転生伯爵令嬢は2度死ぬ。(さすがに3度目は勘弁してほしい)

七瀬 巳雨

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煙管

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『この度は…キアラ殿下にお目通りが叶い、誠に光栄でございます。私のような者をエルメレ帝国へ運んで下さった御恩は決して忘れません』
 
 誰かさんを思い起こして調子が狂うな…ザイラは特に気の利いた事も言えず、最大限の敬意を払い、丁寧にキアラへ感謝を述べる。もう一度深く腰を折ると、背中の汗が下へ滴った。
 
 
『そう硬くならずとも良い。少し話そうではないか』
 キアラに促されるまま、銀とも灰色とも取れない美しいソファへザイラとレオは腰掛ける。
 クッションが大きいので、背を少し支える形になり幾分楽だった。
 執務室は落ち着いた色合いで纏められているが、少しづづ色味が違うものを絶妙に織り交ぜており、一つ一つの家具に彫られた彫刻や象嵌が緻密で目を惹く。
 皇族の生活に相応しい最上級の芸術品のようだ。
 
 
 キアラは重厚で美しい自らの執務机に回り込むと、机の端に置いてあった箱をパッと開けた。
 その中から煙管を取り出すと慣れた手付きで、葉を詰めている。
 
 パイプはコナーが好きでよく吸っていたが、葉巻や水煙草では無くまさか煙管を取り出すとは意外だった。
 
 不敬かつ大胆にもザイラがその様子を興味津々に見つめるので、キアラはその視線に気付き、顔を少し上げる。
 
『…珍しいか?極東からの品でな。細くて使いやすいので気に入っているのだ』
 
 しなやかな手に握られた煙管へ火をつけると、キアラはフーッと煙を吐いた。
 
 不思議な組み合わせに感じるが、色気がありとてもお似合いだ…
 
 ザイラもその動作には見惚れるものがある。
 
『そなたもどうだ?』
 白い煙を纏い、神々しいオーラを放つ女神はザイラに煙管を差し出す。
 
 だが、ザイラの隣に居るレオはピクッと膝に置いた手を一瞬反応させる。
 ザイラより先に、タバコの奥にある香りを嗅ぎ分けていた。
 
『…キアラ様、お戯が過ぎます』
 レオは嗜めるというよりも微かな怒気を含んでキアラに言う。
 
 タバコの香りが立ち込めてくると、ザイラの鼻腔にもよく知るその香りが僅かに入り込む。
 
 嫌でもこびり付いて取れない香り。
 
 あの、甘い香りだ。
 
『春の楽園…』
 ザイラがポツリとその名を溢す。
 
『レオ…やはりそなたの鼻はよく利くな』
 
 ザイラが困惑した目をキアラに向ける。
 キアラには一切の動揺も見えない。
 
『何、量の問題よ。皆加減を知らぬのだ。
 どんなオモチャも持ち主の使い用。
 少量であれば優秀な薬だ。
 名を変えて厳格な管理の元エルメレでも使われている。今の父上にも侍医が処方する程に…効果は高い』
 
 父上…皇帝陛下…また聞いてはいけない話を耳に入れてしまった気がする
 ザイラの鼓動は速くなった。
 
 察するに、帝国の皇帝陛下は体調が芳しく無いのだろう。
 
 それにしても…あれ程自国を苦しめた物をオモチャとは…女神が地上に降り立ったような風貌で、高慢な人なのだろうか…
 いや、同じ人であると考える事自体が烏滸がましい。
 
 高慢であっても無くても天上人の更に上に立つ御方…女神の匙加減一つで今のザイラは簡単に吹き飛ぶ。
 無用な詮索はしてはいけない…
 
 何も聞いていないし、反応してはいけない…ザイラは目線を動かさず呼吸も乱れないように集中した。
 
『頭痛の種が多くてな。フェルゲイン夫人、そなたが余の憂いを無くす手助けをしてくれると信じている』
 
 キアラは妖しい笑みでザイラを見つめる。ザイラは思わず目を伏せたが、体中から汗が噴き出した。

 
 大きな庇護の下にいる事が生き残る道と考えていたが、あまりにも大きすぎる。
 
 そして、その見返りに自分は見合った働きをせねばならない。
 価値のある人間だと、示さなければ…
 ザイラの呼吸が僅かに震える。
  
 キアラの言う憂い…それはトロメイ、その家門に関係ある事に違いないだろう。
 
 
『もうフェルゲイン夫人は居ないのだったな。そなたの持つ名はライラと言ったか。今からこれより、その名を名乗ると良い。秘密の名とはいえ、今では隠すものでも無いのだから良いであろう。
 しかしライラとは…奇なことよのう』
 
 キアラの視線はなぜかレオへ向けられる。その視線から逃れるように、気まずそうな顔でレオは目を伏せた。

『姓は、トロメイの者の許可が降りれば、そのままトロメイ姓を名乗ればよいだろう。ダメでもどこかの貴族の養子となれば良い』
 キアラはレオに目を向けたままそう続けた。
 2人の間にしか分からない何かがあるのだろうか…ザイラも横目でレオを見る。
 
 
『ライラ殿には暫く宮殿に程近いラティマの屋敷へ滞在して頂く。傷や怪我の事もあるとフィデリオが話は付けた。また使いの者を出すまで、ゆるりと旅の疲れを癒やされよ』
 
 キアラは吸い終えた煙管から吸い殻を除くため、金属の器に煙管の先をカッカッ、と軽く何度か叩いた。
 話はどうやら終わりらしい。
 
 扉の外で控えていたであろう従者が扉を開けた。
『そのまま馬車で送らせよう。従者が案内する』
 
 レオとザイラ、いやライラが立ち上がる。
 
『レオは残れ』
 
 キアラがそう言うと、従者はライラの前に来てこちらへ、と促した。
 
 ライラが一瞬レオに目を遣ると、目が合う。ライラが逸らしても、レオはその姿が見えなくなるまで、ライラの姿を目で追った。
 
 
 
 
『して…たらし込んだのか?あの人妻を?』
 ライラが居なくなった執務室で、キアラは執務机の椅子に座り手を組む。その表情は笑みを浮かべていて、レオの態度が面白くて仕方がないらしい。
 
 重厚な机の前でレオは気まずそうな、不本意そうな顔でキアラを見ていた。
『…何を仰っているか分かりかねます』
 
『たらし込むのでは無く、そなたが入れ込んでいるのか?
 ライラ…童話に出てくる漆黒の髪の乙女のようではないか。夫人が突如この世から消えて、フェルゲインの次男も狂うのか、見ものだな』
 
 漆黒の髪の乙女ライラの話はエルメレに古くから伝わる童話の1つだ。
 海沿いの街に住む男の前にライラという美しい黒髪の女が現れて2人は恋に落ちるが、突如としてその女は消えてしまう。
 どこを探しても見つける事ができず、とうとう男は狂ってしまう、というなんともオチの無い話で、ライラは人魚姫であったとか男は精霊に騙されたとか、そんな尾びれ背びれが付いている。
 
 要は恋に溺れる者を揶揄しているのだろう昔話だ。
 
『キアラ殿下…先程も申し上げましたが少しお戯が過ぎます。2年ぶりの故郷への帰還ですので、どうぞお手柔らかに』
 
 キアラ様では無く殿下、と嗜めるレオを見て、キアラにも多少の自覚はあった。厄介な立場の婦人は一体どんな人物なのか、計りかねていた。
 それに加えて、幼い頃からの幼馴染がえらく執心していると聞けば、俄然興味が湧く。
 
 レオは何かに熱くなる事はあっても、1人にそこまで執着する性質の男では無い。感情をコントロールし、皇室に忠誠を尽くすように教育されている。
 
 執着…本来であれば揶揄い甲斐のある事この上無いが、レオのその一面が、影を差し嫌でも過去の出来事をキアラに思い起こさせる…
 キアラの懸念はそこだった。
 だが、レオ自身厄介に絡まった糸の中に居る存在だ。なんとかそれを解こうとキアラは時を待っている訳だが…
 
 何の因果か、漆黒の髪の乙女が現れて更に絡まってしまった…
 
 だが、この縁を上手く活かせれば糸は思いの外簡単に解けるやもしれない…
 と根拠も展望も無い希望を今は抱いておこう…とキアラは思い直す。
 
 頭痛の種が無くなるかと思えば、増えてしまった気がする…とキアラは笑みを浮かべながらもため息を吐いた。
 
 
『サングタリー…トロメイの当主とは話がついておる。
 ライラ殿の正式な訪問まで日程もそこまで空けていない。今回の事はあくまでも内密な事だ。
 前当主は足腰も弱まっている。宮殿までは来れないのでこちらから訪ねるしか無い。ただ、当主は前当主とは違い、正式な後継者の血筋が来ることを警戒している。
 前当主とは真逆だ。
 むしろ歓迎していない。
 ライラ殿の血筋を探そうと思えば策を立てたはずだが、当主はそうしなかった。
 痺れを切らした前当主の依頼だったのでこちらも受けたが、あちらもあちらで揉めるだろう』
 やれやれ…と言った態度でキアラが言った。
 
『出立はいつでしょうか。準備を進めます』
 レオは勿論自分も共に向かうものと思っていた。
 
『ダメだ。そなたは留守番だ』
 
 その一言に、レオの瞳の虹彩が強く揺れる。
 
 キアラは例え2年ぶりの再会であっても、レオに手加減するつもりは無かった様だ。
 

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