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第三章
第5話
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執事は逃げたイザベラを追いかけた際に襲われたようで、外で倒れているのを使用人が見つけ、手当を受け自室で休んでいた。
スザンナもグレイグも、怪我はない。
一通り無事が確認でき、スフィーナはほっと息を吐いた。
そうしているうちに慌ただしくダスティンが戻ってきて、スフィーナを見て愕然とした。
「スフィーナ、おまえ……!」
簡単に手当てはしていたが、無事ではないことは人目でわかる出で立ちだった。
「医者は呼びました。間もなく来てくれると思います」
グレイグが答えるのを聞くと、ダスティンは少しだけほっと肩を下げた。
「お父様、無事でよかった」
「おまえが無事じゃないだろう! ……イザベラだな?」
ダスティンの厳しい声に、スフィーナは静かに頷いた。
「お父様。やはりお母様を罠に嵌め、命を奪ったのはイザベラの策だと思います。すべて思い出しました」
あの日、あの現場にはイザベラと共謀し捕まった男の一人がいた。
「そうか。いや、話さなくていい。思い出さずともいいんだ」
今となっては立証することはできない。
ダスティンは無事家へと戻って来たスフィーナを強く優しく抱きしめた。
「ただいま帰りました、お父様」
「ああ。お帰り、スフィーナ」
・・・◆・・・◇・・・◆・・・
部屋でお茶を囲みながら、スフィーナとグレイグ、それからダスティンは改めてこれまでの経緯を話し合った。
イザベラとモルント鉱山のことは片が付いたと言えるだろう。
スフィーナは医者の手当てを受け、右手の人差し指と、甲にぐるぐると包帯を巻かれていた。
グレイグとダスティンがそれを痛ましげに見るのが、スフィーナとしても忍びない。
「本当に目の前でみすみすスフィーナをかっさらわれた自分が情けない」
「ううん。お母様が亡くなった時のことを思い出してしまったとはいえ、注意を払わなければならないときにそれを怠ったのは私の責任よ」
額に手を当て、項垂れてしまったグレイグにスフィーナが言えば、ダスティンも「いや」と口を開いた。
「それを言うならそもそもが私の責任だ。使用人の子供を人質にまで取られ。不甲斐ないばかりに、皆にはすまないと思っている」
「と、皆で言い合っていても仕方がないわ。反省は次に活かすべきだけれど、今は悔やんでいるときではない。それよりも、気にかかるのはイザベラが一人で今日の事をしたとは思えないこと」
話を向ければ、グレイグも頷いた。
「そうだな。仲間の逮捕の動きをイザベラに知らせた奴がいるはずだ。ルガートの子供を人質にとるにも、イザベラでは目立つ。誰かがイザベラの手となり足となり動いていたはずだ」
「それが今どうしているか、だな。頭を失えば手足は散り散りになるだろうと思ったんだが、残ったイザベラに望みをかけているのか、また脅されているのか」
「私が閉じ込められていたところにも、ルガート親子の他にはイザベラ一人しかいなかったわ」
付き合い切れないと逃げられたのか、何なのか。
「まあ手足が残っていたとして、イザベラが捕まってしまえば何もできまい。イザベラの罪状は、誘拐、脅迫、公文書偽造、といったところだな。しばらく出ては来れないだろう」
「あの書類は大丈夫だったの?」
思い出し、心配したスフィーナがダスティンに訊ねれば、軽い頷きが返った。
「ああ。昨夜書きかけで放置した書類だな。一度は罠だと睨み、手をつけずにおいたようなんだがな。男たちが捕まると聞き、慢心した私がそのままにしていっただけだと思ってくれたようだ」
そしてそれに縋るより他に手もなくなった。
だからダスティンの書類を思い出し、それだけを持って逃げたのだろう。
「書き途中になっている書類にあれがアンリーク姓として記名した時点で、文書偽造として捕らえるつもりだったんだ。イザベラとは籍を入れていないからな」
イザベラとダスティンの婚姻届けが出されていないとなれば、イザベラはアンリーク家の侍女のままで、勝手に妻を気取っていただけにすぎないことになる。
それはとても滑稽だった。
勿論ダスティンにとっても醜聞ではあるが、目的のためには些事だと切り捨てているのだろう。
んーんー!
んんーー!!
と唸る声が背後から聞こえ、スフィーナは振り返った。
ここはミリーの部屋だ。
そのテーブルで三人お茶を囲んでいたのだ。
ミリーもこれまでの経緯を知る必要がある。そう判断してのことだった。
だがいちいち口を挟まれていては話が進まない。だから再びミリーは猿ぐつわをかまされていた。
「ミリー。おまえは本当に養子として受け入れるつもりでもあったんだ。それがサナの頼みだったからな」
ダスティンがそう言うと、スフィーナは沈鬱に顔を俯けた。
「サナはイザベラに命を狙われていることにうすうす気が付いていた。だがイザベラが何をしようと、子であるミリーに罪はない、ミリーのことだけは苦労のないよう面倒を見てやってくれとサナから頼まれていた」
サナは一人でこの世界で一人で生きる辛さを知っていた。
だから同じ苦労を知るイザベラにも優しくあろうとし、できる限りの物を分け与えた。
だがイザベラもミリーもそれでは満足しなかった。
最初から求めていたものが違ったのかもしれない。
そう語ったダスティンの瞳は静かだった。
怒りではなく。
苦しさではなく。
ただ、虚しさと、サナに寄り添う心だけがそこにあった。
「そうしてサナは指輪も、せめてもの形見として、イザベラにとられてしまわぬよう物置部屋の荷物にそれとなく紛れ込ませたのだろう。自分が狙われているとわかってまで、サナはおまえたちのことばかり考えて――」
そこから言葉を継げなくなったダスティンに声をかける者はいなかった。
スフィーナは指輪を外し、去年の誕生日にグレイグにもらったネックレスに通し、首にかけた。
「それ、外すのか?」
「ええ。大切なものだから、ずっと持ってはいるわ。けれどもうこの指輪に頼ることはしたくないの」
サナの無念は晴らすことができたから。
だからこれ以上指輪を嵌めているのは、ズルのように思えた。
これはもともとサナに与えられたものであって、スフィーナのためのものではない。
思わぬ人に思わぬ害が及ぶかもしれないのも怖かった。
何より、やり返すなら自分の手でやり返したいとスフィーナは思った。
そして人を傷つける覚悟を持たなければならない。
でなければ、ミリーや義母と同じ人間になってしまいそうだから。
そう思ったから、スフィーナは指輪を外すことに決めたのだ。
それを見守ったダスティンは立ち上がり、ミリーの傍に立った。
「私はスフィーナもミリーも分け隔てなく育てたつもりだ。だがミリーは手にしていないものばかり欲しがった。スフィーナは欲しがるよりも先に、思いやりも、優しさも、当たり前に自ら人に与えた。だから人に恵まれた。そうして倍にも三倍にもなってそれらは返った。特別な力などなくとも、スフィーナのそうした心が、これまでスフィーナ自身を守ってきたのだ」
ミリーはきつく細めた眼差しをダスティンに向けた。
ダスティンは一つも通じていない虚しさを感じながらも、それでも続けた。
「スフィーナ自身がそうして培ったものを、横からおまえが欲しがったところでそれが手に入るわけはない。ミリー。おまえが真に欲していたのは、そういう形のないものだ。自ら培っていくものなんだ。そしていくら奪っても他人のものはいつまでも他人のもの。おまえたち親子はそれがわからないから空虚なのだ」
ミリーは唸ることをやめた。
しかしそのきつい視線は緩むことがなかった。
スフィーナはやるせなくなり、立ち上がった。
「お茶のお代わりをお願いしてくるわね」
今、部屋からは人払いをしてあった。
アンナを呼ぼう。
そう思い部屋の扉を開けようとしたときだった。
扉に触れる前にそれは開き、見慣れた顔が飛び出した。
それは能面のように表情を消したイザベラの顔だった。
スフィーナの胸に、何かが突き立てられる。
「スフィーナ!!」
銀色に輝くそれは、抜き身のナイフだった。
スザンナもグレイグも、怪我はない。
一通り無事が確認でき、スフィーナはほっと息を吐いた。
そうしているうちに慌ただしくダスティンが戻ってきて、スフィーナを見て愕然とした。
「スフィーナ、おまえ……!」
簡単に手当てはしていたが、無事ではないことは人目でわかる出で立ちだった。
「医者は呼びました。間もなく来てくれると思います」
グレイグが答えるのを聞くと、ダスティンは少しだけほっと肩を下げた。
「お父様、無事でよかった」
「おまえが無事じゃないだろう! ……イザベラだな?」
ダスティンの厳しい声に、スフィーナは静かに頷いた。
「お父様。やはりお母様を罠に嵌め、命を奪ったのはイザベラの策だと思います。すべて思い出しました」
あの日、あの現場にはイザベラと共謀し捕まった男の一人がいた。
「そうか。いや、話さなくていい。思い出さずともいいんだ」
今となっては立証することはできない。
ダスティンは無事家へと戻って来たスフィーナを強く優しく抱きしめた。
「ただいま帰りました、お父様」
「ああ。お帰り、スフィーナ」
・・・◆・・・◇・・・◆・・・
部屋でお茶を囲みながら、スフィーナとグレイグ、それからダスティンは改めてこれまでの経緯を話し合った。
イザベラとモルント鉱山のことは片が付いたと言えるだろう。
スフィーナは医者の手当てを受け、右手の人差し指と、甲にぐるぐると包帯を巻かれていた。
グレイグとダスティンがそれを痛ましげに見るのが、スフィーナとしても忍びない。
「本当に目の前でみすみすスフィーナをかっさらわれた自分が情けない」
「ううん。お母様が亡くなった時のことを思い出してしまったとはいえ、注意を払わなければならないときにそれを怠ったのは私の責任よ」
額に手を当て、項垂れてしまったグレイグにスフィーナが言えば、ダスティンも「いや」と口を開いた。
「それを言うならそもそもが私の責任だ。使用人の子供を人質にまで取られ。不甲斐ないばかりに、皆にはすまないと思っている」
「と、皆で言い合っていても仕方がないわ。反省は次に活かすべきだけれど、今は悔やんでいるときではない。それよりも、気にかかるのはイザベラが一人で今日の事をしたとは思えないこと」
話を向ければ、グレイグも頷いた。
「そうだな。仲間の逮捕の動きをイザベラに知らせた奴がいるはずだ。ルガートの子供を人質にとるにも、イザベラでは目立つ。誰かがイザベラの手となり足となり動いていたはずだ」
「それが今どうしているか、だな。頭を失えば手足は散り散りになるだろうと思ったんだが、残ったイザベラに望みをかけているのか、また脅されているのか」
「私が閉じ込められていたところにも、ルガート親子の他にはイザベラ一人しかいなかったわ」
付き合い切れないと逃げられたのか、何なのか。
「まあ手足が残っていたとして、イザベラが捕まってしまえば何もできまい。イザベラの罪状は、誘拐、脅迫、公文書偽造、といったところだな。しばらく出ては来れないだろう」
「あの書類は大丈夫だったの?」
思い出し、心配したスフィーナがダスティンに訊ねれば、軽い頷きが返った。
「ああ。昨夜書きかけで放置した書類だな。一度は罠だと睨み、手をつけずにおいたようなんだがな。男たちが捕まると聞き、慢心した私がそのままにしていっただけだと思ってくれたようだ」
そしてそれに縋るより他に手もなくなった。
だからダスティンの書類を思い出し、それだけを持って逃げたのだろう。
「書き途中になっている書類にあれがアンリーク姓として記名した時点で、文書偽造として捕らえるつもりだったんだ。イザベラとは籍を入れていないからな」
イザベラとダスティンの婚姻届けが出されていないとなれば、イザベラはアンリーク家の侍女のままで、勝手に妻を気取っていただけにすぎないことになる。
それはとても滑稽だった。
勿論ダスティンにとっても醜聞ではあるが、目的のためには些事だと切り捨てているのだろう。
んーんー!
んんーー!!
と唸る声が背後から聞こえ、スフィーナは振り返った。
ここはミリーの部屋だ。
そのテーブルで三人お茶を囲んでいたのだ。
ミリーもこれまでの経緯を知る必要がある。そう判断してのことだった。
だがいちいち口を挟まれていては話が進まない。だから再びミリーは猿ぐつわをかまされていた。
「ミリー。おまえは本当に養子として受け入れるつもりでもあったんだ。それがサナの頼みだったからな」
ダスティンがそう言うと、スフィーナは沈鬱に顔を俯けた。
「サナはイザベラに命を狙われていることにうすうす気が付いていた。だがイザベラが何をしようと、子であるミリーに罪はない、ミリーのことだけは苦労のないよう面倒を見てやってくれとサナから頼まれていた」
サナは一人でこの世界で一人で生きる辛さを知っていた。
だから同じ苦労を知るイザベラにも優しくあろうとし、できる限りの物を分け与えた。
だがイザベラもミリーもそれでは満足しなかった。
最初から求めていたものが違ったのかもしれない。
そう語ったダスティンの瞳は静かだった。
怒りではなく。
苦しさではなく。
ただ、虚しさと、サナに寄り添う心だけがそこにあった。
「そうしてサナは指輪も、せめてもの形見として、イザベラにとられてしまわぬよう物置部屋の荷物にそれとなく紛れ込ませたのだろう。自分が狙われているとわかってまで、サナはおまえたちのことばかり考えて――」
そこから言葉を継げなくなったダスティンに声をかける者はいなかった。
スフィーナは指輪を外し、去年の誕生日にグレイグにもらったネックレスに通し、首にかけた。
「それ、外すのか?」
「ええ。大切なものだから、ずっと持ってはいるわ。けれどもうこの指輪に頼ることはしたくないの」
サナの無念は晴らすことができたから。
だからこれ以上指輪を嵌めているのは、ズルのように思えた。
これはもともとサナに与えられたものであって、スフィーナのためのものではない。
思わぬ人に思わぬ害が及ぶかもしれないのも怖かった。
何より、やり返すなら自分の手でやり返したいとスフィーナは思った。
そして人を傷つける覚悟を持たなければならない。
でなければ、ミリーや義母と同じ人間になってしまいそうだから。
そう思ったから、スフィーナは指輪を外すことに決めたのだ。
それを見守ったダスティンは立ち上がり、ミリーの傍に立った。
「私はスフィーナもミリーも分け隔てなく育てたつもりだ。だがミリーは手にしていないものばかり欲しがった。スフィーナは欲しがるよりも先に、思いやりも、優しさも、当たり前に自ら人に与えた。だから人に恵まれた。そうして倍にも三倍にもなってそれらは返った。特別な力などなくとも、スフィーナのそうした心が、これまでスフィーナ自身を守ってきたのだ」
ミリーはきつく細めた眼差しをダスティンに向けた。
ダスティンは一つも通じていない虚しさを感じながらも、それでも続けた。
「スフィーナ自身がそうして培ったものを、横からおまえが欲しがったところでそれが手に入るわけはない。ミリー。おまえが真に欲していたのは、そういう形のないものだ。自ら培っていくものなんだ。そしていくら奪っても他人のものはいつまでも他人のもの。おまえたち親子はそれがわからないから空虚なのだ」
ミリーは唸ることをやめた。
しかしそのきつい視線は緩むことがなかった。
スフィーナはやるせなくなり、立ち上がった。
「お茶のお代わりをお願いしてくるわね」
今、部屋からは人払いをしてあった。
アンナを呼ぼう。
そう思い部屋の扉を開けようとしたときだった。
扉に触れる前にそれは開き、見慣れた顔が飛び出した。
それは能面のように表情を消したイザベラの顔だった。
スフィーナの胸に、何かが突き立てられる。
「スフィーナ!!」
銀色に輝くそれは、抜き身のナイフだった。
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