85 / 106
慈悲
しおりを挟む″ただ一目、あの方に…″
そう言った時のキアラの顔を、レオは忘れられない。ブチ切れる寸前、そして悲しみに満ちた、あの顔を。
『バルドリックが、応援を求めているようだ…とはいえ、軍を寄越せとは言っていない。あくまで、″助っ人″だ』
キアラは窓の外を見つめたまま、レオにそう言った。
ライラ達が発って数日の事だった。
『そなたのために、先に言っておこう。余の思いと、父上のお考えは違う。
…バルドリックは余の大切な側室の1人…そなたが連れ帰って参れ』
キアラは真っ直ぐ、レオを見る。
レオが行けば、何よりも頼もしいのをキアラはよく知っている。
キアラの強く、そして仄かに優しさを帯びる瞳を、レオはその虹彩を煌めかせて、同じく真っ直ぐに見返した。
レオはトロメイへ向かう事に躊躇は無かった。
後の厄介ごとは、引き受けるつもりでいたし、何かを得るためには、それなりの代償を払うのも覚悟していた。
死なない程度に…
『…ライラ様、少しお休み下さい』
『いえ、大丈夫です』
『私が代わります。私がお役に立てるのは、こういう時のため。ライラ様が倒れてしまいます』
『…いや……倒れるのは…レイ…っいえ、なんでもありません』
『正直申し上げて…メルヴェさんから逃れる術を探しておりまして…』
よく知った話し声が、次第に鮮明にレオの鼓膜に響いて来た。
『…ここにも、まだ…追っ手が?』
レオが掠れた声でそう呟く。
途端にライラは椅子から立ち上がり、レオの顔を覗き込んだ。
その顔を見ると、レオは瞬時に手を伸ばし、その体を自分の方へ引き寄せたい衝動に駆られる。
『医者を呼びます。ベルナルディ卿、どうか動かずそのままで』
レイモンドは慌てて部屋を出て行った。
『レオ様…どこか痛みませんか?ちょっと待ってて下さい、お水をお持ちます』
初めて見る顔だな…レオは目に映るライラの表情をじっと見つめた。
ライラは心配そうにしてレオの顔を覗き込み、あれやこれやと気を巡らす。
寝不足なのか、目の下に黒いクマが薄ら見えた。
ライラの様子に、レオは少しだけ罪悪感を感じる。
確かに寝ることも休むことも無く、ここまで駆けて来た。キアラとの約束を破れば、せっかくの機会も水の泡になってしまう。3日で港に着けるようにかなり無理をしたのは確かだった。
怪我自体も、深いのは肩の傷位で他の切り傷や打撲は大した物では無い。
刃に塗られた毒は想定内だった。
勿論免疫がある。
だが馬から降りて、ライラの姿を見ると、レオは微かな悪戯心が芽生えてしまった。少しよろけて見せてみようか、と思ってしまったのだ。
無事を祈ってくれていたのだろうか…
ずっと自分の事を考えて…
自分が現れたら一体どんな顔をするのか…
自分を心配しながらも、安堵に破顔する、その言い表せる事が出来ない瞬間を、ほんの少しだけ長く見たかった…それだけだったのに…
レオはライラの顔を見ると、一気に力が抜け、不覚にも気絶するように眠ってしまった。
だから、ライラがこれ程心配する理由も無い。
免疫はあるとはいえ、毒は微かにまだ指先を痺れさせるが…
その他に異常が無いのは、体の持ち主であるレオには分かっていた。よく寝たので、すぐ起き上がる事も出来る。
だが、今は…
レオはライラを目で追い続けた。
ライラは水差しからコップへ水を注ぎ、レオの元へ持ってくる。
レオの頭へ手を滑り込ませて少し持ち上げると、それを口元へ運ぶ。
レオが何回か嚥下するのを見て、ライラはホッと息を吐いた。
コップを外すと、レオの口元を布巾で優しく、丁寧に拭った。
『スープは飲めそうですね。食事を用意してもらいましょう。まだ体が熱いです…熱が下がらないようなので、解熱に効く薬も出して貰わないと…』
ライラは眉間に皺を寄せて、レオの様子を注意深く伺う。
『ライラ様…ライラ様の顔色の方が、私は心配です』
レオの声が、ライラの鼓膜を震わせる。
この声を、何度頭の中で思い起こしただろう…ライラは、今この瞬間を心の底から噛み締めていた。これは現実だ、レオは生きている、と。
『レオ様の傷は酷いです。特に肩の傷は出血も多くて…他の傷ももう一度縫い直さないといけないかもしれません。熱のせいで、治りが遅れているのでしょう』
ライラはレオの傷を目で追う。
『…ライラ様』
レオは不意にライラの名前を呼んだ。
『慈悲を、掛けて下さいませんか…?』
慈悲…?その言葉に、ライラは首を傾げる。ライラはレオに出来ることは何でもしたいが、要求がなんとも曖昧だった。
『手を…』
そう言ってレオはライラの手を差し出させる。
すると、その手首を握り、ライラの手をレオの頬へ添わせた。
レオの熱い頬は、ライラにとって熱への心配を加速させる。
だがレオはお構いなしに、自らの目元や鼻にライラの指先を這わせた。
そして、その唇にも。
ライラの掌にレオは唇を優しく押し当てた。そして、そのまま指先へ唇を這わせる。
不謹慎にも、その様子は何とも艶かしく、ライラは頬や首が熱を持った。
一体何を考えてるのか…
ライラは怪しむような目でレオを見遣る。
『…本当は、お元気なのでは?』
ライラの声を聞いたレオは、ライラの指の隙間から白い歯を覗かせ、悪戯っぽく妖しい笑みを浮かべていた。
ふと、レオはライラの人差し指に嵌められた指輪に気づく。
レオの目線に、ライラもすぐに察しがついた。
『持ち主がお戻りになられたのでお返しします。こちらを嵌めて、御自らの足で宮殿へお帰りください』
ライラが穏やかな笑みを浮かべてそう言う。
『いや…持っていて下さい』
レオはそう言いながら、ライラの手に自らの手を合わせ、指を絡める。
女性がするには大きく、随分四角ばっか不格好な指輪だ。それに、オパールの装飾はあれど押しつぶされたように歪んだ形は、到底美しいとは言えない。
『余計な虫は付きにくくなるでしょう』
レオはそう言って、もう一度ライラの手に口付けた。
余計な虫…と聞いてライラはデュマンを浮かべてしまう。
虫、というよりも鷹に近い。レオのように鋭い鷹の目を持っている訳ではないが、あの男は目ざとく、鷹の様にするり飛びと、また獰猛な一面があった…
エルメレに求愛として指輪のみを贈る習慣はないはずだが…それでも、大きな庇護の下にいるという印になるのだろうか…。
どうも体に熱が籠る。
なんだか本当に頭がぼーっとしてきた…
『いちゃつくのも大概にされては?まだ帰路は長いのですよ』
いつの間にか開いた扉に、アクイラ卿が寄りかかっている。
『アクイラ様、どうか大目に見て下さい。生還者へのもてなしだと思って』
レオがふざけるようにそう言うと、アクイラ卿もまんざらでも無い顔で薄ら笑みを浮かべる。
『ベルナルディ卿は不死身らしいので、一体何度もてなせば良いのか。私が先に死んでしまう』
アクイラの言葉に、レオは声を出して笑った。
あぁ、良かった…本当に…
レオの生きている温もりが心地よい。
だがそれ以上に、ライラの意識はゆったりと現実から遠のいていく。
体中の緊張が解け、ただ体が鉛の様に重くなった。
体が熱い…なんだか、四肢もジン、と痛み始めた。頭も脈打ちながら痛みが走る。レオのせいだろうか?
だが、ライラの気分はすこぶる良い…
ライラの体がレオに覆い被さるように倒れ込むのに、そう長くは掛からなかった。
アクイラ卿に、また呆れられてしまう…
いつまで惚けているのか、と。
3
お気に入りに追加
62
あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です

キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。
新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、

なんか、異世界行ったら愛重めの溺愛してくる奴らに囲われた
いに。
恋愛
"佐久良 麗"
これが私の名前。
名前の"麗"(れい)は綺麗に真っ直ぐ育ちますようになんて思いでつけられた、、、らしい。
両親は他界
好きなものも特にない
将来の夢なんてない
好きな人なんてもっといない
本当になにも持っていない。
0(れい)な人間。
これを見越してつけたの?なんてそんなことは言わないがそれ程になにもない人生。
そんな人生だったはずだ。
「ここ、、どこ?」
瞬きをしただけ、ただそれだけで世界が変わってしまった。
_______________....
「レイ、何をしている早くいくぞ」
「れーいちゃん!僕が抱っこしてあげよっか?」
「いや、れいちゃんは俺と手を繋ぐんだもんねー?」
「、、茶番か。あ、おいそこの段差気をつけろ」
えっと……?
なんか気づいたら周り囲まれてるんですけどなにが起こったんだろう?
※ただ主人公が愛でられる物語です
※シリアスたまにあり
※周りめちゃ愛重い溺愛ルート確です
※ど素人作品です、温かい目で見てください
どうぞよろしくお願いします。

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。

獣人の彼はつがいの彼女を逃がさない
たま
恋愛
気が付いたら異世界、深魔の森でした。
何にも思い出せないパニック中、恐ろしい生き物に襲われていた所を、年齢不詳な美人薬師の師匠に助けられた。そんな優しい師匠の側でのんびりこ生きて、いつか、い つ か、この世界を見て回れたらと思っていたのに。運命のつがいだと言う狼獣人に、強制的に広い世界に連れ出されちゃう話
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

ヤンデレお兄様から、逃げられません!
夕立悠理
恋愛
──あなたも、私を愛していなかったくせに。
エルシーは、10歳のとき、木から落ちて前世の記憶を思い出した。どうやら、今世のエルシーは家族に全く愛されていないらしい。
それならそれで、魔法も剣もあるのだし、好きに生きよう。それなのに、エルシーが記憶を取り戻してから、義兄のクロードの様子がおかしい……?
ヤンデレな兄×少しだけ活発な妹
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる