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間の海

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 出立の朝、案内された港には多くの船が停泊していたが、ライラが乗船するのは特別大きくも無く小さくも無い年季の入った船だった。

 トロメイの領地へ行くには海を渡り、少しの陸路を挟んでまた海を渡る必要がある。
 それでも2日で行ける最短ルートなので行き来する定期船は他よりも多いらしい。
 
 
 
『この度は、アクイラ卿御自らご一緒してくださる事、大変光栄に存じます』
 
 船に乗り込む前に、ライラはテレサとアクイラと合流した。

 キアラ殿下の側室…

 ライラは恭しく頭を下げて挨拶したが、アクイラと呼ばれる男性、は終始機嫌の悪そうな態度だ。

 
『家格でいえばトロメイは公爵家、そのように頭を下げられる身ではありません』
 アクイラは気怠げにそれだけ言うとすぐにふいっと顔を逸らした。

 逸らした横顔も端正だが、その姿は手足も長く背も高い。細身ではあるが武人の家系らしく筋肉もしっかりと付いていて現在も鍛錬を怠っていないのだろう、とライラは思った。
  
 そして、アクイラの短く整えられた髪は黄金に輝き、瞳は空のように青かった。
  
 ライラはチラリとだが、興味深くその姿形を観察する。
 
 肌こそ小麦肌で顔立ちもより掘りが深いが、アクイラ卿は王国の人々によく似た特徴を持っている…

 エルメレは本当に多種多様な人種が交わって成り立っている証だ。とはいえ、このようにはっきりとした金髪は珍しいかもしれない。

 
 アクイラもテレサも市井の人々となんら変わらない物を身につけて溶け込んでいるが、どうしてもアクイラの端正さが目立ってしまっている気がした。
 
 ライラの視線に気付いたアクイラが、その視線が服装に向いていると気付く。
 
『…あちらに到着致しましたら、私の一族の者と合流します。今回の祝宴にも正式に招かれておりますので、滞在中必要な物は全てあちらで揃えさせました。ご心配無く』
 それだけ言うと、またふいっと端正な顔を背けた。
 
 ああ、そうかアクイラ家はトロメイとは繋がりが深い、とフィデリオからの言葉をライラは思い出す。
 
 だが、なぜこれ程機嫌が悪いのか…?

 
 どのような説明がなされているかは分からないが、ライラは王国から連れて来られたトロメイの血を持つ者…
 
 王国が嫌いなのか?
 それともトロメイ?
 旅の準備とやらが事の他大変だったとか…
 それは確かに有難い事この上無いが…
 
 腕が立つ武人とはいえ、この態度から見て、守って貰える気がしない。
 

 武人とて皇女殿下の側室、今回の役目は案内人という名目で微妙な力関係を保つための人選だったに違いない。
 護衛、としてはテレサがその役を担っているのだろうか。
 
 
 何かあったとしても、あの武人よりも自分の命を差し出さねばならないのは確かだ。
 役目が終われば、そんな未来もあり得る。
 良くて首だけが帰りの船に乗れるかもしれない。

 神頼みでもし始める他に既に策も無いが、その前になんとかアクイラ卿のご機嫌を良くしなくては、とライラは思った。
  
  
  
 船は日に何度か出る定期船だが、座席も特に決まってはいない。
 一般の人々が使う船だ。
 船の室内はわいわいがやがやとした声で溢れて既に酒の匂いがする。
 
 外の景色を見るためにライラは甲板に出た。
 
 欄干に寄りかかり、人で混雑する港を見る。

 数人、乗客の見送りなのか、何かを言いながら、手を高く上げて大きく振っている。
 
 
 船旅は、どうしても思い出してしまう人が居る。
 出立の挨拶位、したら良かったかもしれない。だが、わざわざそうする理由が無い。建前が無いのだ。
 

 ロープが外れ、陸と船を渡す板が仕舞われた。船が陸地から離れ始める。

 少しずつ動き始めた船の上で、ライラは揺れる美しい波の色を眺めた。
 

 ふいに港に目を戻すと、見渡す人々の中にじっと船を見つめる人物が居た。
 ライラはその人物に目を奪われる。
 
 いや、まさか…
 
 頭はゆったりとした白い布で覆い、口元もまた違った布で隠している。周りより頭2つ分背の高いその人物は、徐に口元をずらし、その顔を船に向けて晒した。
 

 確信はない。
 手を振るわけでも無い。
 ただじっと、その人物はライラを見ている気がする。
 
 もし、そうなら…
 
 ライラは動き出した船の後ろ後ろへ移動して少しでも近くでその姿を確認しようとした。

 だが船は段々と港から離れる。
 確かめたくて目を凝らす程、遠く離れてはっきりとはやはり分からない。
 
 それでも、ライラはその姿が見えなくなるまで、誰かを重ねてその人物を見つめ続けた。
 
 そして、港に佇むその人物もまた、ただじっとライラを見つめているようにライラには感じた。
 
 
 
 これも十八番、手練手管の1つ、なのかもしれない。
 
 ザイラの事情を知った上で、救いの手を差し出し、海まで超えさせた。
 それ程の手腕なら、確かにキアラがトロメイに取られては困ると言うのもよく分かる。
 
 
 そうだとしても、あの暖かく大きな手を取ったのは自分だ。
 
 
 どんな理由をつけたって、とっくに手遅れなのも本当は分かっていた。
 身の程を知れと言い聞かせながら、あの小さく脆いブーケを捨てる事さえ出来ない。
 
 だが、その邪で、自分勝手で、不相応な気持ちが高揚すればするほど、ディオンのあの言葉は呪いのように頭の中に繰り返される。
 

 逃げられない柵の中に居るお前にその価値はあるのか、と。
 
 
 
 既に陸地は見えなくなった。
 間には深い海が横たわっている。

 
 苦しみ、もがいて、きっと沈んでしまう。
 その深い海を、超える事は出来ないだろう、決して。
 
 
 
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