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不機嫌なお姫様
しおりを挟むライラの新居は大まかに言えば宮殿の中だ。とてつもなく広大で、いくつにも分けられた区分の一角に、独身者の女性上級使用人の居住区がある。
3階建ての白い煉瓦積みの建物は、一室一室が独立した建物だ。
食事を作る場所は無いが、暖炉もあるので簡単な物は温められる。
何より食事は宮殿で出るし、外には屋台があるので困らないだろう。
ラティマの邸宅を出る時、大人達は皆ほっとした表情だったが、カメリアはどこか寂しそうに、子供達はライラにひっついて泣き叫んだ。
そこまで涙脆い自覚は無いが、ライラもそれなりにホロリと来て、それはそれは感傷的な別れとなった。
だが、冷静に考えれば数キロ程しか離れていない。そう思えば涙も引っ込むというもの…
マリカのニノもそれが分かればきっと意気揚々と遊びに来るに違いない。
荷物は余りないが、備え付けの家具で事足りるので、それなりに落ち着いた生活を送れそうだった。
オナシス卿に渡された書類を読むに、今回の仕事は10日やそこらでは終わらない。
やる気の無い相手に、ある程度…困らない位…と考ると一体いつまでかかるのだろう。
寵妃の娘…
資料を読むに、キアラとフィデリオは亡き皇后の子であり、第九皇女、末子のミリアムと、第三皇子バイラムは寵妃であるオクサナ妃の子らしい…
寵妃…の子が2人…そもそも後宮があるにしては子が少ないような…何人側室が居るのかも知らないが、ライラにふとした疑問が湧いた。だが同時に、非公式にはもっと居るのだろう、とも…
闇雲に増やす訳にもいかないが、誰もがその種を欲しがる。
そして、産まれても赤子のうちに亡くなってしまう子もかなりの数存在する…
末子の姫君の歳から考えるに、その辺りから皇帝陛下の病が発覚したのだろうか…
そういえば…キアラも未だ、子は居ないようだし…
いや、余計な詮索は無用だ…碌なことにならない…ライラは頭を振り、書類に記してある文書に集中した。
『キアラ皇女殿下…はっきり仰って下さいませ。私は何度も、何度も、皇帝陛下にも、お母様にもお伺い致しました…まさかっ…このような仕打ち…』
オクサナ妃と同じ、黒く艶やかな長い髪に、灰色の大きな目を持った、まだ幼い顔立ちのミリアムは、場にそぐわず眉を八の字にしている。
薄い黄色の素材で出来た可愛らしいドレスを纏い、ぎゅっと両手をお腹の前で結んで、恨めしそうにキアラを見上げていた。
『ミリアムよ、一体何がこのような仕打ち、とやらなのか?』
キアラは首を少し傾げ、庭園の東屋にゆったりと腰掛けている。
キアラはオナシス卿と、フィデリオはアクイラ卿と話し込んでいた際、2組は偶然宮殿内の外廊下で行き合った。
そこに散策中のミリアムが現れ、お茶をと誘われたので、キアラもフィデリオ達を誘い、東屋へやってきた訳だが…どうやらミリアムにお茶を楽しむ気は無い。
お茶の用意をさせ、人払いをして正解だった、とキアラはミリアムをじっと見つめる。
『海の向こうの王国へ、私を追いやるおつもりでしょう?…っ私が、オナシス卿のご指導を、上手くこなさなかったからですか?お姉様っ…キアラ皇女殿下はっお怒りになったのですか?お父様もお母様も、何も教えて下さらないのですっ』
頬を上気させたミリアムの大きな瞳から、ポロリと涙が一筋溢れる。
『ミリアム、…何をそんなに怒っておるのか』
キアラは朗らかな口調でそうミリアムに尋ね、その涙をハンカチを取り出し、そっと拭う。
『私はっ私はっオナシス卿のように、確かに上手くは、立ち居振る舞うことは出来ないかもしれませんっ…今からでも、オナシス卿がお許し下さるなら、もう一度…』
『ミリアム様、私の許しなど必要ございません。私の力不足でございます。
ミリアム様の気が晴れればとのキアラ殿下の思いでございます故、ミリアム様の思われているような事ではございませんよ』
絞り出すように言葉を発するミリアムを、オナシスが遮った。
『ノアは″美しい人″の称号を持つ一族。 一族中でも、ノア以上の者は居ない。 国中の貴族がその手習を願う所だが、誰しも向き不向きがある。身につけば、何よりもそなたの財産となるが、今はまた少し違うことに目を向ければ、そなたの目に新鮮であろう?』
フィデリオは気まずい空気に、招きに応じた事を後悔した。
ミリアムとそんなに仲が深いわけでは無い。バイラムならまだしも、ミリアムとはそこまで接点も無かったからだ。
ただ一点、ミリアムについて気掛かりな事はある訳だが…
『…お姉様。私の気持ちはご存知でしょう?どうか、もし、あのような国と私が接点を持てればとお考えなら、もう一度お考え直し下さい…』
ミリアムは今度は縋るようにキアラを見た。
フィデリオには分かる。
キアラは慈愛に満ちた瞳でミリアムを見下ろすが、内心苛立っている。
今や、国の政治に大きな影響力を示し始めているキアラに、″私の気持ち″で覆せる事があるのだろうか。
なんとかその場はオナシス卿の助けもあり、ミリアムのとめどなく溢れる涙と、取り止めのない話は落ち着いた。
ミリアムはオナシス卿に怒ってらっしゃるのでしょう?としつこく聞いていたが、オナシス卿は変わらずやんわりとそれを包み込む。
隣に座るアクイラ卿は一言も発さなかった。
その威圧感を消していただけ、良くやったとフィデリオは言いたい。
ミリアムのなんとも的を得ぬメソメソとした物言いが治った頃、ミリアムの母であるオクサナ妃は見計らった様に現れ、ミリアムは席を立った。
姿が見えなくなると、フィデリオは髪を後ろに掻き上げて、長い溜息を吐く。
『…フィデリオよ、後で余の部屋へ来い。話がある。バルドリックも共に』
キアラはスッと立ち上がるとそれだけ言い、オナシス卿と共に席を立った。
不意に、フィデリオがアクイラ卿を見る。
アクイラ卿は空のように明るい真っ青な目で、連れ立って歩く2人の背中を見つめていた。
こちらもこちらで…とフィデリオはまた気まずい思いで視線を戻す。
もう少し、キアラがアクイラ卿に恩情を与える事を祈って。
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