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覚悟
しおりを挟む数日後、アイヴァンはやってきた。
部屋に入ってきたアイヴァンは顔色が優れず、少しやつれたように見えた。
そして、あまり機嫌が良さそうには見えない。
ミア嬢の体調が悪いのだろうか…それとも侯爵にザイラの事で詰められたのだろうか…
ザイラの鼓動は速くなる。
「体調はどうだ。詳細は先日聞いた。
…大変な思いをさせてしまった」
アイヴァンの低い声が、ザイラの耳に届く。
一体どこからどこまでを聞いたのだろう。
コリンがどのように言ってるいるのかもザイラには分からない。
哀れみを抱かれるのは嫌だった。
怪我は治れば問題無い。傷跡も残らなければ、その痕跡は無くなる…記憶の中のことになるのだ。
「いえ、こうして無事ですので…」
下手な事は言えない…ザイラは言葉を慎重に選ぶ。
ミア様のお加減は如何ですか?
ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。
もう少し療養すればお屋敷に戻れると思います。
そう言おうと思ってた。
なのに…なぜ、言えないのだろう。
あなたの連絡をお屋敷で待ってたんですよ。
あのブローチはなんですか?
なぜ″すまない″と?
…私を探してくれましたか?
つい、あなたが助けに来てくれると勘違いをしてしまいました。
そんな言葉だけ、発される事なく思い浮かんでは沈む。
そんな事を言ってはいけないのだ。
夏帆がザイラに転生して、ザイラが生きてしまったからきっとアイヴァンとアレシアは結ばれなかった。
責任を感じている。
ストーリーは逸れてしまった。
逸れてしまってもう元には戻れない。
そう、元には戻れない。
抗うから、苦しいのだ。
目の前に居るアイヴァンをザイラはじっと見つめる。
力を抜いて、もう抗うのはやめよう。
覚悟を決めなければならない。
潮時だ。
「早めに荷物は纏めます」
ザイラがそう口にすると、目から一筋涙が零れ落ちた。
悲しい訳ではない。苦しい訳でも無い。
ただ、零れ落ちた。
「引っ越し先が決まり次第すぐにお屋敷を出ます。離婚の書類は早い方が良いですが、私はまだこの体で外に出れないので、そちらで用意して…」
「っ何を言っている!」
ザイラが言い切る前にアイヴァンの怒号がザイラの鼓膜を震わす。
こんなに感情的になるアイヴァンは初めてだった。
怒っているのか、悲しんでいるのか、どちらにも捉えられる表情を浮かべている。
「離婚について侯爵様や父の顔色を伺うなら、それまでは待ちましょう。ただ体が動き次第速やかにお屋敷を出ます。アイヴァン様もご存知の通り…予定が早まっただけです」
ザイラは落ち着いて淡々とそう述べた。
アイヴァンがなぜそんな反応をするのか分からない。
そう、分からないのだ。
私達はその程度の関係しか築けなかった。
「あの日…」
アイヴァンは顔を伏せ、なんとか感情を抑えている様だった。
「あの日なぜ誰にも行き先を告げず家を出た?」
あの日…収穫祭の最終日。
そしてザイラの誕生日だ。
ただそれだけだ、感情を揺さぶられる話でも無い。
良い誕生日だった。
アイヴァンには関係無い。
頭にまたガンガン、と鼓動と共に痛みが走る。
「ぁっ…」ザイラは上手く声が出せない。
それは確かにザイラの落ち度だ。
申し訳ありません、そう言わなくては。
だが、声を出せない。
突然ドアがノックも無く乱暴に開かれた。
険しい顔のレオがアイヴァンとザイラの間に割って入る。
「この国の紳士は重症の奥方にそんな態度をとるのか」
呼吸の荒いレオは血走った目でアイヴァンの胸元を掴む。
「外で聞き耳を立てているとは…ベルナルディ卿、貴殿がずっと面会の許可を出さなかったのは知っている」
部屋の中の空気が一変し緊張が一気に増した。
でかい男2人がここで喧嘩など始めたらまた怪我をしかねない…
ザイラはハラハラとして2人の様子を注意深く見る。
「屋敷総出で献身的な看護を心掛けているまでです。フェルゲイン卿が奥方を放り出して愛人と跡取りの事でお忙しいのは皆が知っていますので」
するとアイヴァンがレオの胸元を掴みぐっと顔を近づた。眉間に深く皺を寄せて目を見開いている。
冗談では無い、これ以上骨を折るわけにはいかないのだ。
おやめ下さい、とザイラが息を吸った時だった。
「私の屋敷では、貴婦人の前で乱闘騒ぎなど許していない」
乱暴に開かれたままのドアに、フィデリオが立っていた。
「…失礼致しました」
と視線をフィデリオに向けアイヴァンが先に手を離す。レオも不満気だが手を離し、殿下の横にさっと移動した。
『夫人、騒がしくして申し訳無かった。起き上がれるようになって何よりだ』
フィデリオはそう言って笑みを浮かべザイラに歩み寄る。
『手厚いお心遣い痛み入ります。お陰様ですっかり良くなりました』
まだ立つことがままならないザイラはフィデリオに恭しく頭を下げた。
フィデリオはスッと表情を変えて、アイヴァンとレオを見やる。
「面会は終わった様だ。フェルゲイン卿をお見送りしろ」
それを聞いたレオと扉の前に居たラティマが目でアイヴァンに退出を促す。
フィデリオに言われれば、従わざる得ない。
「…ザザ」
退出間際、アイヴァンが振り返りザイラを見る。
「何も心配しなくていい。すまなかった」とアイヴァンは言った。
心配しかないんだが…とザイラは複雑な気持ちで退出するアイヴァンを見送る。
予想外にも出禁になるのはクレイグでは無くアイヴァンかもしれない。
『血気盛んな男どもも居なくなった事だし、少し話しましょう。夫人にお話があるのです』
部屋の中にはフィデリオとザイラしか居ない。
なんだか妙にスッキリとした笑みを浮かべるフィデリオにザイラは何か胸騒ぎを感じた。
フィデリオは髪の毛を後ろに撫で上げる。
こういう時の話とは、大抵聞いてはいけないような話だ。
フィデリオもザイラに言っているのかもしれない。覚悟を決めろ、と。
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