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解放
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ライラ・マルガリテス、それがエルメレでの伝統に則った名前らしい。
突然現れた天上人は、ザイラにそう告げた。
とはいえ神のお告げのように天上人に真実を告げられても、何か劇的に変わるようでは無かったらしい。
エルメレは大小様々な国や民族から成り立っている、それでもこの伝統は共通した唯一のもの…と考えるとエルメレの歩んできた歴史は正に苛烈だ。
だが、話がいかんせん壮大過ぎる。
今のザイラがそれを知ってもどうする事も出来ない。ただ、自分の外見はやはりエルメレに帰属したものだった、という裏付けにはなった訳だが。
ザイラの母もこんなにハッキリとその特徴が出るとは思わなかっただろう。
赤子を産んだ時、一体どんな事を思ったのか…そんな事をふと考える。
考えても仕方のない事なのだが、皮肉にも、それなりにザイラは外見に則った扱いは受けて来た。
相変わらずロケットペンダントを首に下げ、ザイラはリサとテオからの手紙を就寝前に読もうと意気込んでいた。
リサからの手紙は、読むのに少々…いや結構な体力を有する。
先に、他の手紙から確かめようと幾つかの手紙の中に、アイヴァンからの手紙があった。
アイヴァンはここ最近屋敷には戻っていない。
仕事が忙しいのだろう…などと、思うほど鈍くも無い。
フェルゲインの別邸に行ったり、ザイラの病が長引いたので、ご機嫌はそれなりに取らなければならないだろう。
誰の、と聞くまでも無い。
アイヴァンからの手紙は体調への気遣い、それと再来週の収穫祭に時間を取ろうと思ってること。簡潔にそれだけだ。
収穫祭か…と手紙をベットに置いた。
収穫祭は3日間に渡って行われる家族の大切な行事だが、格式高くお祝いするのは王族や貴族。庶民には歌って踊って食べての、正に、お祭りだ。
日付は王国の暦によって定められてる訳だが、収穫祭の最終日はザイラの誕生日でもある。
誕生日、に余り良い思い出は夏帆には無い。
夏帆の両親はあまり子供に興味が無かった。特に夏帆には。
産まれて来てくれてありがとうと一日中幸せに浸れる日、という印象は無い。
ハラハラとした嫌な緊張感を感じるので、早く当日が過ぎて欲しいとさえ思っていた。
自分も皆と同じように祝ってくれるのだろうかという期待と不安。
そして幼い自分の望みが叶わないと分かった時に備える準備。
恥ずかしくも…叶わなかった時に傷つかぬようにする心の準備だ。
親の気分一つで愛情というものが与えて貰えるか貰えないかが決まる。
親という人間が気分次第に決めるのだ。
そんな家庭だった。
故に、無条件に親というものに愛情を求めるのは愚かな事だと学んだ。
顔色を伺い、機嫌を伺い、条件を満たさねば、注目はしてもらえない。
親とて人間だ。
血の通っただけの他人だ。
ただ自分は偶然親のエゴで産み落とされただけ。
運命でも何でもない。
気まぐれに情欲に溺れて身籠り、母や父という肩書きが欲しかった、なってみたかった、それだけだ。
そう言い聞かせ続けてきた。
それでも、なんとも情け無い事に、無条件に愛される子供は羨ましかった。
と同時に憎らしく妬ましかった。
なぜ私が渇望するものを、なんの疑いも無く享受し時に鬱陶しいと邪険に出来るのか…
誕生日は、そんな気持ちを思い起こさせて、思い出す度に苦しくなる。
ザイラにとっても誕生日はあまり良い思い出には感じない。
ローリー伯爵はザイラを疎んでいたのだから。
唯一、説明のし難いこの空虚な穴が満たされたと感じたのはコナーやナディアと誕生日を祝った時だ。
ナディアもその日は収穫祭の準備もそこそこにザイラの好物の支度を朝から始めて…
ザイラも主役ながら目一杯手伝わされたが…
完成した料理を食べ、素朴だが心の籠った贈り物をくれる。
あの思い出があるだけで、幸せだ。
産まれて来てよかったと思わせてくれる。
その思い出が、満たしてくれる。
この手紙にアイヴァンの言う時間とはいつなのかは書いてない。
誕生日を知っているのか。ただ単に収穫祭のことなのか。
そう、期待しない方が良いのだ。
期待通りにいかない時に、恥ずかしくも自分勝手に傷ついてしまうから。
ザイラはベットで体を小さく丸めて座り、窓を見た。もう夜も日付が変わる…
今日はお酒でも呑んで寝よう
わざわざアンナや他の使用人を起こすのも気が引けたのでザイラは自ら階下に降りることにした。
厨房へ行けば何かしらの酒はあるだろう、そう思いそっと音を立てぬ様に厨房へ向かう。
すると、厨房の手前のドアでシクシク、いやメソメソといった女性の声とそれを宥めるような、同じく女性の声がした。
使用人同士の揉め事なんて…面倒な事この上無いが…
一応聞き耳を立ててみる。
「もう泣くのはやめなさい。お金の心配はいいから、とりあえずお医者様の元へ連れて行きましょう」
アンナの声だ。
「…ですが、いつものお医者様も覚悟を決めなさいとっうぐ…っ仰って…例え…腕の良いお医者様にっ診ていただいてもっ…とても払いきれませんっ…」
なんと泣いているのはベロニカだ。
いつもむくれて隙あればジャブを入れて来るあの小生意気な娘が、珍しくも泣いている。
「お金は…私も出来るだけ力を貸すから、とりあえずジャスパーを病院へ連れて行きましょう。今から家に…」
ザイラは戸を開けた。
「誰か重病人がいるの?」
アンナとベロニカは目を見開きザイラを見る。
「奥様申し訳ありません、お呼びでしたか?」
アンナは慌ててザイラに軽く頭を下げる。
「いいの。それより、誰が具合悪いの?」
「…ベロニカの弟のジャスパーです」
アンナが気まずそうに答えた。
ああそういえばそんな話を聞いたかもしれない。
ベロニカは泣いていた顔を拭き顔を伏せ、しおらしく手をお腹の前に組んでいる。この小生意気な娘も、家族の事となると人目憚らず泣くんだな、と思うとやはりまだまだ幼い年頃の娘だと感じた。
「…聞いたところ容態は良く無いのね?」
「…はい」
消え入りそうな声でベロニカが応える。
「アンナ、馬車を用意して」
2人からえっ?という声が漏れた。
ベロニカの目にはザイラの次の言葉に期待が込められるような光が射す。
「馬車が用意できたら、すぐにベロニカの家へ。弟さんを乗せてそのままマタイ総合病院へ行きましょう。ベロニカはマタイ総合病院へすぐ誰か使いを出しなさい。患者が来ると」
奥様、と2人はあたふたするが、ザイラは構わず指示を出す。
「私も馬車で共に行きます、アンナ、早く馬車を」
自らの苦しみや悲しみから解放される方法はただ一つ、他者を喜ばせる他無い…と高尚な本の一節を読んだ事がある。
今の自分の説明し難い憂鬱な気持ちを晴らすために、あの小生意気な娘の絶望を利用してやったのだ。
それだけだ。
それでザイラが解放されるかは分からないが、少なくともベロニカの弟が助かるならば、この憂鬱はきっと、どこか遠くに吹き飛ぶに違いない。
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