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あちらの事情

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 皇子の症状が少し落ち着いた後、スチュアート侯爵家は改めてホテルで最高級の部屋を用意した。
 
 無論、誰であれ許可が無ければこの部屋には入れない。
 皇子が人払いをしたホテルの一室には、診察を名目としたクレイグ・フォーサイスと側近であるベルナルディ=パシャ=レオ
、こと軍の高官に与えられるパシャの称号を与えられたベルナルディ侯爵家の子息、レオが側に控えていた。
 
 
 なんとも砂のような男だ
 
 クレイグに鋭い瞳を向けたレオは、いくら掴んでも指の隙間をすり抜けていくような居心地の悪さを感じていた。
 
 
 美しい織模様が施された真紅のソファに
 皇子は腰掛け、その傍らの椅子には不自然にも1枚の肖像画が飾ってある。
 まるで見せつける様に置かれた肖像画は、両手ほどに収まるサイズの古い肖像画だ。
 
 
 クレイグ・フォーサイスは感情をあまり外に出さない。
 いつも無表情で無愛想だが、素早く、だが丁寧に診察をするクレイグは患者が大国の皇子であってもあからさまに機嫌が悪そうだった。
 
 眉間に深々と皺を寄せ、目の下にはクマも出来ている。

 珍しい事もある、とエルメレ帝国第二皇子フィデリオは興味深くクレイグの様子を伺っていた。

 
『擦り傷一つない。血圧も良好。熱も無く顔色も良い。薬物反応も無し。あるとして飲み過ぎでしょう。帰っていいですか?』
 
「…もう少しよく診てくれ。」
 フィデリオはふてくされたような顔でクレイグに言った。
 
 それでも敬意を払って、流暢な王国の言葉で。
 
「なぜ僕をお呼びに?ラティマが居るでしょう?いつも側で控えてるはずだ」
 クレイグは苛立ちながら不敬にも皇子に尋ねる。皇族の侍医ならばいつどこでも側にいるはずだ。
 
「君の妹さんは君を推薦したんだ」
 
 フィデリオがそう言ってもクレイグは眉さえ動かさない。


「クレイグよ、そなた知っててなぜ報せなかった?」
 
 何のことか、と怪訝な顔をしたクレイグがフィデリオの視線の先に自らも視線を合わせる。
 
 その先にあった肖像画を見ると、クレイグは瞳を上に向けて暫く考え込む。
 
「…聞かれてない…から?、です」
 
 その返答にフィデリオは険しい表情で長い長い溜め息を吐いた。

「いや、確かに聞いたぞ。この肖像画に似た婦人に心当たりはないか、と」
 フィデリオは何度も肖像画を指差してクレイグを問い詰めた。

「特徴は確かにいくつか心当たりがありましたが、確証が無いので」

 確証か、確かに証拠が無ければ断定は出来ない…
 
 だとしても…
 
「これだけ似ていたら!誰でも気づくだろう!」
 フィデリオは思わず声を大きくする。
 すぐに側近であるレオは 殿下、と注意した。
 
 ハー…とまた大きなため息を吐いて、苛立ちを誤魔化すようにフィデリオは癖のあるダークブラウンの髪を手で掻き回す。
「全く…もっと早く分かっていれば…」
 
 
「それよりなぜこんなにベタベタするんですか?」
 フィデリオの言葉を遮るように、クレイグはしきりに診察した自らの手を気にしていた。手に付いたベタベタとした肌触りが気に食わないのだ。
 
「ああ、先ほど花瓶を倒したがワインもぶちまけたので手に…」

 そう聞いたクレイグは一層嫌な顔をしてすぐにハンカチ取り出し、しつこい程手を拭く。
 
「そなた、それでも医者か!」
 殿下、ともう一度レオが嗜めた。
 
 
 話を逸らしたのか?
 レオはじっとクレイグを見つめる。
 フォーサイスに娘は居ない。あのフェルゲインの新妻が妹ということは奥方の妹だろう。
 
 この男は、奥方には酷くご執心で真綿に包む様に愛しんでいると聞く。
 性格からして奥方の家柄でもなんでも奥方に関わることには全て…それこそ目を皿にして、隅々まで確認済みだろう。
 
 だが、いかんせん両国はいくつもの争いを挟んでいる。
 
 確証が無い
 
 その言葉に嘘は無さそうだった。
 戸籍も偽造されると更に厄介だ。
 
 こちらの国に来てから、あらかたのエルメレに縁のある者を調べたが、やはり表立ってエルメレとの縁を記していた者は僅かだった。
 敵国の血を隠すため、戸籍を変え住む場所を変え本来の血筋を隠すのは当然といえる。
 
 奥方もその血筋だから黙っていたのか、確認出来なかったのかまでは追及しないが、厄介ごとに巻き込まれるわけにはいかないと思ったのが本音だろう…
 
 
 
「…そなたと話していると肩透かしばかり喰らっている気になる。」
 
 フィデリオは恨めしそうにクレイグを睨むが、クレイグは全く気にしてない様だ。
 
「診察は終わりました。帰らせていただきます。」
 扉に向かおうとするクレイグをフィデリオはなんとか引き留めたい。
 
 出来るだけスマートに、皇族らしく。
 
「せっかく来たんだ。もう少しゆっくりしていかないか。ラティマも呼ぶから。」
 感情を抑えて、そう誘った。
 
「帰ります。」
 フィデリオを一瞥してすぐにふいっとクレイグは顔を扉に戻した。
 声にならないフィデリオの苛立ちが部屋に響く。
 
 
 頭を掻きむしっていたフィデリオの手が不意に止まる。
 ああ、そうだ。あの男に唯一影響を与えられるもの……
 
 
『愛妻家だからな。すまなかった。穴埋めはするよ。次は奥方も連れてくると良い。奥方殿によろしく』
 
 それを聞いたクレイグはこれ以上無いほどに顔を歪めてバタンと大きな音を立て扉を閉めた。
 
 
 少しは喰らわせられたか?
 
 
『殿下、子供じゃないんですよ』
 レオは短く溜め息を吐いて再度フィデリオを嗜めた。
 先ほどとは違い、フィデリオは悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
 
 
『あの態度、エルメレであったら不敬罪で首が飛びますね』
 レオは呆れてそう言う。
『そうだな。今日は一段と機嫌が悪かった。』
 フィデリオがどこか面白がっているのはレオには分かる。
 

『なぜフォーサイス卿を構うのですか?』
 レオは至極真っ当かつ単純な疑問を問う。

『クレイグみたいな人間にあった事あるか?』
『無いでしょうね』
 レオはすぐさま答えた。
 
『あれは姉上のお気に入りなんだ。変わっているが、頭もよくキレる』

 確かに、頭はキレるだろうが…
『キアラ殿下は暇つぶしに面白がっているのです。
 卿の留学中も随分目を掛けていましたが…側近達がどれだけ肝を冷やしていたか』
 まだ自分が年端もいかない少年の頃さえ、見ていてヒヤリとしたものだ。
 
 
『普段偉そうな大臣や側近があたふたするのだから面白くて堪らないだろ?』
 ニヤリと笑うフィデリオを見て、レオは呆れたように目を伏せる。

『遊学先とはいえ、お言葉は謹んで下さい、殿下』
 
 
 
 レオは肖像画を見た。
 波打つ黒髪と、真っ青な瞳。小麦色の肌を持つ美しい婦人の肖像画。
 エルメレの真珠と例えられた美貌が時を止めたまま描かれている。
 
 
『まさかあれの妹とは』
 フィデリオも肖像画を見て呟いた。
『奥方の妹です』
『ということは、ローリーの、コナー将軍の姪か』
 
『…コナー将軍は知っていたと思うか?』

『…私にはあの御方のお考えは計りかねます』
 
 一体どこまでだろうか
 あの大人しそうで寡黙な風体でどこまで遠くを見て何を知っているのか、知る者は片手程にも居ないだろう。
 
 敵にすれば恐ろしいものだ。
 
 
『しかし、これ程似ているとは…血は水よりも濃い、とはよく言ったものだな』
 フィデリオは顔をより近付けてまじまじと肖像画を眺めている。
 
 血は水よりも濃い、その言葉にレオがピクっと一瞬僅かに反応した。
 
 
 
『言い忘れていたが、レオよ。何かするなら分かるように先に合図を送れ』
 フィデリオはレオがわざとワインを零させた事を咎める。
『危うくグラスをフェルゲイン夫人に投げつけるとこだったぞ』
 それなりに力加減はしていたつもりだが、レオも焦っていた事は認めざるを得ない。
『あのままでは夫人は格好の餌でしたので、注目を逸らすより退出された方がいいかと』
  
  
 単純に見ていて不快であった。
 
 あの様な場所で醜態を晒して、夫を庇うように愛人の前に進み出た夫人を見ると、居ても立っても居られなかった。
 
 ドレスが少しでも汚れたら、共に退出を促してその場を去ろうと考えていたが、思いの外ドレスを汚してしまった…
 
 
 
 花瓶を割ったフィデリオも同じだ。
 
 ただフィデリオは注目を逸らすのが目的だったが、あの場ではザイラも共に去った方がザイラにも良かっただろう。
 
 
『フェルゲイン夫人には恩を売ったつもりだが…余り時間も残っていない。
確かに、納得のいく証拠が必要だ。
やっと見つけたと思ったら、コナー将軍にフォーサイス、フェルゲインまで出てきた…
他にもやる事はまだ山ほど残っているのに…
一難去ってまた一難とは正しく…
厄介だ…』
 
 実に厄介だ…とフィデリオは片手で顔を覆い、ソファに深く沈み込む。
 
 
 

『…エルメレの真珠……』
 
 聞こえるか聞こえないか程の小さな声で、じっと肖像画を眺めながら、レオはそう呟いた。
 
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