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 何か、遠くから音がする…
 
 そのしつこい煩わしさに、ライラもいい加減目を覚ました。
 
 とはいえまだ辺りは真っ暗で、真夜中なのはすぐに分かる。
 
 
 扉は遠慮がちだが、ドンドン、と強めに叩かれていた。
 
 一体何事かとライラは飛び起き扉を開ける。
 
 そこには見ず知らずの使用人と宿舎の管理人である年配の女性が眠たそうな顔で佇んでいた。
 
 
『かの貴人よりお呼び出しです。直ぐに下の馬車へ』
 年配の女性がむっすりとそう告げる。
 
 かの貴人…
 
 その言葉にライラは一瞬考え込む。
 
 
 ミリアム?フィデリオ?キアラ?
 大穴で…ウーゴ?
 
 悪魔の実の事をバラしたと知ったウーゴが焦って来たとしてもライラは驚かない。
 汗を拭いながら目を見開いて詰問されるだろう。
 
 相手は皇族だ、分かっているのか、と…。でも大爺様とライラはこの通りピンピンしてる訳で、罪にはならないはずだ。
 
 だが、呪い師とか占い、とかが絡んでくると話は別物になってくる…
 
 それを持ち出されたら確かに面倒だとライラは腕を組んでうんうん考え込む。
 
 
 
『…かの貴人よりお呼び出しです。直ぐに下の馬車へ。腕を組んで考え込んでる暇はございません』
 女性がピシャリとそう言い放ち、ライラもハッとして夜着に羽織ものだけして外へ出る。
 
 この格好で良いのか、時間を掛けても着替えた方が良かったか迷ったが、女性と使用人の様子を見るに、一刻も早く向かうことが優先された。
 
 
 
 下まで降りると、確かに馬車が一台停まっている。
 
 だがよく考えると怪しげな話だ。
 
 真夜中に呼び出しとは…
 
 まさか…良くない事に巻き込まれたり…
 
 とまた腕を組んでうんうん唸り始めると、馬車の扉がパッと開かれた。
 
 
『早うお乗り下さい』
 女性はズンっとライラの背を押して半ば無理矢理馬車へ押し込み、いや乗り込ませる。
 
 勿論馬車の中は暗い。
 
 一体誰が…とライラが期待と恐怖に顔を上げると、遊色に煌めくその瞳は、ライラが思ってるよりずっと近くにあった。
 
 
 
『大丈夫ですか?申し訳ありません、時間も無く急いでいたもので…このような真夜中に…』
 馬車が勝手に動き出し、開けられたカーテンから外の光が入り込んできた。
 
 声の主人は申し訳無さそうにライラへ腰を回すと、そのまま一緒に椅子へ腰掛ける。
 
 
 
『本当は昼間に時間を取りたかったのですが…生憎最近は時間も取れず。
 今日はバイラム殿下の仰せで、ミリアム殿下のお屋敷まで行くことが出来たのですが…』
 
 言い訳しなくて良い事を、レオが申し訳無さそうに言い続けるのでライラはポカンとしてしまった。
 
 未だに夢かと疑う程に。
 
 
 
『…レオ様?本当に、レオ様ですか?』
 ライラはレオの姿を上から下まで見ると、まじまじとその顔を見つめた。
 
 
 これではまるで夢だ…
 
 思わず手を伸ばして本物なのかライラは確かめたくなる。
 馬車の中は暗く、その指先が、レオの頬を掠めると、レオは制するようにその手をギュッと握りしめ、元あった場所へ戻した。
 
 時折カーテンの隙間から射す光がレオの驚いた顔を晒す。
 レオはそれを隠すように顔を逸らし、それでも続くライラの視線に耐えかねて顔をさっと伏せた。
 
 
 
『…あまり見つめないで下さい』
 レオは絞り出すようにそう言った。
 
『え?』
 
『落ち着か無いのです…。訪ねた私が悪いと承知しておりますが…』
 その言葉に、ライラは顔を下にして自分が着ているものを確かめる。
 
 
 
 確かに薄い夜着に簡単な羽織ものを着ただけで、化粧もして無ければ髪も整えてない。
 …ただもっとボロボロになったライラの姿を知っているのに、レオはなんとも苦しそうにそう溢した。
 
 
 …まぁ怪我人でも病人でも無い上にこんな姿を晒すのは、確かに王国でもいただけないのは理解している。
 
 ライラは羽織ものをぐっとまえにしっかり伸ばし、申し訳ございませんと小さく頭を下げた。
 
 
 レオは俯きながら小さくため息を吐くと、顔を左右に振ってもう一度顔を上げる。
 
 
『…ライラ様の耳に入れなければならない事があります。出来る限り早く、そうしなければいけないと思い…』
 
 レオの言葉に、ライラも改まってレオの方を向き直った。
 
 
 
『…およそ2ヶ月後、王国の御一行がエルメレへやって参ります』
 
 その言葉に、ライラはビクッと体を震わせた。期待したような話では無かったが、充分に衝撃が走る。
 
『ライラ様もよくご存知の、ユージーン皇太子殿下が国賓として…です』
 
 と言うことは…やはり…
 今の状況を考えるなら…
 
『…ミリアム様とのお見合いを兼ねられてるのですね?』
 
 だから、ライラは教育を任された…
 ミリアムの気持ちを知っていて、その周りは酷な事この上ない。
 
 自分も加担しておきながらそう思う資格は無いが、経験上気持ちの良いものでなかった。産まれながらに背負った責務…そう言われれば何も言い返せないのは自分もよく知っている。
 
 
 
『既にこちらに来る者の名簿も渡されています…』
 レオは言いづらそうな顔で眉間に薄らと皺を寄せる。
 
 
 
 ユージーン皇太子…
 その周りにいつも居るのは、誉高い騎士達…
 
『…アイヴァン様も、ご一緒なのですね』
 ライラはそっと視線を落とす。
 
 エルメレでその存在を聞くとは思わなかった。まさか、フェルゲイン侯爵まで来るとは思えないが…
 
『他にも王国の言葉に長けた者はおります。レイモンド様も、王国の方達がご滞在中は双方へお力をお貸し下さるでしょう』
 
 レオは、膝の上に両肘を置き、両手を硬く握り締めた。
 
 ただでさえ忙しいレイモンドに期待が出来るのだろうか…
 
 母である魔女から押し付けられる書籍の翻訳や雑務に追われて寝食さえ削っているレイモンド…
 その上普段はエルメレで薬学を学びつつ知識を他の者にも懇切丁寧に教授しているあの兄とは真反対の心優しいレイモンド…
 
 恐らく今の彼には今以上に何かに裂ける時間も気力も体力も残ってはいない。
 ライラの手を借りる程なのだから。
 
 
 
『では…私は参加しなくて良いと?…今や私は一介の教師。役に立たねばお役御免で放り出されてしまいます…。
 それにミリアム殿下に望まれればお側に控えねばなりませんし、キアラ殿下に何かお考えがあれば、そちらに従う他ありません』
 
 ミリアムとユージーンが上手くいかないと分かったら、王国の船と一緒に送り返される…そんな事は無いと願いたい。
 
 バレてしまう危険性はあるが、きちんと対策さえ練れば自分は役に立つと示す絶好の機会だ。
 
 キアラに、自分は役にたつ、そう思って貰い続ければ…ライラはこの地に留まり続ける事が出来るだろう。何かを主張したければ、義務は果たさなければならない。そして、期待以上の働きをすれば…
 
 ライラは隣に座るレオを見る。
 
 
 ライラが見るレオは、先程よりも機嫌が悪そうにライラには見えた。苛立ちからなのか、首の血管が浮き出ている。
 
 先程、というよりアイヴァンの名前を言う前に比べて、だが…
 
 
『ライラ様の事が万が一でもあちらに知られたらどうするのです?フィデリオ殿下も気にかけておられます。ライラ様の身元はエルメレのものですが、王国に縁があるというのは知っている者も多い…』
 
 
『…この広いエルメレで王国に行った事がある者など数え切れません。フィデリオ殿下もレオ様も、行かれたではありませんか。私の身なりは何よりエルメレに馴染むもの…化粧を濃くし、ベールを被ればそう簡単に誰かは分かりません。声も張らないよう心掛けましょう』
 
 
 ライラの言葉に、レオは小さく唸り俯くと、もう一度ライラを見た。
 
 その瞳はやはり穏やかなものに見えない。
 
 
 
『私からもキアラ様に進言致しますが…。 何を言っても、確かに貴女は好きに飛んで行ってしまいそうだ…』
 レオは手を伸ばし、ライラの頬に添えようとしたが、触れる直前でその手を引っ込める。
 
 
『…私は、正直申しまして…ライラ様を王国の御一行から出来る限り遠ざけたいのです。とある御方からは特に…』
 
『向こうからやって来るのなら仕方無いのでは?』
 
『…』
 
 ライラの言葉を聞くと、レオは両手を放り出し、力を抜いてだらし無く椅子に体をもたれかかる。
 
 
 
 
 この人…こんな人だっただろうか?
 まるでいつものスマートで切れ者のイメージとはかけ離れている。
 ライラはその子供のようなレオの様子に視線を向けた。
 
 まるで、不安がっているような…
 拗ねているような…
 
 そんなレオの姿を初めて見た。
 
 烏滸がましくも、…可愛らしいと思えば不敬なのだろうか、とライラは口元に手をやる。
 
 
 
『何か可笑しな事でも…?』
 
 ライラの様子に気付いたレオは不服そうにそう溢す。
 
 今なら、言えるかもしれない…ライラは笑みを抑え、努めて自然に口を開いた。
 自分が赤くなっては様にならない。
 
『今日は…抱きしめては下さらないのですか?』
 
 ライラがそう言うと、暫く沈黙が流れた。
 
 
 
 言いようの無い気まずさに、ライラの体はいよいよ耐えられなくなる。
 体中がみるみる赤く染まり始め、ライラは恥ずかしさに顔を伏せる。
 
 言うんじゃなかった…と後悔が襲って来たが、出てしまったものは仕方がない。
 
 
『…いえっその…戯れを申し上げました…』
 そう言って言い訳にもなってない事を並べて馬車の壁ギリギリまで体を後退しようとライラが少し腰を浮かした時、それを阻むように逞しい両手がライラを捕らえてレオの胸元へ埋められる。
 
 
『私が先日言った言葉をお忘れですか? 私も…抑えているのです…。それに私もライラ様のお立場を考えず焦り過ぎかといろいろ考えて…いや、もう手遅れですが…』
 頭の上から聞こえる声は溜め息混じりでもどこか熱っぽい。
 
『人を揶揄うのも大概になさってください』
 そう言いながら、レオがライラの髪へ顔を埋める。
 
 
 抱きしめて欲しいと思っていたのは自分だ。揶揄ったわけでも無い。
 
 
 ライラは徐に顔を上げた。
 
 上げれば一体どうなるか、知っている。
 
 少し腰を浮かせて、レオの顔の高さに合わせた。
 
 
 レオだけが持つ美しい遊色が煌めく。 その瞳は大きく見開かれて、驚きを隠せていない。それも構わず、ライラはそっと目を伏せ、レオの唇に自らの唇を重ねた。
 
 
 そして直ぐにそれを離すと、もう一度レオと目が合った。灰色と黄金色が混じった瞳に、時折窓から光が入って揺らめいている。
 
 すると、ライラの頭の後ろを大きな手が包んだ。
 
 グッと力を込められれば抗う術はない。 ライラとレオの距離はすぐに無くなり、先程よりも深く、そして長い口付けは続く。
 
 
 唇が離れると、レオは何かを堪え切れないように苦しい顔でもう一度ライラを強く抱きしめた。
 
『…戯れが過ぎると、手酷くやり返されますよ』
 レオの色気を纏った低い声が、ライラの体を震わせる。

『レオ様に会えると思っていなかったので…今もまだこれは夢かと思っています』
 ライラが、ポツリポツリとそう溢す。
 
 とても目を見て言えたもんじゃない…とライラの体は熱くなって仕方が無い。
 




『…ライラ様に、お話ししたい事があります。今まで、誰にも話した事がないことです。あなたに、聞いて欲しいっ…』
 
 ライラの耳元で、レオがそう言った。
 
 その言い方は、どうしても苦しみに満ちているように聞こえる。
 
 
『…以前から思っていたのです。レオ様は私の傷がどこにあるかも、どこの骨が折れてるかも全てご存知なのに…ご自分の事は何も教えて下さらない、と』
 ライラがそう軽口を叩く。そして赤く熱った顔を暗がりに隠してレオの顔を見上げた。
 
 
 
『聞かせて下さい。レオ様の口から…
 レオ様の事ならば、何でも知りたいです。私の事は既に隅から隅まで知っていらっしゃるので、私からお話する事はありませんが…。変装の仕方だけお教え下さると助かります』
 
 レオはフッと笑みを浮かべると目を細め、もう一度ライラへ唇を落とす。
 
 
 馬車は一体どこへ向かっているのか分からないが、ライラはこの時間がもう少しだけ続くように願う。
 
 だが、そのもう少し、にはキリが無い。
 
 
 
 御者が気を利かせて馬の歩みを遅める。 空は薄ら明かりが差し始めていた。
 
 
 
 
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