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吟遊詩人

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 早いもので王都に来てから3週間が過ぎた。
 相変わらずアイヴァンからは手紙1つ来ず、相変わらずベロニカはザイラに対して雑な扱いをする。
 
 入浴や着替えはとある理由から1人で行いたいのでアンナでさえ手伝わないが、1人で正解だったと心底思った。
 
 アンナが手を離せない時はベロニカが髪を結ったり化粧をするが、髪はお構いなしに引っ張られて痛い上に、ザイラの癖が強い髪を見るたびにあからさまに深くため息を吐く。
 癖もコシも強いので扱いづらいのはよく理解出来るが、そうあからさまにされると流石に此方も少し癪に障るものがあった。
 
 化粧も下手では無いが、肌色より白い白粉を使われるので、顔だけが白くなってしまう。ベロニカが化粧をする時は白粉を隠し、自分に合う色を適当に自分で使うようになった。
 
 ベロニカの目の前で。
 
 初めてそうした時のベロニカの驚いた表情といったら思わず吹き出してしまいそうだったが、すぐに顔を赤くしてフンと鼻を鳴らし顔を背けていた。
 
 アンナからベロニカはアンナに習って侍女見習いをさせている途中だと聞いていた。
 まだ10代であろう幼さが残った顔立ちで、いろいろな場面で背伸びをしているのは見ていても明らかだったが、細々した嫌がらせ以外はしっかりと仕事はしていた。
 
 会話という会話も挨拶以外交わさないので楽ではあるが…こちらもたまにはやり返すと示しておかないと。

 親切で感じの良いアンナに裏側があるとは思えないが、フェルゲイン侯爵家側の人間である事を忘れてはならない。ふと、アンナの屈託のない笑顔を眺めながらそんな不穏な思いが微かに湧く。

 ザイラは首都に詳しいとは言えないので、アンナとザイラは首都観光を兼ねて時間を見つけては出掛けている。
 
 その間アンナはいろいろな話を聞かせてくれた。
 
 アンナは元々フェルゲイン侯爵家のタウンハウスに居たが、アイヴァンの結婚を機にアイヴァンの新居に来たこと。
 アンナの父はアンナが幼い頃戦争で亡くなり、母と子2人支え合いながら暮らしていること。
 ベロニカはより待遇の良い侍女になるため、本人たっての希望でアンナと一緒に新居に移ってきたこと。なんでも弟が重い肺病で両親も働き詰めのため、少しでも家族に楽をさせたいとか…
 
 家族思いの良い娘だが、あの小生意気さではいつまでも侍女にはなれないだろうな、とザイラは思った。
 

 田舎とは違って、王都はたくさんの人々の話し声や歌声、楽器の音がそこかしこに聴こえる。
 中心部に近づくと余計に賑やかだった。
 
 一際人だかりが出来ている場所に目を向けると、洒落た異国風の格好で弦楽器を鳴らす吟遊詩人が居た。吟遊詩人は旅をして回るので、世相を反映した風刺や昔ながらの童謡を歌ったりする。
 たまにローリー領でも聞いたことがあったが、やっぱり人気の曲といえば恋愛や騎士の物語だ。
 
 遠目で見ていると、アンナは少し聞いていきましょうか、と足を止めた。
 
『由緒正しい家門に産まれた勇敢な騎士は 国のため、海の向こうの野蛮な娘と結婚せねばならない。 
 愛する人と引き裂かれ、悲嘆に暮れる恋人と騎士
 …騎士はその愛を証明するため荒波を越えて恋人の元へ舞い戻る…野蛮な族を薙ぎ払い、遂に2人は結ばれる…』
 
 由緒正しい家門の騎士…海の向こうの野蛮な娘…
 
「ザイラ様、あそこのカフェは最近出来たばかりなのです。お屋敷にもお菓子はご用意しましたが、せっかくですし覗いてはいかがですか?」
 後ろに控えていた筈のアンナは突然ザイラの目の前に来て視界を遮った。
 
 家の外でもまたお菓子か…思わず愛想笑いも引き攣った。
 
「…アイヴァン様は甘い物がとてもお好きなのですね」

「あ、いえ…そのザイラ様がお好きでいらっしゃるのでご用意するようにと、アイヴァン様からは申しつかっております…」
 アンナの顔は戸惑いを隠せずザイラの反応を伺っている。

「私が?」
 
 朧げな記憶を辿ると、確かに転生前はお菓子や甘い物に目がない年頃の令嬢だった様だ。
 そのお陰か少しぽっちゃりとしていた訳だが、コナー夫妻の家に移ってからは甘い物も対して好まず、食卓は美味しいながらも家庭的で健康的な食事。 
 コナーと一緒に畑仕事や狩猟に出かけて乗馬を嗜んでいたので余計なものはすっかり落ちていった。
 
 そのせいで女性らしい体のラインも失われてしまった訳で、ここでも華奢かつ女性らしさをしっかりと持ったアレシアとは差がある。
 美しい巻き髪の金髪に、ハッとするような碧い瞳、柔らかな声色と慈悲深く優しい性格…
 やはりヒロインは女神そのものなのだ。
 
 
「あっ甘いものも昔は好きだったんだけど、今は好みが変わってしまって…とても食べきれないから、もし良かったらアンナやベロニカも持って帰って。他の使用人達とも分けていいわ。」
 
「そうだったんですね。お食事のデザートも余りお手をお付けにならないので、気になっていたんです。今後はスナック類も量を調節致しますね。」
 
 穏やかな笑みでアンナはそう言った。
 本当によく出来た侍女だ。察しも良い。
 
「では、そろそろお屋敷に戻りましょう。馬車を呼びます。」
 
 もう夕暮れ近かった。
 

 馬車に揺られながら、窓の外を眺めてなんとなく微睡んでいた。
 王都に引っ越してきてから、悪夢が続いていてすっかり睡眠不足だ。
 時折出てくるザイラは相変わらず泣いて何かを訴えているし、何か断片的な記憶とも幻とも見える光景と、胸の痛みと息苦しさ…朝起きると汗が気になって湯浴みをするのが習慣になっていた。
 
 本当に王都は人が多い。ひっきりなしに人が行き交い、馬車が通る。
 
 だから、 まさか と思った。
 
 忙しそうに歩く人と人の間に、アイヴァンが居た。
 引っ越してくる前、一度アイヴァンにはローリー領で会った。
 ザイラにはアイヴァンの幼少の頃の記憶しか無かったので、夏帆としても緊張したものだ。
 
 軍人でありながら騎士の称号を持つアイヴァンは、騎士の正装である濃紺の美しい銀刺繍が施された装いで現れた。
 スラリとした長身に、軍人らしい筋肉質な肉体は制服越しでも明らかだ。
 整えられた銀髪、緑色の宝石の瞳、こんなに美しい人を見るのはアレシア以外で初めてだった。
 
 さすがヒロインの相手、完璧だった。

 だがその表情は終始冷たくて、視線を合わすどころか言葉も交わしていない。
 
 あんな風に笑うんだ。
 
 人混みの中で見たアイヴァンは優しい瞳で愛おしそうに顔を緩ませていた。
 その隣には、小柄で金髪の女性が居た。
 
 まだ幼さの残る童顔の女性はアイヴァンに体を寄せて、同じ様に笑みを浮かべてアイヴァンを見上げている。アイヴァンもそっと腰に手を回していた。
 
 一瞬だ。でも見間違いでは無い。
 
 先程の吟遊詩人の歌、脚色はしてあるが、騎士の恋物語はアイヴァンの事だろう。新聞は特別読まないが、次男とはいえフェルゲイン侯爵家の結婚話だ。大々的に報じられていることだろう。
 
 海の向こうの野蛮族…引き裂かれる恋人達…
 
 理由も無いのに、ズキズキと灼けるような痛みが胸に走った。
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