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第一章 国王陛下のおなり
4.国王陛下が王子だった頃
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「いやあ、すごいことになったねえ。リリアはすっかりこの国を救った英雄になってるよ」
ちらちらとこちらを見て通り過ぎる人たちを、窓越しに眺めているのは友人のラス。
彼女はふわふわの長い髪を肩に流し、もはや感心したよう嘆息している。
カウンターに突っ伏していた私は、陰鬱に顔を上げた。
「もうその話やめて、ラス……」
あれから来客がある度みんなにそれを言われ、辟易としていた。
でもラスはすっごく楽しそうで、全然やめてくれなかった。
「最初は、町娘が国王をぶっ叩くとか、リリア終わったなーと思ったけどさ。愚王が賢王に目覚めたっていう英雄譚になっちゃうんだから、もう感心するしかないよね!」
ラスはかわいらしい顔に似合わず言葉遣いが雑だ。そんな彼女に楽しそうにふふふと笑われても、私は同じように笑うことはできない。
まんまとユーティスに乗せられた結果なのだから。何にも楽しくない。
「っていうかリリアにとって国王陛下ってどんな人なの? いくら腹が立ったからって、引っぱたく関係って……」
「ああ……。その話ね。長いけど聞く?」
「うん。今日は暇だから」
私もユーティスのせいで客が減ってとてつもなく暇だったから、二人分のハーブティーを淹れ再び座った。
「最初に会ったのは、もう十年も前になるかな――」
◇
第一王子で、しかも賢く王に相応しいと見られていたユーティスは、幼い頃から命を狙われていた。
王妃だった母は既になく、国王は側室二人とその息子たち、第二王子と第三王子にばかり目をかけていて、後ろ盾がなかったからだ。
そしてユーティスが八歳の時、ついに毒に倒れた。幼い頃から毒にならされていたから一命はとりとめたものの、治療と療養が必要だった。しかしそんな状態で王宮に留まれば弱ったところに追い打ちをかけられかねない。それを危惧した国王は私の父、宮廷薬師だったダーナーにユーティスを託した。
当時六歳だった私も、父が連れて帰ってきたユーティスが脂汗をかきながら必死に毒と戦っている姿を見て、自分にも何かできることはないかとあれこれ考えた。
目の前で誰かが死にかけているのを見るのは初めてのことだったから、ただ見ているだけなのは辛かった。
それで森へ薬草を探しに行ったこともある。
まだ薬を煎じることはできないから、手に入れたのは薬草とも呼べないような、ポプリのようなものだったけど。
戦利品を手にそっと部屋に入ると、血色の悪い顔がこちらを向いた。
息を詰め、足音をしのんだつもりだったのに、ユーティスは敏感だった。
たぶん、王宮にいるときから常に誰かに狙われて、気を抜けない生活をしていたからだろう。
「だれだ、おまえは」
幼くとも険のある声が私を射抜く。
「リリア。お父さんとお母さんの娘だよ」
幼かった私がそう答えると、ユーティスは眉をしかめた。
「おまえはバカなのか」
「あ。えーと。この薬屋の娘だよ、って言えばわかる?」
「もうわかってる」
だったら聞き流してくれたらいいのに。いちいち意地悪だな、と思ったけど、体が辛くて気が立ってるのだろうと思い、私が聞き流してあげることにした。
私は静かにユーティスの枕元まで行くと、手にしていた草を彼の顔の傍にそっと置いた。
瞬間、ユーティスの腕が重そうに動き、それを払った。
「何をする。こんな小汚い草……、まさか毒草か」
忌々し気に顔が歪められ、私はびっくりした。
薬屋の子供だった私にとって草といえば薬草というのが当たり前のイメージで、ありがたがられても、嫌悪されるなどとは思ってもいなかったから。
ユーティスがすぐに毒を連想するような環境にいたことは、幼い私には思い至れなかった。
だから私は、むっとして言い返した。
「これはスズ草。この匂いを嗅ぐと、ゆっくり眠れるんだよ」
床に散らばったスズ草を拾い集めて束ね、ベッドサイドのチェストに吊るす。
「そんなもの、何の役にも立たん。薬でもない、単なるまじないのようなものだろうが」
胡乱げに見るユーティスの目のくまがひどかった。苦痛と気怠さに歪んだその顔が、とても同じ年頃のものとは思えなかった。
「ユーティスには今はたくさん寝ることが必要なの。薬は万能じゃない。毒をなかったことにしてくれるわけじゃない。しっかり寝たら、ユーティスの体がもっと戦えるようになるよ」
「医者でも薬師でもないおまえの言う通りにする筋合いはない。邪魔なだけだ。早く去れ」
平和に生きてきた私には、ずっと命を狙われ続けているユーティスが、簡単に人を信じられないのだということも、わからなかった。
だから私はかまわずユーティスにお説教をした。いつも父から聞かされていた言葉を使って。
「お父さんがよく言ってる。自分にとって何がいいもので、何がわるいものか、よく見極めることが大事だって。そして自分にいいものは手放しちゃだめ。だからおまじないみたいな草でも、それでよくなるかもしれないんだったらまずは試してみたらいいのよ。文句は、それでもよく眠れなかったときに言って!」
生きることにがむしゃらに、がめつくなってほしかった。だってそうしないと、ユーティスの命が儚く消えていってしまいそうだったから。ユーティスの顔が、時々諦めたように無気力になるのを知っていたから。
憤然と言った私を、ユーティスはまじまじと見つめた。
「わかったの? わかったら返事!」
具合の悪い人間にしつこく返事を求めるなど鬼畜だったなと今では思う。
だけどそんな私にユーティスは、「はははは!」と声を上げて笑ったのだ。
なんだ、笑えるのかと、ひどくびっくりしたことを覚えている。
「わかった。その草はそこに置いておいてもいい。でももう持ってくるな。手が傷だらけになるぞ」
はっとして手を後ろに隠す。森の中を探しているときに、草で手を切ってしまったのだ。まさかそんなところまで見られているとは思わなかった。
病人に心配されていては薬師の娘として不甲斐ない。
このままでは終われないと思った私は、部屋の隅から椅子を持ってきてベッドサイドに座った。
「私が歌をうたってあげる。スズ草と私の歌で、今日はきっとよく眠れるよ」
そう言って私は、知っている限りの歌をうたって聞かせた。
最初はうるさそうに眉をしかめていたユーティスだったけれど、そのうち瞼が落ちて、静かな寝息が聞こえだした。
◇
ずっと浅い眠りを繰り返しうなされていたユーティスが、私の目の前で確かに眠ってくれた。
薬師の知識を使って、少しでも役に立てた。そう思えたことが、とても嬉しかった。
私が両親のように薬師を目指した原点は、ここにあったのかもしれない。
それからユーティスは快復してはまた何度も毒に倒れ運び込まれてきた。
けれどユーティスが十二歳の時、ぱったりと来なくなった。
もしかしてその直前に、私がユーティスを引っぱたいたことがあったからかな、とちらりと思った。
でも違った。
しばらくして国民の間にある噂が流れ、それ以来ユーティスが毒に倒れることがなくなったからだった。
ちらちらとこちらを見て通り過ぎる人たちを、窓越しに眺めているのは友人のラス。
彼女はふわふわの長い髪を肩に流し、もはや感心したよう嘆息している。
カウンターに突っ伏していた私は、陰鬱に顔を上げた。
「もうその話やめて、ラス……」
あれから来客がある度みんなにそれを言われ、辟易としていた。
でもラスはすっごく楽しそうで、全然やめてくれなかった。
「最初は、町娘が国王をぶっ叩くとか、リリア終わったなーと思ったけどさ。愚王が賢王に目覚めたっていう英雄譚になっちゃうんだから、もう感心するしかないよね!」
ラスはかわいらしい顔に似合わず言葉遣いが雑だ。そんな彼女に楽しそうにふふふと笑われても、私は同じように笑うことはできない。
まんまとユーティスに乗せられた結果なのだから。何にも楽しくない。
「っていうかリリアにとって国王陛下ってどんな人なの? いくら腹が立ったからって、引っぱたく関係って……」
「ああ……。その話ね。長いけど聞く?」
「うん。今日は暇だから」
私もユーティスのせいで客が減ってとてつもなく暇だったから、二人分のハーブティーを淹れ再び座った。
「最初に会ったのは、もう十年も前になるかな――」
◇
第一王子で、しかも賢く王に相応しいと見られていたユーティスは、幼い頃から命を狙われていた。
王妃だった母は既になく、国王は側室二人とその息子たち、第二王子と第三王子にばかり目をかけていて、後ろ盾がなかったからだ。
そしてユーティスが八歳の時、ついに毒に倒れた。幼い頃から毒にならされていたから一命はとりとめたものの、治療と療養が必要だった。しかしそんな状態で王宮に留まれば弱ったところに追い打ちをかけられかねない。それを危惧した国王は私の父、宮廷薬師だったダーナーにユーティスを託した。
当時六歳だった私も、父が連れて帰ってきたユーティスが脂汗をかきながら必死に毒と戦っている姿を見て、自分にも何かできることはないかとあれこれ考えた。
目の前で誰かが死にかけているのを見るのは初めてのことだったから、ただ見ているだけなのは辛かった。
それで森へ薬草を探しに行ったこともある。
まだ薬を煎じることはできないから、手に入れたのは薬草とも呼べないような、ポプリのようなものだったけど。
戦利品を手にそっと部屋に入ると、血色の悪い顔がこちらを向いた。
息を詰め、足音をしのんだつもりだったのに、ユーティスは敏感だった。
たぶん、王宮にいるときから常に誰かに狙われて、気を抜けない生活をしていたからだろう。
「だれだ、おまえは」
幼くとも険のある声が私を射抜く。
「リリア。お父さんとお母さんの娘だよ」
幼かった私がそう答えると、ユーティスは眉をしかめた。
「おまえはバカなのか」
「あ。えーと。この薬屋の娘だよ、って言えばわかる?」
「もうわかってる」
だったら聞き流してくれたらいいのに。いちいち意地悪だな、と思ったけど、体が辛くて気が立ってるのだろうと思い、私が聞き流してあげることにした。
私は静かにユーティスの枕元まで行くと、手にしていた草を彼の顔の傍にそっと置いた。
瞬間、ユーティスの腕が重そうに動き、それを払った。
「何をする。こんな小汚い草……、まさか毒草か」
忌々し気に顔が歪められ、私はびっくりした。
薬屋の子供だった私にとって草といえば薬草というのが当たり前のイメージで、ありがたがられても、嫌悪されるなどとは思ってもいなかったから。
ユーティスがすぐに毒を連想するような環境にいたことは、幼い私には思い至れなかった。
だから私は、むっとして言い返した。
「これはスズ草。この匂いを嗅ぐと、ゆっくり眠れるんだよ」
床に散らばったスズ草を拾い集めて束ね、ベッドサイドのチェストに吊るす。
「そんなもの、何の役にも立たん。薬でもない、単なるまじないのようなものだろうが」
胡乱げに見るユーティスの目のくまがひどかった。苦痛と気怠さに歪んだその顔が、とても同じ年頃のものとは思えなかった。
「ユーティスには今はたくさん寝ることが必要なの。薬は万能じゃない。毒をなかったことにしてくれるわけじゃない。しっかり寝たら、ユーティスの体がもっと戦えるようになるよ」
「医者でも薬師でもないおまえの言う通りにする筋合いはない。邪魔なだけだ。早く去れ」
平和に生きてきた私には、ずっと命を狙われ続けているユーティスが、簡単に人を信じられないのだということも、わからなかった。
だから私はかまわずユーティスにお説教をした。いつも父から聞かされていた言葉を使って。
「お父さんがよく言ってる。自分にとって何がいいもので、何がわるいものか、よく見極めることが大事だって。そして自分にいいものは手放しちゃだめ。だからおまじないみたいな草でも、それでよくなるかもしれないんだったらまずは試してみたらいいのよ。文句は、それでもよく眠れなかったときに言って!」
生きることにがむしゃらに、がめつくなってほしかった。だってそうしないと、ユーティスの命が儚く消えていってしまいそうだったから。ユーティスの顔が、時々諦めたように無気力になるのを知っていたから。
憤然と言った私を、ユーティスはまじまじと見つめた。
「わかったの? わかったら返事!」
具合の悪い人間にしつこく返事を求めるなど鬼畜だったなと今では思う。
だけどそんな私にユーティスは、「はははは!」と声を上げて笑ったのだ。
なんだ、笑えるのかと、ひどくびっくりしたことを覚えている。
「わかった。その草はそこに置いておいてもいい。でももう持ってくるな。手が傷だらけになるぞ」
はっとして手を後ろに隠す。森の中を探しているときに、草で手を切ってしまったのだ。まさかそんなところまで見られているとは思わなかった。
病人に心配されていては薬師の娘として不甲斐ない。
このままでは終われないと思った私は、部屋の隅から椅子を持ってきてベッドサイドに座った。
「私が歌をうたってあげる。スズ草と私の歌で、今日はきっとよく眠れるよ」
そう言って私は、知っている限りの歌をうたって聞かせた。
最初はうるさそうに眉をしかめていたユーティスだったけれど、そのうち瞼が落ちて、静かな寝息が聞こえだした。
◇
ずっと浅い眠りを繰り返しうなされていたユーティスが、私の目の前で確かに眠ってくれた。
薬師の知識を使って、少しでも役に立てた。そう思えたことが、とても嬉しかった。
私が両親のように薬師を目指した原点は、ここにあったのかもしれない。
それからユーティスは快復してはまた何度も毒に倒れ運び込まれてきた。
けれどユーティスが十二歳の時、ぱったりと来なくなった。
もしかしてその直前に、私がユーティスを引っぱたいたことがあったからかな、とちらりと思った。
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