5 / 16
第四話 「君だけが特別なんだ」の言葉が欲しくて
しおりを挟む
本当にこの国は破滅の危機に瀕しているのかもしれない。
魔王復活の兆しありと王宮が大騒ぎになった翌日。
空からピンク色の髪に碧い瞳の少女が舞い降りたのだ。
王宮では少女を神の御使いだ、聖女だと崇めた。
そして少女には第一騎士団の副団長が護衛騎士としてつけられた。
それは今、国王に次いで守るべき存在だということだ。
そんな騒ぎもロードにとっては遠い出来事で、他人事のはずだったから、まさかその聖女に会うとは思ってもいなかった。
聖女は護衛騎士となった第一騎士団の副団長も連れず、一人で歩いていた。
そこに女官や文官たちに「聖女様だ! ありがたや~」と囲まれ、身動きがとれずにいるのはさすがに見かねた。
ロードが近づいてくることに気づいた人々は、蜘蛛の子を散らすようにさっと離れていき、その場には聖女とロードだけが残った。
「あの、助けてくれてありがとうございます」
「いや。俺は何もしていない」
「黒水晶みたいに綺麗な瞳……」
ぽつりとした呟きに思わず黙り込むと、聖女はふふっと微笑んだ。
「私、セイラって言います。あなたのような方に助けてもらえてよかったです。あなたのお名前は?」
「ロード=クラークスという。俺は通りがかっただけだ。これにて失礼する」
「待って! 私、本当にすごく助かったの。みんな、私を聖女だと言って、すごく期待されていて、大変だったから……」
名乗った瞬間に言葉も態度も親密になる文化らしい。
両手を胸の前であわせ、ぐっと二歩踏み込むと、自然背の高いロードを真下から見上げるようになる。
プリメラよりもよほど距離が近く、何故だか圧も強い。ロードは思わず二歩下がった。
セイラはどこにでもいる少女に見えるが、何か国を救うような特別な力を持っているから大事に崇められているのだろう。
聖女がどういう存在なのかはよくわからないが、ロードと対極にいることはわかる。
「しかし私は呪われている……かもしれない身。あまり近づくのはよくない」
かもしれない、と付け加えたのは、プリメラの言葉があったからだ。
確証もないのに自ら触れ回るなんて、と逆鱗に触れそうだったから。
そう思うと自然と苦笑が浮かんだ。
踵を返しかけたロードの腕を、セイラが強引に掴み引き留めたから驚く。
思わず振り払ってしまったが、気にした様子はなく、むしろ気にしなくていいのよというように爽やかな笑みを浮かべた。
「私はあなたのこと、怖くないわ」
ロードはちょっと怖い。
ロクに話も聞かずに判断してこの人は大丈夫なのだろうかと心配でもある。
しかしセイラは「あっちでは滅多にお目にかかれないほど実用的なガッチムチね。いいわ……」と謎に呟く。
もちろんロードは聞こえなかったことにして、ただ黙っていると、セイラはまさしく『聖女のような』と表現できそうな笑みを広げた。
「私、あなたのような黒い髪や黒い瞳は見慣れているの。あなたは一人じゃないわ。私が生まれた国では、そういう人がほとんどだったんだから」
「では、あなたも異端だったのか?」
だとしたら大変な思いをしてきたに違いない。
眉を顰め、そう尋ねると、セイラは「ああ、これは違うの」と肩の上でくるりと内向きに巻かれた髪を一房手に取る。
「私も黒髪だし、目も黒よ。髪は染めていて、目はカラコンが入ってるだけだから」
「カラ……コン?」
ほら、と言ってセイラはいきなり眼球を指でつかむような仕草をした。
そうして指の上にちょこんと透明で真ん中が碧い何かが載せられる。
驚いて見上げればそこには黒い瞳があった。
「お揃いね」
にこっと無邪気に笑ったセイラに、ロードはしばし黙り込んだ。
そこに、「ふうん」と背後から声が聞こえ、ロードは反射で振り向いた。
「プリメラ王女殿下……」
思わず呟いたロードの声に、セイラがぴくりと反応する。
「王女……って、呪われているからってロードを魔王討伐に向かわせるとか言ってる人?」
「そうよ」
プリメラのあっさりとした返答に、セイラは「ひどい!」と眉を寄せた。
「一国の王女だからって、人の命をなんだと思っているの?!」
「あなたこそ、ロードの実力をいかほどだと思っているの?」
「え? 知らないけど」
それはそうだ。セイラは今日この国に来たばかりなのだから。
「誰かがやらねばこの国は魔王に滅ぼされるのよ」
「でも、行ったら死んじゃうかもしれないのよ? そんなこと王女だからって命令していいと思ってるの?」
「私は黙って殺されるのを待つなんて嫌よ。だから私は機を逃すつもりはないし、討てる人材を探しただけのこと。私と共に来るかどうかはロードの心一つよ」
え、あなたも行くの? とセイラが面食らう。
ロードを差し置いて激昂しだしてしまったセイラにため息を堪えながら、ロードはやっと口を挟んだ。
「俺は命令されたわけではないし、まだ返事もしていない」
「でも、王女に言われたらほとんど命令でしょ? 逆らえるわけないじゃない」
それは確かにその通りだ。
だがそれだけではなく、一晩寝て起きた時にはロードの答えはもう決まっていた。
ただ、プリメラに対してそう返答してよいのかまだ迷ってはいる。
「そうでもないわ。ロードは嫌ならいやとはっきり言うわよ。この国のことなんていつでも見切って出て行けるだけのものをロードは持っているのだから。むしろ、呪いの言い伝えなんてない他国のほうが実力を認められて楽しく生きていけるかもしれないし」
それも確かで、その腹積もりは常にもっている。
たじろがないロードの態度にそれを見抜いたのだろう。
昨日初めて会ったはずなのに、何故プリメラはこれほどまでにロードのことを理解しているのか。
疑問を転がすロードにおかまいなしに、プリメラはセイラの指先が気になったように歩み寄りながら、唐突に話の流れを断ち切った。
「ところで。『カラコン』ってすごいわね。髪も染められるならロードも苦労しなかったでしょうに。この国でもそういうことができるかしら」
セイラの指にはまだ、色付きガラスのようなものがちょんと乗ったままだ。
しげしげと眺めるプリメラに戸惑いながらも、セイラは素直に答える。
「この国の文化レベルを見た感じだとカラコンっていうのはかなり無理めな気がするけど、髪だったら植物性の染料もあると思うわ。向こうでもヘナとかあったし」
「なるほど。で、あなたは敢えて別の色を装っているということは、黒髪も黒い瞳も嫌いなのね」
「え? いや別に、これはオシャレで」
「そうよね。あなたの感覚では黒はオシャレじゃないということよね。黒全否定ね」
セイラは継げる言葉をなくしたらしい。
その間にもプリメラは続ける。
「なのに、『黒水晶みたいに綺麗な瞳……』って見惚れるとかいう矛盾。そんな計画性の甘い演技じゃロードは落とせないわ」
あの『すん』とした顔を見たでしょう? とロード本人がいる前で言われるといたたまれない。その通りではあるのだが。
聖女は「いや、それは!」と慌てたように口を開いたが、プリメラはかぶせるようにして続けた。
「自分も黒い瞳なのに結局自画自賛。いえ、自己評価が高いのは悪いことではないし、見慣れたものだって『綺麗……』って感動できることもあるわ。例えば宝石とかね? ただ『おまえは俺を怖がらないんだな』もしくは『おまえ、面白い女だな』がロードから引き出せないどころか、『いや、何を言ってる?』って顔をされるのは、ツッコミどころがありすぎるからよ」
「やめて! 詳しく分析・解説しないで!」
セイラは叫んで頭を抱え、キッとプリメラを睨んだ。
「私はただ、黒い髪とか瞳とか、そんなの気にすることないって伝えたかっただけよ。私の国じゃ呪いなんてないし」
「だからといってこの国にそんな呪いがないという根拠にはならないわね。この国にカラコンがないのと同じように、違う歴史と違う文明を持っているのだから。その文化の中にいる人に気にするなと言って気にしないで済むなら言い伝えなんて既に時の流れに消えているわ」
『ある』も『ない』も根拠がなければ誰も信じないが、『ある』は疑わしく些細な根拠でも拭いきれず、頭のどこかでは信じてしまいやすい。
だから本当に呪いがあるかどうかも知らずに『私は怖くない』と近づかれても嬉しくはないし、根拠なく『ない』と言われても無責任にしか感じない。
セイラのように、自分だけは違うと言ってくる者はこれまでにもいた。
そのほとんどが女性で、プリメラの分析した通りほとんどが計画的にロードに擦り寄るための言葉だったことにはおおよそ気づいていた。
ロードの筋肉といかつい顔立ちは一般には恐ろしいと敬遠されるが、稀にそれがいいという女性が現れる。
しかしそんな女性たちも無遠慮に近づいてきたかと思えば、ロードが手を洗おうとして手袋を外すと真っ青な顔でそわそわし始めるし、不意に手が触れそうになるとびくりとして飛び退る。
それが恥ずかしがってのことではないことくらい、ロードにもわかる。
それでも踏ん張って傍にいようとした者もいたが、自分まで周囲から冷たい目で見られるようになることに気が付き、離れていった。
この聖女も、『私だけがあなたを理解している』という自分に酔いたいだけに見える。
それで依存させて自己満足するための道具に使われるなど御免蒙りたい。
「な、なによ! 『ない』ことの証明は悪魔の証明よ! 証明なんかできるわけないの! だけどどうせ何もないんでしょう? だったら別にそれでいいじゃない」
「その通り。だけど人は『ない』ことを実感できなければ安心できないのよ。そして安心できなければこれまでとは何も変わらない。ロードも、周りの人たちもね。上っ面じゃ誰も救えない。だから行動するしかないのよ。魔物に触れてもぼろぼろに崩れ落ちないだとか、魔王討伐という危機的状況にあってもその呪いが発現しないだとかを誰かに見せつける、とかね」
まさか。
まさかプリメラはそれをロードに証明させるつもりだったのか。
そして自分がその証人になろうとしていたのか。
「そんなわけで、余所でやってくれる? 自分だけはあなたの味方よと擦り寄って信者を増やせばあなたはご満悦かもしれないけれど、あなたを満足させてくれる人は他にたくさんいるから」
「な……! うるさい! あんたなんて、ロードを利用してるだけのくせに!」
セイラは悔しげに吐き捨てると、踵を返して走り去っていった。
嵐のような一幕だった。
プリメラほど打算的な人はいないだろう。
だがそれがロードにとっても利益のある打算であることはわかる。
きっと、『お兄様のため』というのも本当だ。
そして国民のためでもある。
主目的がどこにあったとしてもいい。
共に魔王討伐に向かうということが、幅広く様々なことを解決できる理想の手立てであることはロードにもわかっているから。
それにのってみよう。
『いつかさ、証明してあげるよ』
かつて共に剣の鍛錬を積んだ少年がそう言った時のように。もう一度進んでみよう。
呪いなんてものはないと反論しても、物に触れても壊れないと見せても、やはり誰もが『ない』とまでは信じられないのなら、その先に進むしかないのだ。
何よりも、見てみたい。
プリメラが切り開いた道の、その先を。
魔王復活の兆しありと王宮が大騒ぎになった翌日。
空からピンク色の髪に碧い瞳の少女が舞い降りたのだ。
王宮では少女を神の御使いだ、聖女だと崇めた。
そして少女には第一騎士団の副団長が護衛騎士としてつけられた。
それは今、国王に次いで守るべき存在だということだ。
そんな騒ぎもロードにとっては遠い出来事で、他人事のはずだったから、まさかその聖女に会うとは思ってもいなかった。
聖女は護衛騎士となった第一騎士団の副団長も連れず、一人で歩いていた。
そこに女官や文官たちに「聖女様だ! ありがたや~」と囲まれ、身動きがとれずにいるのはさすがに見かねた。
ロードが近づいてくることに気づいた人々は、蜘蛛の子を散らすようにさっと離れていき、その場には聖女とロードだけが残った。
「あの、助けてくれてありがとうございます」
「いや。俺は何もしていない」
「黒水晶みたいに綺麗な瞳……」
ぽつりとした呟きに思わず黙り込むと、聖女はふふっと微笑んだ。
「私、セイラって言います。あなたのような方に助けてもらえてよかったです。あなたのお名前は?」
「ロード=クラークスという。俺は通りがかっただけだ。これにて失礼する」
「待って! 私、本当にすごく助かったの。みんな、私を聖女だと言って、すごく期待されていて、大変だったから……」
名乗った瞬間に言葉も態度も親密になる文化らしい。
両手を胸の前であわせ、ぐっと二歩踏み込むと、自然背の高いロードを真下から見上げるようになる。
プリメラよりもよほど距離が近く、何故だか圧も強い。ロードは思わず二歩下がった。
セイラはどこにでもいる少女に見えるが、何か国を救うような特別な力を持っているから大事に崇められているのだろう。
聖女がどういう存在なのかはよくわからないが、ロードと対極にいることはわかる。
「しかし私は呪われている……かもしれない身。あまり近づくのはよくない」
かもしれない、と付け加えたのは、プリメラの言葉があったからだ。
確証もないのに自ら触れ回るなんて、と逆鱗に触れそうだったから。
そう思うと自然と苦笑が浮かんだ。
踵を返しかけたロードの腕を、セイラが強引に掴み引き留めたから驚く。
思わず振り払ってしまったが、気にした様子はなく、むしろ気にしなくていいのよというように爽やかな笑みを浮かべた。
「私はあなたのこと、怖くないわ」
ロードはちょっと怖い。
ロクに話も聞かずに判断してこの人は大丈夫なのだろうかと心配でもある。
しかしセイラは「あっちでは滅多にお目にかかれないほど実用的なガッチムチね。いいわ……」と謎に呟く。
もちろんロードは聞こえなかったことにして、ただ黙っていると、セイラはまさしく『聖女のような』と表現できそうな笑みを広げた。
「私、あなたのような黒い髪や黒い瞳は見慣れているの。あなたは一人じゃないわ。私が生まれた国では、そういう人がほとんどだったんだから」
「では、あなたも異端だったのか?」
だとしたら大変な思いをしてきたに違いない。
眉を顰め、そう尋ねると、セイラは「ああ、これは違うの」と肩の上でくるりと内向きに巻かれた髪を一房手に取る。
「私も黒髪だし、目も黒よ。髪は染めていて、目はカラコンが入ってるだけだから」
「カラ……コン?」
ほら、と言ってセイラはいきなり眼球を指でつかむような仕草をした。
そうして指の上にちょこんと透明で真ん中が碧い何かが載せられる。
驚いて見上げればそこには黒い瞳があった。
「お揃いね」
にこっと無邪気に笑ったセイラに、ロードはしばし黙り込んだ。
そこに、「ふうん」と背後から声が聞こえ、ロードは反射で振り向いた。
「プリメラ王女殿下……」
思わず呟いたロードの声に、セイラがぴくりと反応する。
「王女……って、呪われているからってロードを魔王討伐に向かわせるとか言ってる人?」
「そうよ」
プリメラのあっさりとした返答に、セイラは「ひどい!」と眉を寄せた。
「一国の王女だからって、人の命をなんだと思っているの?!」
「あなたこそ、ロードの実力をいかほどだと思っているの?」
「え? 知らないけど」
それはそうだ。セイラは今日この国に来たばかりなのだから。
「誰かがやらねばこの国は魔王に滅ぼされるのよ」
「でも、行ったら死んじゃうかもしれないのよ? そんなこと王女だからって命令していいと思ってるの?」
「私は黙って殺されるのを待つなんて嫌よ。だから私は機を逃すつもりはないし、討てる人材を探しただけのこと。私と共に来るかどうかはロードの心一つよ」
え、あなたも行くの? とセイラが面食らう。
ロードを差し置いて激昂しだしてしまったセイラにため息を堪えながら、ロードはやっと口を挟んだ。
「俺は命令されたわけではないし、まだ返事もしていない」
「でも、王女に言われたらほとんど命令でしょ? 逆らえるわけないじゃない」
それは確かにその通りだ。
だがそれだけではなく、一晩寝て起きた時にはロードの答えはもう決まっていた。
ただ、プリメラに対してそう返答してよいのかまだ迷ってはいる。
「そうでもないわ。ロードは嫌ならいやとはっきり言うわよ。この国のことなんていつでも見切って出て行けるだけのものをロードは持っているのだから。むしろ、呪いの言い伝えなんてない他国のほうが実力を認められて楽しく生きていけるかもしれないし」
それも確かで、その腹積もりは常にもっている。
たじろがないロードの態度にそれを見抜いたのだろう。
昨日初めて会ったはずなのに、何故プリメラはこれほどまでにロードのことを理解しているのか。
疑問を転がすロードにおかまいなしに、プリメラはセイラの指先が気になったように歩み寄りながら、唐突に話の流れを断ち切った。
「ところで。『カラコン』ってすごいわね。髪も染められるならロードも苦労しなかったでしょうに。この国でもそういうことができるかしら」
セイラの指にはまだ、色付きガラスのようなものがちょんと乗ったままだ。
しげしげと眺めるプリメラに戸惑いながらも、セイラは素直に答える。
「この国の文化レベルを見た感じだとカラコンっていうのはかなり無理めな気がするけど、髪だったら植物性の染料もあると思うわ。向こうでもヘナとかあったし」
「なるほど。で、あなたは敢えて別の色を装っているということは、黒髪も黒い瞳も嫌いなのね」
「え? いや別に、これはオシャレで」
「そうよね。あなたの感覚では黒はオシャレじゃないということよね。黒全否定ね」
セイラは継げる言葉をなくしたらしい。
その間にもプリメラは続ける。
「なのに、『黒水晶みたいに綺麗な瞳……』って見惚れるとかいう矛盾。そんな計画性の甘い演技じゃロードは落とせないわ」
あの『すん』とした顔を見たでしょう? とロード本人がいる前で言われるといたたまれない。その通りではあるのだが。
聖女は「いや、それは!」と慌てたように口を開いたが、プリメラはかぶせるようにして続けた。
「自分も黒い瞳なのに結局自画自賛。いえ、自己評価が高いのは悪いことではないし、見慣れたものだって『綺麗……』って感動できることもあるわ。例えば宝石とかね? ただ『おまえは俺を怖がらないんだな』もしくは『おまえ、面白い女だな』がロードから引き出せないどころか、『いや、何を言ってる?』って顔をされるのは、ツッコミどころがありすぎるからよ」
「やめて! 詳しく分析・解説しないで!」
セイラは叫んで頭を抱え、キッとプリメラを睨んだ。
「私はただ、黒い髪とか瞳とか、そんなの気にすることないって伝えたかっただけよ。私の国じゃ呪いなんてないし」
「だからといってこの国にそんな呪いがないという根拠にはならないわね。この国にカラコンがないのと同じように、違う歴史と違う文明を持っているのだから。その文化の中にいる人に気にするなと言って気にしないで済むなら言い伝えなんて既に時の流れに消えているわ」
『ある』も『ない』も根拠がなければ誰も信じないが、『ある』は疑わしく些細な根拠でも拭いきれず、頭のどこかでは信じてしまいやすい。
だから本当に呪いがあるかどうかも知らずに『私は怖くない』と近づかれても嬉しくはないし、根拠なく『ない』と言われても無責任にしか感じない。
セイラのように、自分だけは違うと言ってくる者はこれまでにもいた。
そのほとんどが女性で、プリメラの分析した通りほとんどが計画的にロードに擦り寄るための言葉だったことにはおおよそ気づいていた。
ロードの筋肉といかつい顔立ちは一般には恐ろしいと敬遠されるが、稀にそれがいいという女性が現れる。
しかしそんな女性たちも無遠慮に近づいてきたかと思えば、ロードが手を洗おうとして手袋を外すと真っ青な顔でそわそわし始めるし、不意に手が触れそうになるとびくりとして飛び退る。
それが恥ずかしがってのことではないことくらい、ロードにもわかる。
それでも踏ん張って傍にいようとした者もいたが、自分まで周囲から冷たい目で見られるようになることに気が付き、離れていった。
この聖女も、『私だけがあなたを理解している』という自分に酔いたいだけに見える。
それで依存させて自己満足するための道具に使われるなど御免蒙りたい。
「な、なによ! 『ない』ことの証明は悪魔の証明よ! 証明なんかできるわけないの! だけどどうせ何もないんでしょう? だったら別にそれでいいじゃない」
「その通り。だけど人は『ない』ことを実感できなければ安心できないのよ。そして安心できなければこれまでとは何も変わらない。ロードも、周りの人たちもね。上っ面じゃ誰も救えない。だから行動するしかないのよ。魔物に触れてもぼろぼろに崩れ落ちないだとか、魔王討伐という危機的状況にあってもその呪いが発現しないだとかを誰かに見せつける、とかね」
まさか。
まさかプリメラはそれをロードに証明させるつもりだったのか。
そして自分がその証人になろうとしていたのか。
「そんなわけで、余所でやってくれる? 自分だけはあなたの味方よと擦り寄って信者を増やせばあなたはご満悦かもしれないけれど、あなたを満足させてくれる人は他にたくさんいるから」
「な……! うるさい! あんたなんて、ロードを利用してるだけのくせに!」
セイラは悔しげに吐き捨てると、踵を返して走り去っていった。
嵐のような一幕だった。
プリメラほど打算的な人はいないだろう。
だがそれがロードにとっても利益のある打算であることはわかる。
きっと、『お兄様のため』というのも本当だ。
そして国民のためでもある。
主目的がどこにあったとしてもいい。
共に魔王討伐に向かうということが、幅広く様々なことを解決できる理想の手立てであることはロードにもわかっているから。
それにのってみよう。
『いつかさ、証明してあげるよ』
かつて共に剣の鍛錬を積んだ少年がそう言った時のように。もう一度進んでみよう。
呪いなんてものはないと反論しても、物に触れても壊れないと見せても、やはり誰もが『ない』とまでは信じられないのなら、その先に進むしかないのだ。
何よりも、見てみたい。
プリメラが切り開いた道の、その先を。
5
お気に入りに追加
313
あなたにおすすめの小説
【完結】私たち白い結婚だったので、離婚してください
楠結衣
恋愛
田舎の薬屋に生まれたエリサは、薬草が大好き。薬草を摘みに出掛けると、怪我をした一匹の子犬を助ける。子犬だと思っていたら、領主の息子の狼獣人ヒューゴだった。
ヒューゴとエリサは、一緒に薬草採取に出掛ける日々を送る。そんなある日、魔王復活の知らせが世界を駆け抜け、神託によりヒューゴが勇者に選ばれることに。
ヒューゴが出立の日、エリサは自身の恋心に気づいてヒューゴに告白したところ二人は即結婚することに……!
「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」
「エリサ、愛してる!」
ちょっぴり鈍感で薬草を愛するヒロインが、一途で愛が重たい変態風味な勇者に溺愛されるお話です。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。
かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。
ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。
二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。
王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~
石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。
食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。
そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。
しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。
何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。
扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。
傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。
そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。
新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。
初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

図書館でうたた寝してたらいつの間にか王子と結婚することになりました
鳥花風星
恋愛
限られた人間しか入ることのできない王立図書館中枢部で司書として働く公爵令嬢ベル・シュパルツがお気に入りの場所で昼寝をしていると、目の前に見知らぬ男性がいた。
素性のわからないその男性は、たびたびベルの元を訪れてベルとたわいもない話をしていく。本を貸したりお茶を飲んだり、ありきたりな日々を何度か共に過ごしていたとある日、その男性から期間限定の婚約者になってほしいと懇願される。
とりあえず婚約を受けてはみたものの、その相手は実はこの国の第二王子、アーロンだった。
「俺は欲しいと思ったら何としてでも絶対に手に入れる人間なんだ」

【完結】夜会で借り物競争をしたら、イケメン王子に借りられました。
櫻野くるみ
恋愛
公爵令嬢のセラフィーナには生まれつき前世の記憶があったが、覚えているのはくだらないことばかり。
そのどうでもいい知識が一番重宝されるのが、余興好きの国王が主催する夜会だった。
毎年余興の企画を頼まれるセラフィーナが今回提案したのは、なんと「借り物競争」。
もちろん生まれて初めての借り物競争に参加をする貴族たちだったが、夜会は大いに盛り上がり……。
気付けばセラフィーナはイケメン王太子、アレクシスに借りられて、共にゴールにたどり着いていた。
果たしてアレクシスの引いたカードに書かれていた内容とは?
意味もなく異世界転生したセラフィーナが、特に使命や運命に翻弄されることもなく、王太子と結ばれるお話。
とにかくツッコミどころ満載のゆるい、ハッピーエンドの短編なので、気軽に読んでいただければ嬉しいです。
完結しました。
小説家になろう様にも投稿しています。
小説家になろう様への投稿時から、タイトルを『借り物(人)競争』からただの『借り物競争』へ変更いたしました。

「君を愛さない」と言った公爵が好きなのは騎士団長らしいのですが、それは男装した私です。何故気づかない。
束原ミヤコ
恋愛
伯爵令嬢エニードは両親から告げられる。
クラウス公爵が結婚相手を探している、すでに申し込み済みだと。
二十歳になるまで結婚など考えていなかったエニードは、両親の希望でクラウス公爵に嫁ぐことになる。
けれど、クラウスは言う。「君を愛することはできない」と。
何故ならば、クラウスは騎士団長セツカに惚れているのだという。
クラウスが男性だと信じ込んでいる騎士団長セツカとは、エニードのことである。
確かに邪魔だから胸は潰して軍服を着ているが、顔も声も同じだというのに、何故気づかない――。
でも、男だと思って道ならぬ恋に身を焦がしているクラウスが、可哀想だからとても言えない。
とりあえず気づくのを待とう。うん。それがいい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる