好きな人に触ると、その人私の事忘れちゃうんですけど!

七瀬 巳雨

文字の大きさ
上 下
16 / 36

16

しおりを挟む

 
 
 
 またブライトンに来た。
 頼まれてた資料を持って生徒会室に届け、エヴァリーは直ぐにパーベル・アビーに帰る。
 
 気をつけろよ、とオースティンに言われてから、なんだか浮き足だっていたエヴァリーの足も地についた感触がした。
 
 改めて周囲の目線に気を配ってみると、確かになんだか良く無い感情を向けられている時もある。
 それが噴出しないのは、学校長のお達しが厳しく行き届いているのと、争いを望まない生徒達のお陰だろう。
 
 
 
「エヴァ––ッ」
 争いを望まないのか、パーベル・アビーを支配下に置きたいのか分からない魅惑的な悪魔の声がエヴァリーの耳に届いた。
 
 エヴァ…その呼び方がさも親し気で、エヴァリーの体のどこかがくすぐったい。
 
 建物を少し出た開けた中庭で、エヴァリーは足を止めて声の主の方を振り返る。
 
 
「アイゼイア先輩、お疲れ様です」
 余所者の後輩らしく、エヴァはしっかり頭を下げた。
 
「……なんか他人行儀だな。もう帰るの?」
 
「用は済んだので」
 仕事が済めば、エヴァリーはブライトンに用は無い。
 
 
「生徒会室に来たなら、声掛けてくれれば良いのに。こないだも気づいたらもう帰ってたじゃないか」
 
 何を仰いますか、私のような余所者がアイゼイア 様 に……––と皮肉を言いたいが、ここはブライトン、完全にアウェーだ。
 
 
「お忙しい所を煩わせてしまうので…」
 口から適当な言い訳が出るのは、エヴァリーのお得意だ。
 
「……」
 アイゼイアは何故か不満そうにエヴァリーを睨みつける。
 
 なぜ、麗しいお顔をそのように…––
 
 と思った時、エヴァリーの頭上にそこそこの大量の水がバケツと共に降ってきた。バシャッ–––!と水が地面に叩きつけられる音の後に、ガシャンッ–––!とバケツの落下音が追いかける。
 
 呆気に取られて、自分は頭からずぶ濡れになったと気付くのに、エヴァリーは時間が掛かった。
 
 
 エヴァリーの目には、これ以上無いほど大きく、青く美しい目を見開いていくアイゼイアしか映っていない。
 
 だが、エヴァリーの長い睫毛が水を弾き切れなくなると、水はエヴァリーの目にも流れ込んだ。若干に痛みが目に走る。
 
 その水は、腐ったような、汚水の臭いがして、エヴァリーは今直ぐ鼻を摘みたくなった。
 
 目が炎症を起こしたら、最悪だ–––
 
 エヴァリーの頭にはそんな事が思い浮かぶ。
 
 
 
「エヴァッ––!」
 血相を変えたアイゼイアがハンカチを取り出す。エヴァリーは汚水がアイゼイアに掛かって無いか目を少しだけ開けて確認し、そのハンカチを受け取るとアイゼイアから離れた。
 
 2度目があるかもしれない––と薄ら目を開けたまま上を見上げる。
 
 建物には開け放たれた窓があって、そこからバケツを投げられたのが見て取れた。
 
「最適な場所に私が足を止めてしまったみたいです。アイゼイア先輩、ハンカチは新しく買って返します。ちょっと今日は急いで帰りたいので、これで失礼っ––––」
 
「何言ってるんだっ!早くこっちに来て」
 アイゼイアはエヴァリーが汚水を被ったと気付いた時に咄嗟に放り出された鞄を持って、エヴァリーを促す。
「早くっ––!」
 そうせっつかれて、エヴァリーはアイゼイアの後へ続いた。
 
 
 
 通されたのはアイゼイアの部屋だ。
 驚いたことに、ブライトンにはそれぞれの部屋にシャワー室が完備されているらしい。やはり、資金力の違いだ。
 
 男子寮なのに、良いのか…––?とエヴァリーも最初思ったが、放課後の学生寮は人がまばらで、管理人のおばさんにアイゼイアが事情を話すと、酷い匂いに同情し、バスタオルとバスローブまで貸してくれた。
 
 アイゼイアに信用があるのか、エヴァリーが警戒されなさすぎなのか、管理人のおばさんは呆気なくエヴァリーをアイゼイアの部屋へ通す。
 
 同部屋の生徒は居ないようだ。
 
 
 
「……これ、大きめかもしれないけど、僕の着替え」
 アイゼイアは視線を向けずにエヴァリーに着替えを渡す。
 
「あっ––いや、でもやっぱり大丈夫です。
 乾けばどうにかなるし、臭いは酷くて申し訳ないですがバスも立って乗れば……」
 エヴァリーは綺麗に折られたジャージを見て腰が引ける。
 そもそも部屋に入ったのさえ、臭いを考えれば申し訳なかった。
 
 
「風邪引くよ。汚水だから早く流した方が良い。……あと、言いづらいけど–––下着、透けてる」
 アイゼイアは一切エヴァリーに視線を向けない。顔を斜めに向けているせいで、耳はよく見える。その耳は、ほんのりと赤く染まっているようにエヴァリーには見えた。
 
 エヴァリーも、自分のシャツを見る。
 確かに濡れて、下の下着が透けていた。
 
 これで帰るのは……確かに平面ではあるけれども……––とエヴァリーも納得する。
 
 
「それでは、お言葉に甘えて…」
 エヴァリーはシャワー室へそそくさと入っていった。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

私の知らぬ間に

豆狸
恋愛
私は激しい勢いで学園の壁に叩きつけられた。 背中が痛い。 私は死ぬのかしら。死んだら彼に会えるのかしら。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

あなたの側にいられたら、それだけで

椎名さえら
恋愛
目を覚ましたとき、すべての記憶が失われていた。 私の名前は、どうやらアデルと言うらしい。 傍らにいた男性はエリオットと名乗り、甲斐甲斐しく面倒をみてくれる。 彼は一体誰? そして私は……? アデルの記憶が戻るとき、すべての真実がわかる。 _____________________________ 私らしい作品になっているかと思います。 ご都合主義ですが、雰囲気を楽しんでいただければ嬉しいです。 ※私の商業2周年記念にネップリで配布した短編小説になります ※表紙イラストは 由乃嶋 眞亊先生に有償依頼いたしました(投稿の許可を得ています)

永遠の誓いを立てましょう、あなたへの想いを思い出すことは決してないと……

矢野りと
恋愛
ある日突然、私はすべてを失った。 『もう君はいりません、アリスミ・カロック』 恋人は表情を変えることなく、別れの言葉を告げてきた。彼の隣にいた私の親友は、申し訳なさそうな顔を作ることすらせず笑っていた。 恋人も親友も一度に失った私に待っていたのは、さらなる残酷な仕打ちだった。 『八等級魔術師アリスミ・カロック。異動を命じる』 『えっ……』 任期途中での異動辞令は前例がない。最上位の魔術師である元恋人が裏で動いた結果なのは容易に察せられた。 私にそれを拒絶する力は勿論なく、一生懸命に築いてきた居場所さえも呆気なく奪われた。 それから二年が経った頃、立ち直った私の前に再び彼が現れる。 ――二度と交わらないはずだった運命の歯車が、また動き出した……。 ※このお話の設定は架空のものです。 ※お話があわない時はブラウザバックでお願いします(_ _)

【完結】悪役令嬢の反撃の日々

くも
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。 「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。 お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。 「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

処理中です...