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しおりを挟む『…私はフォーサイスの遠縁ですので』
嘘は言ってない。
そう遠くでは無いが。
通用するか分からないが、一応レイモンドの案に乗っかってライラも口にしてみる。
背中かに冷や汗が伝った。
レイモンド・フォーサイスはこちらで合流したのだから、詳しくは知らない筈だ…調べるにしても、時間は足りていないだろう。
確かに岩場にはエメラルド色の美しい川が流れ、その周りは色とりどりの木々が生い茂り、花々は見頃を迎えている。
恋人同士ならぴったりの散歩コースだが、残念ながらライラとデュマンの間にそのような甘い雰囲気は漂っていない。
『私が幼い頃、父がよく読んでくれた絵本があります。
私はその絵本が大好きでした。難破したエルメレの船を救助された、ある王国人の話です。
…感銘を受けたものです。例え憎むべき相手であっても、皆家族や故郷がある。敵味方関係無く、同じ人間であると…』
呼吸に注意しなければならない、とライラは気を配る。
あの仄暗い瞳は何かあれば、すぐライラを飲み込むだろう。
カマをかけている、とライラは思った。
その話は王国でも有名な話だった。
王国で絵本にはなって無いが、コナーを英雄たらしめる逸話の1つだ。
絵本、それほど有名な話ならば特別デュマンだけが知っている訳でも無い。
ローリーの産まれだと確かめているのか、知っているぞと強請っているのか、もしくはそのどちらもなのか…デュマンは頭の中でどうカードを切るか考えているだろう。
商人故、顔が広いだろうとは予想していた。
話ぶりからも広いエルメレの事を事細かによく知っている。
皇室に間者が居るのか、王国に親しい者が居るのか、もはやどちらでも良い。
老い先短いヤースミンに会えば事はすんなり終わる、という読みが甘過ぎたのだろうか…とライラの冷や汗が顔にまで伝ってきそうになった。
だが、庇護が大きいのはこういう時のためにある。
『謂われなき疑いで私を脅して…皇室も脅されるおつもりですか?』
ライラも微かに笑みを浮かべてデュマンに問いかけた。背に汗が滴っているなど、気づかれてはならない。
『滅相もない、脅すなど…』
デュマンは少し歩みを早めて、背の高い場所にある赤紫色の花を取る。
『ただ、借りだけを作るのはあまりよろしく無いのです。当主がそこまで気が回ってるとは思えませんが』
話してる内容とは裏腹に、デュマンは優しくその花をライラの耳へ掛けた。
『…ヤースミン様の悲願が皇室からの借りならば、私から何をお望みですか?まさか、身の程知らずにも…皇室から何か引き出すおつもりでは無いのでしょう?』
ライラはデュマンの好きにさせた。
側から見たら、さぞロマンチックだろう。
年頃の男女、女に花を飾る男…
デュマンは優秀な商人だ。
挑発に乗ってくる事は無いかもしれない。
『…これでも私は女を口説く必要は無い位にはモテたのですが。やはり王国の方はお気に召しませんか、このような小麦肌で髪の黒い〝野蛮人″は』
薄ら笑みを浮かべて、同じ色の瞳がライラを見る。
その瞳にも、小麦肌で同じように髪の黒いライラが映っていた。
案外挑発には乗る様だ。
ライラも同じ野蛮人だと言いたいらしい。
『申し訳ございません、まさか私を口説いていらっしゃるとは…そういう時は甘い言葉で囁かれるものかと思っておりましたので』
デュマンは一瞬目線を逸らし、小さなため息を吐く。
『…遠回しな言い方だとあなたには伝わらなそうですね。
あなたも王国に戻られたく無いのでしょう?でなければ、わざわざ、遠路はるばるここまで来ない。厄介事に首を突っ込む必要は無いのだから。
私があなたと結ばれれば、トロメイの男達も、もう少し大きな顔が出来るのですよ。
あなたは身分が保証されますし、悪く無い話だと思いませんか?』
穏やかに、囁く様にデュマンがそう言った。
『私の血筋を利用し立場を得て、正式な跡取りの配偶者になられたいと?
確かに血筋で考える者にはそういった捉え方も出来るでしょう。それで、ご自身がトロメイの実権を握るのですか』
ライラは真っ直ぐとデュマンを見る。
『まぁ…そうですね。トロメイが繁栄すると思います、今よりずっと。私なら、それが出来る』
だがそのデュマンの瞳に、そこまでの野心が燃えているようにライラには見えない。
『…。繁栄と言うよりも、今の当主達の鼻を明かしたいだけなのでは?』
デュマンから笑みが消え、軽く首を傾けた。
『デュマン様が…トロメイに忠誠を誓っているようには思えません。
男達が大きな顔を出来る…トロメイの男性達が肩身の狭い思いをされてれてるのなら、デュマン様もそのように窮屈に感じられてるのですよね?
外の世界を知っていて、外の世界でも生きていける貴方なら、むしろ…トロメイを捨てたい、逃げたいと思われるのが普通かと思います』
なぜこのように海の瞳が影を帯びるのか、ずっとライラは引っかかっていた。
トロメイの男達の扱い、無能な当主達、力を失いつつあるヤースミン。
一族内で争いの種となり得るライラと婚姻するというやり方は、いくら何でも乱暴過ぎる…とライラはデュマンを見上げる。
『面白い事を仰いますね』
デュマンはちっとも面白いと思ってない顔でそう言った。
ライラもデュマンの瞳に宿る影を陽の元へ引きずり出したい訳では無い。
面倒ごとはお断りだ。
『それ程の野心と自信がおありなら、時期を読み、ご自身でどうとでもなさるでしょう。
むしろ、今の方が商いはやり易いのでは?
デュマン様が御当主達を御すのはお手のものに私には見えます。
大人しい振りさえしておけば、好き勝手出来るからです。
今私と結婚し、あえて波風立てれば、ギュル様、ヤースミン様、それぞれの派閥の割れ目は大きくなりトロメイ領内で内戦になり得ます。
鬱憤の溜まっているトロメイの男性達も、黙ってはいないでしょう。
今の御当主達を見る限り、時を待てるタイプでも知恵が回るようにも見えません。トロメイ同士で、すぐに血が流されるでしょう。むしろそれをお望みなのでは?
…分かっておられるのでしょう?』
デュマンは暫く俯くと、顔を上げてギロリとライラを睨む。
『…そうであっても、強き者がこの地を治めるのですよ。例えトロメイの名が失われても、腐るよりマシだ』
同じ海の色の瞳を持つ者
トロメイの男にまとわり付く苦悩や屈辱
無くなってしまえば良いと、思ったのだろうか
逃げるのでは無く、全てを壊そうと
デュマンにとってのトロメイは正しく生き苦しい監獄に近いのかもしれない。
その生き苦しさはライラにも少なからず身に覚えがある。
ザイラがアイヴァンの屋敷へ戻る時、安息を求めて家へ戻る事は無かった。
それは逃れられない責務
人生を賭けて果たさなければならない役目
その努めがいつも帰る足取りを重くした
救いや希望を見出そうとしても、それは叶わない。
アイヴァンがザイラの帰りを心待ちにしてくれた日など存在しなかったからだ。
とはいえ、デュマンをここに連れてきて、育て上げた人物はなぜこの地へ留まり続けているのだろう。
トロメイの男であり、ヤースミンの息子、ギュルと血を分けた兄のジャニスは…
『…デュマン様のお父様はなぜこちらに?トロメイでご結婚されたのですか?』
なぜ今そんな事を、とデュマンは眉を顰める。
『…お祖母様が懇願されたのです。トロメイを支えて欲しいと。
父は、西に住む母の一族と結婚し、その婚家でそれなりに手広く商売をしてました。
同じ頃、お祖母様はギュル様にも大きな仕事を任せるようになってましたが、ギュル様は事業に失敗した穴埋めに、無謀な賭けに出ました。周りの反対も押し切って…
莫大な富が得られる香辛料を求めて、生きて帰る者が少ない船旅を強いたのです。
その後処理を父にさせておきながら、あの女達の偉そうな態度は相変わらず…。
父は、トロメイであのような扱いを受けるべき人では無い』
これが、陽に晒された影の本体だろうか
当主達は…恨まれて当然だろう…とライラは思った。
だがギュルがそこまでの無鉄砲さを持ち合わせるなら、ライラがデュマンと結ばれれば確実に血で血を争う事になる。
例えギュルが望んでも避けたくとも、だ。
デュマンの父が、その後処理を終えてもここに残る理由はなぜなのだろう。
ヤースミンのためだろうか。
息子達も男である故、不遇な扱いをここでは受けるかもしれないのに…
『お父様は、トロメイを恨んでいるのですか?』
『…それは分からない。口喧嘩さえ、避ける人なので』
ライラの問いに、デュマンはギュッと眉間に皺を寄せて、小さくそう応える。
デュマンの父は、穏やかそうな印象を持った。だが、人は見かけにはよらない。
息子に自らの姿を見せてこの機を待っていた…?そうすれば壮大な復讐劇だが、それもどこかしっくりと来ない。
『では、お父様はもう腐ってしまわれたのですね。貴方のお言葉を借りるのなら。
お父様はこの地に留まり続けてるのですから…』
デュマンはライラをその深い青い目で鋭く睨みつける。
だが、小さな溜め息を吐くとすぐにそれもやめた。
『…戻りましょう。まだトロメイのもてなしは始まったばかりです。
良いお返事をお待ちしております』
デュマンが背を向けて歩き始める。
優秀な商人とこれからどの様な駆け引きをすれば良いのか、商品は自分な訳だが、もし取引が成立したとしても、自分はトロメイですぐ殺されてしまうだろうとライラは思った。
デュマンにとってはライラの生死はどちらにせよ大義名分が増えて支持も厚くなるであろうし…
コナー叔父さんの話が好きだった割に、流血事が好きだなんて…なんとも血気盛んだ。
感銘を受けたとはとても思えない。
どこへ行けども、生きる事は容易くは無い。
転生前の方が余程自由に何でも出来た。
課せられた血の重みは、力を抜けば簡単にその身が倒れそうになる。
その呪いに似た枷を外す事が、果たしてアーダには出来たのだろうか?
新しい土地で生まれ変わり、先行き不透明の愛に裏切られる事無く、全てを捨てて得た自由を謳歌出来たのだろうか?
胸元に忍ばせた小袋から、女神の象徴とやらをライラは取り出す。
相変わらず遊色が美しく煌めいている。
果たして女神様がライラをどうするおつもりなのか、三叉路か十字路に突っ立って、そのお姿が現れるのを待つしかないのかもしれない。
出来るのなら死んだ後よりも、生きている時にお会いしたいものだ。
夢幻でも、一目…
ただ、そう思った時に、ライラの脳裏にどうしても浮かんでくるのは、見た事も無い女神では無かった。
灰色と黄金が入り混じった、世にも美しい瞳…オパールとも違うその輝きを、一目で良い、どうか近くで眺めたい。
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