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雨模様の引っ越し
しおりを挟む汽車を降りると王都は雨だった。
なんだか先行き不安になるなぁ…
ザイラ・ローリーはため息を吐いて侍従に促されるまま迎えの馬車に乗り込む。
ひょっとしたら迎えに来るのかもしれない、と思った婚約者は当然のように現れなかった。
その事にホッとしている自分がこの先上手くやっていけるのか余計に不安を煽る。
出来る限り関わらないようにしてきたのに、まさかヒロインの相手であるメインキャラクターと婚約する事になるとは誰が予想出来ただろう…
前世はしがないどこにでも居るような30代独身女性の斉藤 夏帆の唯一の楽しみは小説を読むことだった。
この世界は転生前の自分がが読んでいた恋愛小説の世界だと気付いた時は随分と取り乱したが、なんとかここまで生きている。
問題は、小心者の夏帆はいつも最後どうなるかを読んでから小説を読む習慣があり、今回もヒロインカップルのハッピーエンドを知ってから読み始めていたところだった。
物語の冒頭でヒロインである王国1の美女と名高いローリー伯爵家の長女アレシア・ローリーと運命の相手となるフェルゲイン侯爵家の次男アイヴァン・フェルゲインは久々の再会を果たすが、アレシアの妹であるザイラ・ローリーは突然自ら命を絶ってしまう。
なんで?どうして?どうなっちゃうの?
という所で自らも不慮の事故で亡くなってしまったので、転生してから先の事はさっぱり分からなかった。
なので本来居ないはずのザイラが本編に影響しないように、出来る限りの事をしてきたにも関わらず…なんでこうなってしまったのか。
馬車を降りた先は品の良い都会的な建物だった。中へ通されると、むわっと甘い香りがした。
まるでスイーツ店だ。あまりの香りにザイラ、もとい夏帆の顔が一瞬歪む。
使用人が数人玄関の広間へ並び、それぞれと軽く挨拶を交わした。だがほとんどの使用人はザイラを一瞥いちべつするとすぐに目を伏せる。
この反応は慣れたものだ。
実家であるローリー伯爵家でも姉のアレシアと兄のフィアニス以外は父親であるブライアン・ローリー伯爵も同じような目でザイラを見る。
軽蔑 なんだろうな、やっぱり。
割と冷静なのは夏帆が30代まで生きた人生経験と性格なのかもしれない。
黒に近いダークブランの癖の強い髪、貴族令嬢の白く輝く肌とは逆に、日焼けしたような淡い小麦色。顔立ちはパーツがハッキリとしていてどこか異国の血を感じさせる。
海の向こうの大国、エルメレ人の特徴そのものだった。真っ青な目だけはこの王国にも馴染みがあるが、小麦肌のザイラではその淡濃入り混じった青さが際立って目立つ。
今でこそ争いが治っている国同士だが、長い間大小様々な争いがあり、未だにお互いを快く思わない人間は多かった。
ザイラの外見の特徴の記述は黒髪とぽっちゃりした体型位だったので、最初は周りと違うこの姿を鏡で見て目玉が飛び出るほど驚いたものだ。
血筋にエルメレの血が入っていたのか…それともザイラを産んですぐ亡くなったという母が…いや、やめておこう。
「長旅でお疲れではありませんか?お部屋にすぐご案内します」
唯一感じの良い対応をするアンナと紹介された侍女は、ザイラを自室に案内する。部屋までの道すがら簡単な屋敷の説明もしてくれた。
「アイヴァン様もお仕事が落ち着き次第こちらにいらっしゃると仰ってましたので、その間は私達で精一杯お世話させていただきますね。何でもお気軽にご言付け下さい」
アンナの人懐こそうな笑顔でザイラも緊張が少し解けた。
「ありがとう。じゃあお茶をいただける?」
「かしこまりました。すぐにご用意致します。では荷解きのお手伝いはこちらのベロニカがさせていただきますね」
アンナのそばに控えていた焦茶色の髪をしたもう1人のメイドが軽く頭を下げた。
アンナが出て行って部屋を見渡す。洗練されてモダンな部屋はここで全て完結する位になんでも揃っていた。突然後ろからガタンッ、バシャッと衣装箪笥を乱暴に扱う音がする。そっとそちらに目を向けると、ベロニカというメイドはザイラに気付いた様だったが、気にも止めず衣類を片付けている。かなり乱暴に。
なんだかなぁ…すこぶる感じが悪いんだよなぁ…
敵意を向けられることはあっても剥き出しにされる事はほとんど無かったが、やはり王都は田舎とは少し違うらしい。
コナー叔父さんとナディア叔母さんの家に帰りたい…。
窓の外は、雨が一段と酷くなってきた。
その夜、激しくなった雨音と慣れない大きなベットに中々眠りにつけなかった。
転生後、パニックを起こした夏帆は1週間ほど自室に篭りきりで、見かねたアレシアとフィニアスは同じ領地内で暮らすローリー伯爵の弟夫妻に助けを求めた。
叔母のナディアは礼儀に厳しくヒステリック持ちだが世話好きで愛情深い人だった。使用人達を押し退けローリー伯爵を怒鳴りつけてザイラを自宅に連れ帰ると、ザイラはそのまま叔父夫妻の家で暮らした。
ローリー伯爵は妻であるマライア夫人がザイラを産んですぐに亡くなると、浪費癖が酷くなった。家計は火の車であっても貴族らしい生活を変えることは無かった様だ。
一方で弟のコナー叔父さん、コナー・ローリーは 王国の英雄と讃えられる人物で国内外にもその名を知られているが、本人は清貧を好み畑仕事や狩猟に勤しんでいる寡黙な男性だ。軍を退官してからは領地運営を手伝っているが、慈善活動や寄付も精力的に行っていて、ローリー伯爵よりも遥かに領内領外の人望も厚かった。
ザイラがローリー領で嫌な思いをせずに、伸び伸びと暮らせたのはコナー夫妻のお陰だろう。
いつの間にか落ちた夢の中、あの古いが手入れの行き届いたこぢんまりとした家で、ナディア叔母さんは夕食の下準備をしている。コナー叔父さんはいつものパイプを咥えて猟銃の手入れを庭の腰掛け椅子でしてて…
ザイラは馬に乗り、風を切っている。
暇さえあれば少年のような格好で馬に跨り、山や野原を駆け回っていた。
そう、この感覚だ。
なんて気持ちが良いんだろう。
ナディア叔母さんにまた男の格好で出歩いて、と雷を落とされるんだろうな…
すると突然視界が揺れて、沼にハマったと思ったら真っ暗な世界に一気に落とされた。恐怖に震えて上に上がろうともがくが、光がどんどん遠ざかっていく。
死にたく無いっ!
転生前後で起きた事故でも聞こえぬ声で強く叫んだ。
私は死にたく無いーっ!
するとすぐ目の前にザイラが現れた。鏡で見るザイラでは無い。
ザイラ本人だ。直感だが、なぜかすぐに分かった。
泣き崩れた顔で夏帆を見るザイラは、申し訳無さそうに何か言葉を発しているけれど何も聞こえない。
何?なんて言ってるの?あなたに聞きたいことがたくさんあるのに
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