我を負いながらも賊を蹴散らし、ライラ始めアクイラ卿を守った男には畏敬の念と共に申し訳無さが先立って、不敬にもフィデリオよりレオの方がデュマンは気になる。
 
『亡くなった新妻の夫が、もう直ぐ国賓と共にエルメレへやってくる。フェルゲイン侯爵家家の次男だ。デュマン殿はそこまでもうご存知だったかな…?
 そしてフェルゲイン侯爵家の長男、跡取り息子はエルメレに居る。不思議だと思わないか?随分タイミングが良いと。
 勘違いなら良いのだ。エルメレは多種多様な人材を受け入れている。だが、いつでも万が一がある。
 デュマン殿ならよく分かってくれるだろう。我等も情報を集めているが、時間が足りない。北方からのお客人は、我等に有意義な話をしてくれると思うのだ』
 
 フィデリオは、デュマンの商人としての資質を買っている。それは人伝でも聞いたし、アクイラ卿もお墨付きだ。
 
 その手腕で、なぜフェルゲインの長男が理想郷なぞと謳われる反帝国の集まりに出入りしてるかも聞き出せるかもしれない。
 
『…ライラ殿は我等にとっても大切な御方。何より、血筋は歴としたトロメイ、サングタリーの血を分ける同胞です。
 私でお役に立てるのであれば、必ず…お望みの情報を持ってきましょう…』
 
 恭しく頭を垂れたデュマンは、焦っていた。
 
 マズイ…
 ライラ殿にちょっかいを掛けたのがバレてるのか?いや確実にバレている…
 
 アクイラ卿がお守りで貼り付いていたのだから、筒抜けだ…
 
 そして、ベルナルディ卿のあの今にも刺す様な瞳。あれは獲物を狩る猛禽類の目だ…とデュマンも見覚えがある。
 数え切れぬ程鷹には接してきた。あれほどでかくはないが…
 
 デュマンの勘は大体当たる。
 勿論、レオがライラに向ける視線にも、気付いていた。
 
 
『やはりデュマン殿だな、心強い。レオはデュマン殿とトロメイで会ったかな?
 レオの元へ応援がいち早く到着出来た一因は、デュマン殿の機転と聞いた。
 私からも感謝申し上げたい。ベルナルディ侯爵も、勿論姉上も同じ思いだ』
 フィデリオが頭を後に軽く反らせる。
 
 後ろに居るレオに目をやると、レオは変わらぬ冷たい視線で軽くデュマンへ会釈した。お礼のつもりだろう、デュマンも慌てて恭しく頭を下げる。
 
 
 顔を上げるとデュマンは気まずそうな笑みを浮かべてレオを見る。
 まるでいつでも殺せるとでも言いたがげなレオの瞳から逃げられそうも無い。
 
 
 
 
 デュマンは役に立つ…
 フィデリオには自信があった。
 
 今のデュマンの状況なら、それはそれは素晴らしい間者、いや協力者になるだろう。
 
 表面上も、現実にも、デュマンはライラの縁者には変わりない。彼はお気に入りの同胞を助けたいに違いないだろう。
 この男なら、北の氏族ともきっと渡り合える…
 
 
 フィデリオはニッコリと笑みを浮かべながら、レオとデュマンを交互に見遣る。
 
 
 レオの猛禽類の様な鋭い目を見ながら、
鷹狩りを思い出すな…と思える余裕さえフィデリオにはあった。
 
 
 
 今回の人選に間違いは無い、と満足気にフィデリオは笑みを浮かべ続ける。
 
 
 
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