44 / 106
対面
しおりを挟む出された食事の内容は悪くなかった。
パンにチーズ、それに野菜のスープ…
何か入ってるかと思ったが、体調に異常も無い。
ここから逃げるとして、あのドアが開いた時…つまりは食事の時だが、声だけ聞いても恰幅の良い男が三、四人は居るだろう。
場所もわからず、この建物の構造も分からない。
気持ちは焦るが、今は我慢だ。
雨に濡れた時のまま乾いた髪はベタベタで洋服も酷い有様だった。
食事よりも風呂に入りたい…
確かに大人しくしてれば何の事は無いようだ。それもいつまで続くか分からないが…
…アイヴァンは、きっと探してくれる。
そう信じたい自分が居た。
だが、見方を変えれば…ザイラを取り除ける好機でも確かにある訳で…
計らずしも妻が失踪、家出、もしくは自殺、殺人…それは絶対に避けたいが…
ザイラが決めて勝手に出て行ったとなれば、それはザイラの落ち度となる。
侯爵もミア嬢も、その展開は弱味として望ましいだろう。
…もしかしたら、アイヴァンも。
手紙に書いたことは本心だ。
だが、それをいくら本心です、と言っても信じて貰えるかは別…駆け引きをするには弱味、弱点が必要になる。
…なんだかもう帰るのも面倒だ。
正直、疲れた…
ドゥガルの第二夫人も良いかもしれない…
と馬鹿な事を考えていたら、また夜が明けたらしい。
空に陽が差してきた。
僅かな光でも、それが分かる。
少し眠ろう…そう目を閉じると、また扉がカチャリ、と開かれた。
予想通りの体格の良い中年の男が2人、部屋に入ってくる。
ザイラは身構えるが、男達はザイラに立て、と言ってザイラを立たせる。
すぐに頭に黒い布袋を被せられた。
それと同時に両手を前で縛られる。
準備が出来たのだろうか、両手を縛った先に縄があり、行くぞと言って腕を引っ張られた。
「いいか、決して騒ぐな。変な真似しようと思うなよ。何度も言うが、大人しくさえしてれば何もしない」
耳のすぐ側でそう男の1人が言うと、その野太い声にザイラは震え上がった。
この薄らと香る甘い匂いも、この男の野太い声も、不快でしか無い。
歩き出して数歩、ジャケットを置いてきてしまったと気付いたが、戻る事も出来ない。
階段を降り、外気を感じたがすぐに馬車に乗せられたと気付く。
…馬車の中は機密性が高いのか、外の音は一切聞こえなかった。
こんな馬車を用意出来る人間が、王国にはそう多く居ない。
静かな馬車の中で自分の鼓動だけが痛い程大きく聞こえた。
暫くの後、馬車は止まった。
また外気に触れると、なんだか様々な匂いがして人の騒がしい声が遠く無い場所から聞こえる。
酒の匂い、化粧品の匂い…下水の匂いやゴミの匂いもする…
繁華街だろうか?
ただ引っ張られるまま、ザイラは通路を歩き、階段を上がる。
階段は踊り場を3回曲がった、3階だ。それしか分からないが、冷静に状況を読めるだけ読み取る。
扉が開く音がして、きついお香の香りがした。
すると男達は両手を縛った縄を解く。
またパタンと扉が閉まる音がした。
どう言う事だ…
この袋を取っても良いということか?
「どうぞ、それをお取りください」
甲高く弱々しい女の声がした。
ザイラはそっと布袋を頭から取り除く。
真紅の絨毯に、無駄に紅く絢爛に彩られた部屋はそれ程広くは無い。
ここは…
女を見やると痩せて顔色の悪い女がそこに居た。痩せているのに露出は多く、化粧も濃い。その化粧でさえ、既に顔色の悪さが隠せていなかった。
「準備のお手伝いをさせていただきます」
それだけ言うと、女はザイラに近付く。
思わず後退りすると、女はそれも構わずザイラの髪に手を触れた。
「ご安心下さい、婦人のお支度をするだけでございます」
女の呼気で分かる、春の楽園の使用者だ。
女はそれだけ言うと、ザイラの服にも手を掛けた。その手をザイラはすぐに引っ掴んだ。
「お待ちください。疲れているのです。支度なら、湯浴みをするおつもりなのでしょう?着替えを下さい。全て1人で致します」
虚な目でそれを聞いた女は微かな笑みを浮かべて頷くが、ザイラの言葉は聞こえていない様だ。
思わず女の両肩を掴む。
ザイラが女をしっかりと見下ろした。
「私の手伝いを出来るのは、私に仕える侍女のみ。不安ならば扉の前で待っていたらよろしいわ。どうせ逃げも隠れも出来ないのだから」
女はそれだけ聞くと、相手が貴族というのを認識したのかおずおずと手を引いてザイラに着替えを渡した。
浴室のタイルや、色合いを見て確信した。
ここは娼館だ。
どんな種類の娼館かは分からないが、室内の装飾の凝り様を見るに高級な方だろう。
どんな場所であれ、今風呂に入れるのは有難いが…
服を脱ぎ、体を暖かい湯で洗い流す。
娼館…支度をする、と言うので嫌な予感がしてならない…
だが今は言葉通りにするしか無い。
早々と体を洗い、置いてあった香油を塗って用意された服を着る。
色合いこそ落ち着いた水色だが胸元が大きく開き、ザイラの背中の傷が見えるか見えないかギリギリの所だった。
露出の多さはいただけないが、背中が見えないだけ幸運だったと思う他無い。
ザイラが浴室を出ると、女は化粧台の前へとザイラを促す。
髪を結い上げ、軽く化粧を施される。
口紅の色がうんざりする程赤く、部屋の内装と重なってザイラは気分が悪くなった。
「何か飲まれますか?」
女の問いにザイラは首を横に振った。
それも構わず、女はお盆に幾つかの飲み物を持ってきた。
水、酒、…そして、発光するように明るいピンク色の飲み物…
女はニッコリと笑っている。
異様な空間に気圧されて、視界がグルンと回ると、ザイラは堪え切れず床に倒れ込み、嘔吐した。
「あらあら大丈夫ですか?」
そう言って女がザイラの背を摩り、すぐにタオルを持ってくる。
タオルで顔を拭われると水を差し出された。
「綺麗にしないといけません。主がお待ちですから」
女は変わらずぼんやりと落ち窪んだ目でザイラに微笑みかけている。
女の手から水を奪うと少しだけ口に含んだ。
もう一度化粧台に座らせられ、粉を叩き紅を塗られる。
そして、またニッコリと笑うとあの黒い布をザイラに被せた。
「準備が出来ました」
後ろから女が扉へ声を掛ける。
先程と同じように両手を縛られて、部屋を移動させられた。
廊下は長いが、移動先に階段は無く、同じ階のまた別の部屋に通される。
座り心地の良いソファに座らせられると、また両手の縄は解かれた。
ザイラの体が、鼓動のリズムに合わせて小刻みに揺れる。
誰かが近づいて来た、と思った瞬間に黒い布袋が勢い良く取り除かれた。
「っばぁ」
子供をあやすように布袋を取り除いた人物は、ザイラの目と鼻の先に顔を近づけていた。
ザイラの体中に電流のような悪寒が絶え間なく流れる。
背筋が凍る、それは今この瞬間を表すに最適な言葉だった。
2
お気に入りに追加
62
あなたにおすすめの小説
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから
gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。
【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?
氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。
しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。
夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。
小説家なろうにも投稿中
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
新婚なのに旦那様と会えません〜公爵夫人は宮廷魔術師〜
秋月乃衣
恋愛
ルクセイア公爵家の美形当主アレクセルの元に、嫁ぐこととなった宮廷魔術師シルヴィア。
宮廷魔術師を辞めたくないシルヴィアにとって、仕事は続けたままで良いとの好条件。
だけど新婚なのに旦那様に中々会えず、すれ違い結婚生活。旦那様には愛人がいるという噂も!?
※魔法のある特殊な世界なので公爵夫人がお仕事しています。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる