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しおりを挟むなんと贅沢なことだろう…
まさか馬車に乗れるとは…
ライラが前を見ると、レオは相変わらず柔らかな笑みを浮かべている。
帰ってから会うのは初めてだった。
なんだかんだと忙しく間も空いた。
手紙を書こうと思ったが、宛先も知らない。会う理由をいくつか思い浮かべても、遂には実行に移せなかった…
現実に戻れば、高位貴族の子息とトロメイとは名ばかりの、一介の教育係…
しかも、難儀な事に、仕事相手は目の前にいる人物に首ったけだ。
『久しぶりですね…帰ってから仕事が立て込んでて連絡も出来ませんでした。ミリアム殿下の所へ頻繁に顔は出せませんが、行ける時はお手伝いします』
レオの視線に熱が篭っている気がする。
…適切な距離を保たなければ、仕事に支障をきたすだろう。目に見える成果を上げなければならない。
この人の力を借りるとして…
ライラはレオの視線のを遠ざける様に目を伏せた。
『…ミリアム殿下のお気持ちにお気付きですよね?確かに勉強が捗って私は助かりますが…』
この様な言い方ではまるで、なんだか嫉妬しているとか、不安に思っているような言い方だ、と自分で言っててライラはこそばゆくなる。
『幼い頃よりよくお会いしてましたので。
兄の様に思っていただいているだけです。ご安心下さい』
やはり、レオの耳にはそう聞こえた様だ。
『いいえ、立派な貴婦人です。意志を持ち、…あなた様をお慕いされてます』
やはりこの言い方だと…ライラがレオを見上げる。レオは少し口元を緩め、ライラの表情を見逃すまいと伺っていた。
違うのに…
ライラはもう一度目線を逸らす。
ミリアムの事だ、既に周囲にレオの事は直談判している事だろう。キアラが知らないはずは無い。
それでもレオをこちらへ寄越すとは…
ライラは生きていかなければならない…邪な気持ちは仕舞い込まなければ。
立場が、階級が違う。もう伯爵令嬢でも無いしコナー・ローリーの姪でもない。
それでも…レオに会えて嬉しかった
本当は、もっと早く会いたかった
傷はどうなのか、何をしているのか、毎夜考えた
なぜ海を超えて来たのか、もう一度言って欲しい
ハッキリと目を見て、この耳で聞きたい…
けれど、そんな思いの丈を全て口にしてしまったら、レオはきっとこの先、苦しむのかもしれない。柵に挟まれた2人、思いのままに生きられないもどかしさに打ちひしがれるのだろうか…
アイヴァンのように…
『女性に指輪を贈るのは求愛の1つと聞いたが、…違いましたか?』
レオは大きな体をライラの隣に移し、ライラの手を取る。そして少し首を傾けると、指輪を嵌めたライラの手を取った。 レオは目を伏せ、その手の甲にそっと唇を這わせる。
不意に美しい目はライラを見上げた。
ライラの反応を見るような、妖しい目つきで…
いやいやいやいやいや
ダメだダメだダメだダメだ
はっきりさせるとダメだ
ハッキリさせたらもうこの関係は終わりだ
じゃあダメじゃないじゃないか
いやダメだ厄介事はもう勘弁だ
『少々焦りすぎて私が付けていた指輪を渡してしまいましたが…きちんとした指輪も作った方が良さそうですね。
…出来ればこちらの指にはめて欲しいのです。あなたの心臓と繋がるように…』
レオは唇をライラの薬指に添わせる。
本気なのか冗談なのかまるで見分けのつかない笑みでレオがそう言った。
ライラが赤くなって何も言わないのを良いことに、レオはその指をライラの指に絡ませて来た。
『…私は傷物です。ご存知の通り夫も居ました』
抗う様に絞り出した声は思いの外小さくなってしまった。
『それが何か?私の体には数え切れぬ程傷があります。それに、ライラ様に結婚歴などありませんよ。ザイラ様はもう異国の墓石の下に眠っておられます』
確かにそれはそうだ…
ただそれはあくまで表面上は、の話であって…
『釣り合いません』
『ライラ様の思い込みです』
馬車が止まった。
目的地まで着いたらしい。
絡まった指を離し、ライラはさっと立ち上がった。だが、直ぐに手を掴まれ、膝の上に乗せられたかと思うと、大きく暖かい体にライラは包み込まれる。
『…こうすると、怪我が早く治る気がします』
本当なのか冗談なのか、そういった物言いがレオは本当に上手い…とライラは感心すらする。
『もう治ったのでは…』
と溢したのを、ライラはすぐに後悔した。レオの首元から、包帯が少し見えている。
あ…と声を漏らし、途端にライラが顔を曇らせる。
レオはライラに顔を近づけ、吐息が鼻を掠めた。
『どうかもう少しだけ…。これでも抑えているのです』
切なそうな声でそう言うと、レオはライラの髪に顔を埋める。
ライラはつい力を込めそうになるが、傷に触りがあると思い出来る限り体を離し、体重をかけないように努めた。
レオはそれをすぐに察する。
『大丈夫ですよ…もっとこちらへ…』
そうライラの耳元で囁くと、レオはより一層強くライラを抱きしめた。
この香りを嗅ぐと、抗える気がしない…とライラは思った。
あの香水を、まだ使っているようだ…
その香りが鼻腔を通ると、ライラが必死に制御しようと抑え込んでいたものが、勢い良く溢れ出して来てしまう。
ディオンに攫われた時、この香りがするジャケットがあったから、心強く保てた…
思わず顔を擦り付けてしまう。
ダメだダメだダメだダメだと呪文を唱えながら、ライラはその温もりにどっぷりと浸ってしまう。
あともう少しだけ、と…
『指輪を外さないで下さい、決して…』
レオはライラに念押すように、そっとその耳に呟いた。
どこか不安げに揺れるその瞳を、見せないようにして。
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