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心緒

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 フィデリオは、ハラハラとする気持ちを抑えるために貧乏揺すりをしたくて堪らない。
 
 それは勿論許されないし、行儀が悪い事も承知の上だ。
 
 だが、ここに集まった面々は、かなり…いや結構な波紋を呼びそうだ、とフィデリオは思った。
 
 確かに話の内容に沿って考えれば妥当であろうが…
 
 
 キアラの後ろには、オナシス卿とアクイラ卿が控え、フィデリオも座るのは固辞した。正直長居はしたく無い。
 フィデリオは側室達の反対側で佇み、キアラが呼んだ者達を待った。
 
 
 
『ご到着されました』
 扉の向こうから使用人が声を掛ける。
 
 
『通せ』
 キアラのよく通る声が部屋に響くと、扉がパッと開かれた。
 
 
 
『キアラ第一皇女殿下にミリアムがご挨拶申し上げます』
 ミリアムがいつも通りの挨拶をすると、レオもそれに続く。
 
 キアラがミリアムに腰掛ける様に促し、レオはフィデリオの側へ控えた。
 
 
『疲れているだろう?呼び立ててすまない。授業はどうだ?』
 
 キアラに言葉を掛けられても、ミリアムは相変わらず落ち着か無い。キアラの側に佇む男性陣の面々が気になって仕方がないからだ。
 
 
 
『…なぜ皆様、そのように立っておられるのです?お茶を楽しむ雰囲気でもございません。お姉様、一体、何を…』
 
 光がよく入るオレンジや暖色で纏められた広めの談話室は確かに緊張を和らげる。既に外は暗いが、代わりに様々な色のガラスで彩られた照明が、室内を照らしていた。
 だが、ミリアムにはそれが狙ってそう思わせているような気がしていた。
 
 
『…話があってな。ミリアムが望むなら、余と2人で構わぬ。
 皆座れと言ったが、立ってる方が良いと言うのでな。そしてこの者達に、ミリアムもいろいろ聞きたいことがあるかもしれぬ。余の話の後に…』
 
 キアラはゆったりとソファに座り、お茶を手に取った。
 
『話…でございますか?』
 
 ミリアムは怪訝な顔でキアラを見る。
 
 
 
『…父上は、そなたを殊更可愛がっておられるな。故に、今後もそなたが困らぬよう、幸せになれるようにと心を砕かれていろいろ考えておられたようだ。
 だが、そなたは何をするにも余り身が入らなんだ…。ミリアム、そなたはこれからどうしたい?』
 
 キアラの強い眼差しは、ミリアムの繕った言葉をすぐ見透かすだろう…ミリアムは気まずそうに視線を逸らした。
 
『それは…以前より、何度も申し上げております…』
 ミリアムも、いつかは国のための婚姻を結ばねばならないのは小さな頃から理解していた。だが、大人になるということは様々な責任がのし掛かる。
 
 守られている方がミリアムは、好きだった。
 
 愛情を注いでくれる両親の側に居れば、何も怖く無い。
 
 何故なら、この国の頂に居るからだ。
 
 誰しもが頭を垂れて、ミリアムの機嫌を伺う。
 
 そして確信していた。
 
 きっと、ミリアムの今後…いや将来思い描くその光景に誰も反対しないだろう、と。
 
 幼い頃から憧れたその人と、きっと結ばれる。家格も申し分無い上に、その活躍は目を見張るものがあった。
 その上皇族に輿入れして貰えれば、ミリアムは宮殿を離れることも無い。
 
 何も帝国1麗しく無くとも、特別な何かを極めなくとも、最低限の事が身についていれば、全てがある場所で、自分は生きていける。
 
 だから、きっと、喜んで賛成してくれるものと思っていたのに…
 
 
 
『残念ながら、それは叶えられぬ。家格は良いが、長男では無いのでな。見合わない。貴族達の力関係も考えねばなるまい。…まぁ、良くて、余の側室といったところだ』
 キアラが口の端を上げて笑みを浮かべる。
 
 ミリアムは目を見開き、レオを見た。
 
 レオの表情は変わらない。
 
 フィデリオだけが落ち着きなく目をキョロキョロと泳がせている。
 
 
 
『お姉様…なんて事を…。わざわざそんな事をお伝えするためにお呼びになったのですか!?』
 ミリアムの大きな目に涙が溜まる。
 
 
『ミリアムよ、そなたに聞こう。我々の責務とは何か?』
 
 キアラの特別大きくも無い声が、ミリアムの鼓膜を震わせる。
 

『我等は国に尽くさねばならぬ。未来永劫国が栄えるように。1番捨てねばならぬものは何か…己自身だ。
 …まぁ例外も居るには居るが』
 キアラはフィデリオを横目で見た。
 
 それが、果たしてフィデリオだけなのかは分からない。
 
 フィデリオは気まずそうな顔を浮かべ喉を鳴らすと目を伏せる。
 
 
 
『そなたはそなたの力で国に尽くさねばならぬ。守られているようで、守らねばならぬものは山程あるのだ。だが、困った事に、其方は己を守る術が無い。父上はそれを憂慮されている』
 
 最近では面会の時間も中々取りづらくなった皇帝陛下の事を出されると、ミリアムは胸が苦しくなる。
 
 父を、遠く無い先、失うかもしれない…その恐怖と不安にミリアムは震えた。
 
 
『父上の憂いを軽くしてやろうでは無いか…ミリアム?』
 
 ミリアムは涙を堪えた赤い顔でキアラを見上げた。
 
『…何を…すれば…良いのでしょうか…』
 
『今何を勉強しておる?』
 
 キアラの言葉で、ミリアムは全てを悟った。いや、確信した。疑いはやはり、その通りだったのだと。
 
『…嫌です。お姉様も、オナシス卿もズルいわ…初めからそのつもりだったのですね…あのような言い訳までなさったのに…』
 ミリアムはハンカチを取り出し、涙を拭った。
 
 
『ノアよ、其方はズルい』
 キアラが揶揄うようにオナシス卿を見る。
 
 
 オナシス卿は相変わらず穏やかな笑みを浮かべ、ミリアムに駆け寄ると、膝を折った。
 
 
 
『申し訳ありません、ミリアム殿下…ミリアム殿下のお力になれないばかりか…ミリアム殿下のお気持ちを裏切るような真似を致しました。どうぞ、私に罰をお与え下さい…全ては私の力不足故でございます』
 
 オナシス卿が胸に手を当てて、頭を垂れる。
 
 
 ミリアムは、キアラを一度見遣ると、またオナシス卿に視線を戻した。
 
『…そんな事、お姉様が許さないとご存知でしょう?皆酷いわ。誰も彼も私を弄んで…!』
 ミリアムはハンカチを両目に当てた。
 
 
『ミリアム。余の政が未熟故だ。許せ』
 キアラはそれだけ言うと、ため息を吐いた。
 
『…これより2ヶ月後、王国の皇太子がこちらへやって来る。父上も承知されている事だ。そなたの母、オクサナ妃ももう耳に入れられている』
 
 それを聞いたミリアムは、悲鳴にならない悲鳴を上げ、ハンカチで顔を覆った。 すぐに小さな嗚咽を漏らし始める。
 
 オナシス卿はその様子を心配そうに見つめ、キアラの表情を伺っている。
 
 
 
 そしてフィデリオは…
 
 抑えられない苦笑いを漏らし、その様子を見た。
 チラリと横目で見ると、レオと目が合う。
 
 レオに行かせるべきか…とキアラを見ても、キアラは顎を少し上げてミリアムを見ているばかりで、どうやらレオの出番は無いようだ。
 
 確かに、ここでレオを出すのも酷な事だ…とフィデリオは髪を後ろへ撫で上げる。
 
 
『今宵はもう良い。休め。後でそなたの好きなものを届けさせる』
 キアラがそう言うと、キアラがオナシス卿に目線を移した。
 
 察しの良い側室は、ミリアムに優しく何かを問い掛けると、手を差し出す。
 
 ミリアムは相変わらず顔を上げずに泣きじゃくっているが、腰を上げてそのまま扉の方へ向かった。
 
 扉が閉まると、フィデリオはフーッと長いため息を吐く。
 
 
 
『ミリアムには…随分甘いのですね…』
 
 お茶を啜るキアラに、フィデリオがそう溢す。
 
『王国の一行が来た後も、あの嫌々で機嫌を損ねられると困るであろう?
 本当はもっとギリギリまで黙っていようと思ったが…。あとはオクサナ妃がなんとかする。だが、ともあれ暫く監視は強化せねばなるまい』
 キアラはそう言ってレオを見る。
 
 レオは目を伏せ、軽く頷いた。
 
『宮殿を抜け出しでもしたら面倒だからな。…ライラを矢面に立たせてしまって気の毒だが。あの者は上手くやるだろう』
 そう言いながらキアラが立ち上がると、キアラは咄嗟にこめかみを抑えてその身がふらついた。
 
 フィデリオとレオが血相を変えてキアラへ手を伸ばすが、既にキアラの体は長く屈強な腕が腰からお腹までしっかりと支えている。
 
『…キアラ殿下。大丈夫ですか?』
 アクイラ卿は心配そうにその顔をキアラの背中越しから伺う。
 
『姉上、すぐに侍医を呼びましょうっ』
 フィデリオがレオに目配せしたが、キアラはさっと手を翳し、それを制す。
 
 
『大事無い。ここのところ少し寝不足でな。気にするな』
 キアラはスッと表情を戻すと、アクイラ卿から体を離した。
 
 アクイラ卿は心配そうな顔つきで、体を離し、尚その距離はキアラに近い。
 
 
 
 …なんだか、雰囲気が変わったなとフィデリオは思った。
 
 アクイラ卿はキアラにそれはそれは熱い思いを抱いている様子だったが、それを極限まで抑え込み、私情を晒すような人では無い。
 キアラの寵愛はオナシス卿に傾いていたのは間違いないからだ。
 
 それに、先日のキアラの発言…
 
 
 だが、あの顔つきはまるで…
 
 
 
 
 フィデリオとレオが談話室を出る。
 
『…キアラ様はご体調が優れないのでしょうか?』
 レオの問いに、フィデリオも首を傾げる。
 
『仕事の量が多いのは確かだ。最近はまた一段とな…。バイラムが持ってきた話もある。人員は常に足りない。困ったものだ』
 
『そろそろラティマ医師も帰国されるとか。一度診ていただくのもよろしいかと。
 フォーサイス卿とご一緒におられたので、新しい見識をより広められたとご推察します』
 
 フォーサイス…
 
 いつ何処に居てもその名を聞くとは興味深い…
 フィデリオは頭を軽く掻き乱す。
 
『…クレイグが側室になったらさぞ役に立っただろうに』
 フィデリオがふとそう漏らす。
 
『フォーサイス卿がですか…?』
 レオの声はあり得ないと言いたげなのはフィデリオにもよく分かる。
 
『いや分かっている。クレイグは奥方しか人を認識出来無い。太陽を一心に浴びる花のようにな。そちらしか向かん』
 
 フィデリオは言ってって自分で可笑しくなった。
 
 
 
『レオよ、お前もぼやぼやしてると、本当に姉上の側室に召し上げられるぞ』
 
 フィデリオが目を向けると、レオは気まずそうな顔で黙り込む。
 
『そうなれば帝国一の名誉だ。さぞ誇らしかろう?』
 
 フィデリオがそう続けても、レオは何も返してこない。
 
 
 
 こういう時黙り込むのは子供の時から変わっていないと、フィデリオは呆れてレオを睨む。
 この察しの悪い男は、やはり何処かで誰かが背を押す必要がある。
 
 
『…王国の一行が来るのだ。名簿は見ただろう?知らせるなら早い方が良い。恐らく勘違いしているだろう…あの婦人は頭がよく回る割には空回りも多い』
 
 レオはその言葉を聞くと、一瞬だけ眉をピクッと動かす。
 
 
 
『…フェルゲイン侯爵は侮れない。そしてその息子も、その粘り強さは中々のももだ。今も空の墓石を毎週訪ねていると聞く。夫の鑑だな。死別した途端妻にベッタリとは…』
 
 フィデリオは立ち止まり、レオを見た。
 
『そなたは、そなたの父とは違う。
 そなたにそう思い込ませた我等にも…確かに責めがある。
 だが、己を恐れているうちに、かの婦人はまた好きに飛んで行ってしまうかもしれない』
 フィデリオはオナシス卿と話した事を思い出していた。
 
 
『…いつまでも目の届く籠に入れておいても安心は出来ない。手放したく無いのなら、お前が繋ぎ止めなくてはならない』
 
 
 
 心から慕う相手なら、皆その醜さ…弱さに脆ささえ、曝け出して欲しいと願うもの…
 
 
 
 それさえも包み込み、1つとなりたい、と。
 
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