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春の楽園

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 1人で出掛ける、と素直に言っても不自然じゃ無い理由を探したが中々見つからなかった。
 しかも、そこそこの荷物もある。
 
 荷物を持ったら一緒にお持ちします、と必ず使用人の誰かに声を掛けられるだろう。
 
 嘘をつく時はほんの少しの真実を混ぜると良いと聞く。
 
「寄付する衣類を集めてると聞いたので、フォーサイスの家に行ってくる」
 
 どうだろうか?
 
「ついでにお茶でもしてくる」
 まるでアレシアとお茶をしてくるような印象を持つだろう。
 
 嘘だが、嘘では無い。
 
 フォーサイスの所へは立ち寄るつもりだった。フォーサイス夫人の経営する、マタイ総合病院に。
 
 いつもより茶系の地味なジャケットを羽織り、やけにもさっとしたスカートを履いた。
 皆が忙しそうな時間を狙い、挨拶もそこそこに屋敷を出る。
 
 マタイ総合病院に着くと、馴染みの受付である中年のおばさんは、ああ、と軽く頭を下げた。
「お掛けになってお待ちください」
 
 促されるまま病院のソファに腰掛けると、すぐに目的の人物がこちらにやってくる。
 
「お久しぶりです、ザイラ嬢」
 のっそりとした体躯の壁のような男。
 ぼうっとした顔立ちで黒髪に緑色の瞳を持つ男は、父であるフォーサイス子爵似なのだろう。
 
「お変わりなさそうで何よりです、レイモンド」
 
 レイモンドはマタイ総合病院で薬剤師をしているが、最初はその恵まれた体躯を軍の高官に切望されて士官学校に入った。普段はのんびりとしているが、動きが機敏で運動神経も良く、騎士も夢では無いと大変期待されたらしい。
 
 だが、彼にはある致命的な体質があり、巡り巡って今ここに居るのだが、それはまた別の話だ。
 
「…いつもの物です」
 
 そう言って紙袋に入った大量の薬をレイモンドから渡された。
「ありがとうございます」
 
「…」
「…」
 
 会話はやはり続かない。
 恐らくフォーサイス子爵家のコミュニケーション能力というのを司るのは夫人唯1人だ。
 巧みな処世術を使うどころか、魔力まで持ち合わせているのでここは既に夫人の魔法陣の中といえる。
 ザイラが今しがた尋ねてきた事も既に把握してるかもしれない。
 
 
「では、また…」
 
 シンプルに用件だけを済ませられるのは余計な気を遣わないので嫌いじゃない。
 
 ペコ、と頭を下げてレイモンドは病院の奥へ消えた。
 
 
 本番はここからな訳で。
 馬車に戻ると、スカートとジャケットを脱いだ。髪を一括りにして、くたびれたキャスケットに仕舞い込む。
 余計な物は、屋敷から持ってきたキャンパス地の袋に全て詰めた。
 
 目的の場所でザイラが馬車を降りると、
 御者はぎょっとザイラを見た。
 
 そこには野暮ったい貴族婦人ではなく、パンツ姿の庶民の青年が居た。
 
 荷物を多く持ち、顔は化粧気が無い。
 どう見ても貴族には見えないだろう。
 
 多めに運賃を払うと、御者は今度は喜びに目を見開き、帽子を上げて挨拶する。
 口止め料には充分だったらしい。
 
 中心部から少し離れたら、そこはもうありとあらゆる店が立ち並ぶ庶民の商店街だ。
 
 古着屋に立ち寄って、スカートを買い取って貰い、大きめの紳士ジャケットを買った。
 このスカートをまた買うからこちらに取り置いて欲しい、と言ったら頭の禿げた太めの店主は怪訝な顔をしたが、儲けになるので両眉を上げてコクっと頷く。
 
 
 首都の中心部はそこまで詳しく無いが、この辺りはコナーと共に何度も来たことがあった。

 角を曲がり、裏路地に入る。
 治安が良いとは言えないので、男性かつ庶民の格好が1番安全度は高いと言える。こちらへ来る時はいつもそうだった。
 
 異人もちらほらと見かける路地裏は、異人街もあり、ザイラはそこでエルメレの古書を探すのが好きだった。
 
 3つ目の、角を曲がって…
 
 また違う通りの商店街へ出ると、その商店街の隅にある金物店の扉を開けた。
 
「こんにちは」
 声を掛けると、奥からしっかりした体格で焦茶の髭を蓄えた中年の男性が顔を出す。
 
「坊ちゃん!」
 
 ここにもローリー伯爵の次男坊と揶揄する人間は居る。
 
 熊のような顔に笑みを浮かべてやってくるこの中年男性はかつてコナーと軍で仕事を共にしていたベベンだ。
「お元気そうで何より」
 ベベンは帽子を脱いで、ザイラに頭を下げた。
 
「ベベンも。クラリスは?」
 
「今奥で寝てましてね…」
 ベベンは俯きながらそう言った。
 
 クラリスというのはベベンの一人娘で肺病を患って長いが、元気な時は店に立っているので今は調子が悪い様だ。
 
「…そんなに悪いの?」
 ザイラの面持ちも一気に険しくなる。
 
「いえ、流行りの風邪を貰って長引いてるんです。熱ももう下がって…ただもう暫くは寝てるように言い付けてまして」
 
 ベベンは同じ病で妻を亡くしているので、娘に過保護になるのは当然のことだ。
 
「そうなのね。顔を見たかったけどまた今度にするわ。これ…」
 レイモンドから預かった大量の薬をベベンに渡し、あとこれ、と屋敷で余る大量のお菓子も持参した。
 
 クラリスは年頃なので、お菓子は大好物だ。少しでも何か好きな物が食べれれば、僅かでも体力は付くだろう。
 
「いつも、申し訳ないです…」
 目にうっすら涙を浮かべたベベンは恰幅の良い体を何度も曲げてザイラに頭を下げた。
 
「そんなに頭を下げないで、ベベン。コナー叔父さんの使いだと思って。多分そろそろ届けに行こうと思ってる頃だと思うから。」
 
 薬は高価だ。
 効果のある薬とあれば、尚更。
 
 継続して治療出来れば良いが、庶民では到底財布は続かない。
 
 コナー叔父さんはこういった事を数限りなく行う。
 そのせいでナディアはいつもお金が無いとぶつぶつ言うけれど、コナーのする事を止めなかった。
 
 ザイラはここへ来るといつも願うことがあった。
 
 どうか、今日持ってきた全ての薬を飲み切ったら、クラリスの病が完治するように、と。
 ここへ来る必要が無くなった時、きっとクラリスが病を克服し、親子仲良く店に立っている。
 
 そう信じている。
 
 
「今日は、ついでの用事があったの」
 ザイラはパンツのポケットから例の小瓶を取り出した。
 ベベンは王都の事情に詳しい。
 王都の事で何かを聞くなら、ベベンが1番だ。
 
 ベベンは何気なく小瓶を受け取ったが、すぐに表情を変える。栓をしたままだが匂いを確認しているようだ。
 
「これを一体どこで?」
 そう聞かれると答えられない。
「人に頼まれて…これは一体何なのかって…」
 
 転生後ザイラの寝室に落ちていたのだ。
 夏帆は何か分からないのでザイラに聞いて貰う。
 嘘にはなら無い、よね?
 
「無闇やたらに見せたらいけません。今王国はこれのせいでエルメレとまた揉めるんじゃないかと言われてるんです。」
 
「…揉める?」
 
「最初は媚薬だとか、よく眠れるという触れ込みで売り込むんでさ。使い始めれば段々体が慣れて、もっと濃いものを使わないと、効き目を感じずらくなるんです。
 それをずっと続ければ、これが無いと生きていけない体になりますが、その頃にはもう体も動かせず、頭もダメになるんです」
 
 
「〝春の楽園〝
 エルメレから来た、麻薬です」
 
 
「麻薬…」 
 ザイラの体中からサァーっと血の気が引いた。
 
「エルメレはこいつのせいで随分苦しんだ。エルメレが周りの国と戦争をやめたのがこいつのせいだと言うやつもいました。帝国が薬物に汚染されて、戦争どころでは無くなったからと」
 
 ただでさえ属国始め、いろいろな民族が居る帝国だ。まとめあげるのは苦労する。
 薬なんて出回ったらとても収拾がつかないだろう。
 
 どの国にも憧れるような光の部分と底の見えない暗さというものはある。
 
 
「エルメレの国ではこいつを売ったら即死罪だそうで、あっちの売人達がうちの国に流したって噂ですよ」
 
 なぜあの日この小瓶が落ちていたのか、泣きじゃくるザイラは何が言いたいのか。ただザイラの記憶を辿っても、こんなものは出てこない。
 
 ザイラは命を絶ったとする当日の記憶が酷く曖昧だ。
 
 麻薬に手を染めてしまったのか?
 
 心臓の音が大きく聞こえる。努めて冷静を装ったが、ベベンにそれがバレてないといい。
 
  
 
 鏡の向こうのザイラに、今の話は聞こえているだろうか。聞こえているなら教えて欲しい。
 
 
 
 なぜ、私はあなたに転生したの?
 
 
 
 
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