20 / 26
第三章
第2話
しおりを挟む
スフィーナがはっと目を覚ますと、辺りは薄暗かった。
陽が落ちたのではなく、窓が閉ざされているのだ。
慌てて見回せば、雑多なものが詰まれている物置小屋のようなところに閉じ込められているのだとわかった。
ふと薄れる意識の中で、『申し訳ありません、申し訳ありません』と何度も謝る馭者ルガートの声を聞いた気がした。
裏切ったというより、やむに已まれずそうしたのだろう。
また義母が卑劣な手を使ったのに違いない。
やはり馬車に人が飛び出したのも、罠だったのだろう。
サナが亡くなった時と同じような状況を作り出し、スフィーナを動揺させ、その隙に連れ去った。
やはりサナが馬車にひかれるように仕向けたのは、義母だったのだ。
スフィーナはそう確信した。
腹の底から怒りが沸いた。
許せなかった。
サナを殺されたことが。
サナの死を、そうして利用されたことが。
こんなひどいことを思いつく義母には、人の心などないのかもしれない。
罠かもしれないと思いながら、まんまとやられてしまったことが悔しい。
だが怒りに目をくらませてはいけない。
やられっぱなしでいるわけにはいかないのだから。
スフィーナはご丁寧に後ろ手に、しかも親指同士を結ばれていた。
かどわかされた時に備えてグレイグからあらゆる縄抜けの方法を聞いていたが、これが最も厄介だった。
これを縛ったのは義母なのか、馭者のルガートなのか、それとも他に仲間がいるのか。
気配を探ったが、辺りはしんと静まり返っていて物音もしない。
近くには誰もいないのかもしれない。
だとしたら見張りの人数は多くはないはず。
そもそも、義母と共にモルント鉱山を狙っていた貴族たちには今国の手が入っており、動けないはず。
彼らに使われている者たちも、主がそんな状態なのに貴族の令嬢をかどわかす手伝いなどリスクのある真似をするとは思えない。
むしろ、累が及ぶのを恐れて姿をくらませるはず。
今は義母が主体で動いているのだろう。使える手足も多くないはずで、だからルガートを脅して利用しているのだとしたら抜け出す契機はあるかもしれない。
スフィーナはすぐさま行動を開始した。
体を起こそうとしたが足も縛られているので起き上がれない。
よじよじと体を動かして、なんとか壁の傍まで行くと、後ろに縛られたまま人差し指の爪を壁にぐっと押し付けた。
きれいに爪が折れたことを指で触れて確認する。
そうして鋭角になった爪で、スフィーナはひたすら親指を結ぶ紐をカリカリとひっかいた。
太い縄ではなかったことが幸いだ。
親指だけを結ぶのには、太い縄では外れやすいからだろう。
細い紐ならばそれほど時間はかからずに切れそうだった。
スフィーナの爪はあらかじめ鋭角に切ってあり、切り落とした爪を張り付けて元に戻しておいたのだ。
それからそれとわからぬよう上から色を塗り、サナに教わったウルカを塗った。
ツヤを出すためのウルカは爪の補強にもなる。
爪は女の武器。
サナの言葉を思い出し、縄の細かな繊維を少しずつ断ち切っていった。
その間にも、スフィーナは周りの様子を窺った。
窓はあるが木板で塞がれていて外の様子はわからない。
耳をすましても、近くに誰かがいる気配もない。
スフィーナが背にしている壁からはうっすらと光が漏れていたが、反対側はそれがない。
ということは、隣にも部屋があるのだろう。
他にも部屋があるとすれば、近くに人の気配を感じなくとも、この建物の中のどこかに誰かはいるかもしれない。
建物の全容が見えないと、部屋を出るのが正解なのか、大人しくしているべきなのか判断が難しい。一度失敗すればもっと強固に閉じ込められる可能性があるからだ。
だがまだスフィーナが意識を失っていると思っている間の方が勝機がある。
スフィーナは必死に指を動かした。
後ろ手に回された状態での慣れない動きに指と手首がつりそうだった。爪が剥がれそうで痛い。
スフィーナが倒れた後、グレイグは、スザンナはどうしただろうか。
スフィーナがこうして連れて来られてしまったということは、グレイグもやられてしまったのか、それともルガートがスフィーナを人質に取り足止めしただけなのか。
きっと後者だ。だとしたら今頃探してくれているはず。
ミリーは、使用人たちはどうなっただろうか。
スフィーナが現れないことで、ミリーが逆上していなければいいのだが。
ダスティンに知らせは届いただろうか。
ダスティンは三人の貴族たちを捕らえられただろうか。
そして知らせを聞いてアンリーク邸に駆け付けてくれているだろうか。
あれこれ状況が動いている中で、ここでこうして指しか動かせない状況がもどかしかった。
今すぐこの小屋から駆け出したかった。
右の人差し指の先がぬるっとした。
爪が少し剥がれたのかもしれない。
それでも指を動かし続け、左右の手を引っ張り、少しずつ糸を断ち切っていった。
そうしてぷつりと最後の糸が切れ、ようやっとスフィーナの手は自由になった。
だが後ろ手に縛られていた上に無理に指を動かしていたせいで、しばらくの間うまく腕が動かなかった。
歯を食いしばり、なんとか腕を動かし足の縄を解く。
動くと殴られた頭がズキリと痛んだ。堪え、そっと立ち上がるとまず木板で覆われている窓を確認した。
ガラスを破ったとしても、スフィーナが体を通すにはその窓枠は小さかった。
だとすると、扉から出るしかない。
その前にこの小屋の中に何か使える物はないかと見回した。
物音を立てて見つからないように、そっと見える範囲に目を凝らしたが、古ぼけた人形や道具が積み重なっているだけで、これと言ってめぼしいものは見当たらなかった。
ふと、ここはどこだろうかと考えた。
三人の貴族の家には国の手が入っているはず。
その敷地内の物置小屋にスフィーナを閉じ込めることなどしないだろう。
意識を失ってからそれほど時間が経っているとも思えなかったから、遠くの領地にまで運ばれたとも思えない。
だとしたら。
スフィーナは打ち捨てられていた古ぼけた人形を手に取った。
素人の手作りらしく、縫い後は不格好だ。
髪が赤い布でできているのが珍しかった。
にっこりと微笑むような顔が糸で描かれている。
それだけを懐にしまい、スフィーナはそっとドアまで近づいた。
耳を澄ませて何も聞こえないことを確認すると、音を立てないよう静かにドアを開けた。
陽が落ちたのではなく、窓が閉ざされているのだ。
慌てて見回せば、雑多なものが詰まれている物置小屋のようなところに閉じ込められているのだとわかった。
ふと薄れる意識の中で、『申し訳ありません、申し訳ありません』と何度も謝る馭者ルガートの声を聞いた気がした。
裏切ったというより、やむに已まれずそうしたのだろう。
また義母が卑劣な手を使ったのに違いない。
やはり馬車に人が飛び出したのも、罠だったのだろう。
サナが亡くなった時と同じような状況を作り出し、スフィーナを動揺させ、その隙に連れ去った。
やはりサナが馬車にひかれるように仕向けたのは、義母だったのだ。
スフィーナはそう確信した。
腹の底から怒りが沸いた。
許せなかった。
サナを殺されたことが。
サナの死を、そうして利用されたことが。
こんなひどいことを思いつく義母には、人の心などないのかもしれない。
罠かもしれないと思いながら、まんまとやられてしまったことが悔しい。
だが怒りに目をくらませてはいけない。
やられっぱなしでいるわけにはいかないのだから。
スフィーナはご丁寧に後ろ手に、しかも親指同士を結ばれていた。
かどわかされた時に備えてグレイグからあらゆる縄抜けの方法を聞いていたが、これが最も厄介だった。
これを縛ったのは義母なのか、馭者のルガートなのか、それとも他に仲間がいるのか。
気配を探ったが、辺りはしんと静まり返っていて物音もしない。
近くには誰もいないのかもしれない。
だとしたら見張りの人数は多くはないはず。
そもそも、義母と共にモルント鉱山を狙っていた貴族たちには今国の手が入っており、動けないはず。
彼らに使われている者たちも、主がそんな状態なのに貴族の令嬢をかどわかす手伝いなどリスクのある真似をするとは思えない。
むしろ、累が及ぶのを恐れて姿をくらませるはず。
今は義母が主体で動いているのだろう。使える手足も多くないはずで、だからルガートを脅して利用しているのだとしたら抜け出す契機はあるかもしれない。
スフィーナはすぐさま行動を開始した。
体を起こそうとしたが足も縛られているので起き上がれない。
よじよじと体を動かして、なんとか壁の傍まで行くと、後ろに縛られたまま人差し指の爪を壁にぐっと押し付けた。
きれいに爪が折れたことを指で触れて確認する。
そうして鋭角になった爪で、スフィーナはひたすら親指を結ぶ紐をカリカリとひっかいた。
太い縄ではなかったことが幸いだ。
親指だけを結ぶのには、太い縄では外れやすいからだろう。
細い紐ならばそれほど時間はかからずに切れそうだった。
スフィーナの爪はあらかじめ鋭角に切ってあり、切り落とした爪を張り付けて元に戻しておいたのだ。
それからそれとわからぬよう上から色を塗り、サナに教わったウルカを塗った。
ツヤを出すためのウルカは爪の補強にもなる。
爪は女の武器。
サナの言葉を思い出し、縄の細かな繊維を少しずつ断ち切っていった。
その間にも、スフィーナは周りの様子を窺った。
窓はあるが木板で塞がれていて外の様子はわからない。
耳をすましても、近くに誰かがいる気配もない。
スフィーナが背にしている壁からはうっすらと光が漏れていたが、反対側はそれがない。
ということは、隣にも部屋があるのだろう。
他にも部屋があるとすれば、近くに人の気配を感じなくとも、この建物の中のどこかに誰かはいるかもしれない。
建物の全容が見えないと、部屋を出るのが正解なのか、大人しくしているべきなのか判断が難しい。一度失敗すればもっと強固に閉じ込められる可能性があるからだ。
だがまだスフィーナが意識を失っていると思っている間の方が勝機がある。
スフィーナは必死に指を動かした。
後ろ手に回された状態での慣れない動きに指と手首がつりそうだった。爪が剥がれそうで痛い。
スフィーナが倒れた後、グレイグは、スザンナはどうしただろうか。
スフィーナがこうして連れて来られてしまったということは、グレイグもやられてしまったのか、それともルガートがスフィーナを人質に取り足止めしただけなのか。
きっと後者だ。だとしたら今頃探してくれているはず。
ミリーは、使用人たちはどうなっただろうか。
スフィーナが現れないことで、ミリーが逆上していなければいいのだが。
ダスティンに知らせは届いただろうか。
ダスティンは三人の貴族たちを捕らえられただろうか。
そして知らせを聞いてアンリーク邸に駆け付けてくれているだろうか。
あれこれ状況が動いている中で、ここでこうして指しか動かせない状況がもどかしかった。
今すぐこの小屋から駆け出したかった。
右の人差し指の先がぬるっとした。
爪が少し剥がれたのかもしれない。
それでも指を動かし続け、左右の手を引っ張り、少しずつ糸を断ち切っていった。
そうしてぷつりと最後の糸が切れ、ようやっとスフィーナの手は自由になった。
だが後ろ手に縛られていた上に無理に指を動かしていたせいで、しばらくの間うまく腕が動かなかった。
歯を食いしばり、なんとか腕を動かし足の縄を解く。
動くと殴られた頭がズキリと痛んだ。堪え、そっと立ち上がるとまず木板で覆われている窓を確認した。
ガラスを破ったとしても、スフィーナが体を通すにはその窓枠は小さかった。
だとすると、扉から出るしかない。
その前にこの小屋の中に何か使える物はないかと見回した。
物音を立てて見つからないように、そっと見える範囲に目を凝らしたが、古ぼけた人形や道具が積み重なっているだけで、これと言ってめぼしいものは見当たらなかった。
ふと、ここはどこだろうかと考えた。
三人の貴族の家には国の手が入っているはず。
その敷地内の物置小屋にスフィーナを閉じ込めることなどしないだろう。
意識を失ってからそれほど時間が経っているとも思えなかったから、遠くの領地にまで運ばれたとも思えない。
だとしたら。
スフィーナは打ち捨てられていた古ぼけた人形を手に取った。
素人の手作りらしく、縫い後は不格好だ。
髪が赤い布でできているのが珍しかった。
にっこりと微笑むような顔が糸で描かれている。
それだけを懐にしまい、スフィーナはそっとドアまで近づいた。
耳を澄ませて何も聞こえないことを確認すると、音を立てないよう静かにドアを開けた。
17
お気に入りに追加
2,757
あなたにおすすめの小説

逆行転生した侯爵令嬢は、自分を裏切る予定の弱々婚約者を思う存分イジメます
黄札
恋愛
侯爵令嬢のルーチャが目覚めると、死ぬひと月前に戻っていた。
ひと月前、婚約者に近づこうとするぶりっ子を撃退するも……中傷だ!と断罪され、婚約破棄されてしまう。婚約者の公爵令息をぶりっ子に奪われてしまうのだ。くわえて、不貞疑惑まででっち上げられ、暗殺される運命。
目覚めたルーチャは暗殺を回避しようと自分から婚約を解消しようとする。弱々婚約者に無理難題を押しつけるのだが……
つよつよ令嬢ルーチャが冷静沈着、鋼の精神を持つ侍女マルタと運命を変えるために頑張ります。よわよわ婚約者も成長するかも?
短いお話を三話に分割してお届けします。
この小説は「小説家になろう」でも掲載しています。

品がないと婚約破棄されたので、品のないお返しをすることにしました
斯波@ジゼルの錬金飴②発売中
ファンタジー
品がないという理由で婚約破棄されたメリエラの頭は真っ白になった。そして脳内にはリズミカルな音楽が流れ、華美な羽根を背負った女性達が次々に踊りながら登場する。太鼓を叩く愉快な男性とジョッキ片手にフ~と歓声をあげるお客も加わり、まさにお祭り状態である。
だが現実の観衆達はといえば、メリエラの脳内とは正反対。まさか卒業式という晴れの場で、第二王子のダイキアがいきなり婚約破棄宣言なんてするとは思いもしなかったのだろう。

ひめさまはおうちにかえりたい
あかね
ファンタジー
政略結婚と言えど、これはない。帰ろう。とヴァージニアは決めた。故郷の兄に気に入らなかったら潰して帰ってこいと言われ嫁いだお姫様が、王冠を手にするまでのお話。(おうちにかえりたい編)

きっと幸せな異世界生活
スノウ
ファンタジー
神の手違いで日本人として15年間生きてきた倉本カノン。彼女は暴走トラックに轢かれて生死の境を彷徨い、魂の状態で女神のもとに喚ばれてしまう。女神の説明によれば、カノンは本来異世界レメイアで生まれるはずの魂であり、転生神の手違いで魂が入れ替わってしまっていたのだという。
そして、本来カノンとして日本で生まれるはずだった魂は異世界レメイアで生きており、カノンの事故とほぼ同時刻に真冬の川に転落して流され、仮死状態になっているという。
時を同じくして肉体から魂が離れようとしている2人の少女。2つの魂をあるべき器に戻せるたった一度のチャンスを神は見逃さず、実行に移すべく動き出すのだった。
女神の導きで新生活を送ることになったカノンの未来は…?
毎日12時頃に投稿します。
─────────────────
いいね、お気に入りをくださった方、どうもありがとうございます。
とても励みになります。

今、私は幸せなの。ほっといて
青葉めいこ
ファンタジー
王族特有の色彩を持たない無能な王子をサポートするために婚約した公爵令嬢の私。初対面から王子に悪態を吐かれていたので、いつか必ず婚約を破談にすると決意していた。
卒業式のパーティーで、ある告白(告発?)をし、望み通り婚約は破談となり修道女になった。
そんな私の元に、元婚約者やら弟やらが訪ねてくる。
「今、私は幸せなの。ほっといて」
小説家になろうにも投稿しています。

城で侍女をしているマリアンネと申します。お給金の良いお仕事ありませんか?
甘寧
ファンタジー
「武闘家貴族」「脳筋貴族」と呼ばれていた元子爵令嬢のマリアンネ。
友人に騙され多額の借金を作った脳筋父のせいで、屋敷、領土を差し押さえられ事実上の没落となり、その借金を返済する為、城で侍女の仕事をしつつ得意な武力を活かし副業で「便利屋」を掛け持ちしながら借金返済の為、奮闘する毎日。
マリアンネに執着するオネエ王子やマリアンネを取り巻く人達と様々な試練を越えていく。借金返済の為に……
そんなある日、便利屋の上司ゴリさんからの指令で幽霊屋敷を調査する事になり……
武闘家令嬢と呼ばれいたマリアンネの、借金返済までを綴った物語

【完結】それはダメなやつと笑われましたが、どうやら最高級だったみたいです。
まりぃべる
ファンタジー
「あなたの石、屑石じゃないの!?魔力、入ってらっしゃるの?」
ええよく言われますわ…。
でもこんな見た目でも、よく働いてくれるのですわよ。
この国では、13歳になると学校へ入学する。
そして1年生は聖なる山へ登り、石場で自分にだけ煌めいたように見える石を一つ選ぶ。その石に魔力を使ってもらって生活に役立てるのだ。
☆この国での世界観です。

奪われ系令嬢になるのはごめんなので逃げて幸せになるぞ!
よもぎ
ファンタジー
とある伯爵家の令嬢アリサは転生者である。薄々察していたヤバい未来が現実になる前に逃げおおせ、好き勝手生きる決意をキメていた彼女は家を追放されても想定通りという顔で旅立つのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる