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羽ばたき

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 帝都からの客人が帰り、トロメイの真珠が消えると、屋敷は普段通りの空気を取り戻し始める。
 
 宴も終わり、これで日常へ戻るのだ。
 
 デュマンは大きく伸びをして空気を目一杯吸い込む。
 
 
 また船に乗らねばならない。
 宴で空いた穴の分の仕事を取り返さないといけないからだ。
 
 
 トロメイの屋敷に戻ってきた時は気怠く、体も重かったが、あの王国からの婦人は、そんなものを感じさせぬ程度に楽しませてくれた。
 
 次はいつ会えるのか…
 
 そんな風に考えている自分にデュマンは呆れて笑いが込み上げてくる。
 
 
 早く会いたい…?いや、会うことも無い
 
 
 羽を取り上げることは出来なかった。
 
 羽をむしり取るより、力強く羽ばたく様を見る方が、どうやらデュマンは好きらしい。
 
 
 会えないならば、こちらが会う口実を作れば良いだけだが…
 
 もしくは、直接、会いに行く…?
 
 アホらしい、年頃の小僧でも無いのに…
 
 とデュマンは頭の中の煩悩を打ち消して、自らの屋敷へ急ぐ。
 
 
 
 早くここを離れて、さっさと仕事に行こう…
 
 
 デュマンが屋敷に入ると、急に後ろから腕を引っ張られた。
 
 声を掛けずに、そんな事をしてくる相手は大体金か命を狙ってくる…経験がある以上、デュマンの体が動くのは早い。
 
 直ぐにその腕を掴んで引き倒そうとするが、無遠慮に伸ばされたその腕は、なんだか細く弱々しい。
 
『…っ痛!』
 
『ミネ!?』
 弱く甲高い声を上げながら、ミネが苦痛に顔を歪める。
 
『何してるんだ、こんな所で!っ大丈夫か?先に声を掛けたら良いだろう』
 デュマンは慌てて捻り上げたミネの腕に異常が無いか確かめる。
 
 
『デュマン兄様っ、話が、あるの…』
 ミネは小さな声でそう言った。
 
『話?そんなの後だ。とりあえず医者を呼ぶから…』
 デュマンが使用人を呼ぼうとするのを、ミネはデュマンの服を強く引っ張って制する。
 
『ダメ、聞いて。今すぐ、今すぐなんとかしないと…』
 
 顔色の悪いミネに、いつもの様な快活さが無い。
 
 一体何があったというのか…
 
 嫌な予感がする…デュマンの頬に汗が滴った。
 
 
 そして、こういう時の予感は、大体当たってしまうものだ。
 
 
 
 
 
『…どけっ!急ぎだ!』
 デュマンは美しいトロメイの伝統衣装を乱しながら、全力で駆ける。
 ジャラジャラとした装飾品も、既に何処かに放り投げた。
 
 
 
 証拠が無い?無いならトロメイの精鋭を、港まで付けるべきだったんだっ!
 
 
 ミネから聞いた話に、デュマンは顔を真っ青にした。
 
 確かに証拠は無い、だが、ハーレならやりかねない。
 
 そして、もっと早くハーレを尋問すべきだった。
 
 
 誰に会ったのか、何を話したのか、ここ数日の事を事細かに吐かせ、使用人達にも聞き取りをする…拷問してでも口を割らせ、その間にトロメイの精鋭に帰りの旅順を変更させて見送る。
 勿論、その先にも兵を派遣して。
 
 
 事が露見しない様、ハーレとその仕事を請け負った者は捕えて幽閉するか、…殺す。
 
 ハーレの悪巧みを察した時点で、そうするしか無い。
 
 
 例えトロメイの領地の外であっても、トロメイへ疑いの目は必ず向けられる。
 
 
 相手はエルメレの皇族、ベルナルディ侯爵家まで出てきたのに、なぜ事の重大さが分からないっ!?
 
 
『ークソッ!あの無能どもっ!』
 
 もうトロメイから兵を派遣しても、今
 からでは間に合わない
 却って不自然な動きをしたら、逆に知っていたのだと糾弾される
 帰路にしても、お祖母様は陸路を指定したが、わざわざ遠回りするはずが無い
 
 どの道を行くのかさえ、分からないのにっ!
 
 
 
 帝国の一行に何かあれば、それこそ命が危ぶまれれば…トロメイは滅びる。
 
 
 デュマンは鳥達を管理する棟へ着くと、乱暴に扉を開いた。
 
 デュマンの様子にギョッとする飼育員や管理人達の目も気にせず、デュマンはあるものを探す。
 
『アクイラ卿から頂いた伝書鳩を持ってこい!直ぐにっ!』
 
 飼育員に指示して、デュマンは伝書用紙を棚から出すと、殴り書きで要件を記した。
 
 
『早くっ!急げっ!』
 
 2、3人がかりでそれを雌雄の鳩の足へ装着させる。
 
 
 
『放すぞっ!』
 
 デュマンの手からも、雄の伝書鳩が放たれた。2羽の鳩が、勢いよく大空へ羽ばたいて行く。
 
 
 アクイラから来た伝書鳩、その雛はまた優秀な伝達係となる…アクイラ卿の言葉の通り、きっとあの番はアクイラ領へ最速で戻るはず。
 アクイラの一族の誰かにでもそれが伝われば、たちまち各地へ散らばる者へ広まる。
 
 
 まだトロメイ近辺に居る勘の良いアクイラの者が、運良く番の伝書鳩を見れば…必ず異変を感じ取り、すぐ行動へ移すだろう。
 
 
 
 
 
 …もしや、アクイラ卿は、何かあると読んでいた?
 
 贈り物だと鷹と伝書鳩の番を見た時感じた違和感は、これだったのだろうか
 
 いや、まさか…
 
 だが、ベルナルディ侯爵家の護衛が突如現れたのも、おかしな話だ。
 
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『まずいな…非常に、まずい…』
 空を見上げながら、デュマンは小さくそう呟く。
 
 トロメイへの咎は、避けられない…
 
 だが、もし、全てにおいて、アクイラ卿が周到に保険を掛けていたなら…
 
『ライラ殿は…生き永らえられる…』
 かなりの確率で…。
 
 
 
 一族の差し迫った危機の中にいても、デュマンの胸は希望的観測に少なからず安堵していた。
 
 
 船に乗るのは延期だ
 忙しくなる
 
 
 
 デュマンは大きなため息を吐くと、覚悟を決め、その踵を返した。
 
 
 
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