竜殺しの栄光

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竜殺しの栄光

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 時は来た。

 若き領主、レイオス・アルストロメアは、そう呟いた。

 彼の領地、アルストロメア領は、竜の存在によって、
 存亡の危機に陥っていた。



 竜……その恐るべき巨体は、鋼鉄よりも堅牢な鱗に覆われ、
 どんな名刀よりも鋭い爪と牙を持ち、巨大な翼で空を自在に駆け、
 そして、口から吐き出す炎の吐息は鎧をも溶かし、人間を一瞬で炭化させる。


 怪物。竜を一度でも見た者は、皆、そう表現した。


 ある日、その怪物がアルストロメア領の外れに住み着いた。
 そして、それから多くの命が失われた。
 領内の殆どの町が、竜によって滅ぼされた。

 家々は踏み潰され、草木は焼き払われ、
 住民は唯一人として残らず、その命を落とした。

 竜の通った後には、不毛の大地と、文明の残骸、
 人型の黒い痕だけが残っていた。

 そうして、領土の半分以上が、ただ竜だけの為に滅んだ。
 僅か一週間程の出来事だった。
 人が何十年、何百年掛けて作り出した物を、竜は一瞬で破壊し尽くした。

 領主であるレイオスは、自らの領土と、そして、
 自身の命さえも今、失おうとしているのだ。


 だが、彼は諦めてはいなかった。

 彼は、竜が現れてから、すぐに遣いを送り、国王に救いを求め続けた。
 最初はまともに取り合ってはくれなかったが、何度も遣いを送り続けると、
 やがて、アルストロメア領の惨状を知った王は、レイナスの元に、
 竜討伐の為の兵を送った。


 その数は、二千。内訳は、歩兵が一千、弓兵が五百、砲撃兵が三百、魔術師が二百。


 少ない、彼はそう思った。

 王は、決して竜を侮っては居ない。むしろ、兵達に万全の備えをさせ、
 十分な人数を送り込んだつもりだった。

 だが、彼は知らない。竜の恐ろしさを。
 どんなに堅牢な鎧に身を包もうとも、竜の炎は人などあっさりと焼き尽くす。
 どんなに鋭い剣であっても、竜の鱗には傷一つ付けることができない。
 竜にとって、人間などは蟻に等しい。

 その恐ろしさは、奴を目の前にした者で無ければ分からない。

 レイオスはやり場の無い怒りに襲われた。
 やはり、もう終わりなのか。

 いや、終わらせしない。決して。

 先祖から受け継いできた領地を、
 民を、そして、私自身。
 それら全てを竜から護る。

 レイオスは、各地から傭兵を募った。
 アルストロメアに僅かに残った民は元より、
 国中の領土に使者を送り、身分を問わず、
 竜と戦わんとする勇者を募った。

 報酬など幾らでも出そう。
 レイオスにとって、いや、
 アルストロメア領にとっては宵越しの金だ。
 生きるか、死ぬか。ただそれだけだ。

 彼の声に応え、多くの兵が名乗りを上げた。

 ある者は栄誉の為。ある者は金の為。
 ある者は国を護る為……

 さらに、レイオスは隣国にも使者を送った。
 隣国の者たちは竜を見たことが無い者が殆どで、
 その脅威を知らず、多くの者が竜を討たんと、
 アルストロメアにやって来た。

 それも当然計算のうちだ。
 手段は選んでいられない。アルストロメアはレイオスにとって、
 世界の全てにも等しかった。

 どれだけの人間を道連れにしても、必ず竜を葬る……
 レイオスは、自らの命をも捨てる覚悟をした。

 最終的に、国王から送られた兵、領に残っていた者達も合わせて、
 一万三千もの兵が集まった。


 そして、今日、彼らは竜の討伐に赴く。
 それぞれに思いを秘めて。

 アルストロメア領の外れ、竜の住み着いた地。
 今日も、竜は確かにそこに佇んでいた。
 竜は破壊に疲れ、その身を休めているようだ。

 我が物顔で、私の領地に住み着いた化け物め……

 レイオスは、兵たちにもその怒りを隠さなかった。
 今日で全てが終わる。後は、どちらかが滅ぶだけだ。


 レイオスは、魔術師達に術式の準備をさせた。
 地面に巨大な魔方陣を描き、そこから火球を無数に放つ。
 戦争で最も多くの兵を殺傷したと言われる、対軍用の魔法だ。

 しかし、それは相手が人間の場合だ。
 果たして、竜に通用するだろうか……

 だが、やるしかない。レイオスは不安を振り払い、
 魔術師の隊長に、発動を命令した。

 魔方陣から、無数の火球が放たれる。
 それらは、一つ残らず竜へ向かって真っ直ぐに進んでゆく。

 竜が、攻撃に気付いた。

 竜が火球を受けながら、振り払うようにその身を翻すと、周囲に火が飛び散った。
 僅かだが、人間の奇襲で竜は戸惑っているようだ。

 すかさず、崖の上に控え、魔術師の後に攻撃を指示されていた弓兵達が、
 竜に向かって一斉に弓を射た。それら全ては、竜の翼、翼膜の部分を狙っていた。
 竜の身体は堅牢な鱗に守られており、矢などは通さない。
 だが、その翼に薄く張っている翼膜なら、手傷を与えることは可能な筈だ。

 竜の翼に多くの矢が突き刺さるも、構わず竜は空に飛び立った。
 だが、それは分かっていた。むしろ、そうさせたのだ。

 レイオスは砲兵に指示し、一斉に大砲を発射させた。
 これも、全て翼を狙った砲撃だ。無数の砲が火を噴き、
 竜の巨大な翼を、何度も打ち抜いた。
 度重なる人間の攻撃により、竜の翼は見る影も無く傷つき、最早飛行能力を失っていた。

 ついに竜は、地上に堕ちた。

 全てが上手く運んでいる……
 レイオスは勝利を確信した。翼を失い、地を這う竜を完全に討ち倒すべく、
 竜の周りに円形に配置した歩兵隊を突撃させる。
 だが、竜はゆっくりと歩兵隊の端に首を傾けた。

 まずい……

 レイオスはすぐに気付いた。奴は火を吹くつもりだ。
 だが、気付いたときにはもう、遅かった。

 目の前には、一面、黒焦げになった兵達の死体が転がっていた。
 竜は首を旋回させ、その火炎で人間達を薙ぎ払ったのだ。
 一万三千の兵の大半を占める歩兵隊、およそ六千人。
 その歩兵の三分の二程が、たったそれだけで失われた。
 残ったのは出遅れた兵と、後方に控えていた兵だけだ。

 油断、いや、慢心、違う。
 レイオスは滅茶苦茶に考えが散らばる頭の中を、なんとか整理しようと勤めた。
 大砲は先程一斉射したばかりで、まだ準備に時間が掛かる……
 弓で竜の身体を傷つけるのは不可能……

 仕方なく、レイオスは魔術師に魔術での攻撃を指示した。
 魔法陣無しの、個人単位での魔術行使だ。
 大軍魔術でさえ牽制にしかならない竜に、どれ程の効果があるだろうか……

 その結果は、絶望的な物だった。
 竜は魔術師隊よりかなり離れた位置に居る。魔方陣無しの魔術では、
 まず射程を詰めなければならない。その為に僅かに近づいて行った魔術師達が、
 竜の炎に焼かれた。

 辛うじて放たれた魔術も、竜に手傷を与えることすらできない。
 むしろ、竜の怒りを買っただけだった。
 そして、翼を失おうとも、竜には強靭な手脚がある。

 猛烈な勢いで迫リ来る竜に魔術師達は成すすべなく引き裂かれ、
 物言わぬ肉の塊となっていった。

 魔術師隊は壊滅した。残った僅かな者達も、散り散りになって逃げていった。
 彼らは金で雇われた者達だろう。レイオスは彼らを引き止める気も、
 咎める気も、また恨む気も、無かった。

 無駄死にをする必要はない。最早、我々に勝ち目は無い。
 レイオスは自らの剣を抜いた。

 どうせ死ぬのならば――――

 奴に、故郷を滅ぼした、憎き奴に、一太刀でも浴びせてから……

 レイオスは雄たけびを上げ、竜に向かって突進していった。
 竜がそれに気付き、レイオスの方を見て、その目を見開いた。

 私も、灰となるか。最早恐怖も未練も無かった。
 悔いは無い。先祖の元へ逝こう。領地を守れなかったことを、
 彼らに謝罪せねばならない。レイオスは死を受け入れようとしていた。

 だが、その時、一筋の光が、竜の瞳を貫いた。
 すさまじい咆哮とともに、竜が怯む。

 弓兵だ。一人の弓兵が、竜の目を射抜いたのだ!

 それに気付いたレイオスは、すぐに竜の元へと駆け寄る。
 早く、もっと早く……早く……
 炎に焼かれずとも、レイオスの身体は焼けるように熱かった。
 竜の炎に焼かれる錯覚を感じながら、レイオスは走り続けた。
 そして、ついに竜の足元に辿り着いた。

 その脚をよじ登り……振り落とされぬように、首元に張り付き、
 そして、その首に剣を突き立てる。

 竜が再び咆哮する。かまわず、レイオスは剣を突き立てる。
 何度も、何度も何度も何度も……
 やがて、大砲の準備が終わり、砲撃が再開された。

 砲撃がレイオスを巻き込んでしまうかもしれない……
 砲撃隊の隊長はそう思ったが、レイオスの意思は竜を倒すこと……
 ただそれだけであることを、彼は知っていた。

 砲撃により揺れる竜の身体に、レイオスは振り落とされそうになりつつも、
 執念で張り付き、ただ気力だけで竜の首を突き続けた。

 弓兵達も、砲撃を見て、無駄と知りつつも攻撃を再開した。
 竜の身に再び無数の矢が飛んで行く。
 その殆どは砕け、弾かれていったが、その中の一つが、
 砲撃により鱗の剥がれた部分に突き刺さった。

 逃げずに残っていた、僅かな歩兵達も、一斉に竜に向かってゆく。
 彼らが動きの鈍くなった竜を取り囲み、各々剣を突きたててゆく。
 竜は残った力を振り絞って反抗し、吹き飛ばされ息絶える者、
 牙や爪によって引き裂かれ、絶命する者は後を絶たなかったが、
 もはや、誰一人としてその場から逃げようとする者は居なかった。

 その場の人間全てが、竜を倒す為一つになった。

 やがて、竜はゆっくりと身体を傾かせ、その場に倒れこんだ。
 そして、二度と動くことは無かった。

 竜は死んだ。人間達が、勝利したのだ。

 レイオス様は無事か! 歩兵の中の誰かが叫んだ。
 彼らは竜の首元に、倒れているレイオスを見つけた。

 死んで居るのだろうか……? 歩兵達は皆そう思ったが、
 レイオスはゆっくりと起き上がり、彼らと竜の亡骸を見て、
 静かに微笑んだ。

 そして、高らかに叫んだ。

 我々は、勝利した! 生き残った者、死んでいった者、
 逃げていった者、多くの者たちが、私と共に戦ってくれた!

 私は、その全ての者達に、心から、感謝を捧げる!

 我が故郷、アルストロメアの為に戦ってくれた全ての戦士に!
 感謝と、そして、竜殺しの栄光を!


 今、アルストロメア領に新たな歴史が刻まれた。
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