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第1話
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「ユージーン=エスライト! あなたとは婚約破棄させてもらうわ!」
「断る」
「なんでよ! 婚約破棄させてよ! お願いだから!」
「そもそもが婚約破棄ではなく婚約解消だ。どちらにせよここでそんなことが決められるわけがない。両家の問題なのだからな」
「じゃ、じゃあお父様にお願いするわ。ユージーンとは婚約解消したいって」
「ほう……? したいならそうすればいい。だが我が家がそれに応じるかはまた別の話だがな。私は決して応じない。何があってもな」
不敵に笑ったユージーンに、私は愕然とした。
喜んで二つ返事で受け入れられると思っていたのに。
どうしてこうなった――。
◇
伯爵家の次女として生まれた私、メイシア=スーランと伯爵家の長男であるユージーンは幼い頃に決められた婚約者同士だった。
家柄も歳もちょうどよく、互いに利益のあるいい婚約だった。
だから私が十七歳になったら、そのまま結婚するだろうと思われていた。
そんな婚約に十六歳の私が待ったをかけるなど、誰も予想だにしなかったことだろうと思う。
出来のいい娘ではなかったから、この婚約が私にとっては最上のものであることはわかっていたし、これを逃せばロクな婚約など難しいのは周知の事実だった。
私は黒い瞳にこげ茶の髪で、ふわふわしたくせっ毛はいつも整えるのが大変だったし、人の目をひくようなところのない地味な顔立ちだった。
伯爵家の娘という肩書きがなければ、誰も嫁にと望むこともないだろう。
それに何より、私はユージーンのことが大好きだったから。
隠していたつもりだったけど、周りにもバレバレだった。
そんな私が婚約の解消を申し出たのは、もう耐えられないと思ったからだ。
話は七歳の時に遡る。
その頃にはユージーンが婚約者とわかっていたし、意識せずにいられるはずもなかった。
ユージーンは王子様みたいに綺麗な顔をしていて、振る舞いも洗練されていたし、同年代の女の子たちの憧れの的だった。
子供たちが家にとっての利益だとか人間関係だとかを強く意識するようになる前から、ユージーンはいつも男女関係なく囲まれていた。
碧の瞳は水面が透き通るようで、金に近い栗色の髪はさらさら。肌は白く、手足はほっそりとして見えるのに剣の腕前も見込みがあると絶賛されていた。
子供の頃から完璧が完璧を描いたような人だった。
そんな人が婚約者だったのだから、彼に惚れるなという方が難しい。
綺麗な顔の彼が近づけば顔が赤らんでしまったし、そんな恥ずかしい姿は見せたくなくて、すぐに傍から逃げ出した。
だけど私が庭園の茂みに隠れ込んでも、あっという間に見つかった。
「見ぃつけた」
楽しげに私を見下ろす碧の瞳にさらにどぎまぎして、心臓がばくばくして、自分がどうにかなってしまいそうで。
なんとかして彼を遠ざけたくなってしまう私は、そんな彼に「バカ! 嫌い! どいて、邪魔よ!」と考え付く限りの暴言を投げつけては茂みから這い出して逃げ出した。
地上が駄目なら上るしかない。
そう考えた私は木によじ登り、ふう、これで大丈夫。と安心した。
ドレスの裾を枝に引っ掛けて少し破いてしまったけど、問題ない。どうせお姉さまのおさがりだから。
木の上で跳ね上がっていた心臓を鎮め、ぼんやりと葉の隙間から覗く空を眺めていたら、「ばあ」と無邪気な声が降りかかった。
「きゃあ?!」
「メイシアはすっかり木登りが上手になったね」
毎度彼から逃げていたらそりゃ上達もする。
「何故?! 何故追いかけてくるの?!」
「それは、メイシアが逃げるからだよ」
「じゃ、じゃあ、逃げなければ追いかけてこない?」
「もちろん」
ユージーンはすっきりと笑って言った。
ほっとして、私はおずおずとユージーンの顔を見上げた。
ずっと目が合わせられずにいた。
その顔をちゃんと見たら、もっと好きになってしまいそうで。私のかわいくない顔を見られるのが嫌で。
見上げたそこにあったのは、私を見守るような優しい瞳。
思わずドキリとして、すぐに顔を俯かせる。
無理。二秒凝視するのも無理。
逃げないとか無理。
だけど頑張って足を堪えるしかない。むやみに逃げて彼を傷つけたいわけでもないのだし。
だから最初から傍に来ないようにしておけばいいのだ。
そう覚悟を決めて、木の枝に手をかけた。
「それなら、降りるわ。だからもう、傍に来ないでね」
傍にいたら心臓がどうにかなってしまうから。反射で逃げてしまうのだから。
けれどユージーンは、きっぱりと答えた。
「それはできないね」
「何故?! だって、逃げなければ追いかけないって」
「近づかないとは言ってないよ。僕はメイシアと話したいんだから、メイシアがいるところに行くよ。ただそれだけだよ」
唖然として見返した彼の顔は、にっこりと笑っていた。
影もないほどに、さっぱりと。
「でも、あの、私と話してもつまらないし、さっき私ひどいこと言っちゃったし、もっと話したらユージンはもっと私のこと嫌いになっちゃうよ」
「それはもっと話してみないとわからないよ」
「話さなくてもわかるわ! だって私、ユージーンといるとおかしくなっちゃうんだもの。うまく話せなくなっちゃうし、言いたくないことまで言っちゃうし、こんな真っ赤な顔も恥ずかしいし、どうにもできないの」
話していたらだんだん涙が込み上げてきて、ついにしゃくりあげてしまった。
そんな私をユージーンはしばらく「うーん」と顎に手を当て眺めていたけれど、やがて首を傾げた。
「でもそれは僕を好きだからでしょう? 嫌われてるわけじゃないってわかれば、僕は別に大丈夫だよ」
そう言って、私の頭をぽんぽんと撫でた。
ユージーンはなんて優しいのだろう。
器も大きいし、とても一歳しか違わないとは思えない。もっとずっと大人びて見えた。
ただ、突然図星を指されたことには戸惑いを隠せなかった。何故ユージーンが好きだとわかってしまったのだろう。嫌っているとしか思えないような態度ばかりだったのに。
しゃくりあげながらもおろおろし、おろおろしながらも真っ赤になる忙しい私に、ユージーンはにっこりと笑って言った。
「だから、僕を好きって言って?」
そんな殺し文句に、私の涙は止まった。顔が真っ赤になり、涙は蒸発しきった。
言えるわけがない。
顔が爆発する。髪の毛の三本も残るとは思えないくらいに。
たったその二文字が私にとってどれほど重い爆弾なのか、ユージーンには想像もつかないのだろう。
私の口はいっそうしどろもどろにしか動かなくなった。
「す、す?! あわわ、い、いえなっ」
「僕はさ、将来幸せな家庭を築きたいんだ。親同士が決めた結婚だとしても、できれば互いに愛し合って、子供と家族みんなで仲良く暮らしていきたい。だから浮気なんて絶対だめだし、他の人に心を残したまま結婚なんてしてほしくない。そんなことがないように、メイシアにはたっぷり僕の事を好きになってほしいから、たくさん話してたくさん僕を知ってほしいんだよね。だけど今はそれができないって言うなら、ちゃんと僕にわかるように、はっきり言葉にして好きって言ってほしいんだ。メイシアの覚悟ができるまで、僕が待つために」
ユージーンは人を爆破させる天才だと思う。
だけど言っていることは私にもわかったし、同じ思いだった。
私だって、ユージーンと両想いで結婚出来たらこの上もなく嬉しい。
できるなら幸せな家庭を築きたい。
ユージーンのことだってもっと知りたい。
普通に話せるようになりたいし、普通に顔が見られるようになりたい。普通に隣にいられるようになりたい。
でも意識しすぎてしまって、今すぐにはそれは難しいから。
だからせめてユージーンが言う通り、その気持ちを言葉にしなくちゃと思った。
思った。
けど、その一言を口にするのはそんなに簡単なものではなかった。
本当に好きだったからこそ、だ。
私が何度も口をぱくぱくさせては俯くのを繰り返しているのを、ユージーンは木の上で頬杖をつき、ひたすら眺めていた。
見られていると余計に言えないんだってことはユージーンは知らないのかもしれない。
けどいないところで言っても意味がない。
私は意を決してお腹に力を込めた。
「す、」
「す?」
「す、す、」
「うん」
「すすすすす、す、す!!」
す、と口をすぼめながら、気づけば私は意識を失っていた。
たった二音を口にするために力が入り過ぎて、私の息は止まっていたのだ。
ぱったりと倒れて木の上から落ちそうになった私を、ユージーンが抱き留めて下まで下ろしてくれた。
らしい。
勿論私は意識を失っていたから、後で侍女から聞いた話だったけれど。
丸一日寝込んだその後も、結局好きと言えない私は、話をしようとするユージーンから逃げては追い詰められ、爆破寸前になるの繰り返しだった。
私がいつまでも自信を持てるわけがなかったのだ。
だって、私はユージーンからは聞いていなかった。
私を好きだとは、一言も。
彼は私を必死で好きになろうとしている途中なのだろう。彼の描く理想の家庭を築くために。
そう思っていた。
だから学院でかわいらしい、ひだまりのような令嬢とユージーンが一緒にいるのを見たとき、勝てっこないと、そう思った。
「断る」
「なんでよ! 婚約破棄させてよ! お願いだから!」
「そもそもが婚約破棄ではなく婚約解消だ。どちらにせよここでそんなことが決められるわけがない。両家の問題なのだからな」
「じゃ、じゃあお父様にお願いするわ。ユージーンとは婚約解消したいって」
「ほう……? したいならそうすればいい。だが我が家がそれに応じるかはまた別の話だがな。私は決して応じない。何があってもな」
不敵に笑ったユージーンに、私は愕然とした。
喜んで二つ返事で受け入れられると思っていたのに。
どうしてこうなった――。
◇
伯爵家の次女として生まれた私、メイシア=スーランと伯爵家の長男であるユージーンは幼い頃に決められた婚約者同士だった。
家柄も歳もちょうどよく、互いに利益のあるいい婚約だった。
だから私が十七歳になったら、そのまま結婚するだろうと思われていた。
そんな婚約に十六歳の私が待ったをかけるなど、誰も予想だにしなかったことだろうと思う。
出来のいい娘ではなかったから、この婚約が私にとっては最上のものであることはわかっていたし、これを逃せばロクな婚約など難しいのは周知の事実だった。
私は黒い瞳にこげ茶の髪で、ふわふわしたくせっ毛はいつも整えるのが大変だったし、人の目をひくようなところのない地味な顔立ちだった。
伯爵家の娘という肩書きがなければ、誰も嫁にと望むこともないだろう。
それに何より、私はユージーンのことが大好きだったから。
隠していたつもりだったけど、周りにもバレバレだった。
そんな私が婚約の解消を申し出たのは、もう耐えられないと思ったからだ。
話は七歳の時に遡る。
その頃にはユージーンが婚約者とわかっていたし、意識せずにいられるはずもなかった。
ユージーンは王子様みたいに綺麗な顔をしていて、振る舞いも洗練されていたし、同年代の女の子たちの憧れの的だった。
子供たちが家にとっての利益だとか人間関係だとかを強く意識するようになる前から、ユージーンはいつも男女関係なく囲まれていた。
碧の瞳は水面が透き通るようで、金に近い栗色の髪はさらさら。肌は白く、手足はほっそりとして見えるのに剣の腕前も見込みがあると絶賛されていた。
子供の頃から完璧が完璧を描いたような人だった。
そんな人が婚約者だったのだから、彼に惚れるなという方が難しい。
綺麗な顔の彼が近づけば顔が赤らんでしまったし、そんな恥ずかしい姿は見せたくなくて、すぐに傍から逃げ出した。
だけど私が庭園の茂みに隠れ込んでも、あっという間に見つかった。
「見ぃつけた」
楽しげに私を見下ろす碧の瞳にさらにどぎまぎして、心臓がばくばくして、自分がどうにかなってしまいそうで。
なんとかして彼を遠ざけたくなってしまう私は、そんな彼に「バカ! 嫌い! どいて、邪魔よ!」と考え付く限りの暴言を投げつけては茂みから這い出して逃げ出した。
地上が駄目なら上るしかない。
そう考えた私は木によじ登り、ふう、これで大丈夫。と安心した。
ドレスの裾を枝に引っ掛けて少し破いてしまったけど、問題ない。どうせお姉さまのおさがりだから。
木の上で跳ね上がっていた心臓を鎮め、ぼんやりと葉の隙間から覗く空を眺めていたら、「ばあ」と無邪気な声が降りかかった。
「きゃあ?!」
「メイシアはすっかり木登りが上手になったね」
毎度彼から逃げていたらそりゃ上達もする。
「何故?! 何故追いかけてくるの?!」
「それは、メイシアが逃げるからだよ」
「じゃ、じゃあ、逃げなければ追いかけてこない?」
「もちろん」
ユージーンはすっきりと笑って言った。
ほっとして、私はおずおずとユージーンの顔を見上げた。
ずっと目が合わせられずにいた。
その顔をちゃんと見たら、もっと好きになってしまいそうで。私のかわいくない顔を見られるのが嫌で。
見上げたそこにあったのは、私を見守るような優しい瞳。
思わずドキリとして、すぐに顔を俯かせる。
無理。二秒凝視するのも無理。
逃げないとか無理。
だけど頑張って足を堪えるしかない。むやみに逃げて彼を傷つけたいわけでもないのだし。
だから最初から傍に来ないようにしておけばいいのだ。
そう覚悟を決めて、木の枝に手をかけた。
「それなら、降りるわ。だからもう、傍に来ないでね」
傍にいたら心臓がどうにかなってしまうから。反射で逃げてしまうのだから。
けれどユージーンは、きっぱりと答えた。
「それはできないね」
「何故?! だって、逃げなければ追いかけないって」
「近づかないとは言ってないよ。僕はメイシアと話したいんだから、メイシアがいるところに行くよ。ただそれだけだよ」
唖然として見返した彼の顔は、にっこりと笑っていた。
影もないほどに、さっぱりと。
「でも、あの、私と話してもつまらないし、さっき私ひどいこと言っちゃったし、もっと話したらユージンはもっと私のこと嫌いになっちゃうよ」
「それはもっと話してみないとわからないよ」
「話さなくてもわかるわ! だって私、ユージーンといるとおかしくなっちゃうんだもの。うまく話せなくなっちゃうし、言いたくないことまで言っちゃうし、こんな真っ赤な顔も恥ずかしいし、どうにもできないの」
話していたらだんだん涙が込み上げてきて、ついにしゃくりあげてしまった。
そんな私をユージーンはしばらく「うーん」と顎に手を当て眺めていたけれど、やがて首を傾げた。
「でもそれは僕を好きだからでしょう? 嫌われてるわけじゃないってわかれば、僕は別に大丈夫だよ」
そう言って、私の頭をぽんぽんと撫でた。
ユージーンはなんて優しいのだろう。
器も大きいし、とても一歳しか違わないとは思えない。もっとずっと大人びて見えた。
ただ、突然図星を指されたことには戸惑いを隠せなかった。何故ユージーンが好きだとわかってしまったのだろう。嫌っているとしか思えないような態度ばかりだったのに。
しゃくりあげながらもおろおろし、おろおろしながらも真っ赤になる忙しい私に、ユージーンはにっこりと笑って言った。
「だから、僕を好きって言って?」
そんな殺し文句に、私の涙は止まった。顔が真っ赤になり、涙は蒸発しきった。
言えるわけがない。
顔が爆発する。髪の毛の三本も残るとは思えないくらいに。
たったその二文字が私にとってどれほど重い爆弾なのか、ユージーンには想像もつかないのだろう。
私の口はいっそうしどろもどろにしか動かなくなった。
「す、す?! あわわ、い、いえなっ」
「僕はさ、将来幸せな家庭を築きたいんだ。親同士が決めた結婚だとしても、できれば互いに愛し合って、子供と家族みんなで仲良く暮らしていきたい。だから浮気なんて絶対だめだし、他の人に心を残したまま結婚なんてしてほしくない。そんなことがないように、メイシアにはたっぷり僕の事を好きになってほしいから、たくさん話してたくさん僕を知ってほしいんだよね。だけど今はそれができないって言うなら、ちゃんと僕にわかるように、はっきり言葉にして好きって言ってほしいんだ。メイシアの覚悟ができるまで、僕が待つために」
ユージーンは人を爆破させる天才だと思う。
だけど言っていることは私にもわかったし、同じ思いだった。
私だって、ユージーンと両想いで結婚出来たらこの上もなく嬉しい。
できるなら幸せな家庭を築きたい。
ユージーンのことだってもっと知りたい。
普通に話せるようになりたいし、普通に顔が見られるようになりたい。普通に隣にいられるようになりたい。
でも意識しすぎてしまって、今すぐにはそれは難しいから。
だからせめてユージーンが言う通り、その気持ちを言葉にしなくちゃと思った。
思った。
けど、その一言を口にするのはそんなに簡単なものではなかった。
本当に好きだったからこそ、だ。
私が何度も口をぱくぱくさせては俯くのを繰り返しているのを、ユージーンは木の上で頬杖をつき、ひたすら眺めていた。
見られていると余計に言えないんだってことはユージーンは知らないのかもしれない。
けどいないところで言っても意味がない。
私は意を決してお腹に力を込めた。
「す、」
「す?」
「す、す、」
「うん」
「すすすすす、す、す!!」
す、と口をすぼめながら、気づけば私は意識を失っていた。
たった二音を口にするために力が入り過ぎて、私の息は止まっていたのだ。
ぱったりと倒れて木の上から落ちそうになった私を、ユージーンが抱き留めて下まで下ろしてくれた。
らしい。
勿論私は意識を失っていたから、後で侍女から聞いた話だったけれど。
丸一日寝込んだその後も、結局好きと言えない私は、話をしようとするユージーンから逃げては追い詰められ、爆破寸前になるの繰り返しだった。
私がいつまでも自信を持てるわけがなかったのだ。
だって、私はユージーンからは聞いていなかった。
私を好きだとは、一言も。
彼は私を必死で好きになろうとしている途中なのだろう。彼の描く理想の家庭を築くために。
そう思っていた。
だから学院でかわいらしい、ひだまりのような令嬢とユージーンが一緒にいるのを見たとき、勝てっこないと、そう思った。
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