102 / 106
音沙汰
しおりを挟むアイヴァンが来る…
レオから告げられた言葉を何回も頭の中でライラは反復する。
あの夜…思い出すたびに顔が赤くなるが、どこか胸がいっぱいになると同時に、エルメレにやってくる一行の事でライラの体は緊張し、硬くなった。
アイヴァンが怖いのか、はたまた欺いて逃げた罪悪感なのか…
それはまだライラには分からない。
休日の朝方、ライラは狭い部屋の窓際に置いた2つの植木鉢をより日光の当たる場所へ動かす。大爺様から分けてもらった赤い実だ。
バイラム殿下からどうにかならないかと文を貰い、こうしてとりあえず育てている訳だが…
ウーゴが許さないのをバイラムは見越していたらしい。わざわざ大爺様では無く、ライラに文を出したのだから。
ライラとしても、皇族に気に入られて悪い事は無い。
出来るだけ、自分の評判が良ければあるいは…手も足も出ない身分の人の近くに、ほんの僅かでも居られるかもしれない。
あり得ない事だと分かっているが…
自分が擦り切れるまでは足掻くことにした。
正しく病気と言っていいだろう。
レオと会った日以来、差し出し人の名前の無い手紙や小さな花束が時折届く。
内容は誰に見られても困らない、簡単な文章だ。
それでも、誰が送ってくるのか、ライラには分かる。
その品よく可愛らしい花達が届く度、いつかのアイヴァンの屋敷がまるで花畑のようになったことを思い出した。
瑞々しく麗しい香りに、気持ちは自然と和らいでいく。あの屋敷の中でも、この手狭な部屋でも…それは変わらない。
花の香りに包まれながら、一言二言しかない手紙の丁寧な文字を、ライラは何度も指でなぞる。
そうすれば、緊張した体も少し楽になった。
『…これを、レイモンド殿に?』
フィデリオは人払いをした自らの屋敷で、レイモンドと向かい合わせに座っている。
レオは、フィデリオのすぐ後ろに控えて、フィデリオと共にレイモンドの話に耳を傾けていた。
『私がこれをフィデリオ殿下にお渡しするのは、エルメレの方々に謂れ無き疑いを持たれない様にしていただきたいからです…』
レイモンドは大きな体の背を丸めて、気まずそうにそう溢す。
『誰もレイモンド殿を疑う訳は無い。クレイグ…殿は勿論、我々はフォーサイスの皆様に感謝している』
フィデリオがそう言っても、お互いの纏う空気にはどことなく緊張感があった。
腹の探り合い…
皆家門を背負い、国も違う。
信頼しているが、油断は出来ない。
とはいえ、フィデリオはレイモンドの行いに、確かな誠実さと忠義を感じた。
『…噂が出回っている様なのです。真実を知る者が漏らすとは余り考えられません。…死亡確認をしたのは、他でも無い兄ですから。面倒ごとに巻き込まれたい方は居ないでしょう。
手紙の送り主は、カマを掛けてお戯れなのかもしれませんが…。そして、既にご存知の様に…』
『…エドガー殿の事か?』
フィデリオの言葉に、レイモンドは喉を鳴らし、ゆっくりと頷いた。
『私達も既にそれは把握している。もし彼が噂の出所であっても驚く事は無い。
この手紙にエドガー殿の名があるのも不思議では無い。フェルゲイン侯爵家と北の氏族は切っても切れない縁…
何せ、エドガー殿はフェルゲイン侯爵家の嫡男、アイヴァン殿の兄君だ。
フェルゲイン侯爵家も、新しい家族をあんな風に失えば疑いたくもなるだろう。 ザイラ殿の亡骸を最後に見たのは我がエルメレの医師とフォーサイス医師だからな。
だが…ザイラ殿は既に墓の下に眠られている。噂は噂に過ぎない。そうだろう、レイモンド殿?』
フィデリオは柔らかな表情でレイモンドにそう問いかけた。
『それは、勿論。そのつもりでおります。 …エドガー様がこちらに居るとは風の噂程度に私も聞いておりました。とはいえ直接の交流も無いので、まさか帝都に居るとは私も思ってもみませんでしたが…』
レイモンドの額に汗が滲む。
エドガーとは、フェルゲインとは親しいわけではないとなんとかレイモンドはフィデリオと…レオに伝えたい。
『心配する事は無い。だが、この文をレイモンド殿に送った相手は…どうやらエドガー殿とは別に、ライラ殿を餌にして何かを引き出したい様に見える。
…まぁ、難しい立場に居るのはよく理解できる。突っぱねても勿論良いが…』
さて、どうしよう…とフィデリオは微笑みを浮かべながら頭の中で考える。
後ろから何やら圧を感じていて落ち着かないが、それを顔に出す訳にはいかない。
レイモンドは先程からその圧に屈してチラチラとレオの表情を伺っている。
フィデリオも勿論気付いている。
気が利く故だ。そしてこのフォーサイスの弟は心根が優しく善人…とフィデリオが視線をレイモンドに向けた。
レオとライラの事は既にレイモンドには察して余りある。主に、レオがライラを…という所でレイモンドの推測は途切れているが、レオの心境を推し量るとレイモンドは余計に落ち着かない。
余りにもレイモンドがレオを気にするので、そちらの方がフィデリオは気になり、どこか可笑しさが込み上げて来た。
『レオよ、どう思う?』
不意に、フィデリオは後ろを振り向き、レオに声を掛ける。
『…どう、とは?』
思い人の元夫や厄介ごとがわざわざ海を渡ってやってくるのだから、苛立っているのは見て取れる。
首元の血管が浮き出ているので、歯をギリギリと噛み締めているのだろうとフィデリオは思った。
確かに、レオ本人からどうなったのかはフィデリオは聞いていない。
思い人の心のウチは覗けたのか…果たして2人はどんな関係なのか、レイモンドも1番気にしている所だろう。
『…不安や心配はあるか?ライラ殿について』
フィデリオはあくまで、揶揄う様に軽くそう言った。
レイモンドがギョッとしてフィデリオを見る。
『王国の御一行がご滞在中気は休まりませんが、…特段の憂慮はしておりません。何より、ライラ殿には関係の無い方達ばかりですので』
レオはただ真っ直ぐと前を見据えてそう言った。
『自信がある様だぞ、レイモンド殿』
フィデリオがレイモンドに笑みを向けると、レイモンドは気まずそうにキョロキョロと目を動かす。
『まぁこの話はこちらで一度預かろう。此度の報せ、感謝している。先日のトロメイの件に続き、心苦しい思いばかりさせてしまい申し訳無い』
『いえ…この上無い名誉です。日頃より、身に余るほど良くしていただいておりますので』
レイモンドはレオとフィデリオを交互に見ると、背を丸めて何度も軽く頭を下げた。
トロメイからの帰還以来、アクイラ卿はレイモンドをとても気にかけている、とフィデリオは知っている。
気にかけているというよりは気に入っていると言っていい。レイモンドが居なければ、恐らく皆無事には帰って来れなかったからだ。
そしてアクイラ卿のお気に入りと言う事は…キアラも同じだということもフィデリオは理解している。
元より、キアラはフォーサイスの一族を気に入っているが…
レイモンドが去った後、フィデリオは力を抜いてソファに体を預ける。
『随分自信があるんだな』
フィデリオはまた頭を逸せて後ろを見上げた。
『…』
またダンマリだ…まぁ詳細は言うなとフィデリオもレオに以前言ったので詰めるつもりは無い。
何より、レオは分かりやすい。
『御者も夜は寝かせてやれ。仕事に響く。
急いだ方が良いと言ったが、その足で行くとは私も思わなかった。情熱的で結構な事だ』
フィデリオが口の端を上げて揶揄うと、レオはフィデリオからの視線を逸らした。
『変装の仕方をよくよく指南してやる事だ』
『…っ私も最初は反対致しましたが、本人が仕事を全うしたいと仰るので……』
レオは不満気な気持ちを隠し切れていない口調でそう溢す。
『ほう。健気では無いか…王国に居た頃を思い出す』
フィデリオの言葉に、レオは微かに首を傾けた。
『分からないのか?』
フィデリオは大袈裟に目を丸くして見せる。
『今や身分も無い一介の教師と侯爵家の息子だぞ。事情を知らない者が見れば身の程知らず、不釣り合いだと思うだろう。 だが働きがそれなりに認められれば、かの婦人にもそれなりの地位が約束されるかもしれん。
お前に負担を掛けたく無いんだろう。 見合うようになりたいと、苦心してるように取れる。元はれっきとした伯爵令嬢であるのに』
横目で、レオを見るとレオの表情はいつもと変わらない。だがその耳がこれ以上無いほど赤くなっていた。
それに気付いてしまう自分に、フィデリオまでどこかこそばゆくなってくる。
一体どうなっているんだ…と見ていられなくなって、堪えきれずフィデリオはレオから視線を逸らした。
『…王国に居た頃、名ばかりの夫にもよく尽くす妻に見えた。婦人は献身が過ぎる性分のようだが、あれでは心身を削りすぎる。まぁ今はお前が婦人の為に寝食や心身を削っているが、私もよくよく気にかけておこう』
王国の一行が来ても、恐らく誰かの役に立とうとか、お人好しな事をされるとその身がバレてしまう可能性は一気に上がる。
『…先程の文の差し出し人、どうするおつもりですか?』
このタイミングでレイモンドに接触を図ろうとする人物について、レオは尋ねた。
『無論ザイラ殿は墓の下だ。
だが、向こうの目的はライラ殿では無いだろう。彼方も喉から手が出るほど此方とのパイプは欲しいはず…』
フィデリオは眉間に皺を寄せてそう答える。
『フェルゲインの内輪揉めは王国でやっていただきたいものです』
『…内輪揉めか。もう少しエドガー殿の事は情報が必要だな。文の差出人に聞くのが1番手っ取り早い。人選を誤らない様にしなければ』
フィデリオはレイモンドから預かった文にもう一度目を落とす。
王国の一行が来る…
余計な嵐をこちらに連れて来ない事をフィデリオは祈った。
2
お気に入りに追加
61
あなたにおすすめの小説
側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。
とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」
成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。
「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」
********************************************
ATTENTION
********************************************
*世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。
*いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。
*R-15は保険です。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
王子妃だった記憶はもう消えました。
cyaru
恋愛
記憶を失った第二王子妃シルヴェーヌ。シルヴェーヌに寄り添う騎士クロヴィス。
元々は王太子であるセレスタンの婚約者だったにも関わらず、嫁いだのは第二王子ディオンの元だった。
実家の公爵家にも疎まれ、夫となった第二王子ディオンには愛する人がいる。
記憶が戻っても自分に居場所はあるのだろうかと悩むシルヴェーヌだった。
記憶を取り戻そうと動き始めたシルヴェーヌを支えるものと、邪魔するものが居る。
記憶が戻った時、それは、それまでの日常が崩れる時だった。
★1話目の文末に時間的流れの追記をしました(7月26日)
●ゆっくりめの更新です(ちょっと本業とダブルヘッダーなので)
●ルビ多め。鬱陶しく感じる方もいるかも知れませんがご了承ください。
敢えて常用漢字などの読み方を変えている部分もあります。
●作中の通貨単位はケラ。1ケラ=1円くらいの感じです。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界の創作話です。時代設定、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
旦那様の様子がおかしいのでそろそろ離婚を切り出されるみたいです。
バナナマヨネーズ
恋愛
とある王国の北部を治める公爵夫婦は、すべての領民に愛されていた。
しかし、公爵夫人である、ギネヴィアは、旦那様であるアルトラーディの様子がおかしいことに気が付く。
最近、旦那様の様子がおかしい気がする……。
わたしの顔を見て、何か言いたそうにするけれど、結局何も言わない旦那様。
旦那様と結婚して十年の月日が経過したわ。
当時、十歳になったばかりの幼い旦那様と、見た目十歳くらいのわたし。
とある事情で荒れ果てた北部を治めることとなった旦那様を支える為、結婚と同時に北部へ住処を移した。
それから十年。
なるほど、とうとうその時が来たのね。
大丈夫よ。旦那様。ちゃんと離婚してあげますから、安心してください。
一人の女性を心から愛する旦那様(超絶妻ラブ)と幼い旦那様を立派な紳士へと育て上げた一人の女性(合法ロリ)の二人が紡ぐ、勘違いから始まり、運命的な恋に気が付き、真実の愛に至るまでの物語。
全36話
【完結】記憶を失くした貴方には、わたし達家族は要らないようです
たろ
恋愛
騎士であった夫が突然川に落ちて死んだと聞かされたラフェ。
お腹には赤ちゃんがいることが分かったばかりなのに。
これからどうやって暮らしていけばいいのか……
子供と二人で何とか頑張って暮らし始めたのに……
そして………
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる