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天啓
しおりを挟む宴の最中、屋敷を抜け出すハーレの後を、ミネとエルデムはゆったりとした服装に身を包み目深なフードを被って跡をつける。
まだ幼さが残る年若い2人がそれを隠すのにはもってこいの服装だ。
『ミネ、バレたらまたハーレ様に怒鳴られるぞ。あの人トロメイで1番気性荒いんだから…』
エルデムの言葉がミネの耳に届くが、ミネは答えない。
『おかしいわ。なぜ馬車でも無くラクダに引かせたキャビンになんか乗ってこんな場所に来るのかしら…』
ミネは物陰からそのキャビンをじっと観察する。
かくいうエルデムとミネも一般庶民がよく使うラクダの荷車を拾ってここまで付いて来た訳だが、ハーレのめかしこみ方からして、普段なら馬車を出すはずだとミネは怪しんでいた。
『そりゃ人に見られたり、聞かれたら困るからだろ。この辺りは胡散臭い連中も多いし』
『だからエルも一緒に来てって言ったんでしょ!』
小言の多いエルデムに言い返そうと思ったらミネは思い他声が大きくなってしまった。
『しっ…!バカ!聞こえるだろ!』
エルデムはぎょっとして急いでミネの口に手を当てそれを黙らせる。
突然のことに、ミネの頬が無意識に熱を持った。いやに居心地が悪くてミネは慌ててエルデムの手を振り払う。
『おい、誰かキャビンに乗ったみたいだ』
エルデムの言葉に、ミネもそちらを見る。
『乗られたらもう分かんねーな。話声なんか聞こえないし』
ミネはここでじっと様子を見ていられるような性質では無い。
そっと足音を立てぬように素早くミネはキャビンへ向かった。
『おい!おいっ!』
エルデムが声を顰めてそう呼んでも、一向に歩みは止めない。
ミネはキャビンに近づくと、そっと耳を押し付けて、その中の会話に集中した。
『このままではトロメイは乗っ取られてしまうの…そしたらあなたとの取引も、もう続けられるか…』
ハーレの声は高いので小さいがよく聞き取れる。だが相手の声は酷く低い。
男なのだろう。
『ええ…そんな風に言ってくれる男、トロメイには居ないわ。
明日には居なくなると思うけど…お祖母様はどうするつもりなのか…。
お母様も不安なの。今のトロメイに波風立てられるんじゃ無いかって…いっそ現れなければ良かったんだわ、トロメイやエルメレを捨てて出て行った者の末裔なんて…トロメイを裏切ったのだから!
…私はトロメイの次期跡取り…不安を取り除きたいの、分かるでしょう?』
不穏な物言いに、ミネは眉間に皺を寄せる。
母が、何かを企んでいる…ミネはすぐにそう思った。
男は一体なんと言っているのか…
低く、くぐもっていてやはりよくは聞こえない。
『そんな惨い事、私の口からはとても…でも私の憂いを取り除こうとしてくれる人には、それなりのお礼もするつもり…。跡取りは私1人、アーダ様なんかの血筋なんて要らないの』
ミネは一層耳をキャビンに押し付けた。
『おい、何してる』
御者のしゃがれた男の声が、ミネにむけて降ってくる。
マズイ…とミネが息を吸った時、ミネの肩は骨ばった手にぐっと抱かれた。
『すまない、眩暈がしたみたいだ。もう大丈夫だよな?』
エルデムはミネの肩を抱き、物陰へ向かう。焦る気持ちを抑えて、ゆっくりと、努めて自然な足取りで戻る。
『ミネ、振り返るなよ。怪しまれてる』
物陰へ入った途端、エルデムはミネの手を握って思い切り走り出した。
ミネの足がもつれそうになるが、それでもなんとかミネはエルデムに手を引かれて一心不乱に走る。
いくらなんでもここまで来ないだろう、それ程の距離を走った。
幾つもの複雑な道を走り抜け、大通りへ出ると、エルデムはまたラクダの荷車に乗せて貰えるように交渉し、無事に2人は乗り込む事が出来た。
『はー…疲れた。何でいつもそうやって向こう見ずなんだよ…。ここはトロメイでも屋敷の敷地内とは違うんだぞ』
すぐに荷物と荷物の間にエルデムは座り込むとフードを取り除く。
汗で髪が額に張り付くので、エルデムは思い切り髪を後ろへ掻き上げた。
『…お母様……何かとんでもないこと考えてるかも…』
ミネは、フードも被ったまま呆然と座り込んでいる。
エルデムが様子を伺うと、ミネの顔色が普段とは違う事に気づいた。
『あの人はいつだってとんでも無いぞ…』
エルデムはミネをそう揶揄ってみる。
心配するな、とでも言うように。
幼馴染の親とは言え、ハーレはそんな人間だと他の皆もそう思っている。ミネもそれは否定しない。だが、今回ばかりはどうしようも無くミネの胸が騒いだ。
『エル…どうしよう』
ミネの目に溜まった涙を見てエルデムも顔つきが変わる。
『なんだよ、何を聞いたんだよ』
ぐっと顔を近づけてエルデムはミネの様子を伺った。
自分の母は子供っぽく気性も荒くて意地悪な所もある…だが、それでもまさか…そこまでの事が出来るのだろうか…
アーダ様の血筋は要らない…
ミネの頭の中は、最悪の状況を考え始めた。
エル、とだけ言ってミネは震える体をエルデムに支えてもらうように寄りかかる。
宴がもうすぐ終わる。
その時自分はどうするべきか…
ミネの小さな胸が押し潰れそうだった。
5日目の夜明け、デュマンとライラは乾杯した。
実に楽しかった訳だが、記憶はさっぱり無い。
ライラが気付くと自分の部屋のベットで大の字で寝ていた。
そっと隣の部屋を見るとテレサも寝息を立てている。
アクイラもレイモンドも居ない。
遠くからは相変わらず宴の喧騒が響く。
2人はまだ宴に捕まっているのだろうか。
アクイラ卿の警告をライラはことごとく無下にしてしまっているが、あの母猫は無愛想ながらもかなり面倒見が良い…
さすがキアラ殿下の側室である…
それだけの寛容さと器量をお持ちだ…
いい加減にしろと叱られたらキアラ殿下の話を持ち出そう、ライラはそんな事を考えながら浴室へ向かった。
アクイラ卿は、熱心にあの女神を崇拝している。それも年恰好に似合わず、初恋の少年にように…
湯浴みを終えると、どうやらもう日が暮れるらしかった。
なんだか時間の感覚がおかしくなるなぁ…とライラは浴室にあった水で体を清め、適当な服に着替えて適当に髪を整え化粧をする。
窓から見る夕焼けが美しかった。
海に沈むその美しい夕焼けを見る余裕も無かったが、やっとその静けさに浸れる。
髪も濡れたままだが、徐に外へ出た。
宴の喧騒が遠くなるように屋敷の外に出ると、もう人々は家路につこうと足を速めている。
もっといろいろ見て回りたかったが、いつだって時間というものは足りない。
トロメイの領地は確かに美しい。
トボトボと気ままに歩き、路地や石畳を歩いたと思ったら、砂漠に近い路地で足を止めた。
三叉路だ。
これが、例の…特別三叉路や十字路が少ない訳でも無いのに、なぜだか突然思い出された。
トロメイではこんな所に女神様か神様が現れると言うが…はてさて右と左、もしくは歩いて来た道…どちらに進もう…
まさかお告げがあったりするのだろうか?
とりあえずトロメイでの仕事は終えた。
デュマンの件は解決したかは分からないが、適度に良い関係を築けた…気がする…
あとは帝都に戻って、どうするか…
確かにここは天啓が欲しい所…
「またハメを外したのですか?…レディ」
嘘だ…
よく知ったその声に、ライラは目を見開いてゆっくりと後ろを振り返る。
白いゆったりとした美しいエルメレの服を着た男はラクダから降りた。
そして、ライラにイタズラっぽい目つきで微笑みかける。
『良かった、靴は履いてますね』
灰色と金色が混じった目が煌めいて、そうライラを揶揄った。
ここは砂漠に近い…
いや、まさか…
『…蜃気楼?』
ライラの言葉に、その鷹の目が一瞬にして丸くなる。
『…砂漠のオアシスですか?まさかそんなに渇望されていたとは』
ふふっと笑みを溢すと、ライラの目の前まで男は歩み寄った。
その声が、その姿が、確かにライラの乾いた体に染み込んでいく。
『そんなに酔っているようには見えませんが…抱き抱えましょうか?』
そう言って男は一層ライラに体を近づけた。
同時にライラは少し後退る。
ライラの頬や首が熱を持ちはじめた。
確かに酔いは醒めてるらしい。
『ご心配には及びません…』
か細くそう答えたライラは、赤く染まる顔を咄嗟に手で隠そうとする。
だが美しい虹彩を放つ目は、目ざとくライラを追いかけて来て、ライラの顔を覗き込むのだ。
餌を見つけた鷹でもあるまいし…
ライラを捕らえて離れてくれない。
これが天啓というやつなのだろうか。
今なら、トロメイの女神とやらを信じても良い。
良き行いが報われたのだと、自惚れておこう。
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