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希望の種
しおりを挟む『まさか、あのようなお名前をお贈りになるとは…』
ライラとデュマンは夜明けも近い屋敷の周りを2人とぼとぼと歩いている。
あれからレイモンドの意識は戻ったが、顔色も優れず疲れも溜めっている様子なので安静にした方が良い、と言う医者と共にデュマンの屋敷で休んでいる。
『今回の功労者は彼でしょう?運んで貰わなかったら安全にお産が出来たとは思えない。
それに賢く、心根の優しさを感じた。
あなた方がこの地へ来てあの子は無事に産まれたのです。縁を感じませんか?』
レイ、デュマンは部屋の隅で卒倒するレイモンドに因んでそう赤子に名付けた。
なんともシュールな場面であるが、その時は何も言えない感動があったのだ。
確かにあのままあそこで産ませる訳にもいかなかったし、あのように素早く軽々と妊婦を持ち上げられる男は他に居ないだろう。
『…ずっと考えていたのです。
デュマン様のお父様、ジャニス様はなぜこの地に留まっておられたのか。先ほどのアラナさんのお言葉で、分かった気がしました』
アラナとその夫は随分とジャニスとデュマンを買っているらしい。
その背を見て、男達は希望を見出している、と。
ジャニスはその背を見せる事で、平穏と希望をこの土地にもたらしているのでは無いだろうか。
自らが秤となり、この地の不安定な状況を出来る限り上手く安定に導こうとしている。
鬱憤の溜まる男達や、つけ上がる女達に説いている気もする。
何が幸福であるのか、を。
ギュルが無能な当主であれど、それをジャニスはしっかりと支えているのだ。人生を賭して。トロメイの男の生き方で。
この豊かで美しいトロメイの、何万と居る領民の命と人生を背負う責任を全うしたいのかもしれない。ただ幸せに、平穏に、産まれ落ちた生を謳歌出来るように…例え、自分には何の名誉も立場も無くとも。
誰かに称号を与えられなくとも、周りの人々から送られる称賛は、ジャニスの人柄を表すには充分だ。
『上手くお伝え出来ないのですが…お父様は腐ってはおられません。腐っておられる筈が無いのです』
言葉を続けるライラを、デュマンはただじっと見つめる。
『1人で生きていける御方が、この地で子供達にその生き様を見せる…生き様を見せ、種を蒔いておられるもかもしれません。実るかも分かりませんが。
トロメイの先行きを、誰よりも希望を持って見ておられるから、ずっとこの地に留まっておられるのかと…。
ですが、トロメイやサングタリーを隅に置いて父親としてジャニス様を見れば…、正しく本望なのでしょう。
人生を賭けて育てたお子さんが、どこへでも行き、好きに生きていける程のお力を持って、立派にその足で今立っているのですから…』
ライラはデュマンを見た。深く、広い海のような頼もしいその瞳を。
『物は、言いようですねぇ…』
大きなため息と共にデュマンは大きく伸びをする。
だが、その声はどこか軽やかで明るい。
『私は女神ではありませんから、トロメイの行き先は分かりません。ですが、離れた地から、楽しみにしております。
この先、その背を見たお子達が、どのようなトロメイにしていくのか…』
ライラの言葉に少し先を歩いていたデュマンが振り返った。
『それが、お返事ですか?』
デュマンの表情からは何も読み取れない。だが、これしかやはり、ライラには言えない。
『はい…』
同じ海の色の瞳が、重なり合う。
『…変な所で肝が座っていますね。ここへのこのこやってきた割には』
呆れた顔でデュマンがライラに言った。
『まぁ、あなたとトロメイは切っても切れない繋がりがありますし、気長にやってきましょうかね…』
デュマンが揶揄うような笑みを浮かべて、ライラを見下ろす。
『…しつこい男は何とやらと聞きますが』
ライラは気まずそうな笑みを返す。
『粘り強さは商人の美徳です』
笑みを崩さないデュマンを見ると、取引で勝てる気は確かにしない。
自分を売り渡す猶予はどうやら出来たらしい。
『宴に戻りましょう。今日は酔い止めは無しです。せっかくのめでたい日ですから』
デュマンが王国式にライラへ手を差し出した。
ライラは途端に怪しむような目つきでデュマンを見る。
その目つきは、デュマンをどうしても吹き出させる力があるらしい。
『ふっ…。取って喰いませんから、お手をどうぞ。ただし、今宵はトロメイの酒にお付き合い下さい』
昨夜の事を考えれば、誘いに乗らないのは不粋というもの…
ライラはため息を吐きデュマンの手に自らの手を重ねた。
『さぁ、参りましょう』
ニッコリと笑みを浮かべたデュマンの顔は、スッキリとしていた。
レイモンドはアセナ親子にとって異国から来たソーテール、救世主に違い無い。
アセナは息子にそう言って育てるはずだ。レイが産まれた夜の事を。
大の大人達が皆あたふたとした目まぐるしい夜、皆に幸福を運んだレイが、一体どんな風に産まれてきたか…
新しいトロメイの希望に、誰がその名前を贈ったか…何度でも何度でも、きっと誇らしげに。
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