転生伯爵令嬢は2度死ぬ。(さすがに3度目は勘弁してほしい)

七瀬 巳雨

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慈悲

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 ″ただ一目、あの方に…″
 
 そう言った時のキアラの顔を、レオは忘れられない。ブチ切れる寸前、そして悲しみに満ちた、あの顔を。
 
 
 
『バルドリックが、応援を求めているようだ…とはいえ、軍を寄越せとは言っていない。あくまで、″助っ人″だ』
 
  キアラは窓の外を見つめたまま、レオにそう言った。
  
  
 ライラ達が発って数日の事だった。
 
 
『そなたのために、先に言っておこう。余の思いと、父上のお考えは違う。
 …バルドリックは余の大切な側室の1人…そなたが連れ帰って参れ』
 
 キアラは真っ直ぐ、レオを見る。
 
 レオが行けば、何よりも頼もしいのをキアラはよく知っている。
 
 キアラの強く、そして仄かに優しさを帯びる瞳を、レオはその虹彩を煌めかせて、同じく真っ直ぐに見返した。
 


 レオはトロメイへ向かう事に躊躇は無かった。
 
 後の厄介ごとは、引き受けるつもりでいたし、何かを得るためには、それなりの代償を払うのも覚悟していた。
 死なない程度に…
 
 
 
『…ライラ様、少しお休み下さい』
 
『いえ、大丈夫です』
 
『私が代わります。私がお役に立てるのは、こういう時のため。ライラ様が倒れてしまいます』
 
『…いや……倒れるのは…レイ…っいえ、なんでもありません』
 
『正直申し上げて…メルヴェさんから逃れる術を探しておりまして…』
 



 よく知った話し声が、次第に鮮明にレオの鼓膜に響いて来た。
 
 
『…ここにも、まだ…追っ手が?』
 レオが掠れた声でそう呟く。
 
 途端にライラは椅子から立ち上がり、レオの顔を覗き込んだ。
 
 その顔を見ると、レオは瞬時に手を伸ばし、その体を自分の方へ引き寄せたい衝動に駆られる。
 
『医者を呼びます。ベルナルディ卿、どうか動かずそのままで』
 
 レイモンドは慌てて部屋を出て行った。
 
『レオ様…どこか痛みませんか?ちょっと待ってて下さい、お水をお持ちます』
 
 初めて見る顔だな…レオは目に映るライラの表情をじっと見つめた。
 
 ライラは心配そうにしてレオの顔を覗き込み、あれやこれやと気を巡らす。
 寝不足なのか、目の下に黒いクマが薄ら見えた。
 
 ライラの様子に、レオは少しだけ罪悪感を感じる。
 
 
 確かに寝ることも休むことも無く、ここまで駆けて来た。キアラとの約束を破れば、せっかくの機会も水の泡になってしまう。3日で港に着けるようにかなり無理をしたのは確かだった。
 
 怪我自体も、深いのは肩の傷位で他の切り傷や打撲は大した物では無い。
 
 刃に塗られた毒は想定内だった。
 勿論免疫がある。
 
 
 だが馬から降りて、ライラの姿を見ると、レオは微かな悪戯心が芽生えてしまった。少しよろけて見せてみようか、と思ってしまったのだ。
 
 無事を祈ってくれていたのだろうか…
 
 ずっと自分の事を考えて…
 
 自分が現れたら一体どんな顔をするのか…
 
 自分を心配しながらも、安堵に破顔する、その言い表せる事が出来ない瞬間を、ほんの少しだけ長く見たかった…それだけだったのに…
 
 レオはライラの顔を見ると、一気に力が抜け、不覚にも気絶するように眠ってしまった。
 
 だから、ライラがこれ程心配する理由も無い。
 
 免疫はあるとはいえ、毒は微かにまだ指先を痺れさせるが…
 
 その他に異常が無いのは、体の持ち主であるレオには分かっていた。よく寝たので、すぐ起き上がる事も出来る。
 
 だが、今は…
 
 レオはライラを目で追い続けた。
 
 
 
 
 ライラは水差しからコップへ水を注ぎ、レオの元へ持ってくる。
 
 レオの頭へ手を滑り込ませて少し持ち上げると、それを口元へ運ぶ。
 
 レオが何回か嚥下するのを見て、ライラはホッと息を吐いた。
 
 コップを外すと、レオの口元を布巾で優しく、丁寧に拭った。
 
『スープは飲めそうですね。食事を用意してもらいましょう。まだ体が熱いです…熱が下がらないようなので、解熱に効く薬も出して貰わないと…』
 
 ライラは眉間に皺を寄せて、レオの様子を注意深く伺う。
 
『ライラ様…ライラ様の顔色の方が、私は心配です』
 
 レオの声が、ライラの鼓膜を震わせる。
 
 この声を、何度頭の中で思い起こしただろう…ライラは、今この瞬間を心の底から噛み締めていた。これは現実だ、レオは生きている、と。
 
 
『レオ様の傷は酷いです。特に肩の傷は出血も多くて…他の傷ももう一度縫い直さないといけないかもしれません。熱のせいで、治りが遅れているのでしょう』
 ライラはレオの傷を目で追う。
 
『…ライラ様』
 
 レオは不意にライラの名前を呼んだ。
 
『慈悲を、掛けて下さいませんか…?』
 
 慈悲…?その言葉に、ライラは首を傾げる。ライラはレオに出来ることは何でもしたいが、要求がなんとも曖昧だった。
 
『手を…』
 そう言ってレオはライラの手を差し出させる。
 
 すると、その手首を握り、ライラの手をレオの頬へ添わせた。
 
 レオの熱い頬は、ライラにとって熱への心配を加速させる。
 だがレオはお構いなしに、自らの目元や鼻にライラの指先を這わせた。
 
 そして、その唇にも。
 
 ライラの掌にレオは唇を優しく押し当てた。そして、そのまま指先へ唇を這わせる。
 
 不謹慎にも、その様子は何とも艶かしく、ライラは頬や首が熱を持った。
 
 
 一体何を考えてるのか…
 ライラは怪しむような目でレオを見遣る。
 
 
『…本当は、お元気なのでは?』
 
 ライラの声を聞いたレオは、ライラの指の隙間から白い歯を覗かせ、悪戯っぽく妖しい笑みを浮かべていた。
 
 ふと、レオはライラの人差し指に嵌められた指輪に気づく。
 
 レオの目線に、ライラもすぐに察しがついた。
 
 
『持ち主がお戻りになられたのでお返しします。こちらを嵌めて、御自らの足で宮殿へお帰りください』
 ライラが穏やかな笑みを浮かべてそう言う。
 
 
『いや…持っていて下さい』
 レオはそう言いながら、ライラの手に自らの手を合わせ、指を絡める。
 
 女性がするには大きく、随分四角ばっか不格好な指輪だ。それに、オパールの装飾はあれど押しつぶされたように歪んだ形は、到底美しいとは言えない。
 
 
『余計な虫は付きにくくなるでしょう』
 レオはそう言って、もう一度ライラの手に口付けた。
 
 余計な虫…と聞いてライラはデュマンを浮かべてしまう。
 虫、というよりも鷹に近い。レオのように鋭い鷹の目を持っている訳ではないが、あの男は目ざとく、鷹の様にするり飛びと、また獰猛な一面があった…
 
 エルメレに求愛として指輪のみを贈る習慣はないはずだが…それでも、大きな庇護の下にいるという印になるのだろうか…。
 
 どうも体に熱が籠る。
 
 なんだか本当に頭がぼーっとしてきた…
 
 
 
『いちゃつくのも大概にされては?まだ帰路は長いのですよ』
 
 いつの間にか開いた扉に、アクイラ卿が寄りかかっている。
 
『アクイラ様、どうか大目に見て下さい。生還者へのもてなしだと思って』
 
 レオがふざけるようにそう言うと、アクイラ卿もまんざらでも無い顔で薄ら笑みを浮かべる。
 
『ベルナルディ卿は不死身らしいので、一体何度もてなせば良いのか。私が先に死んでしまう』
 アクイラの言葉に、レオは声を出して笑った。

 
 
 あぁ、良かった…本当に…
 
 レオの生きている温もりが心地よい。
 
 だがそれ以上に、ライラの意識はゆったりと現実から遠のいていく。
 
 体中の緊張が解け、ただ体が鉛の様に重くなった。
 
 体が熱い…なんだか、四肢もジン、と痛み始めた。頭も脈打ちながら痛みが走る。レオのせいだろうか?
 
 だが、ライラの気分はすこぶる良い…
 
 ライラの体がレオに覆い被さるように倒れ込むのに、そう長くは掛からなかった。
 
 
 アクイラ卿に、また呆れられてしまう…

 いつまで惚けているのか、と。


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