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願望

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 フィデリオが部屋を出て行った後、入れ替わりにラティマがやって来た。
 
 アイヴァンの様子を見てザイラを心配しているのだろうか、怪我を診ているようで、終始ザイラの顔を伺っている。
 
 優しい人なのだろうな…とザイラは思った。どんな人にも好かれる、人たらしのような一面があるのだろうか…結婚すれば尻に敷かれるタイプだろう。
 だが、あのクレイグを手懐けているのだから勿論優秀であるだろうし、若くとも侍医としてフィデリオが連れて来たのもよく分かる。
 
 扉をノックする音がした。
 ラティマが返事をすると、クレイグが入ってくる。
 ザイラなどそっちのけでザイラの背中の治療についてラティマと意見交換し、楽しそうだ。
 理解者と話せて嬉しいのだろう…クレイグを理解してる人が居るとは思えないが限りなく近いのはアレシアとこのラティマなのかもしれない。
 
 それにしたって…ザイラはクレイグをよく観察する。
 扉がまたノックされ、ラティマが呼ばれて出て行くと、クレイグはやっとザイラに目をやった。
 
「…仲がよろしいのですね」
 ザイラが言う。
 
「留学中はよく一緒だったからね」
 共通する話題も多いのだから、会話も弾むはずだ。
 とはいえ、ここ最近のクレイグはとても機嫌が良いように見えた。
 アレシアの悪阻が治ったとはいえ、出産が控えている…。妊娠中なので体調を崩したりもするだろう、クレイグの習性なら半径2メートル以内には居たいところだ。
 
 それをわざわざエルメレの屋敷までとは…
 自身が留守の間であっても抜かりは無いのだろうけど…
 
「最近クレイグ様はとても機嫌が良さそうに見えます」
 ついポロッとザイラがそう溢す。
 
 すると、クレイグは穏やかな目をして、口元は弧を描きニッコリと笑みを浮かべた。
「さぁ?どうだろう」
 クレイグはただそれだけ言った。
 
 ザイラにゾワリと鳥肌が立つ。
 
 見た目だけは美女のような中性的な魅力があるが、中身を知っているので不気味さが先に立った。

 何も聞かなかったし、見なかった事にしよう、ザイラはさっさとベットに体を倒した。
 
 
 
 よく晴れた日。ザイラが使う部屋に、厳重な警護を引き連れこの王国の次期継承者である第一王子はやって来た。
 
「フェルゲイン夫人、お加減はいかがですか。初めましてお目にかかります。
 ユージーン・プランタジネットと申します」
 王子に会うのは初めてだった。
「このような状態でのご挨拶、誠に申し訳ありません。ザイラ・フェルゲインがユージーン王子殿下にご挨拶申し上げます」
 ザイラはベットに上半身を起こした体勢でも出来るだけ体を折り頭を下げた。
 
 ユージーンは手を差し出し、ザイラの手の甲に軽く口付ける。
 ザイラがどうぞ、と促すと今日のために用意されたいかにも高級そうな椅子にユージーンは腰掛けた。
 
 金色に近い髪色、日焼けした肌…美しい顔立ちは活発そうな雰囲気を漂わせ、日焼けからも実際に活発なのだろうと思わせた。
 ただその顔色は悪く、クマも出来ている。
 いつぞやのアイヴァンよりも疲れて見えた。
 
「早速ですが、私からフェルゲイン夫人にいくつかお伝えしたい事があります。 コリン・ディオンがした事は既にエルメレ帝国からの報せを受け、こちらも把握致しました。
 …この度は王国の対応が遅れ…フェルゲイン夫人には合わせる顔がありませんが、こうして図々しくも訪ねてきた事をお赦し下さい」
 ユージーンはまだ傷や痣の残るザイラを沈痛な面持ちで見た。
 
「そのようなお言葉、身に余ります」
 急いでザイラがそれを否定する。
 
 表立っていない事なのだからどうすることも出来ない事だ。
 
「ディオン公爵家は爵位と領地を没収致しました。そしてコリンは…生涯幽閉されます。」
 死罪にはならないのか…とザイラは思ったが、コリンにも王族の血は流れている訳で…死罪には出来なかったのだろう。

「またディオン公爵家がエルメレで行った所業の償いについては未だ話し合いを続けています。
 ただ、没収したディオン公爵家の財産は、賠償に当てられることとなりました」
 ザイラが聞いて良いのか分からないが、ユージーンは説明を続ける。
 
 エルメレへの誤解は解けたが逆に王国は不利な状況になってしまった。ユージーンの顔色の悪さも頷ける、とザイラは思った。
 
「今後、どうなるかは分かりませんがディオン公爵家の領地は王家と調査を牽引したフェルゲイン家で分割し、エルメレ帝国への賠償にも役立てればと思っています」
 
 調査を牽引した…?
 ザイラは眉を顰めた。
 
 まさか侯爵は全て知っていたのか?
 
「調査、とは?」
 ザイラが思わずそう口にする。
 
「…フェルゲイン侯爵は独自にあの麻薬についてディオン公爵家への調べを進めていたそうです。
 話し合いの折、エルメレ帝国へその資料も既に渡されました。その働きもあり、エルメレ帝国はコリンを死罪では無く生涯幽閉と恩赦を与えて下さいました。
 寛大な事に、コリンの薬物中毒の治療も帝国侍医の指導の下フォーサイス医師が引き続き担って下さいます」
 
 …ザイラは呆然とする。
 フェルゲインはこれで海へ出れる…
 北の氏族への牽制にもなる…
 侯爵の思い描いた通り、そしてエルメレにもパイプを作った…
 
 ザイラの事を警察に通報させなかったのは王国側へ事が露見しないため?
 確かにそれも大きな理由の一つであったに違いない…
 息子の愛人の妊娠騒ぎは良い目眩しになっただろう。
 全ては侯爵家の存在をここぞという時に示すため…
 
 体中に寒気が走った。
 まさに蛇のようだ…なんて恐ろしい男なのだろう…
 
 そう考えると…

 ザイラはやはり自分がもう用無しになると痛感した。
 今回は運良く生き残ったが、侯爵の強かさとどこまでを予見していたのかを考えると、ザイラの背筋が凍る。
 
 
 ユージーンは一気に説明するとザイラの目も気にせずため息を吐いた。
「…国王陛下は今回の事で疲労が溜まり、体調を崩され休んでおられます」
 
 それ聞いて良かった話?
 
 とザイラは焦った。
 
 フィデリオもそうだが、あまりペラペラと内情を話さないで貰いたい。
 まるで、逃げ場を塞がれているような気がする。
 ここは抗う意思を見せなければならない。
 
「ユージーン王子殿下。
 私はもう体中に消えぬ傷を負い、社交界にも顔を出せません。
 ご存知の通り名ばかりの妻ですが、その役目ももう果たせそうにありません。本当か嘘か関係なく、どんな噂もたちまち広がります。
 両家のためにも速やかに離婚をする事が最善の方法だと思っております」
 
 ザイラは目を伏せ、ユージーンにそう伝える。
 面倒ではあるが、今は出来れば大きな庇護の下にいた方が安全だろう。
 可能ならば王族、国王陛下か王子から離婚を勧めるように両家に仕向けて欲しいと期待した。
 
 だが今の国王陛下の状態なら難しいかもしれないと、ザイラは察する。
 であっても離婚だけは達成し、ほとぼりが冷めるまではひっそりと暮らす事が生き永らえるには最善の策に思えた。
 
「離婚?夫人がどんな状態であっても、アイヴァンに離婚の意思は無いと聞いている。
 フェルゲインとローリーも今後の発展を見込めばむしろ両家ともその許可は出さないでしょう」
 
 それでは困る。
 フェルゲイン侯爵の謀殺は刻一刻と近づいているのだ。
 
「…しかし、アイヴァン様にはミア様とお子が…」
 
「ミア嬢は今回の事でアイヴァンの信頼を失くした。懸念するような事柄は一切発生しない」
 ユージーンはザイラの言葉に被せるように断言する。
 妊娠中に情緒が不安定になるのはよくある事だと聞く。その程度でミア嬢が信頼を失くすとは思えない。
 
「お言葉ですが、アイヴァン様とミア様がどうであっても子には両親が必要ですし愛情を持って慈しまれるべきです。
 私も2人の仲を裂こうとは考えておりませんし、良き理由が見つかったのであればそのまま私とアイヴァン様が離婚すれば全ては丸く収まります」
 ユージーンは怪訝そうな顔を浮かべてザイラを見た。
 
「まさか、まだ聞いておられないのですか?今回の事はミア嬢の狂言です。
 もしくは心を病んで想像妊娠という状態だったとか…」
 
 ザイラは驚きの余り思わず手で口元を押さえた。
 
 狂言…
 本当に?
 
 侯爵の影がチラつくと全てが疑わしく思えて仕方ない。
 
 だが2人が愛し合っていた事は周知の事実であり、故に子が宿るような関係でもあった訳で…
 子が居たら…それこそそれを建前に強く離婚を主張出来ただろうに…
 
 どうすれば良いのか、ザイラは動揺しながらも思考を巡らす。
 
「…そんなに離婚したいのですか?」
 今までザイラとアイヴァンがどんな関係だったか、周りからどう思われてるかユージーンが知らない筈が無いだろう。
 
「これからお互いを慕って夫婦になれると仰るのですか?フェルゲイン侯爵の顔色を伺って、ミア嬢の影を気にし、割り切って一生ビクビクしながら…?」
 不敬にも程があるが、ザイラには余裕が無かった。
 
「…。心が通じ合うかは分かりませんが、両家の結び付きとは貴族にとっては重要な事です」
 
 やれやれと言った感じでユージーンはザイラを宥めているようだった。
 
 フェルゲイン侯爵家には、向こうが優位に立つカードをたくさん持っているから、だから皆ザイラに長いものに巻かれろ、と言うのだ。
 
 元より傷だらけで
 変わり者で
 ディオンの自白次第では自分が本当の傷物である事もバレる
 
 フェルゲイン侯爵家とアイヴァン卿に憐れんで貰い、恵んでもらってると思いながら生活しろと?いつでも切り捨てられるんだぞ、と脅される様に…
 
 ならば…とザイラは真っ直ぐにユージーンを見た。
 顔色の悪い麗しい王子は面倒そうにザイラを宥め続けているが、ザイラにはザイラに切れるカードを切るしか無い。



「…それでは、私を殺してくれませんか?」
 呆れた顔でユージーンがザイラを見る。
「…殺人はこの国では極刑なのだが」
 
 ザイラは力強くユージーンを見つめ返す。
 このカードは、自分にしか切れない。
 
「私を殺して下さい、この国から」
 
 
 
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