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誕生日

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『…っお祭りとはいえ、ハメを外しすぎではありませんか?靴はどこですか?』
 
 …どうやら呆れてる方だったようだ。
 安堵したら目に篭っていた熱もスーッと引いてきた。
 バレていない、良かった。
 
 存分に雨に打たれたら、頭も体も少しスッキリした。


『…ここで何をされてるのですか?今日は殿下はご一緒ではないのですか?』
 ザイラは名も知らぬ鷹の目をした男を見上げたまま問う。いつも殿下にひっ付いているイメージしか無いが、どうやら今日は殿下は居ないらしい。
 
『殿下は王族方とのご予定が立て続けにありまして。私は昨日から暇を貰いました。』
 
 貴族達は晩餐会なり豪華なイベントを催すものだろう。アイヴァン…も護衛か来賓として出席しているのだろうな、とザイラは思った。
 
 そこにはフェルゲイン侯爵も一緒だろうか。
 ミア嬢の妊娠が侯爵の耳に入っていたとして、侯爵は一体どうするのだろう…考えると寒気がする。
 
『冷えますので、こちらへ』
 ぶるりとしたザイラの様子を察したのか、鷹の目の男は傘を差したままザイラを軒下へ誘った。
 
 傘を畳むと、品の良い高級そうなジャケットを脱ぎザイラの肩へ掛ける。
 この前と同じ香水の香りが、体を包み込んだ。
 
 鷹の目の男はベストを着ているが、ぴたりとしたワイシャツから鍛えられた体の線がはっきりと見て取れた。
 側近なのか専属護衛なのか、どちらにせよ有能なのだろうな、とザイラは思った。
 
『ジャケットが、濡れてしまいます』
 とザイラが脱ごうとすると、男は有無を言わさないとでも言うように余計にグッとジャケットをザイラの体に巻きつける。
 
 確かに暖かいので、ここは甘えておこう。
 
『申し訳ありません。ありがとうございます。…っ』
 名前を言おうとしたが、ザイラはまだ知も知らない。
 
『そういえば、まだ名乗っておりませんでしたね。ベルナルディ=パシャ=レオと申します。レオとお呼びください』
 察しの良い殿下の側近は自らの名前を口にする。
 
 
『レオ様。ありがとうございます』
 ザイラは軽く頭を下げた。
 また目がグルンと一瞬回る。
 まだまだ酔いは体に十二分に残っているようだった。
 
『失礼、水滴が…』
 そう言うとレオはポケットからハンカチを取り出し、そっとザイラの目の周り水滴を拭った。
 確かに顔はびしょびしょなので瞬きをする度にまつ毛から水滴が弾けた。
 
 どうぞ、とそのままハンカチを差し出されたので、一瞬躊躇はしたが紳士の行いに甘えて顔や腕を拭かせて貰った。
 
 買って返そう。
 1番高いやつを。
 なので遠慮無く使わせていただく。
 
 そんな事を考えられる余裕は酔っているせいだろう。
 
 いつもならあの美しい瞳に見惚れてなぜか落ち着かなくなる。
 
 今日はグルングルンと目が回るので、視界不良だがその瞳も時折万華鏡のように見え、それはそれで綺麗だ。
 
 
『レオ様はなぜいつも変装を?』
 
 勢いに乗って気になっていた疑問を投げかけてしまった。
 
『…郷に入っては郷に従えといいますが、現地では現地人らしい方が楽ですので』
 なんとなくはぐらかされてる気がするが、まぁ似合っているので良しとしよう。
 
 諜報活動です、とは言えないのが諜報活動であるし…
 まぁ変幻自在に化けているのだから、何か探っているとは少し考えれば分かる。


『よくお似合いです。王国の方にしか見えません。私にも教えて下さい』
 そう悪戯っぽい顔でザイラがレオに言った。
 
『美しさを隠す必要がありますか?』
 
 そんな歯が浮くセリフを何の気無しに言うのだ、このレオという男は。
 海の向こうはそれだけ情熱的なのだろうか。
 
 はいはい、と言った顔でザイラはレオを見た。
 レオは全く気にしてる様子も無い。
 
『今日は、お一人ですか?』
 レオが問う。どこかやり返された気がしてならない。ザイラの立場は知っているだろう。
『誰かと一緒に見えますか?』
 思わず即答してしまう。
 相手も居ないから1人で雨に打たれている訳で…
 
『先程、子供と踊っておられたではありませんか』
 
 一体どこから見てたのやら…
 
『外が楽しそうだったので出掛けてみたのです。そうしたら麦酒を渡されて、それからはもう歌ったり踊ったりしながら浴びるほどお酒を呑みました…そしたら靴も帽子も無くなっていて、気づいたらここにいました』
 自分で言っていてふふっと笑みが溢れてしまう。
 本当に、何をしてるんだか。


『…楽しかったですか?』
 急に、レオの声色はザイラを気にかけるような優しいものとなる。
 眼差しも、柔らかだ。
 
『はい。とても。まだ目が回ってます』
 その眼差しが心地良かったのでザイラも答えるように笑みを浮かべて答えた。
 
 
 雨は上がった。
 軒下にいた人達がまた通りに溢れ、濡れたままの人達は相変わらずそのままドンチャン騒ぎだ。
 

『もう夜になります。お送りしましょう』
 レオが手を差し出したので、挨拶か何か何かと思いきや体が突然宙に浮く。
 
『っ降ろしてください!これはダメです!』
 まただ…またこれでは…とザイラは頬が熱くなる前にレオを睨みつけた。
 抵抗も虚しくガッチリと抱き抱えられている。抵抗したとて勝てる気は微塵も無いが。
 
『裸足の人間が何を仰ってるのですか。貴女が裸足なのに私はそのまま靴で歩けと?王国の紳士達に靴で頭を殴られますよ』
 レオは呆れた様にザイラを見下ろした。
 
 そう言われると確かに強くも出れない。
 
『ではその靴をお貸しください。レオ様は裸足で帰ったらよろしいです』
 
 何を馬鹿な事を、という眼でレオは鼻で笑う。
 先程の紳士っぽさはどこへ行ったのか。
 
『貴女が履いて歩くより、この方が早いのです。私も靴を失くしたくありません』
 どうやら反応が面白くて揶揄っているようだ。
 終始薄らと悪戯っぽい笑みを浮かべたままのレオは、長い足でズンズンと人混みを進む。
 だが注目も確かにされていない。
 お祭りなので、皆周りなぞさして気にしてはいないのだ。見るべきものは、ザイラ達以外にもたくさんある。
 
 思いの外遠い所まで来てしまったので、確かに足は疲れてはいた。
 体も段々と冷えを実感してくる。
 
 だが、触れた体が温かくて、心地が良い。酔っているせいもあるが、ただただ心地が良くて、反抗した割にらしくも無く体を預けてしまう。
 
 耳を澄ますと人々の笑い声や歌声、リズムの良い音楽に、通りは全て様々な出店が立ち並ぶ。ランプや蝋燭が灯った雨上がりの街は、目を見張るほど鮮やかで美しかった。
 
 
 
『もう少し静かな通りを歩きますか?』
 上から、レオの気遣うような声が降ってきた。
 
 『いえ、楽しそうな声を聞いてると私も楽しいので大丈夫です。まるで祝ってくれているようで、嬉しくなってくるんです』
 目を閉じると、本当にそんな風に思えてくるのだ。おかしな話だが、自分の誕生日会だと。

『祝ってくれている?』
 レオは眉を一瞬顰めてザイラに聞き返す。
 
『今日は誕生日なのです』
 誕生日に1人で雨に濡れてやりたい放題していると、またレオは呆れてしまうだろうか。
 だが呑んで踊って騒いで、雨にも打たれてスッキリもした。
 
 家に帰っても大丈夫、そう思える。

 すると、レオは突然足を止めた。
 
 どうしたのだろう?と見上げて様子を伺うと、踵をくるっと変えて違う方向へ歩き出した。
 
 一体どこへ行くのだろう
 確かに、裏道や抜け道はよく知ってそうだ
 
 少し裏道を通って2つほど大きな通りを抜ける。
 この辺りは一段と華やかな箇所で、女性向け店が多い通りだ。
 こちらもびっしりと出店が並び、また雰囲気が違うが鮮やかだった。
 通行は規制され、普段は馬車が通る車道も人々がお喋りや飲食を楽しみながら行き来している。


 徐にレオはザイラを下ろした。
 

『ここで後ろを向いて、待っていて下さい』
 何の事か分からず、ザイラは酔ってフラつく体でポカンと口を開けた。
 離れた温もりが冷えた空気を呼んで、その体温が恋しくなる。
 
 とりあえず回らない頭と回っている視界で大人しく後ろを向いてみた。
 
 するとレオはもう一度戻ってきて体を屈めて距離を縮め、ザイラの目をじっと見つめる。
『誰に声を掛けられても、付いて行ってはいけまんせんよ』
 と念押しする様に、レオは怪訝な顔でそう言った。
 
『…子供ではありません』
 ザイラは少しむくれてレオを睨む。
 
『今のあなたならやりかねません』
 
 …確かに見知らぬ人からの麦酒からこうなった訳だ。それは言い返せない。
 だが、そのお陰でレオとはなんだか普通に話せている。酒は百薬の長、と聞くがこの場合は確かにザイラに良く効いていた。


 ザイラはレオに言われた通り、動き出したくなる体を抑えて体を後ろに向けて待つ。
 
 後ろから揶揄うようなわざとらしいキャーという女性の高い声や、笑い声が聞こえる。
 媚声に近いものだ。
 相変わらずの美貌を遺憾無く発揮して、愛想振りまいているのだろうか。
 
 そもそもなぜ後ろ向き?

 
『レディ』
 レオの声が、すぐ後ろから聞こえた。

 呼ばれたのでゆっくりと、様子を伺うように振り返ると上目遣いに微笑みを浮かべたレオがそこに居た。
 その立派な体躯に似合わない蝋燭を一本挿した可愛らしいカップケーキと、片手に小さなブーケを持って。

 
 嘘だ、あり得ない。
 歯の浮く事を平気で言うのは知っていた。いつもそうやって揶揄ってくる。
 また揶揄っているに違いない。
 
 なのに、ドゥガルとロシーンを思い出したのは、何故だろう
 
 
 カップケーキに挿された蝋燭の小さな灯が、風に揺れる。
 後ろからはヒューっと言う声や女性や男性達からの笑い声が聞こえた。
 

 一歩、レオは更にザイラに近づいた。
 
 
 顔が熱い。体も熱い。そして、目頭も…酔ってるせいだ。
 
『目を閉じて、吹き消して下さい』
 
 柔らかな笑みを浮かべたレオにそう促される。
 
 胸の中で、温かい気持ちが広がり溢れる程に満たされていく。
 酷く続いた胸の痛みさえ、共に飲み込んで。

 ザイラは目を閉じた。

『っちょっと待って、吹き消す前に願い事を』
 レオが慌ててザイラに声を掛けた。
 目を開けた時のレオの慌て様がなんだか面白くて、ザイラも自然に笑みを溢す。
 笑ったせいか、雨は止んだのに、目から頬に一筋の水滴が伝わり、地面へ落ちた。
 
 
 願い事ではなく、感謝を伝えたかった。
 
 
『ありがとう、…最高の誕生日です』
 それだけ言うと、ふっと息を吹きかけて灯を消した。
 
 それを見たレオは困ったような笑みを浮かべる。
『レディは、お人好しですね』
 
 また呆れてるだろうか?
 
 ザイラは両手でカップケーキを受け取った。可愛らしい甘そうなカップケーキだ。甘いものは好きじゃない。だが、ずっと眺めていたかった。
 
 そして、レオはもう一つ、と小さなブーケを差し出す。淡い色合いの青、紫、ピンクの花々はドライフラワーで出来ている。
 
 お人好しなのはどちらだろう。
 偶然会っただけのとくに知りもしない相手に、ここまでする必要は無いのに。
 
 
『レオ様も、お人好しでしょう?』
 ザイラが言うと、レオもまた少年の様な笑みを返した。
 
 
 
 その後、出店のおばさんやお姉さんがやってきて、ケーキを箱に入れてリボンまで掛けてくれた。
 
 この箱に今日一日の記憶と気持ちを閉じ込めて食べたくない。
 食べれないだろうな、とザイラは思った。
 
 相変わらずのお姫様抱っこで、ザイラは無事に屋敷の近くまで運ばれる。
 
『ありがとうございます。こちらでもう大丈夫です』
 
 誰かに見られたら面倒だ。
 屋敷の少し手前で、レオはザイラを下ろした。
 
 片手でケーキの小箱とブーケを不安定に持ち、ジャケットを脱いごうとすると、またレオはジャケットの前を掴んでグッとそれを戻す。
 

『夜は冷えます、そのままお持ち下さい。役目を終えたら、いかようにも処分して下さい』
 こんなにしっかりした品の良いものをそう易々と処分なぞ出来ない。
 いつもなら面倒だから返すだろう…だが今日だけは甘えて、思い出に浸っていたかった。
 
『では、今宵はお言葉に甘えて…』
 
 おずおずとザイラはそう言うと、挨拶もそこそこに屋敷への道を歩く。
 火照る体を冷ますように。
 
 現実に、日常に、戻るのだ。
 だが、今は浸っていたい。
 大切に小箱とブーケを抱きしめた。
 
 
 日常に戻る、そう思っていた。
 
 
 
 不穏な黒い馬車がザイラへ近づいて来る。
 
 ザイラを非日常に誘うため、その馬車からザイラに向かって、黒い手が伸ばされた。

 
 
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