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昔噺 Ⅲ
◇挨拶に来た
しおりを挟む少女を送り出してから、どれくらいの年月が経っただろうか。魔女にしてみれば少し何かをしていたつもりでも、人間が数回世代を代えていることも度々ある。
カイは迷った末に、ジャンヌと別れてから人里に顔を出すことをやめた。幼き子供は意外なところで魔女の存在に気づくことがあるのはもちろん、カイなりのケジメもある。
だから人間がどれくらい成長する時間が経ったのか分からなかったし、わざわざ確認する必要もなかった。カイの体感では、子供だった世代が大人になり結婚でもして、親になっている頃だと思っている。
あのお転婆娘をもらってくれるような男がいるだろうか、子供も生まれたら同じように育ってしまうのか、なんて思い出しては無駄な想像をしたりした。
ある日、あの日のように結界に人間が入り込んできた。悪意や敵意といったものは感じ取れなかったので、いずれ出ていくものとしてカイはそれを放置する。
しかし、迷子は自宅へ向かってきた。迷うことなく、ここを目指しているように。
――いざとなれば殺せばいいか。
人間が、自宅に現れた虫にするのと同じことである。
この世にカイにとって脅威となる存在はいない。邪魔になるなら片手でどければいい話だ。
足音が聞こえる距離まできた。幼子ではなさそうだ。
――人の家を探して辿り着いたか。
ノックの音は、思っていたよりも謙虚だった。
「ごめんください」
ドア越しのくぐもった声には聞き覚えがあり、驚いて思考が一時停止している間に、客人が顔を覗かせる。
布で覆われて見づらいが赤茶色の髪。濁って光を失った瞳は深海のように青い。
「ジャンヌ……」
間違いなくお転婆娘が成長した姿だった。まだ幼さが残っている。子供か大人か問われれば、間違いなくまだ子供である。
「大きくなったね。そんなところに突っ立っていないでこっちにおいで」
しかし、少女はドアの前から先へは動こうとせずに、フードを外して切なそうにカイを見つめるだけだった。
カイもどうしたものか困り果てていると、ジャンヌから口を開いた。
「その、変わらない姿……一切成長をしていない姿。カイ、あなたは人間ではなかったのですね」
きっと、おそらく、少女は疑いを持ったまま再びこの森へ足を踏み入れたのだろう。声色に怯えが残る。
「そうだよ。……村の噂の通りだ。森には魔女がいるってね」
「あなたは魔女ではありません」
人間ではないと思ってはいたが、魔女とも思っていない。でなければ何者だと思って、彼女はここまで戻ってきたのか。
「……。何故そう思う?」
「だって魔女は悪い存在なのでしょう。あなたからそれは伝わってきません。神の遣い――天使様ではないのですか」
まさか正義の味方――善の存在――魔女とは相容れない存在に勘違いされるとは思わず、声を出して笑いたくなったが、本人はいたって真面目そうなのでカイは我慢をした。
「はは、そうくるか。確かに昔は神と崇められたこともあったけど……。そうだなぁ。天使でもないんだ、私は。何者なんだろうな」
「……あなたが人間でなかったとしても、あの時わたしを助けてくれた事実は変わりません」
お礼を言いに来たかったと信徒は言う。
「でも次の瞬間に君を殺すかもしれないよ」
「そうするおつもりなら助けなかった。あの日、わたしの記憶を消すこともせず村に返したあなたはそんなことしません」
淀んだ目。しかし真っ直ぐと魔女を射抜いてくる。
「……ジャンヌ。君はいい子だ。純粋だ。純粋過ぎる。……よく育ってくれたね」
ずいぶんと成長した身体を抱きしめる。大きくなったものの、やせ細った肉体はあの頃のままだ。
「カイ。わたしの命を救ってくれた方。あなたのおかげで、わたしは神の声を聞くことが叶いました。あの時死んでいたら、わたしはこの国を救えなかった」
「……なんの話だ?」
助けてくれてありがとう、それだけで終わるはずの物語は、すでに先へと進んでしまっているようだ。
「わたしはこの国を救います」
いささか会話が成立しないため、すぐ引き上げるつもりだと言い張る少女を椅子に座らせ、ひとまず話をさせてみた。
要約すると、ジャンヌは神のお告げを聞き、従軍した末に国を救うのだそうだ。ついでに神だか天使だかも面会にきたそうだ。
――なんてことだ。
ひたすら頭を抱えたい。表面上「そっかー」と平静を保っているものの――自身の存在を棚に上げて――あり得ない存在を心の底から信じ切っている娘に動揺した。
どうやら純粋に育ったものの、精神の一部が欠けているらしい。彼女が見聞きした神の存在は幻。つまり精神疾患だろう。しかし、彼女は純粋に信じている。元から熱心な信者である所以か、人間以外のものに触れてしまったせいか。
「それで、出るのはいつなの?」
「朝には」
「半日もないじゃないか」
頭を抱えた。
正直なところ地域性を考えて神への信仰、それを拗らせた幻覚や幻聴は問題視していない。カイが困っているのは、自分を英雄かなにかと勘違いして、むざむざと死にに行こうとしていることに対してだ。
一度失くした命と言われれば最後だが、カイからすれば会わないと思っていた愛娘が自ら会いに来たと思えば自殺宣言をしている。切ない顔をしたいのはカイの方だった。
「髪が短かったり、やけに女らしくないのもそのためか」
「はい。軍にいる際は女だと不利になりますので。……もしかして見えません?」
「男らしくはないけど、女らしくもないよ」
性別を誤魔化す意味では成功しているだろうが、男装と言うには遠い。
「酷なことを言うと……君は怒るかもしれないけど、ジャンヌが参加しなくともいずれ戦争は終わる。むやみに命を危険に晒すのはやめなさい」
「……あなたはそうおっしゃるだろうなと薄々思っていました」
俯いて「だから来るのを何度も躊躇いました」と呟く。
「それじゃ、」
「しかし、わたし以外にこの国を救えるものはありえません」
上げた顔に恐れはなかった。
――洗脳を上書きするか……。
その行為は少女の人権を奪うことになり、さらにカイへの信頼も全て無くすことになる。
「もう一度だけ言う。私は君に死んでほしくはない」
本心で、本望。
魔女の気まぐれであっても、真実である。
「わたしは死ににいくのではありません。我が国を、民を救いにいくのです」
「そうか」
「どうかわたしのことを見守っていてください。わたしは勝利を手に入れてみせます」
再び闇に消えた少女は、歴史に残る勝利を残した。ここまでに起こることは二十一世紀に語られることと表面上相違はない。
彼女の歴史が変わるのは異端審問の後――魔女ジャンヌ・ダルクの処刑からになる。
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