上 下
1 / 106

雨模様の引っ越し

しおりを挟む
 

 
 汽車を降りると王都は雨だった。

 なんだか先行き不安になるなぁ…

 ザイラ・ローリーはため息を吐いて侍従に促されるまま迎えの馬車に乗り込む。
 ひょっとしたら迎えに来るのかもしれない、と思った婚約者は当然のように現れなかった。
 その事にホッとしている自分がこの先上手くやっていけるのか余計に不安を煽る。

 出来る限り関わらないようにしてきたのに、まさかヒロインの相手であるメインキャラクターと婚約する事になるとは誰が予想出来ただろう…
 前世はしがないどこにでも居るような30代独身女性の斉藤 夏帆の唯一の楽しみは小説を読むことだった。
 この世界は転生前の自分がが読んでいた恋愛小説の世界だと気付いた時は随分と取り乱したが、なんとかここまで生きている。
 
 問題は、小心者の夏帆はいつも最後どうなるかを読んでから小説を読む習慣があり、今回もヒロインカップルのハッピーエンドを知ってから読み始めていたところだった。
 物語の冒頭でヒロインである王国1の美女と名高いローリー伯爵家の長女アレシア・ローリーと運命の相手となるフェルゲイン侯爵家の次男アイヴァン・フェルゲインは久々の再会を果たすが、アレシアの妹であるザイラ・ローリーは突然自ら命を絶ってしまう。

 なんで?どうして?どうなっちゃうの?

 という所で自らも不慮の事故で亡くなってしまったので、転生してから先の事はさっぱり分からなかった。
 なので本来居ないはずのザイラが本編に影響しないように、出来る限りの事をしてきたにも関わらず…なんでこうなってしまったのか。

 馬車を降りた先は品の良い都会的な建物だった。中へ通されると、むわっと甘い香りがした。
 まるでスイーツ店だ。あまりの香りにザイラ、もとい夏帆の顔が一瞬歪む。

 使用人が数人玄関の広間へ並び、それぞれと軽く挨拶を交わした。だがほとんどの使用人はザイラを一瞥いちべつするとすぐに目を伏せる。

 この反応は慣れたものだ。

 実家であるローリー伯爵家でも姉のアレシアと兄のフィアニス以外は父親であるブライアン・ローリー伯爵も同じような目でザイラを見る。
 
 軽蔑 なんだろうな、やっぱり。
 
 割と冷静なのは夏帆が30代まで生きた人生経験と性格なのかもしれない。

 黒に近いダークブランの癖の強い髪、貴族令嬢の白く輝く肌とは逆に、日焼けしたような淡い小麦色。顔立ちはパーツがハッキリとしていてどこか異国の血を感じさせる。

 海の向こうの大国、エルメレ人の特徴そのものだった。真っ青な目だけはこの王国にも馴染みがあるが、小麦肌のザイラではその淡濃入り混じった青さが際立って目立つ。
 今でこそ争いが治っている国同士だが、長い間大小様々な争いがあり、未だにお互いを快く思わない人間は多かった。

 ザイラの外見の特徴の記述は黒髪とぽっちゃりした体型位だったので、最初は周りと違うこの姿を鏡で見て目玉が飛び出るほど驚いたものだ。

 血筋にエルメレの血が入っていたのか…それともザイラを産んですぐ亡くなったという母が…いや、やめておこう。

「長旅でお疲れではありませんか?お部屋にすぐご案内します」
 唯一感じの良い対応をするアンナと紹介された侍女は、ザイラを自室に案内する。部屋までの道すがら簡単な屋敷の説明もしてくれた。

「アイヴァン様もお仕事が落ち着き次第こちらにいらっしゃると仰ってましたので、その間は私達で精一杯お世話させていただきますね。何でもお気軽にご言付け下さい」
 アンナの人懐こそうな笑顔でザイラも緊張が少し解けた。

「ありがとう。じゃあお茶をいただける?」
「かしこまりました。すぐにご用意致します。では荷解きのお手伝いはこちらのベロニカがさせていただきますね」
 アンナのそばに控えていた焦茶色の髪をしたもう1人のメイドが軽く頭を下げた。

 アンナが出て行って部屋を見渡す。洗練されてモダンな部屋はここで全て完結する位になんでも揃っていた。突然後ろからガタンッ、バシャッと衣装箪笥を乱暴に扱う音がする。そっとそちらに目を向けると、ベロニカというメイドはザイラに気付いた様だったが、気にも止めず衣類を片付けている。かなり乱暴に。

 なんだかなぁ…すこぶる感じが悪いんだよなぁ…

 敵意を向けられることはあっても剥き出しにされる事はほとんど無かったが、やはり王都は田舎とは少し違うらしい。

 コナー叔父さんとナディア叔母さんの家に帰りたい…。

 窓の外は、雨が一段と酷くなってきた。


 その夜、激しくなった雨音と慣れない大きなベットに中々眠りにつけなかった。

 転生後、パニックを起こした夏帆は1週間ほど自室に篭りきりで、見かねたアレシアとフィニアスは同じ領地内で暮らすローリー伯爵の弟夫妻に助けを求めた。

 叔母のナディアは礼儀に厳しくヒステリック持ちだが世話好きで愛情深い人だった。使用人達を押し退けローリー伯爵を怒鳴りつけてザイラを自宅に連れ帰ると、ザイラはそのまま叔父夫妻の家で暮らした。
 
 ローリー伯爵は妻であるマライア夫人がザイラを産んですぐに亡くなると、浪費癖が酷くなった。家計は火の車であっても貴族らしい生活を変えることは無かった様だ。
 一方で弟のコナー叔父さん、コナー・ローリーは  王国の英雄と讃えられる人物で国内外にもその名を知られているが、本人は清貧を好み畑仕事や狩猟に勤しんでいる寡黙な男性だ。軍を退官してからは領地運営を手伝っているが、慈善活動や寄付も精力的に行っていて、ローリー伯爵よりも遥かに領内領外の人望も厚かった。
 ザイラがローリー領で嫌な思いをせずに、伸び伸びと暮らせたのはコナー夫妻のお陰だろう。

 いつの間にか落ちた夢の中、あの古いが手入れの行き届いたこぢんまりとした家で、ナディア叔母さんは夕食の下準備をしている。コナー叔父さんはいつものパイプを咥えて猟銃の手入れを庭の腰掛け椅子でしてて…
 
 ザイラは馬に乗り、風を切っている。
 暇さえあれば少年のような格好で馬に跨り、山や野原を駆け回っていた。

 そう、この感覚だ。
 なんて気持ちが良いんだろう。
 ナディア叔母さんにまた男の格好で出歩いて、と雷を落とされるんだろうな…

 すると突然視界が揺れて、沼にハマったと思ったら真っ暗な世界に一気に落とされた。恐怖に震えて上に上がろうともがくが、光がどんどん遠ざかっていく。
 
 死にたく無いっ!

 転生前後で起きた事故でも聞こえぬ声で強く叫んだ。
 
 私は死にたく無いーっ!

 するとすぐ目の前にザイラが現れた。鏡で見るザイラでは無い。

 ザイラ本人だ。直感だが、なぜかすぐに分かった。

 泣き崩れた顔で夏帆を見るザイラは、申し訳無さそうに何か言葉を発しているけれど何も聞こえない。
 
 何?なんて言ってるの?あなたに聞きたいことがたくさんあるのに
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

愛人がいらっしゃるようですし、私は故郷へ帰ります。

hana
恋愛
結婚三年目。 庭の木の下では、旦那と愛人が逢瀬を繰り広げていた。 私は二階の窓からそれを眺め、愛が冷めていくのを感じていた……

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから

gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?

氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。 しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。 夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。 小説家なろうにも投稿中

新婚なのに旦那様と会えません〜公爵夫人は宮廷魔術師〜

秋月乃衣
恋愛
ルクセイア公爵家の美形当主アレクセルの元に、嫁ぐこととなった宮廷魔術師シルヴィア。 宮廷魔術師を辞めたくないシルヴィアにとって、仕事は続けたままで良いとの好条件。 だけど新婚なのに旦那様に中々会えず、すれ違い結婚生活。旦那様には愛人がいるという噂も!? ※魔法のある特殊な世界なので公爵夫人がお仕事しています。

処理中です...