転生伯爵令嬢は2度死ぬ。(さすがに3度目は勘弁してほしい)

七瀬 巳雨

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歪んだ真珠

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 デュマンは落ち着いた赤色で出来た質の良い織物で顔を覆い、深い青色をした目だけを出して自らの顔を隠す。
 
 トロメイの領地へ足を踏み入れた瞬間から、いつどこで誰に見られているか分からない。
 トロメイの女の目と耳、そしてその伝達の速さはよくよく知っている。
 
 
 高齢の祖母からうるさい程に実家へ帰って来いと催促され、デュマンの予定していた商談の日程は見事に狂った。
 
 なんでも、祖母の姉のひ孫…が見つかったららしい。
 何かあるとすぐ、祖母はデュマンにその話をしてきたが、まさか本当に見つかるとは…
 
 祖母からよく聞いた話…とは、海の向こうの男と恋に落ちて駆け落ちした姉、アーダの事に他ならない。

 公爵の身分も捨て、家族を捨て、故郷さえ捨てて消えた、祖母の最も大切な家族…


 今でもたまにトロメイから出て行こうとする女は居る。
 だが、大体は腹を大きくして、もしくは赤子や幼子を連れて帰ってくる。
 
 
 世間知らずにも母系一族出身で男よりも大きな顔をしていたら、男どもに呆気なく捨てられた、そんなとこだろう。
 
 女は、集団になると鋼の様に強いが、1人だと途端に脆くなるもの…

 1人で立てる者の数は少ない。
 人の上に立つ強さと力を持っている者は限られ、そうでない者が大半だ。
 
 
 別れの時、祖母は両親には内緒で持ちきれぬ程の金や銀、宝飾品を姉に渡したと言う。 

 もしかしたら、帰って来るのかもしれない、そんな思いもあったのだろう。

 だが、トロメイの地へ戻って来なかった上に子孫まで居たのだから、持たされた金銀財宝を元手に海向こうでも上手く生き永らえたのだ。
 
 トロメイの跡継ぎとしての資質は、充分に持ち合わせていたということになる。
 
 

 
『デュマンお兄様!帰ったのね!』
 
 顔を隠すデュマンをすぐさま見抜く人物は、この地であってもそう何人も居ないだろう。

 まだ幼さが残る顔立ちのミネが、満面の笑みでデュマンの元へ駆け寄る。

 
『ミネ、お前は本当に目が良いな』
 デュマンはラクダから降り、顔を覆っていた深い赤色の覆いを取る。
 癖のある肩までの黒髪が風に靡いた。
 
『デュマンお兄様の目は、綺麗な海の色だから、遠くてもすぐに分かるわ』
 ミネは愛嬌のある顔立ちでニッコリ笑うと、また一段と愛らしい。
 
 デュマンは小麦肌だか、ミネの肌色はより明るく、波打つ髪は赤っぽい茶色で目も明るい茶色だ。血縁があるとは思えないが、確かに同じ血を有している。
 
 トロメイ、の血を。
 
 
 真っ白な石造りのトロメイの屋敷には、お祝いの準備をする人で溢れ返っていた。
 
 『もっと早く着くと思ったのに!今エルを呼んでくる!』
 そう言うとミネはまた直ぐに駆けていこうとする。
 
『ちょっと待て、ミネ』
 デュマンはラクダに乗せた幾つかの積荷から、両手に収まるほどの大きさで油紙に包まれた物を取り出した。
 包みを開けると、中には四つ切りにされた揚げ菓子が入っている。
 
 ひどく甘いので、デュマンは絶対に口には入れないが、こういった甘過ぎる物が好きな人は必ず居る訳で…
 
『ほら、お前の好きな菓子。西の方まで行かなくとも作ってる人が居たんだ』
 
 ミネは両目をこれでもかと見開いて、キラキラとした笑みを浮かべた。

『うわぁー!いいの?』
 
『1つな』
 デュマンの言葉に、ミネは睨むような
 イタズラぽい目つきで返した。
 
『…ぜーんぶ貰い!』
 片手を伸ばしたミネが両手で油紙をひったくる。
『待て!コラ、1人で全部食べるなよ!』

『分かってるー!』
 駆け出したミネがデュマンを振り向きながら、そう叫ぶ。
 転ぶな、とデュマンが言う声ももう聞こえていないだろう。


 屋敷の噴水の向こうへすぐにミネは消えてしまった。
 
 明るく元気で大変よろしい…とデュマンは一息つき笑みを浮かべる。

 ミネのお陰か緊張が和らいだ気がした。
 
 だが、ここはトロメイの屋敷。
 そんなものは束の間に過ぎない。
 
 ラクダを引っ張りながら、広い屋敷の中央部へ進むと、デュマンがせめて最初には会いたくないと願っていた人物達とはち会わせた。

 
『デュマン、戻ったのか』
 
『ギュル様…にハーレ姉様。ご機嫌いかがですか』
 デュマンは片手を胸に当て、深く頭を下げる。
 
『貴方の事いつも忘れてしまうのよ、私。    
 私にも、随分歳下の従兄弟が居たのよね』
 
 ふふッと黒い縁で覆われた目元を細め、見下すような笑みを浮かべるハーレと、それを見遣る母親、現在のトロメイ家の当主、ギュルだ。
 
 デュマンの父は歳がいってからデュマンを設けたので、それを揶揄しているのだろう。
 一体いつまで、あと何回同じような言葉を吐くのか。

 皮肉なのか嫌味なのか、考えるのも面倒だ…とデュマンは顔を上げる。
 
 デュマンはギュルとハーレをぼんやりと見つめた。
 
 相変わらず2人ともに化粧も濃く香水も濃い。
 ギュルもハーレも髪は黒に近く、瞳は茶色で肌の色もデュマンと同じ様な小麦肌だ。その茶色い目をこれでもかと強調するメイクは、下品で洗練もされていない。
 2人ともいつもの様にめかし込んでいるが、お祝いの雰囲気に反して、どこか嫌なものをデュマンは感じた。

 
『ヤースミンお祖母様はどちらですか?』
 
 デュマンが尋ねると、ギュルは両眉を少しだけ上げる。
 
『お部屋にいらっしゃるだろう。
 海を見たいと仰ってたので、バルコニーかもしれん』
 
 ギュルはそれだけ言うと、周りの側近達と共にその場を離れた。

 1人を残して。
 

『貴方までわざわざ呼びつけるなんて…お祖母様は一体何を考えてるのかしら。…貴方には分かる?』
 ハーレがデュマンに歩み寄り、ぐっと顔を近ける。
   
 キツイ香水の匂いにデュマンは鼻を今すぐ摘みたいが、それは出来ない。
 
『一族の悲願が叶ったのですから、呼ばれれば来ますよ』
 とだけデュマンが言うと、その真っ黒い縁の茶色い目がデュマンの様子を注意深く伺う。
 

『一族…いえヤースミンお祖母様の悲願よね。まさか、ここまでご執心だったとは。全く…どいつもこいつも余計な事をしてくれるわ』
 ハーレはデュマンにしか聞こえない声量で酷く顔を歪めてそう言った。
 
 なんとも身の程知らずな発言だ、とデュマンは思った。
 母親が当主だからといってもヤースミンの力が衰えた訳でも無いのに。
 しかも探し出したのは、皇室の皇子殿下…聞く人が聞いたら即刻処刑されてもおかしくない。
 
『全く、こんな騒ぎじゃ仕事も捗らない』
 大袈裟にハーレが溜め息を吐く。
 

 仕事…ねぇ…
 金を使う事だけが得意で商才も無く、人をこき使う無能の分際で…
 
 デュマンは薄らとした嘲笑をハーレへ向ける。

 
『後であなたも少し手伝って頂戴。
 お客人が来たら、また忙しくなるわ』
 ハーレはそう言うと、くるりと向き直り、ギュルの後を追う。
 やっと居ないくなる、と安堵したのも束の間、ハーレはデュマンに振り返った。
 
『デュマン、あなたの立場はよくよく肝に銘じておきなさいよ』
   
 ただの従姉妹に言われてしまった。
 

 立場とは、決して表に立たず出しゃばらず、トロメイの為に尽くし当主に尽くせという事だろう。
 
 デュマンの父の様に。
 

 あの性悪からなぜ可愛らしいミネが産まれたのか…
 よほど種が特上だったのだろう
 
 女の嫉妬…浅ましさ、惨たらしさ
 怨念渦巻く白亜の宮殿
 まさしくここはトロメイの屋敷
 
 勝手知ったる場所だ
 
 これでこそ帰って来た実感が湧くというもの…


デュマンはラクダを預けてヤーミンの元へ向かう。
 
 自らが呼ばれた理由…
 予感が当たらないといいが…
 
 
 
『ヤースミンお祖母様』
 タイル張りの美しいバルコニーに、ヤースミンは日除の下でお茶を楽しんでいた。
 
『あー…来たね。風のような放蕩者が』
 
 カウチに座り、お茶を楽しむ女性、ヤースミンは弱々しく立ちあがろうとするが、すぐにデュマンが駆け寄って片膝を床につき、ヤースミンの手を取る。
 ヤースミンは軽く浮いた腰をカウチへ戻した。
 
『海のように頼もしい私のデュマン…。女神が風となり船を速めてくれた。間に合って良かった』
 
 ヤースミンはデュマンの頬に皺が深く刻まれた手を添わせる。
 
『またすぐに戻らないといけません。大切な商談がいくつかあるので…纏まればまた船に乗ります』
 デュマンは穏やかな表情を浮かべて、自らと同じ海の色をした瞳を見つめた。
 
『だがあの子達、客人達が来たらどこへも行ったらいけないよ。もてなしは男の仕事だ。
 あの子が帰るまで…ああ帰る…そんな言葉言いたくも無い。
 2度もお姉さまを失うなぞ…信心が報われれば、あのこを手元に残せるやもしれない。お前もそう思うか、デュマン?』
 
 やはり、客人をただで帰す気は無いようだ。

 全てを捨て出て行った姉の亡霊にしがみつく老婆の目は、未だ貪欲な野心が燃えている。

 
『王国から来たのでしょう?
 エルメレに来てトロメイに来て、すでに飛び回る羽をお持ちの様ですから、捉える事は難しいかと。神が客人の体に入りそうさせてるのかもしれませんよ』
 
 そう言って聞き入れるとは思っていないが、ものは試しだ、とデュマンがヤースミンを遠回しに諌める。
 
『羽か…折ってしまえばいい、そんなもの』
 拗ねた子供の様な顔で、ヤースミンはそう言った。

 年老いると、頑固さに拍車がかかると聞くが、冷静になって貰わねば困る。


『お祖母様…』
 
『私が常日頃どれほどお前を恋しがっているか…其方の父、ジャニスに聞くと良い。後先短いんだ、そばに居ておくれ。
 見送られる時はお前の手を握って逝きたいよ』
 
 次は御涙頂戴か…
 デュマンは呆れて溜め息を吐きたいが、吐くのはまた後にしよう。
 
『何を仰いますか。まだお祖母様は冥界へは参られませんよ。
 私とて、いつもお祖母様を思っております。ですが、大切なお仕事があります。トロメイの仕事です』

 ヤースミンはじっとデュマンを見つめる。
 
『全く…なぜこうも試練をお与えになるのか。
 お前のお父さんとギュルは中身を間違えて出て来てしまったのだ。2つ合わせて一人前、あの子達は半人前のまま生きてきてしまった…』
 
 デュマンの考えはヤースミンとは少し違う。

 仕事の出来で言えば、父であるジャニスはとても有能だろう。ただそれを管理するギュルは半人前にも成れていない。
 当主の座だけを持った、座るに値しない人間だ。
 
『そんな事はありません』
 
 本音はもちろん、口に出す事は許されない。
 
 父は言葉足らずだが、人のためによく働き、ヤースミンの言うことに従う。そう育てられたからだ。

 ギュルは口先ばかり、己の身しか考えていない、トロメイが、女達がそうさせたのだ。


 
『其方がここへ残り、其方の父と我が一族を支えてくれたら私も安心して逝けるというのに』
 デュマンは苛立ちを隠すため、より一層微笑みを浮かべた。
 
『残らずとも、四方を飛び回り骨身を惜しんでお支えしています』
 
 こんな場所に長居などしたら寿命が縮む。
 そして腐ってしまうだろう、自らの魂でさえ…デュマンはそれを恐れている。

 
『…あの子はお姉様と瓜二つと聞いた。エルメレの真珠と謳われた、あの美しい姿形をしていると聞く。手に取って眺めたくは無いか?天上からの贈り物と名高い、トロメイの真珠を…』
 
 ヤースミンはデュマンの反応を伺う。
 デュマンは微笑みを浮かべたまま、同意も拒絶もしない。
 

 女とは、いつも面倒だ。
 男の自分にとって、真珠とは身に付ける物では無い。
 高値を付けて売りつけるもの。
 極上と分かれば、尚更。
 
 
 だがあの真珠とやらに付いてくるのはアクイラの者…誉高い皇女殿下の側室の1人…既にその身は皇室所有のものだと、ヤースミンが気づかない筈は無い。
 
 それとも…姉の亡霊に取り憑かれてもう碌したのか…

 だが皇室もしっかり分かってるようだ、お祖母様の目論見とやらが
 
 勘は、しっかり当たっていたらしい。


 
『無論、トロメイの真珠は最高級品。
 私は常日頃眺めております』
 ヤースミンの言葉の意味を分からぬ振りでデュマンは流そうとする。
 
『…そなたももう良い歳。ジャニスは婚姻が遅かったから、孫も見たいだろう。
 私もお前の子をこの手に抱きたい』
 
 この話が1番嫌だ、とデュマンは不快感を隠せない。
 
『大丈夫です、お祖母様。トロメイにはミネがおります』
 


 碌でもない現在の当主とその娘…
 
 いっそ滅びたら良い
 生きていける力がある者だけが、この地を制する事が出来る
 
 そうでないのなら消えるしかないのだ。
 
 その時が来たら、しっかり目に焼き付けたいものだ…トロメイの女達の最後とは、一体どんなものなのか。
 
 そしてこちらにやってくる客人もまた、トロメイの女。
 羽が生えてるとはいえ、自力で飛んでくる訳でもあるまい。
 自由に飛ぶのか飛ばされてるのか知らないが、どの程度のものか…
 

 いや…お祖母様の言う通り、羽をむしり取るのもまた一興かもしれない。
 トロメイで、どのように生きるか、見てみたい…


 デュマンの深い青い目に、仄暗い影が落ちる。

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