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第四章 国王陛下を取り巻く人々
5.薬屋の少女と第一王子 ※ユーティス視点
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ユーティスは毒に喘ぐリリアの手を握り締め、額に当てた。
こんな目に遭わせるつもりではなかったのに。
リリアは、ユーティスが何でも自分の計画通りに物事を進めていると思っているだろう。
だが違う。
いつも想定外のことに見舞われてばかりだ。
十二歳のあの時から、心から欲してやまないものを手に入れるため突き進んで来た。
傍にあればいいわけじゃない。
そのすべてを守りたいと思っているのに。
大事に思えば思うほど、うまくいかない。
ユーティスはリリアの右の耳に嵌められた黒曜石のピアスにそっと触れた。
このピアスを嵌めるのだと決めたときのことを思い出す。
◇◇◇
ユーティスは十二歳に至るまでも、何度も毒に倒れてきた。
それなのに、今回の毒はいつもより応えた。
体にではない。心に、だ。
毒を盛ったのが誰なのかが、目に見えてしまったからだ。
お菓子をくれた。
それはいつものことだった。
だから大丈夫だと思って食べた。
仲良くなったと思ってたから。
ユーティスの伯母だった。
国王である父の、姉。
伯母は既に母のいない第一王子よりも、堅固な後ろ盾を持つ第二王妃の子、第二王子が王位に立った方が盤石だと思ったらしい。
国は一人で収めるものではないから。貴族との繋がりが大事になるから。
だが幼い頃から聡いユーティスが王位を継ぐにふさわしいとする一派もまた根強くあった。だから邪魔だったのだろう。
理由がわかってしまうだけに、その殺意を認めざるをえなかった。
伯母に会うといつもお菓子をくれたのも、こうして信用させて毒を食べさせるためだったのかと思うと、すべての笑顔が嘘だと思うと、何も信じられなかった。
王宮で他に甘える人がいなかったユーティスに、唯一笑顔を向けて優しくしてくれた人だと思っていたから。
あの人も、あの人も、誰も彼もが嘘の笑顔でユーティスと接していたのか。内心では邪魔だと、この国のために死んでほしいと思われていたのか。
そう思って、絶望した。
そのせいなのか、いつもより回復が遅かった。
いつまでも呻き、苦しんでいるユーティスに、リリアは枕元でずっと歌をうたっていた。
「そんなもの、なんの役にも立たん」
いつものようにつっけんどんに言っても、リリアは枕元から離れようとしなかった。
こんな自分など、看病することはないのに。
どうせ助かったって、また命を狙われるだけなのだから。
皆に死を望まれている命を救って何になる? すぐに、すべて無駄になるだけだ。
「別にユーティスのために歌ってるわけじゃないもん。歌いたいから歌ってるだけ」
命の淵に立たされるとリリアの歌が聞こえてきた。
上手くもない調子っぱずれの歌が、何度も意識を引き戻した。
このまま緩やかな流れの方に乗って行ってしまおうと思うのに、リリアの歌が聞こえると、森で傷だらけになって薬草を取って来てくれたことや、びしょびしょに濡れたままのタオルを持って来て体を拭こうとしてくれたことや、いろんなことが思い返されて、目が覚める。
リリアは、相手が王位継承権を持った第一王子であっても、毒舌を振りまく嫌な子供であっても、態度を変えない。おかまいなしに毒舌に言い返すし、丁寧に看病もする。
損得などなく、自分がやりたいようにしてるだけ。そんなリリアといるのが、心地よかった。
王宮に帰ると無性にこの少女に会いたくなった。
いつでも傍にいたらいいのにと思ってしまった。
だけど、命を狙われ、長く生きられるかわからない自分になど、深く関わってはならない。
万一の時に、リリアが悲しむのは嫌だったから。
だから冷たくするのに、リリアはそんなことはおかまいなしで、来るなと言っても勝手に部屋に入ってくるし、こうしていらぬと言っても歌をうたう。
いっそ嫌いになってくれればいいのに。優しくも強くもあるリリアは、何を言われても軽くいなしてしまう。
ユーティスにとって、最も自由にならない人間がリリアだった。
「そろそろ薬の時間か。今回の薬はね、私が手伝ったんだよ。勿論煎じるのは資格を持ったお父さんしかできないけど。私も毒と解毒薬のことばっかり調べてたらすっかり薬師の資格の勉強がおろそかになっちゃってさ。次にユーティスが来たときは助手の資格には合格してるはず。そしたら私も簡単な薬なら煎じられるようになるから」
毒を調べるだと?
ぞっとした。
これ以上きな臭いユーティスの周りに関わらせたくはないのに。
いつもここで治療していることがわかれば、狙われかねない。それなのに――。
嬉しいと思ってしまった。
ユーティスのために何かしたいと思ってくれることが。
それでも突き放さなければならない。関わっても、リリアにとっていいことなど一つもないのだから。
「己の本業に目を背けていただけだろう。俺を言い訳にするな。そんな奴が毒の勉強なんぞしたところで、おれはおまえの薬など怖くて飲めぬ」
「確かに。言われてみればそうだね。じゃあまずはしっかり薬師の資格を取るよ。それからだね」
「そうじゃない! 毒など学んで何になる? どうせ俺はすぐに死ぬ。これほどまでに死を望まれている命なんだ。そもそもここまで生きながらえているのが奇跡だと言える。そのおかげでおまえたち一家にも迷惑をかけ続けてきた。どこへ行っても俺など邪魔なのだ。それなら、いっそ死んでしまった方がよかっ――」
言葉を続けることはできなかった。
パンッ、と乾いた音が小さな部屋に響いて、ユーティスは壁を向かせられていた。
ゆっくりと顔を戻せば、真っ赤な顔で怒りに拳を震えさせているリリアがいた。
「バカじゃないの?! 誰かに死を望まれたからっていちいち死んでたらこの世界には誰も残らないわよ。そもそも誰にも迷惑をかけずに生きるなんて、どだい無理な話なんだから!」
ユーティスは衝撃に焦点の合わぬ目で、ひたすらにリリアを見つめた。
ややして像が結ぶと、リリアの目の端には涙が滲んでいるのが見えた。
「一人で生きてきたようなツラするんじゃないわよ。誰がこれまでユーティスにご飯を作ってくれてたと思ってるの? どれだけの人がユーティスを生かそうとしてきたと思ってるの。誰が、どんな思いでユーティスを生んだと思ってるのよ!」
はっとして、ユーティスは歯噛みした。
リリアは、母の子に対する思いを身近に見てきたのだ。
リリアの母サーシュは、兄弟を身ごもったとき、母体が危ないから子供を諦めるべきだと言われた。だがわずかでも可能性があるのならと、諦めなかった。
そして産み月まであと少しというところで、母子ともに亡くなってしまった。
母が、父が、どんなに子供の誕生を待ち望んでいたのかを傍で見ていた。
ユーティスもそのことを知っていたのに。
リリアはボロリと零れた涙に構わず、ユーティスを睨みつけた。
「大体ねえ、死を望む人に報いるくらいなら、生きてと望む人に報いなさいよ。報いるの方向が間違ってるのよ、方向が! ユーティスがユーティスの生きたいように生きてくれたらそれでいい。そう思ってくれる人のこと忘れるんじゃないわよ」
怒りを爆発させるように言い切ると、リリアはぐいっと涙を拭った。
そこにはもう涙は光っていない。
ただただまっすぐにユーティスを見ていた。
「私たちを見てよ。死んでほしいと思ってる人のことばっかり考えないで。お父さんも、私も、ユーティスに生きてほしいって思ってるんだから、それでチャラにして。それでただ自分のために生きてよ」
国の安寧のために疎まれる命。
目の前にはただ生きることを望む一人の少女。
数でも、この国にとっての価値も、比較にならないような小さな存在なのに、その言葉はユーティスの体を作り変えてしまいそうなほどに全身を駆け巡っていった。
いいのだろうか。血の繋がった伯母にすら、国のためにならないと、邪魔だと思われていても、生きていてもいいのだろうか。
ユーティスは揺れる瞳でリリアを見た。
「俺は王族だ。第一王位継承者だ。自分のためになど――」
「死を願う人なんか、めちゃくちゃ自分本位の見本じゃない。だったらユーティスが自分のために生きて何が悪いのよ。誰だって、自分が生きたいなら生きればいいのよ」
リリアは至極あっさりと言った。
「王になりたいならなればいい。なりたくないならならなきゃいい。ユーティスがやらなかったら誰かがやる、それだけでしょ? 役割に代わりはある。だけど人の代わりはいないのよ。ユーティスを生きるのはユーティスだけなんだから。ユーティスはユーティスの生きたいように生きればいい」
これまで思い悩んできたことが、実は単純なことだったのではないかと思えた。
重く苦しく背負わなければならないと思っていた。だが責任を果たすことと苦しむことは同じではない。責任の果たし方は一つではない。国の守り方は、一つではない。
リリアの言葉は、ユーティスの暗い道に風穴を開けた。
何か、進むべき道が見えてきたような気がした。
「さあ、さっさとすっかりぐっすり寝なさいよ。そしたら少しは元気になって、まともなことも考えられるようになるわ。そしたらあとはがむしゃらにがめつく生きたらいいのよ。――ねえ、なんで笑ってるのよ。ちょっと聞いてる?」
言われて初めて気が付いた。
いつの間にか笑っていたらしい。
「ちゃんと聞いている」
リリアが気味が悪そうにひいて見ていることに気が付いて、余計におかしくなった。
きっとユーティスがこんなに笑うなど、何が起きたのかと思っているのだろう。
また何か言われるのかと警戒すらしているのかもしれない。
鋭いようで何にもわかっていないこの少女が、ひたすら愛しかった。
「わかった。確かに俺が愚かだった」
「わかったんならいいけど。――本当にわかったの?」
何故笑っていたかわからないからだろう。訝しむようなリリアの瞳に、ユーティスは真っ直ぐに答えた。
「ああ。悪夢から醒めた心地だ」
久しぶりにすっきりとした気持ちだった。
とても気持ちがいい。
心なしか、先程までぐったりとしていた体も軽く感じた。
これまでレールの上を逸れずに走らなければならないとばかり思ってきたのに、新しく見えたやるべきこと、やりたいことに向かって、今からでも動き出したくて堪らなくなった。
「そう? ならいいけど。まあ私もさ、ユーティスが毒にやられても生きていけるように勉強しておくからさ。ユーティスは一人じゃないよ。お父さんも、私もいるよ。まだ私は何の役にも立たないけど、一人より二人の方がいいでしょ? 血のつながった伯母さんがどうとか知らないけど、私とお父さんはユーティスの味方になったげるからさ」
「それなら。俺が望んだらおまえは頼みを聞いてくれるのか」
知らず、ぽつりと聞いていた。
「ものによる。」
リリアははっきりと答えた。
ユーティスは笑った。
「わかった。ならおまえが『うん』と言うようにやってみよう」
そう言って楽しそうに笑うと、リリアが引きつるのが分かった。
またよからぬことを考えていると思っているのだろう。
正解だ。
ユーティスは生きたい。
リリアと共に生きたい。
例え、どれだけ時間がかかっても。
◇
快復したユーティスは、愚王の仮面をかぶることにした。
命を狙われる危機を回避するためだった。
でもそれだけじゃない。王位継承者として相応しくないという世論を煽る、そのことこそが目的でもあった。
伯母を始めとした第二王子を王にと望む一派との無駄な争いを避けるためだ。
だが誤算があった。
まだ幼い第三王子を担ごうとする一派は数少ないながらも、一部が暴走し第二王子派と争いを始めてしまったのだ。
その末に、王子たちが犠牲となってしまった。
父である国王がこんなに早く亡くなってしまったことも大きな誤算だった。
まだユーティスの計画の途上だったのに。
さらに、リリアの父ダーナーまで亡くなり、リリアが一人になってしまった。
ユーティスは相当に悩んだ。血なまぐさい王宮にリリアを巻き込みたくはなかったからだ。
しかしエイラスからリリアを狙う者がいると報告を受けていた。愚王の仮面をかぶったユーティスを下ろすため、利用されようとしていたのだろう。
王として価値のない愚かな第一王子であれば、リリアと親しくしていても狙われることはないと思っていたのに、思わぬ早さで国王が亡くなってしまい、リリアに利用価値が生まれてしまった。
そこから大きく方向転換せざるをえなくなった。
遠くで何かあるよりも、近くで守ろうと思った。
だが結果として、二度もリリアに毒を含ませることになってしまった。
何もかも思うようにはいかない。
リリアが関わると、何一つうまくいった試しがなかった。
それだけいばらの道なのだということは最初からわかっている。
それでも。諦めることはできなかった。
もはやユーティスにとってリリアは生きる意味そのものだったから。
だから。
リリアを苦しめた者は許さない。
徹底的に。
ユーティスはリリアの細い手を握り、額に当てた。
この手がまたくるくると楽しそうに薬を煎じる日々が訪れるようになるまで。
ユーティスが歩みを止めることはない。
こんな目に遭わせるつもりではなかったのに。
リリアは、ユーティスが何でも自分の計画通りに物事を進めていると思っているだろう。
だが違う。
いつも想定外のことに見舞われてばかりだ。
十二歳のあの時から、心から欲してやまないものを手に入れるため突き進んで来た。
傍にあればいいわけじゃない。
そのすべてを守りたいと思っているのに。
大事に思えば思うほど、うまくいかない。
ユーティスはリリアの右の耳に嵌められた黒曜石のピアスにそっと触れた。
このピアスを嵌めるのだと決めたときのことを思い出す。
◇◇◇
ユーティスは十二歳に至るまでも、何度も毒に倒れてきた。
それなのに、今回の毒はいつもより応えた。
体にではない。心に、だ。
毒を盛ったのが誰なのかが、目に見えてしまったからだ。
お菓子をくれた。
それはいつものことだった。
だから大丈夫だと思って食べた。
仲良くなったと思ってたから。
ユーティスの伯母だった。
国王である父の、姉。
伯母は既に母のいない第一王子よりも、堅固な後ろ盾を持つ第二王妃の子、第二王子が王位に立った方が盤石だと思ったらしい。
国は一人で収めるものではないから。貴族との繋がりが大事になるから。
だが幼い頃から聡いユーティスが王位を継ぐにふさわしいとする一派もまた根強くあった。だから邪魔だったのだろう。
理由がわかってしまうだけに、その殺意を認めざるをえなかった。
伯母に会うといつもお菓子をくれたのも、こうして信用させて毒を食べさせるためだったのかと思うと、すべての笑顔が嘘だと思うと、何も信じられなかった。
王宮で他に甘える人がいなかったユーティスに、唯一笑顔を向けて優しくしてくれた人だと思っていたから。
あの人も、あの人も、誰も彼もが嘘の笑顔でユーティスと接していたのか。内心では邪魔だと、この国のために死んでほしいと思われていたのか。
そう思って、絶望した。
そのせいなのか、いつもより回復が遅かった。
いつまでも呻き、苦しんでいるユーティスに、リリアは枕元でずっと歌をうたっていた。
「そんなもの、なんの役にも立たん」
いつものようにつっけんどんに言っても、リリアは枕元から離れようとしなかった。
こんな自分など、看病することはないのに。
どうせ助かったって、また命を狙われるだけなのだから。
皆に死を望まれている命を救って何になる? すぐに、すべて無駄になるだけだ。
「別にユーティスのために歌ってるわけじゃないもん。歌いたいから歌ってるだけ」
命の淵に立たされるとリリアの歌が聞こえてきた。
上手くもない調子っぱずれの歌が、何度も意識を引き戻した。
このまま緩やかな流れの方に乗って行ってしまおうと思うのに、リリアの歌が聞こえると、森で傷だらけになって薬草を取って来てくれたことや、びしょびしょに濡れたままのタオルを持って来て体を拭こうとしてくれたことや、いろんなことが思い返されて、目が覚める。
リリアは、相手が王位継承権を持った第一王子であっても、毒舌を振りまく嫌な子供であっても、態度を変えない。おかまいなしに毒舌に言い返すし、丁寧に看病もする。
損得などなく、自分がやりたいようにしてるだけ。そんなリリアといるのが、心地よかった。
王宮に帰ると無性にこの少女に会いたくなった。
いつでも傍にいたらいいのにと思ってしまった。
だけど、命を狙われ、長く生きられるかわからない自分になど、深く関わってはならない。
万一の時に、リリアが悲しむのは嫌だったから。
だから冷たくするのに、リリアはそんなことはおかまいなしで、来るなと言っても勝手に部屋に入ってくるし、こうしていらぬと言っても歌をうたう。
いっそ嫌いになってくれればいいのに。優しくも強くもあるリリアは、何を言われても軽くいなしてしまう。
ユーティスにとって、最も自由にならない人間がリリアだった。
「そろそろ薬の時間か。今回の薬はね、私が手伝ったんだよ。勿論煎じるのは資格を持ったお父さんしかできないけど。私も毒と解毒薬のことばっかり調べてたらすっかり薬師の資格の勉強がおろそかになっちゃってさ。次にユーティスが来たときは助手の資格には合格してるはず。そしたら私も簡単な薬なら煎じられるようになるから」
毒を調べるだと?
ぞっとした。
これ以上きな臭いユーティスの周りに関わらせたくはないのに。
いつもここで治療していることがわかれば、狙われかねない。それなのに――。
嬉しいと思ってしまった。
ユーティスのために何かしたいと思ってくれることが。
それでも突き放さなければならない。関わっても、リリアにとっていいことなど一つもないのだから。
「己の本業に目を背けていただけだろう。俺を言い訳にするな。そんな奴が毒の勉強なんぞしたところで、おれはおまえの薬など怖くて飲めぬ」
「確かに。言われてみればそうだね。じゃあまずはしっかり薬師の資格を取るよ。それからだね」
「そうじゃない! 毒など学んで何になる? どうせ俺はすぐに死ぬ。これほどまでに死を望まれている命なんだ。そもそもここまで生きながらえているのが奇跡だと言える。そのおかげでおまえたち一家にも迷惑をかけ続けてきた。どこへ行っても俺など邪魔なのだ。それなら、いっそ死んでしまった方がよかっ――」
言葉を続けることはできなかった。
パンッ、と乾いた音が小さな部屋に響いて、ユーティスは壁を向かせられていた。
ゆっくりと顔を戻せば、真っ赤な顔で怒りに拳を震えさせているリリアがいた。
「バカじゃないの?! 誰かに死を望まれたからっていちいち死んでたらこの世界には誰も残らないわよ。そもそも誰にも迷惑をかけずに生きるなんて、どだい無理な話なんだから!」
ユーティスは衝撃に焦点の合わぬ目で、ひたすらにリリアを見つめた。
ややして像が結ぶと、リリアの目の端には涙が滲んでいるのが見えた。
「一人で生きてきたようなツラするんじゃないわよ。誰がこれまでユーティスにご飯を作ってくれてたと思ってるの? どれだけの人がユーティスを生かそうとしてきたと思ってるの。誰が、どんな思いでユーティスを生んだと思ってるのよ!」
はっとして、ユーティスは歯噛みした。
リリアは、母の子に対する思いを身近に見てきたのだ。
リリアの母サーシュは、兄弟を身ごもったとき、母体が危ないから子供を諦めるべきだと言われた。だがわずかでも可能性があるのならと、諦めなかった。
そして産み月まであと少しというところで、母子ともに亡くなってしまった。
母が、父が、どんなに子供の誕生を待ち望んでいたのかを傍で見ていた。
ユーティスもそのことを知っていたのに。
リリアはボロリと零れた涙に構わず、ユーティスを睨みつけた。
「大体ねえ、死を望む人に報いるくらいなら、生きてと望む人に報いなさいよ。報いるの方向が間違ってるのよ、方向が! ユーティスがユーティスの生きたいように生きてくれたらそれでいい。そう思ってくれる人のこと忘れるんじゃないわよ」
怒りを爆発させるように言い切ると、リリアはぐいっと涙を拭った。
そこにはもう涙は光っていない。
ただただまっすぐにユーティスを見ていた。
「私たちを見てよ。死んでほしいと思ってる人のことばっかり考えないで。お父さんも、私も、ユーティスに生きてほしいって思ってるんだから、それでチャラにして。それでただ自分のために生きてよ」
国の安寧のために疎まれる命。
目の前にはただ生きることを望む一人の少女。
数でも、この国にとっての価値も、比較にならないような小さな存在なのに、その言葉はユーティスの体を作り変えてしまいそうなほどに全身を駆け巡っていった。
いいのだろうか。血の繋がった伯母にすら、国のためにならないと、邪魔だと思われていても、生きていてもいいのだろうか。
ユーティスは揺れる瞳でリリアを見た。
「俺は王族だ。第一王位継承者だ。自分のためになど――」
「死を願う人なんか、めちゃくちゃ自分本位の見本じゃない。だったらユーティスが自分のために生きて何が悪いのよ。誰だって、自分が生きたいなら生きればいいのよ」
リリアは至極あっさりと言った。
「王になりたいならなればいい。なりたくないならならなきゃいい。ユーティスがやらなかったら誰かがやる、それだけでしょ? 役割に代わりはある。だけど人の代わりはいないのよ。ユーティスを生きるのはユーティスだけなんだから。ユーティスはユーティスの生きたいように生きればいい」
これまで思い悩んできたことが、実は単純なことだったのではないかと思えた。
重く苦しく背負わなければならないと思っていた。だが責任を果たすことと苦しむことは同じではない。責任の果たし方は一つではない。国の守り方は、一つではない。
リリアの言葉は、ユーティスの暗い道に風穴を開けた。
何か、進むべき道が見えてきたような気がした。
「さあ、さっさとすっかりぐっすり寝なさいよ。そしたら少しは元気になって、まともなことも考えられるようになるわ。そしたらあとはがむしゃらにがめつく生きたらいいのよ。――ねえ、なんで笑ってるのよ。ちょっと聞いてる?」
言われて初めて気が付いた。
いつの間にか笑っていたらしい。
「ちゃんと聞いている」
リリアが気味が悪そうにひいて見ていることに気が付いて、余計におかしくなった。
きっとユーティスがこんなに笑うなど、何が起きたのかと思っているのだろう。
また何か言われるのかと警戒すらしているのかもしれない。
鋭いようで何にもわかっていないこの少女が、ひたすら愛しかった。
「わかった。確かに俺が愚かだった」
「わかったんならいいけど。――本当にわかったの?」
何故笑っていたかわからないからだろう。訝しむようなリリアの瞳に、ユーティスは真っ直ぐに答えた。
「ああ。悪夢から醒めた心地だ」
久しぶりにすっきりとした気持ちだった。
とても気持ちがいい。
心なしか、先程までぐったりとしていた体も軽く感じた。
これまでレールの上を逸れずに走らなければならないとばかり思ってきたのに、新しく見えたやるべきこと、やりたいことに向かって、今からでも動き出したくて堪らなくなった。
「そう? ならいいけど。まあ私もさ、ユーティスが毒にやられても生きていけるように勉強しておくからさ。ユーティスは一人じゃないよ。お父さんも、私もいるよ。まだ私は何の役にも立たないけど、一人より二人の方がいいでしょ? 血のつながった伯母さんがどうとか知らないけど、私とお父さんはユーティスの味方になったげるからさ」
「それなら。俺が望んだらおまえは頼みを聞いてくれるのか」
知らず、ぽつりと聞いていた。
「ものによる。」
リリアははっきりと答えた。
ユーティスは笑った。
「わかった。ならおまえが『うん』と言うようにやってみよう」
そう言って楽しそうに笑うと、リリアが引きつるのが分かった。
またよからぬことを考えていると思っているのだろう。
正解だ。
ユーティスは生きたい。
リリアと共に生きたい。
例え、どれだけ時間がかかっても。
◇
快復したユーティスは、愚王の仮面をかぶることにした。
命を狙われる危機を回避するためだった。
でもそれだけじゃない。王位継承者として相応しくないという世論を煽る、そのことこそが目的でもあった。
伯母を始めとした第二王子を王にと望む一派との無駄な争いを避けるためだ。
だが誤算があった。
まだ幼い第三王子を担ごうとする一派は数少ないながらも、一部が暴走し第二王子派と争いを始めてしまったのだ。
その末に、王子たちが犠牲となってしまった。
父である国王がこんなに早く亡くなってしまったことも大きな誤算だった。
まだユーティスの計画の途上だったのに。
さらに、リリアの父ダーナーまで亡くなり、リリアが一人になってしまった。
ユーティスは相当に悩んだ。血なまぐさい王宮にリリアを巻き込みたくはなかったからだ。
しかしエイラスからリリアを狙う者がいると報告を受けていた。愚王の仮面をかぶったユーティスを下ろすため、利用されようとしていたのだろう。
王として価値のない愚かな第一王子であれば、リリアと親しくしていても狙われることはないと思っていたのに、思わぬ早さで国王が亡くなってしまい、リリアに利用価値が生まれてしまった。
そこから大きく方向転換せざるをえなくなった。
遠くで何かあるよりも、近くで守ろうと思った。
だが結果として、二度もリリアに毒を含ませることになってしまった。
何もかも思うようにはいかない。
リリアが関わると、何一つうまくいった試しがなかった。
それだけいばらの道なのだということは最初からわかっている。
それでも。諦めることはできなかった。
もはやユーティスにとってリリアは生きる意味そのものだったから。
だから。
リリアを苦しめた者は許さない。
徹底的に。
ユーティスはリリアの細い手を握り、額に当てた。
この手がまたくるくると楽しそうに薬を煎じる日々が訪れるようになるまで。
ユーティスが歩みを止めることはない。
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