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夕食

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 食卓にある大きな時計が今日はやけに大きく聞こえる。
 
 せっかくの美味しい料理も全く進まない。
 
 このピンと糸の張ったような空間で美味しく楽しく食事をしてください、と言われても無理だ。
 
 アイヴァンから夕食を共に、と連絡があった時は驚いた。
 
 南の国境沿いから帰って来たと連絡はあったが、アイヴァンは相変わらず家に寄り付かない。
 いや、時折帰って来てはいるのはアンナの話ぶりから察した。
 
 真夜中や朝方に何かを動かす様な音がしていたが、アイヴァンだったのか…
 
 ザイラの使っている主寝室は本来夫婦で寝起きする部屋だが、大体の貴族は隣に続きとなる衣装部屋を作る。
 主に、男性の支度部屋だ。
 
 ただこの衣装部屋と主寝室にはしっかりと施錠も出来る立派な扉で隔たれている。そして、施錠が出来るのは衣装部屋からだけ。
 
 つまり、夫が開けるか閉めるかを選択出来る。夜を共に出来るかは、夫次第なのだ。
 
 夫の力が全てを決めるこの王国で、貴族の妻は、あの扉1枚に毎日怯えるのだ。
 
 夫が自分に興味を失くしたら…?
 もし他に愛人でも出来たら…?
 
 もう2度と、あの扉が開かなかったら?
 
 
 貴族令嬢が血眼になって良き婚家を見つけても、跡継ぎが出来なければ貴族の女に価値は無い。
 
 この屋敷の場合、あの扉が開く事は一度でも無いだろう。
 
 
 まぁそれでもアイヴァンは次男だ。
 
 生涯跡継ぎの予備である事は変えられないが、順調にいけば兄のエドガーが子を持ち爵位を譲る。
 予備を増やすのは早い方がいいかもしれないが、焦る必要はまだ無いだろう。
 
 アイヴァンにいくら騎士の称号があっても一介の軍人である。
 それでもこれだけの暮らしが出来るのはフェルゲイン侯爵家という後ろ盾があるからだ。
 
 
 …そもそも、この政略結婚にはどういった意味があるのだろう…
 
 ストーリー通りなら、アイヴァンとアレシアは様々な困難を乗り越えて愛を貫いたはずだ。政略結婚をする必要も無かった。
 
 
 ザイラは目の前の皿を見つめながら、微動だにしない。
 
 蛇に例えられるフェルゲイン侯爵…
 計算高く、残酷で、王国にも影響力を持つ大貴族。
 
 なんの旨みがあってローリー領に…
 
 
 
「口に合いませんか?」
 
 低く、耳に響く声がふいに降ってくる。
 ハッと息を飲んだ。
 
「…いえ、いつも美味しくいただいてますが、今日は食欲が無くて。」
 ザイラは平静を装う。
 
 最近めっきり食欲が減ったのは事実だ。
 あの夢のせいでただでさえ寝不足なのに、フォーサイス夫人に頼まれた翻訳は難航している。
 疲れてはうたた寝してしまうが、寝ても休めないので体は怠く、食は段々と疎かになっている。
 
 
「中々お伝えする時間がありませんでしたが、アイヴァン様が無事にお戻りになって安堵しました…」
 
 言葉を発してもすぐに沈黙がやって来る。
 何か話さなければ、というプレッシャーに圧され、声もでずらい気がした。
 
「…また行くかもしれません。」
 
 アイヴァンの表情は相変わらず何を考えているか分からない。
 
 そう簡単に揉め事が落ち着くはずも無い。エルメレとだって何十年も大小の争いを続けていたのだ。先程よりも、沈黙が重い。

 
「ザイラ様は、エルメレの言葉が随分堪能だそうですね。」
 
 南の揉め事の話からエルメレの話を振って来るということは…
 
 やはりアイヴァンはザイラに対して嫌悪感を示しているということだろうか。
 最前線を知る軍人なら、余計にそう思うかもしれない。
 
 ザイラの背中に汗が滴る。
 
「幼い頃、よくエルメレの話を読んでいましたよね…」
 
 そう発した声色は、予想に反して柔らかかった。
 ザイラを見るアイヴァンの瞳に、幼い頃の記憶が写っているようだ。
 
 
 幼い頃、ザイラとアイヴァン達に面識があったのは知っている。
 
 奇しくもザイラが命を絶った日も、確かフィニアスが友人達を屋敷に招いていた…その中に、アイヴァンの姿を見た記憶があるような気がするが、その日の事はいかんせん曖昧ではっきりしない。
 
 アイヴァンに、ザイラについての記憶があったのは意外だ。
 
「お気に障りますか?」
 ザイラの額に汗が噴き出す。
 自分で問うているのに、答えを聞く前から緊張していた。
 
「いえ、熱心に学ばれるので感心していました。」
 ザイラは思わず目を丸くする。
 
「敵国ならば尚更学ばなければ、とコナー将軍も昔仰っていました。同じ人であるのだからと」

 アイヴァンがそっと目を伏せた。
 
 コナーと接点があったとは。
 軍人ならば当然かもしれないが、コナーはフェルゲイン侯爵を死ぬほど嫌っている。
 だがコナーは、父と子だからと一緒くたにするような性格ではないだろう。
 
 
「隠す必要も、後ろめたく思う必要もありません。」
 アイヴァンははっきりそう言った。

 
 ザイラはアイヴァンを見る。
 相変わらず目を伏せて、食事を続けている。
 
 ザイラの耳が、ジンー…と熱くなった。
 
 
 隠してもいないし、後ろめたくも思っていない。
 周りが勝手に蔑んで嘲笑っているだけだ。むしろこの見かけのせいで、嫌でもこの手の話があればどこであっても引き摺り出される。
 
 それなのに、
 面と向かって、そんな風に言われるとは。
 
 
 
「申し訳ありません、今日はもう休ませていただきます…」
 ザイラはか細くそう言うと、熱に染まる頬を隠す様に下を向いて急いで席を立った。
 
 
「おやすみ、…ザザ。」
 
 
 背中越しに、アイヴァンの声がした。
 
 
 
 
 その夜、アンナはなんだかそわそわしていた。ザイラの髪に香油を塗ってみたり、飲み物の準備を万全にしたり…
 その様子にザイラも乗せられそうになったが…
 
 相変わらず扉は開かれない。


 
 優秀な侍女の勘も、たまには外れるのだ。
 
 
 
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