上 下
22 / 26
第三章

第4話

しおりを挟む
 グレイグと共にスフィーナがアンリーク邸へと戻ると、既にアンナとリンがラグート邸から戻ってきていた。

「スフィーナ様! よかった、先に馬車で出たはずがいらっしゃらないので何かあったの……かと……スフィーナ様……? 全然無事じゃないじゃありませんか!! 全然よくなかった!!」

 言葉の途中でスフィーナの様子に気が付き、リンは大騒ぎした。
 アンナもぼろぼろになったスフィーナの姿を認めると、「きゃああ?!」と悲鳴をあげた。

「リン、アンナ、落ち着いて。私は大丈夫だから。それよりもミリーは? どこで暴れているの?」

「いえ、無事ってだってスフィーナ様、手はぼろぼろですしっていうか、爪!! 爪が!!」

「アンナ! それよりもミリーよ。みんなが危ないわ、早く止めないと」

「あ。それなんですが……」

 リンとアンナが何とも言えないように顔を見合わせるので、スフィーナは訝った。

「どうしたの?」

「はい。実は、あの後ラグート伯爵夫人から事の次第をお聞きして、私達も慌ててアンリーク邸へと帰ってきたんです。そうしたら、お邸は既にいつも通りになっていまして……」

「お父様が戻ってこられたのね」

「いえ、それが」

 なんとも言いにくそうに濁したのにはわけがあった。
 ナイフを持ち暴れていたミリーを取り押さえたのは、使用人たちだったのだ。

『主人になんてことをするの?! 無礼者!』

 そう罵ったミリーに、使用人たちは告げた。

『主人の乱心をお諫めするのも使用人の務めです』

 凶器をちらつかせ、脅すミリーにほとほと嫌気がさしたのだろう。
 そして腹が立ったのだろう。

 ミリーはぐるぐるに縛り上げられ、ベッドに寝かされていた。
 ついでに口も塞がれていた。
 そうでなければうるさすぎて、使用人たちの気が狂っていたことだろう。

 ミリーの部屋でその姿を目の当たりにしたスフィーナは、さるぐつわを噛まされて、んーんー唸るミリーに、ぽかんとしてしまった。
 それからつい笑いが漏れてしまった。

「そりゃあそうよね。使用人に向かってナイフを振り回している主人など、狂っている以外にないものね」

「んーんー!!」

 ミリーはギッとスフィーナを睨みつけ、力の限り体をくねらせ精一杯の抗議を見せていた。
 スフィーナがさるぐつわを外した瞬間、ミリーは「ふざっけんじゃありませんわ!!!」と叫んだ。

「お母様はお姉さまが次期当主に決まったとか言い出すし、使用人たちはこんな無礼を働くし!! 一体我が家はどうなっていると言うの?!」

 なるほど。
 ミリーを暴れさせるには最適な一言だ。

 しかしそれに乗ってしまうミリーもミリーだ。
 自分の頭で考え、自らの足で歩くことをしないから振り回され続けているのだということに、いまだに気付いていない。

「ミリー。ジード様との婚約が決まりかけていたのに、あなたはまたこんなことをして。もっと自分の人生を大切に生きた方がいいわ」

 まっすぐに見つめても、ミリーは何を言っているのかと馬鹿にするような顔を浮かべるだけだった。

「私は誰よりも私が大切ですわ。ですからこうして私のものを守ろうとしてるんじゃありませんの」

「本当に? あなたはあなたの手の中に今何があるか、きちんと見えている?」

「またそうやって煙に巻こうというのでしょう? お姉さまとお話しするのは本当に疲れますわ。だから嫌なのよ」

「あなたはもう他人に踊らされずに、自分の生き方を見つめなおすべきよ」

「目障りなお姉さまが消えてくれたらね。人の邪魔ばかりしておいて、よく言えたものですわ」

 やはり、言葉を尽くしても、駄目なのかもしれない。
 スフィーナは無力感に苛まれながら、くるりと背を向けた。

「ちょ! ちょっと! この縄をほどきなさいよ!」

「解いたら私を殺そうとするのでしょう? お義母様みたいに」

「はああ?」

「悪いけど、お父様が帰っていらっしゃるまでそのままでいて」

「ふざけないでよ!! こんなことが許されるわけがない! 訴えてやるわ! 使用人たちもみんなみんな、揃いも揃って……嫌いよ! みんな大嫌いよ! みんな私の目の前から消えていなくなればいいんだわ!」

「そうですか……」

 不意に低い男の声が聞こえて、ミリーはぴたりと動きを止めた。
 はっと扉を振り向けば、そこにはスフィーナと入れ違いに婚約者候補であったジードの姿があった。

「昨夜、ミリー嬢の心が乱れているようでしたからね。様子をお伺いしようと先触れを出したら、お邸がとんでもないことになっていると聞き、慌てて駆け付けたのですが」

「ジード様、見てください! この邸の使用人たちはみんな私にこんなひどいことをするんですのよ? こんな、私を縄で縛ったりなんて……!」

 さっきまで罵詈雑言を浴びせていたとは思えないほどに、途端に態度を変え目を潤ませたミリーを、ジードは痛ましげに見ていた。

「ええ。お話は伺いました。ですが私にはわかりません。婚約者であるあなた一人を信じるべきなのか、この邸の使用人、ラグート伯爵子息、私が先触れを頼んだ使用人、それら多くの人たちの一貫した話を信じるべきなのか」

「そんなの、使用人の話なんて聞く価値もありませんわ。たとえお姉さまが何を仰ってもそれは私を貶めるための意図しかありませんし、グレイグなんてその手駒にすぎませんもの。ジード様の婚約者は私ですわ。婚約者なのですから、信じるのは当たり前でしょう?」

「そうですね。でもそれは、互いに互いの未来を背負うのだという覚悟を持って、信頼関係を築こうとするからこそ、信じるのですよね。あなたには私と一生を歩む覚悟はあるのですか? 私の未来を背負う覚悟はあるのですか?」

「それはどういうことです? 何かジード様には隠していることでもあるのですか? 例えば借金がおありだとか」

 露骨に眉を顰めたミリーに、ジードはおかしそうに笑った。

「いえ。そうではありませんよ。でもこの先何があるかなんて、誰にもわかりません。仰るように、借金を負うこともあるかもしれません。そうなったときに、共に立ち向かう覚悟はあるのかとお聞きしたかったのですよ」

 ミリーはしばらく黙り込んだ。
 そして言った。

「それは無能というのではありませんの? そんな心配などさせない、どんな不幸にも遭わせない、それが結婚する相手に対する誠実な誓いなんじゃありませんの?」

 その目はジードを値踏みするように見ていた。
 ジードは笑みを浮かべながら首を傾げた。

「あなたを幸せにして私に何のメリットがあるのです? あなたは何をしてくれるのですか?」

 そう言うとミリーはあぐあぐと口を閉じたり開いたりした。

「愛する人のためならば労力は惜しみません。絶対に幸せにしてみせると誓います。ですがあなたにその価値は見いだせないのですよ。私も貴族の端くれですから、あなたを愛せなくとも、せめてどんな未来になっても共に支え合い、歩んで行こうと思えるのならば、なんとか義務を果たせるかと思ったのですが」

 ジードは、残念そうにミリーを見下ろした。

「あなたはご自分しか愛せない方のようですから、私には荷が重いようです。他にも婚約者候補はいらっしゃるようですから、他の方とのお話を進めてください。それでは、失礼いたします」

「あっ……! ちょ、ちょっと待って、私をこのままにして行かれるのですか? 見捨てるのですか? 女性のこんな姿を見て痛ましいとはお思いになりませんの?」

「申し訳ありません。私はあなたの今のその姿よりも、あなたの心こそを痛ましく思っております。私は婚約者候補でも何でもありませんので、この邸のことには関わるべきではありません。あなたのお望み通り、私も消えますよ」

 そう言って一つ礼をすると、ジードは部屋から歩き去った。
 残されたミリーは、怒りに頬をぷるぷると震わせた。

「ふっざけんじゃないわよーー!!」

 邸中にミリーの大声がこだました。
 その声に応える者は誰もいなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪女と言われ婚約破棄されたので、自由な生活を満喫します

水空 葵
ファンタジー
 貧乏な伯爵家に生まれたレイラ・アルタイスは貴族の中でも珍しく、全部の魔法属性に適性があった。  けれども、嫉妬から悪女という噂を流され、婚約者からは「利用する価値が無くなった」と婚約破棄を告げられた。  おまけに、冤罪を着せられて王都からも追放されてしまう。  婚約者をモノとしか見ていない婚約者にも、自分の利益のためだけで動く令嬢達も関わりたくないわ。  そう決めたレイラは、公爵令息と形だけの結婚を結んで、全ての魔法属性を使えないと作ることが出来ない魔道具を作りながら気ままに過ごす。  けれども、どうやら魔道具は世界を恐怖に陥れる魔物の対策にもなるらしい。  その事を知ったレイラはみんなの助けにしようと魔道具を広めていって、領民達から聖女として崇められるように!?  魔法を神聖視する貴族のことなんて知りません! 私はたくさんの人を幸せにしたいのです! ☆8/27 ファンタジーの24hランキングで2位になりました。  読者の皆様、本当にありがとうございます! ☆10/31 第16回ファンタジー小説大賞で奨励賞を頂きました。  投票や応援、ありがとうございました!

婚約破棄され森に捨てられました。探さないで下さい。

拓海のり
ファンタジー
属性魔法が使えず、役に立たない『自然魔法』だとバカにされていたステラは、婚約者の王太子から婚約破棄された。そして身に覚えのない罪で断罪され、修道院に行く途中で襲われる。他サイトにも投稿しています。

婚約破棄された公爵令嬢は虐げられた国から出ていくことにしました~国から追い出されたのでよその国で竜騎士を目指します~

ヒンメル
ファンタジー
マグナス王国の公爵令嬢マチルダ・スチュアートは他国出身の母の容姿そっくりなためかこの国でうとまれ一人浮いた存在だった。 そんなマチルダが王家主催の夜会にて婚約者である王太子から婚約破棄を告げられ、国外退去を命じられる。 自分と同じ容姿を持つ者のいるであろう国に行けば、目立つこともなく、穏やかに暮らせるのではないかと思うのだった。 マチルダの母の祖国ドラガニアを目指す旅が今始まる――   ※文章を書く練習をしています。誤字脱字や表現のおかしい所などがあったら優しく教えてやってください。    ※第二章まで完結してます。現在、最終章について考え中です(第二章が考えていた話から離れてしまいました(^_^;))  書くスピードが亀より遅いので、お待たせしてすみませんm(__)m    ※小説家になろう様にも投稿しています。

お荷物認定を受けてSSS級PTを追放されました。でも実は俺がいたからSSS級になれていたようです。

幌須 慶治
ファンタジー
S級冒険者PT『疾風の英雄』 電光石火の攻撃で凶悪なモンスターを次々討伐して瞬く間に最上級ランクまで上がった冒険者の夢を体現するPTである。 龍狩りの一閃ゲラートを筆頭に極炎のバーバラ、岩盤砕きガイル、地竜射抜くローラの4人の圧倒的な火力を以って凶悪モンスターを次々と打ち倒していく姿は冒険者どころか庶民の憧れを一身に集めていた。 そんな中で俺、ロイドはただの盾持ち兼荷物運びとして見られている。 盾持ちなのだからと他の4人が動く前に現地で相手の注意を引き、模擬戦の時は2対1での攻撃を受ける。 当然地味な役割なのだから居ても居なくても気にも留められずに居ないものとして扱われる。 今日もそうして地竜を討伐して、俺は1人後処理をしてからギルドに戻る。 ようやく帰り着いた頃には日も沈み酒場で祝杯を挙げる仲間たちに報酬を私に近づいた時にそれは起こる。 ニヤついた目をしたゲラートが言い放つ 「ロイド、お前役にたたなすぎるからクビな!」 全員の目と口が弧を描いたのが見えた。 一応毎日更新目指して、15話位で終わる予定です。 作品紹介に出てる人物、主人公以外重要じゃないのはご愛嬌() 15話で終わる気がしないので終わるまで延長します、脱線多くてごめんなさい 2020/7/26

無能とされた双子の姉は、妹から逃げようと思う~追放はこれまでで一番素敵な贈り物

ゆうぎり
ファンタジー
私リディアーヌの不幸は双子の姉として生まれてしまった事だろう。 妹のマリアーヌは王太子の婚約者。 我が公爵家は妹を中心に回る。 何をするにも妹優先。 勿論淑女教育も勉強も魔術もだ。 そして、面倒事は全て私に回ってくる。 勉強も魔術も課題の提出は全て代わりに私が片付けた。 両親に訴えても、将来公爵家を継ぎ妹を支える立場だと聞き入れて貰えない。 気がつけば私は勉強に関してだけは、王太子妃教育も次期公爵家教育も修了していた。 そう勉強だけは…… 魔術の実技に関しては無能扱い。 この魔術に頼っている国では私は何をしても無能扱いだった。 だから突然罪を着せられ国を追放された時には喜んで従った。 さあ、どこに行こうか。 ※ゆるゆる設定です。 ※2021.9.9 HOTランキング入りしました。ありがとうございます。

傷付いた騎士なんて要らないと妹は言った~残念ながら、変わってしまった関係は元には戻りません~

キョウキョウ
恋愛
ディアヌ・モリエールの妹であるエレーヌ・モリエールは、とてもワガママな性格だった。 両親もエレーヌの意見や行動を第一に優先して、姉であるディアヌのことは雑に扱った。 ある日、エレーヌの婚約者だったジョセフ・ラングロワという騎士が仕事中に大怪我を負った。 全身を包帯で巻き、1人では歩けないほどの重症だという。 エレーヌは婚約者であるジョセフのことを少しも心配せず、要らなくなったと姉のディアヌに看病を押し付けた。 ついでに、婚約関係まで押し付けようと両親に頼み込む。 こうして、出会うことになったディアヌとジョセフの物語。

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?

シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。 クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。 貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ? 魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。 ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。 私の生活を邪魔をするなら潰すわよ? 1月5日 誤字脱字修正 54話 ★━戦闘シーンや猟奇的発言あり 流血シーンあり。 魔法・魔物あり。 ざぁま薄め。 恋愛要素あり。

処理中です...