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真夜中の結婚式

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 夜は一層深まり、日付が変わる。

 ザイラはうとうとしながらも枕を背もたれにベットで本を読んでいた。
 もう既に一冊は読み終えてしまったのでこれで2冊目になる。
 エルメレの本だが、何度も読んでいるものだ。
 話の内容は暗記するほど覚えているのに、見たこともないその異国の話はまるで別世界に居るようで、気分転換にはもってこいだった。
 
 ただ、やはりそろそろ新しい本が欲しい。
 
 この辺りの高級な本屋にもエルメレの本はあったが、いかんせん種類が乏しかった。
 やはり中心部の路地裏、外国人街を回って古本を探す方が面白い本が見つかるだろう。
 
 他にも用事はあるし…
 そろそろ行こうかな…
 
 最近は毎夜見る夢のせいで寝る事さえ億劫だ。夢の中で曖昧だったものが鮮明になってきているので余計に気持ちが悪い。夢の中でも鼻にこびり付く甘い香り…カーテンから差し込む月の光…
 鮮明になったところで、それが何かは未だに分からない。
 
 そしてザイラは相変わらず泣いている。
 
 墓があるなら墓参りも出来るが、それも出来ない。
 
 教会にでも行ってみようか?
 
 そんなことを考えている時だった。
 
 トントントンと扉が鳴った。そのノックの音からも叩いた相手が焦っているのが伝わる。
「ザイラ様、お休み中申し訳ありません。」
 アンナの声だ。
「大丈夫、まだ起きてるわ。入って」
 なぜそんなに焦っているのか。
「申し訳ありません、もう真夜中ですがアイヴァン様の使いの方がいらしています。」
「使い…?なぜこんな時間に?」
 不穏な知らせかと胸騒ぎがした。
「それが…」
 アンナは言葉を選ぶように、目を泳がせている。
「これからアイヴァン様とザイラ様の結婚式を執り行いたいそうです…。」
 
 頭の整理も心の準備も出来ていないので、ザイラは言葉が出ない。

 
 ただ、今夜は夢を見ずに済みそうだ。
 
 
 突然やってきたアイヴァンの使いであろう外套を羽織った男は、人当たりの良さそうな好青年風の男であったが、ザイラが挨拶する前から何とも気まずそうな表情を浮かべて時折顔を強張らせていた。
 
「突然のご訪問をお許し下さい。 
 フェルゲイン卿の使いで参りました。
 ブレイク・クラークと申します。
 …今から軍の教会にて、卿とザイラ様の結婚式を執り行います。至急、ご準備を…」
 男はザイラと顔を合わせると挨拶もそこそこに、青白い顔でそう伝えた。
 
 後ろに控えていたメアリーとベロニカは顔を見合わせて目を見開いている。
 
 軍部ではいついかなる時にも、命を落とす危険が付きものだ。
 そんな軍人のために軍の敷地内にはいつでも式が執り行えるように教会があり、司祭も常駐している。
 
 アイヴァンがそうであるかは分からないが、テオとリサから貰った手紙通りなら現在南の国境沿いの揉め事に軍が手を焼いているのは事実の様だ。
 
 急ぎで結婚式を挙げるとなれば、命の危険がある場所へ行くわけで、やはり南の国境沿いへ派遣されたのだろう。
 
 ウェデングドレスはまだ用意もしていなかった。
 というよりも結婚式の話なぞ一度もしていない上に、顔も合わせていない。
 街で一瞬見かけただけだ。
 式に着れるものがあるとして、ナディアが式関連で使える様に、と誂えてくれた、ごくシンプルで古風なシルクのドレスくらいだった。
 左の胸下に搾りのデザインがしてあって、亡くなった母からの遺品の1つである羽根のような形をした宝石と真珠のブローチが付いている。
 
 急いで支度をしていると、ベロニカ がザイラがいつも身につけているロケットペンダントのネックレスは合わないと外そうとした。
 だがザイラはそれを断り、付けたままにさせた。なんとなく、本来のザイラならそうしたいだろうと思ったからだ。
 
 転生した日もザイラが身につけていたそのペンダントは、ザイラの亡き母からの遺品でありロケットの中には文字とも模様ともとれない美しい金細工で縁取りをされた、母の肖像画が入っている。
 
 ベロニカは小さなため息をつくとそれ以上何も言わなかったが、髪を結うときは急いでいるとはいえいつもよりも更にきつく結い上げた。
 さすがに痛さで小さな悲鳴を上げると、見かねたアンナが非難するような目つきでベロニカを小突くのが見えた。
 
「ベロニカは余程早くアイヴァン様の元に向かわせたいのね、ありがとう。」
 
 ザイラは口にうっすら笑みを浮かべて鏡越しにベロニカを睨む。
 
 ベロニカは聞き取れるかどうかの微かな声で、申し訳ございませんと抑揚の無い声で謝罪した。
 
 
 支度も終わりに近づいてきた。
 
 仕上げはこれか…
 
 美しい革張りの四角い朱色の小箱。
 開けると蜂蜜色に輝くイエローダイヤモンドの指輪がある。
 婚約が決まった時に贈られたものだ。
 ただ、この婚約指輪はザイラにはサイズが大きく、付けると石の重さでイエローダイヤモンドが指輪の内側へ半転してしまう。
 落ちてしまいそうでヒヤヒヤするので、付けて出掛ける事は一度も無かった。
   
   
   
 また雨か…
 
 急ぐ馬車の窓に水滴が付く。
 守衛の居るいくつかの門を通って、シンプルで小さな教会に降ろされた。
 
 バージンロードを歩くでも無く、教会にあるベールを頭に乗せられて、ただ急かされるままに中へ入った。
 通路沿いに無数に置かれた蝋燭が室内を照らす。
 
 祭壇の前に小柄で初老の司祭と、アイヴァンが居た。
 
 ローリー領に来た時と同じ、濃紺の軍の正装を着たアイヴァンは、蝋燭で照らされた小さな教会の中で何よりも光る際立ったオーラがあった。
 正装よりも煌びやかな装飾品が付いているので礼装服になるのだろうか。
 
 美しい彫刻のようだ。
 
 短く整えられた艶のある銀髪、意志の強そうな目鼻立ち、緑色の瞳はザイラに向けられていた。
 
 けれど、そこにザイラは決して写っていないだろう。
 
 アイヴァンの目は暗く、虚無を見ているようだった。
  
 新郎側の証人は迎えに来た顔色の悪い好青年、新婦側はアンナに来て貰った。
  
 お決まりのセリフを初老の司祭は続け、誓いますか、と問われればハイと答える。
 
 ザイラはふとアイヴァンはこの瞬間を1番恐れていたのでは無いか、と考える。
 メインキャラクターの性分として考えれば嘘であっても建前であっても、ミア嬢に対しての気持ちを偽りたくない筈だ。
 
 本来ここに立つのはミア嬢であって欲しいに違いは無い。
 
 街で聞いた吟遊詩人の歌、

 野蛮な族を薙ぎ払い… 

 もしそれで叶うなら、アイヴァンはそうするのだろうか?
 ザイラを殺して、でも?
 
 いや、メインキャラクターであっても、このアイヴァンという人間は愛だけの為に他のものを顧みず突き進む程愚かでも無いだろう。
 よくある恋愛ものの、愛する人の為に周りが見えない男は情熱的で盛り上がるが、アイヴァンにそんな印象は抱かなかった。
 
 葛藤してるだろうな…。悩んで、苦しんでいるかもしれない。ミア嬢を思って。
 
 今こちらを向いているアイヴァンが、ザイラを見てるにせよ全く見てないにせよ、ザイラは顔を上げる事が出来ない。 アイヴァンへの同情と罪悪感は、ザイラを冷静にさせていった。
 
「それでは、指輪の交換を…」
 
 の声で、中年ほどの修道士がリングピローに乗った指輪を持ってくる。
 何の変哲も無い指輪をアイヴァンはゆっくりと、重そうに取り上げてザイラの手を取り嵌めようとする。
 ザイラが手を持ち上げると、やはりイエローダイヤは石の重さでくるりと回って石が下に向いてしまった。
 
 そうなるよねぇ…とザイラは気まずくなる。
 
 結婚指輪も同じサイズで作られたのだろう。やはり大きい。

 その様子に一瞬アイヴァンの動きが止まったように見えた。
 さっさと終わらせよう、とザイラも指輪に手を伸ばす。
 
 いや、ちょっと待て…
 拒絶されたら…
 
 いや拒絶しないまでも…

 所詮政略結婚の相手に、これから命を危険に晒すのだから、せめてこれだけは…

「申し訳ありません、司祭様。実は先日指を怪我してしまって上手く使えないのです…」
 咄嗟についた嘘だが、チラリと司祭を見ると小さくコクっと頷いてアイヴァンを見た。
 まさか、アイヴァン自身に自分で嵌めろと言うのだろうか。
 ザイラはサッと指輪に手を伸ばすと、アイヴァンの正装服にある胸ポケットに指輪を入れる。
 
 司祭は一瞬怪訝な顔をしたが、2人の顔を見て咳払いをし、式を進めた。
 こういった形式的な物は波風を立てず進めるのが1番だと知っているのは、最年長の司祭だろう。
 これで最大のイベントは終わりだ…ザイラは安堵のため小さく息を吐く。
 
「では最後に…誓いの口付けを。」
 
 吐いた息を思い切り吸い込んだ。

 そうだ、結婚式には口付けがあったではないか。
 指輪交換の比では無い。

 なんとか回避出来ないか、ザイラの脳みそが一瞬にして熱くなる。
 
 咄嗟に先ほど指輪を嵌めた左手を前に突き出した。
 
 本来なら紳士が挨拶の時にするものだ。だが、婚約指輪にでも口付ければ、なんとなく意味も似通うものがあるだろう…ダメか?
 
 ザイラの行動に司祭もアイヴァンも動揺しているが、式を円滑に進めたいためなのかアイヴァンもすぐに意味を汲み取り、ザイラの手の甲に軽く口付けた。
 
「ここに、えー…2人を、夫婦と認める…」
 ほとんど気持ちの籠もっていない司祭の言葉で式は無事終わった。
 
 ベールも上げていないザイラは一度は戻した息をもう一度ホッと吐く。
 
 アイヴァンはすぐに顔色の悪い好青年の元に向かう。いろいろな予定を合わせているのだろう。
 
「奥様、とってもお綺麗でしたよ。」
 アンナは相変わらずの優しい笑みでザイラを労った。何も聞かず、言わず、本当に良く出来た侍女だと思う。
「アンナとベロニカのお陰ね。」
 ベロニカには1ミリも有難いと思ってないけどね。
 
「何を仰いますか、奥様がお美しいからですよ。そのお召し物もシンプルですが品があって、背が高い奥様にお似合いです。」
 偽り無くそう伝えてくれているのが分かる。
 一応の晴れの日であっても、素直に嬉しく思えた。
 
 
 アンナに感謝を伝えようとした時、視界に入って来たのは濃紺の礼装服だった。
 顔を上げると、ベール越しにアイヴァンと目が合う。
 
 ザイラを見下ろすその目に一体どんな感情が宿っているのか、恨みや嫌悪か、はたまた変える事の出来ない現実への苛立ちか…
 ザイラにはその感情を汲み取るだけの関係をアイヴァンとは築いていない。
 
「突然このような形の式になってしまって申し訳無かった。」

 低く、耳に残る声だった。

「…いえ、軍にお勤めの方にはこのような場合となる事もあると、聞いたことがありましたので。」
 
 ザイラは目を伏せて答える。せめて相手がミア嬢なら…今この時間もきっとアイヴァンはミア嬢と共に過ごしたいであろうな、とザイラは思った。
 
 早く行って、時間を無駄にしないでくれ、と思う。
 それと同時に、胸がズキンと締め付けられるように痛んだ。
 なぜ、思っている事とは逆に、こんな風に痛みが走るのだろう。
 
「アンナ、帰りはクラーク卿が共に送る。留守の間ザイラ嬢を頼む。」
「はい、勿論でございます。」
 アイヴァンは足早に教会の扉に向かった。
 
「どうか、ご無事で…。」
 
 自分でも予期せずザイラはアイヴァンの背中に投げかけた。
 アイヴァンは歩みを止めると少しだけ顔をこちらに向けて軽く頷き、出て行った。
 
 あの低い声が、ずっと耳に残っている。
 頭の中に響くその声を、ずっと聞いていたい。
 
 帰りの馬車の中で、ザイラは眠りに落ちる瞬間胸の痛みとは裏腹に、そんなことを思った。
 
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